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✳✳✳
そんな私、――“香田みな”が隼人さんと出会ったのは、二年前の二十歳のとき。
商社マンの父の影響で十歳のときからニューヨークのマンハッタンに住んでいた私は、うちから徒歩圏内にあるオフィスビル内のカフェでアルバイトをしていた。
日本人を象徴する黒髪のストレートを背中で揺らし、パッチリした目鼻立ちと低めの身長。
実年齢よりもだいぶ下に見られてしまうことから、やっと見つけたアルバイトだった。
出勤して一週間。そこの常連客だった隼人さんにはじめてあった。
『ブレンドひとつお願いします』
そう言ってスーツ姿でカウンターに座った彼は、まだ仕事に慣れずにガチガチに強張った私の顔を見て目をパチクリとした。
『あれ? 君、はじめてみるね。それも日本人……?』って。
これが私たちの出会いだった。
まるで雑誌のワンカットから出てきたような整った容姿に、見るからに質の良いオーダメードのスーツにピカピカの革靴。そして、優しく緊張を解いてくれるような、大人で包容力のある人柄に、私は三言話すうちには恋に落ちていたと思う。
『へぇ、みなちゃんっていうんだ。かわいい名前だね……。俺は、隼人。君と同じ日本人』
可愛い……という言葉をなんども頭で噛み締めて悶絶する。自分の名前がとても貴重なものに思えた。
『はやとさん……』
『一応この会社のオーナーでもあるから、何か困ったことがあったら、いつでも相談して』
そう言って短い時間でコーヒーを飲み終えた彼は、帰り際にコッソリ私に名刺を店を出ていった。
オーナー……? 相談……?
同じ頃合いに、スーツ姿の金髪碧眼の秘書らしき女性が隼人さんを迎えに来てちょっぴり胸が痛んだけれども――名刺を見て納得だった。
【大道寺グループ 取締役専務兼・ハウジングホールディングス代表取締役社長】
――Senior Managing Director real estate business ceo
【大道寺隼人】
――hayato daidouj
――オーナーって、こういうこと?!
大道寺グループは、日本に本社を置く世界各地でホテルやリゾーツ、不動産業を展開している、売上高が十本指にも入る国際的な大企業だ。
欧米にも十社ほど支社があり。ここニューヨークの大道寺ハウジングホールディングスに拠点を置いて、不動産事業の方を取り仕切るのが、引退間近のお父様に不動産事業CEOを任された隼人さんらしい。お兄さんもいて、そちらはホテル事業の方を任されていると聞いている。
王子様のような容姿。優しく包み込むような笑み。そして誰もが羨むような肩書き。
まさに、魅力あふれる大人の男性。
このときまだ学生私にも、到底手の届かない人物であることが、容易にわかった。
あんなに素敵な大人の男性が、こんな子供、相手にしてくれるわけないよね……。
このときは、そう自分を納得させた。
けれどもそれから一年が経過した頃、転機が起きた――
『え……日本にいく……?』
隼人さんと私の関係はこの一年の間で、とてもステップアップして、仲のいい常連さんとアルバイトという関係を築いていた。
夕方十五分ほど隼人さんの休憩時間。ブレンドコーヒーを淹れながら、彼のおしゃべりに付き合う。
学生の私から日々の生活を聞き出し、彼は人懐っこい笑みで「若いなぁ」と笑って。「俺にもそんなときがあったなぁ」という他愛もないおしゃべり。
その時間帯はほとんど人がおらず、彼のくるその週三日は、密かに思いを寄せる彼と過ごせる至福のときだった。
だから数日前に父から受けた相談も、胸の痛みを堪えながら笑顔で話していたんだ。
『はい、父の仕事の拠点がまた日本に戻るみたいで。……私も一緒に行くことにしました』
『――』
『大学がまだあるので、こっちに残りたい気持ちはあるんですけど……。でも、両親に心配だから一緒に来てほしいって言われちゃって……』
両親は、私の気持ちそっちのけで編入の手続きを勧めている。これは、まだ学生である私が、ひとりで決められることではない。それはわかっているけれど。
ただ、ただ、目の前にいる隼人さんと、会えなくなるのが、苦しくて辛くて仕方なかった。
