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3話
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✳✳✳
「え!……あのセクシーナイトウェア作戦もダメだったの?」
「うん……」
決死のお色気作戦決行から、数日後のお昼どき。
学生時代バイトをしていたカフェのすぐそばにある、大道寺ハウジングホールディングス本社ビルのレセプションカウンター。
同じシックなブレザー制服と帽子に身を包んだ、同僚のメアリーの潜めた声にコクリと頷いた。
「隼人さんの気持ちを疑うわけじゃないんだけど……やっぱり私が、子供過ぎて相手にならないのかなぁ…。そろそろ自信なくなってきた」
「何言ってるのよ、見るからにミナにしか眼中にない男じゃない! きっと、ハヤトにはなにか理由があるのよ」
メアリーの華奢な手が私の背中をパシンと叩いて元気づける。
お昼前のこの時間は人の行き来が減る。仕事をしながらお悩み相談が定例となっていた。
私は大学卒業後、隼人さんの経営する大道寺ハウジングホールディングス本社ビルで受付――つまりレセプションガールをしている。
来訪者や問い合わせへの対応とデータやスケジュール、設備などの管理業務が主な仕事だ。
実は大学三年の就活をはじめたころ、持ち帰ったジョブポスティングを見て隼人さんが私に提案してくれた。
『クラーク希望なの? なら、うちの会社じゃだめ? レセプションをひとり増員する予定なんだ』
魅力的な誘い文句だったけど、キッパリ断ったはずなのに
『遠慮いらない。期待してるよ。よろしくね』
私の気持ちを見越し、またたく間に採用が決まり今に至る。
まだ3ヶ月しか勤務していないけれど、社員の半数以上が日本人だし、業務もそれほど立て込むことはない。
そして、一緒にレセプションガールを勤める欧米人のメアリーは、隼人さんと大学の同期で親しい。気さくで面倒見の良い彼女は私の唯一の相談役でもある。
これ以上の職場はないと思う。
ちなみに先日のネグリジェも、私の相談を受けたメアリーが提案してくれたものだ。
「いっそう、本人に面と向かって聞いてみるのは?『なんで抱いくれないの?』って」
「それは……」
生粋の欧米人で結婚してすでにふたりの子供がいる彼女は、いつも大胆なアドバイスをしてくる。けど、失敗後ダメージの大きそうなこの提案には、私も難色を示してしまった。
「結婚してこの半年、色んな計画してきたけど、ことごとくスルーだったし、それしか方法はないような気がするけど」
「ゔっ」
メアリーの言ってることは正しい。
自分からキスを仕掛けたり。体を押し付けたり。転んだふりをして押し倒してみたり。卒倒しそうな作戦をいくつも実行してきたけれども。
『俺の可愛いみな……お休み』
隼人さんはいつも余裕の表情で甘い言葉を囁いて別室に向かう。
本人を問い詰めるしかないのは、自分でも理解している。だとしても……
「でも、やっぱり聞くのは怖いよ……」
そう怖い。隼人さんを信じてると言いながら。
非の打ち所がないスペックの持ち主で、誰もを魅了する王子様のような隼人さんと。
対して、庶民育ちで、容姿だって至って普通。さらに、彼よりも十個も年下、少し前まで学生だった子供だ……。夜のお誘いをしても『早く寝たほうがいい』なんて言われてしまう子供。
きっぱりと『抱けない』と言われる確率のほうが高いわけで……。
もしそんなこと言われたら、二度と立ち直れないだろう。
……結局、私は隼人さんを信じてると言いながら、信じきれていない子供なんだ。
「――なら、試してみるのは?」
「ためす?」
メアリーの唐突な提案に、午後の来客スケジュールを確認する手を止めて首をかしげる。
「そう。ハヤトにヤキモチを妬かせる! つまり――ジェラシーで気持ちを煽る作戦!」
「ジェラシーって……」
またおかしな作戦が発動しそうだ。
隼人さんは、過去にカフェのバイトメンバーと飲みに行ったときも。入社前してからのウェルカムパーティーに行ったときも。決して引き止めるようなことはしない上、自ら送迎を引き受けてくれるような余裕ぶりだ。
ヤキモチなんて妬かないと思うけど。
そのとき。
ウィンドの向こう側、オフィス前でタクシーを降りた男女がこちらに向かってくる。
「おっと……ご本人のゴトージョーね」
メアリーの言うとおり、スマートフォンを耳に当てて忙しそうにエントランスホールに入ってきたのは、三つ揃えスーツに身を包んだビジネス仕様の魅力的な隼人さんだ。
体にフィットした細身のスーツに一流ブランドの革靴。横に無造作に流れた髪は今日も私の胸をキュンと震わせる。