宝物のように大切なこの気持ちは、心にそっと秘めたまま日本に持ち帰るつもりだった。
『バイトは……?』
『今月いっぱいです。なので、あと何回かしか会えないんですが……最後まで仲良くしてくれたら嬉し……』
『――いやだ』
だけど、ここ数日、ずっと心で何度も唱えていた言葉を伝えようとしたら、今までにない強い口調で拒まれてしまった。
胸がナイフで貫かれたように傷ませながら、『えっ……』といつもの彼のブレンドコーヒーを淹れる手を止めて顔をあげると……
そこには私よりも悲しそうに顔を歪ませた隼人さんがいた。
『……君に会えなくなるなんて、考えられない』
『隼人さん……』
『本当は大学を出るまで伝えるつもりはなかったんだが……いつも笑顔で俺の話しを聞いてくれる君が好きだ。俺と結婚を前提に付き合ってほしい――』
想像もしていなかった言葉に耳を疑った。
『俺に君のすべてを委ねて欲しい――』
そうして私たちの、同棲を兼ねたお付き合いが始まった。
戸惑い気味の両親を隼人さんが根気強く説得してくれて、了承を得てすぐ彼の住むのマンハッタンのタワーマンションに移り住む。
それから半年後、私の大学卒業と同時に、結婚した。
ホテル事業を展開する彼のお兄さんのリゾートホテルで盛大に行われたヨーロッパでの挙式。
初夜は大きなベッドで何度もキスを交わして、抱きしめあって眠った。
『みな……』
『隼人さん……』
入浴を済ませ、スイートルームのベッドに押し倒されて交される濃密なキス。
いよいよだって思った。
付き合って間もなくからキスを重ねることはあったものの、今同様それ以上行為は無かった私たち。
同じベッドで眠っていたけれども、どこか遠慮しあって手を繋ぐだけだった。
男性経験の無い、それも十個も年の離れた私に、きっと隼人さん遠慮しているんだろうなぁと思っていた。
だから、この日こそは――って密かに思っていたの。
だけど。
『疲れただろう? 今夜は、こうやって眠ろう』
彼は違っていた。
なにかから耐えるように私を抱きしめて、隼人さんはベッドに横になったんだ。
『え……隼人さん?』
『なにもこの日だけが特別なわけじゃない――。新婚旅行も兼ねているんだ。明日は行きたいところあるんだろう? 今夜はゆっくり休んだほうがいい』
もちろんこの言葉に疑問を持たなかったわけではない。けれども、自らベッドに誘う度胸のない私は、違和感を覚えながらも、気づけば彼の腕の中で眠っていたんだ。
思えばあの初夜が、疑問のはじまりだ。
それから彼はなにかと理由つけて、私のいるベッドに入って来なくなってしまった。
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そんな私、――“香田みな”が隼人さんと出会ったのは、二年前の二十歳のとき。
商社マンの父の影響で十歳のときからニューヨークのマンハッタンに住んでいた私は、うちから徒歩圏内にあるオフィスビル内のカフェでアルバイトをしていた。
日本人を象徴する黒髪のストレートを背中で揺らし、パッチリした目鼻立ちと低めの身長。
実年齢よりもだいぶ下に見られてしまうことから、やっと見つけたアルバイトだった。
出勤して一週間。そこの常連客だった隼人さんにはじめてあった。
『ブレンドひとつお願いします』
そう言ってスーツ姿でカウンターに座った彼は、まだ仕事に慣れずにガチガチに強張った私の顔を見て目をパチクリとした。
『あれ? 君、はじめてみるね。それも日本人……?』って。
これが私たちの出会いだった。
まるで雑誌のワンカットから出てきたような整った容姿に、見るからに質の良いオーダメードのスーツにピカピカの革靴。そして、優しく緊張を解いてくれるような、大人で包容力のある人柄に、私は三言話すうちには恋に落ちていたと思う。
『へぇ、みなちゃんっていうんだ。かわいい名前だね……。俺は、隼人。君と同じ日本人』
可愛い……という言葉をなんども頭で噛み締めて悶絶する。自分の名前がとても貴重なものに思えた。
『はやとさん……』
『一応この会社のオーナーでもあるから、何か困ったことがあったら、いつでも相談して』
そう言って短い時間でコーヒーを飲み終えた彼は、帰り際にコッソリ私に名刺を店を出ていった。
オーナー……? 相談……?