――あぁ、今日も素敵。
「悪いが3日後のスケジュールを組み直してほしい。相手側から指定があった、できる?」
「車内で察しまして、もうすでに取り掛かってます」
「さすが。いつも助かるよ」
そして、斜め後ろには金髪碧眼の人目を引く美人秘書。
スラリとした長身に、波打つブロンドの長い髪。サファイアのような大きな瞳。逆三角形のちいさな顔に、グラビアアイドルのようなプロポーション。
欧州一流大学出身の隼人さんの右腕とも言われる彼女は、彼の大切な人だったと聞いたことがある。名前はソフィアさんだ。
やりとりを終えた隼人さんは「お疲れさまです」といつものように、私たちに甘く微笑んで執務室に向かう。
分刻みのスケジュールを精力的にこなす隼人さんと、そんな隼人さんから絶大な信頼を受けるソフィアさん。
容姿や年齢はもちろん、パワーバランス的にも、彼女の方が断然見合っている。
無意識に痛くなる心。
「――そんな顔しないの」
「……いてっ」
コツン、とメアリーが私のおでこを小突いてたしなめる。
「噂は噂。ほんとに元フィアンセだとしても、ハヤトが今好きなのはミナだけよ。自信持って」
「ありがとう……」
――元フィアンセ。
入社して、すぐに小耳に挟んでしまった。
メアリーから詳細を聞くに、隼人さんが取締役になったときすでに、会長の一存でソフィアさんが秘書に就くことが決まっていたらしい。
家族とも仲がいいそうで、ふたりで大道寺家のご実家を訪れていたという目撃情報もいくつかあったとか。
秘書でもよほどの事情がなければ、実家を訪れることはないだろう。
だからそれらの情報から、恋人関係もしくは家に用意されたフィアンセではないか? と言う噂が社内でずっと囁かれていたらしい――。
真相はわからない。
有耶無耶なまま私という確かな婚約者が現れ、結婚して三カ月経った今では、周囲の興味が失せ過去のものとされつつある。
隼人さんほど立場のある素敵な人なら、過去に恋人やフィアンセがいてもおかしくはない。咎めるつもりだってさらさらない。
だから私もそれを突き詰めたいとは思っていない。それが事情なら傷つくだろうし。大切なのは今だもの。
だけど今日は――
笑顔を心がけながらも、数日前のお色気作戦の失敗もあって、心の中はなかなか晴れてくれなかった。
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「え!……あのセクシーナイトウェア作戦もダメだったの?」
「うん……」
決死のお色気作戦決行から、数日後のお昼どき。
学生時代バイトをしていたカフェのすぐそばにある、大道寺ハウジングホールディングス本社ビルのレセプションカウンター。
同じシックなブレザー制服と帽子に身を包んだ、同僚のメアリーの潜めた声にコクリと頷いた。
「隼人さんの気持ちを疑うわけじゃないんだけど……やっぱり私が、子供過ぎて相手にならないのかなぁ…。そろそろ自信なくなってきた」
「何言ってるのよ、見るからにミナにしか眼中にない男じゃない! きっと、ハヤトにはなにか理由があるのよ」
メアリーの華奢な手が私の背中をパシンと叩いて元気づける。
お昼前のこの時間は人の行き来が減る。仕事をしながらお悩み相談が定例となっていた。
私は大学卒業後、隼人さんの経営する大道寺ハウジングホールディングス本社ビルで受付――つまりレセプションガールをしている。
来訪者や問い合わせへの対応とデータやスケジュール、設備などの管理業務が主な仕事だ。
実は大学三年の就活をはじめたころ、持ち帰ったジョブポスティングを見て隼人さんが私に提案してくれた。
『クラーク希望なの? なら、うちの会社じゃだめ? レセプションをひとり増員する予定なんだ』
魅力的な誘い文句だったけど、キッパリ断ったはずなのに
『遠慮いらない。期待してるよ。よろしくね』
私の気持ちを見越し、またたく間に採用が決まり今に至る。
まだ3ヶ月しか勤務していないけれど、社員の半数以上が日本人だし、業務もそれほど立て込むことはない。
そして、一緒にレセプションガールを勤める欧米人のメアリーは、隼人さんと大学の同期で親しい。気さくで面倒見の良い彼女は私の唯一の相談役でもある。
これ以上の職場はないと思う。
ちなみに先日のネグリジェも、私の相談を受けたメアリーが提案してくれたものだ。
「いっそう、本人に面と向かって聞いてみるのは?『なんで抱いくれないの?』って」
「それは……」
生粋の欧米人で結婚してすでにふたりの子供がいる彼女は、いつも大胆なアドバイスをしてくる。けど、失敗後ダメージの大きそうなこの提案には、私も難色を示してしまった。
「結婚してこの半年、色んな計画してきたけど、ことごとくスルーだったし、それしか方法はないような気がするけど」
「ゔっ」
メアリーの言ってることは正しい。
自分からキスを仕掛けたり。体を押し付けたり。転んだふりをして押し倒してみたり。卒倒しそうな作戦をいくつも実行してきたけれども。
『俺の可愛いみな……お休み』
隼人さんはいつも余裕の表情で甘い言葉を囁いて別室に向かう。
本人を問い詰めるしかないのは、自分でも理解している。だとしても……
「でも、やっぱり聞くのは怖いよ……」
そう怖い。隼人さんを信じてると言いながら。
非の打ち所がないスペックの持ち主で、誰もを魅了する王子様のような隼人さんと。
対して、庶民育ちで、容姿だって至って普通。さらに、彼よりも十個も年下、少し前まで学生だった子供だ……。夜のお誘いをしても『早く寝たほうがいい』なんて言われてしまう子供。
きっぱりと『抱けない』と言われる確率のほうが高いわけで……。
もしそんなこと言われたら、二度と立ち直れないだろう。
……結局、私は隼人さんを信じてると言いながら、信じきれていない子供なんだ。
「――なら、試してみるのは?」
「ためす?」
メアリーの唐突な提案に、午後の来客スケジュールを確認する手を止めて首をかしげる。
「そう。ハヤトにヤキモチを妬かせる! つまり――ジェラシーで気持ちを煽る作戦!」
「ジェラシーって……」
またおかしな作戦が発動しそうだ。
隼人さんは、過去にカフェのバイトメンバーと飲みに行ったときも。入社前してからのウェルカムパーティーに行ったときも。決して引き止めるようなことはしない上、自ら送迎を引き受けてくれるような余裕ぶりだ。
ヤキモチなんて妬かないと思うけど。
そのとき。
ウィンドの向こう側、オフィス前でタクシーを降りた男女がこちらに向かってくる。
「おっと……ご本人のゴトージョーね」
メアリーの言うとおり、スマートフォンを耳に当てて忙しそうにエントランスホールに入ってきたのは、三つ揃えスーツに身を包んだビジネス仕様の魅力的な隼人さんだ。
体にフィットした細身のスーツに一流ブランドの革靴。横に無造作に流れた髪は今日も私の胸をキュンと震わせる。
――あぁ、今日も素敵。
「悪いが3日後のスケジュールを組み直してほしい。相手側から指定があった、できる?」
「車内で察しまして、もうすでに取り掛かってます」
「さすが。いつも助かるよ」
そして、斜め後ろには金髪碧眼の人目を引く美人秘書。
スラリとした長身に、波打つブロンドの長い髪。サファイアのような大きな瞳。逆三角形のちいさな顔に、グラビアアイドルのようなプロポーション。
欧州一流大学出身の隼人さんの右腕とも言われる彼女は、彼の大切な人だったと聞いたことがある。名前はソフィアさんだ。
やりとりを終えた隼人さんは「お疲れさまです」といつものように、私たちに甘く微笑んで執務室に向かう。
分刻みのスケジュールを精力的にこなす隼人さんと、そんな隼人さんから絶大な信頼を受けるソフィアさん。
容姿や年齢はもちろん、パワーバランス的にも、彼女の方が断然見合っている。
無意識に痛くなる心。
「――そんな顔しないの」
「……いてっ」
コツン、とメアリーが私のおでこを小突いてたしなめる。
「噂は噂。ほんとに元フィアンセだとしても、ハヤトが今好きなのはミナだけよ。自信持って」
「ありがとう……」
――元フィアンセ。
入社して、すぐに小耳に挟んでしまった。
メアリーから詳細を聞くに、隼人さんが取締役になったときすでに、会長の一存でソフィアさんが秘書に就くことが決まっていたらしい。
家族とも仲がいいそうで、ふたりで大道寺家のご実家を訪れていたという目撃情報もいくつかあったとか。
秘書でもよほどの事情がなければ、実家を訪れることはないだろう。
だからそれらの情報から、恋人関係もしくは家に用意されたフィアンセではないか? と言う噂が社内でずっと囁かれていたらしい――。
真相はわからない。
有耶無耶なまま私という確かな婚約者が現れ、結婚して三カ月経った今では、周囲の興味が失せ過去のものとされつつある。
隼人さんほど立場のある素敵な人なら、過去に恋人やフィアンセがいてもおかしくはない。咎めるつもりだってさらさらない。
だから私もそれを突き詰めたいとは思っていない。それが事情なら傷つくだろうし。大切なのは今だもの。
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笑顔を心がけながらも、数日前のお色気作戦の失敗もあって、心の中はなかなか晴れてくれなかった。
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