同じ頃合いに、スーツ姿の金髪碧眼の秘書らしき女性が隼人さんを迎えに来てちょっぴり胸が痛んだけれども――名刺を見て納得だった。
【大道寺グループ 取締役専務兼・ハウジングホールディングス代表取締役社長】
――Senior Managing Director real estate business ceo
【大道寺隼人】
――hayato daidouj
――オーナーって、こういうこと?!
大道寺グループは、日本に本社を置く世界各地でホテルやリゾーツ、不動産業を展開している、売上高が十本指にも入る国際的な大企業だ。
欧米にも十社ほど支社があり。ここニューヨークの大道寺ハウジングホールディングスに拠点を置いて、不動産事業の方を取り仕切るのが、引退間近のお父様に不動産事業CEOを任された隼人さんらしい。お兄さんもいて、そちらはホテル事業の方を任されていると聞いている。
王子様のような容姿。優しく包み込むような笑み。そして誰もが羨むような肩書き。
まさに、魅力あふれる大人の男性。
このときまだ学生私にも、到底手の届かない人物であることが、容易にわかった。
あんなに素敵な大人の男性が、こんな子供、相手にしてくれるわけないよね……。
このときは、そう自分を納得させた。
けれどもそれから一年が経過した頃、転機が起きた――
『え……日本にいく……?』
隼人さんと私の関係はこの一年の間で、とてもステップアップして、仲のいい常連さんとアルバイトという関係を築いていた。
夕方十五分ほど隼人さんの休憩時間。ブレンドコーヒーを淹れながら、彼のおしゃべりに付き合う。
学生の私から日々の生活を聞き出し、彼は人懐っこい笑みで「若いなぁ」と笑って。「俺にもそんなときがあったなぁ」という他愛もないおしゃべり。
その時間帯はほとんど人がおらず、彼のくるその週三日は、密かに思いを寄せる彼と過ごせる至福のときだった。
だから数日前に父から受けた相談も、胸の痛みを堪えながら笑顔で話していたんだ。
『はい、父の仕事の拠点がまた日本に戻るみたいで。……私も一緒に行くことにしました』
『――』
『大学がまだあるので、こっちに残りたい気持ちはあるんですけど……。でも、両親に心配だから一緒に来てほしいって言われちゃって……』
両親は、私の気持ちそっちのけで編入の手続きを勧めている。これは、まだ学生である私が、ひとりで決められることではない。それはわかっているけれど。
ただ、ただ、目の前にいる隼人さんと、会えなくなるのが、苦しくて辛くて仕方なかった。
宝物のように大切なこの気持ちは、心にそっと秘めたまま日本に持ち帰るつもりだった。
『バイトは……?』
『今月いっぱいです。なので、あと何回かしか会えないんですが……最後まで仲良くしてくれたら嬉し……』
『――いやだ』
だけど、ここ数日、ずっと心で何度も唱えていた言葉を伝えようとしたら、今までにない強い口調で拒まれてしまった。
胸がナイフで貫かれたように傷ませながら、『えっ……』といつもの彼のブレンドコーヒーを淹れる手を止めて顔をあげると……
そこには私よりも悲しそうに顔を歪ませた隼人さんがいた。
『……君に会えなくなるなんて、考えられない』
『隼人さん……』
『本当は大学を出るまで伝えるつもりはなかったんだが……いつも笑顔で俺の話しを聞いてくれる君が好きだ。俺と結婚を前提に付き合ってほしい――』
想像もしていなかった言葉に耳を疑った。
『俺に君のすべてを委ねて欲しい――』
そうして私たちの、同棲を兼ねたお付き合いが始まった。
戸惑い気味の両親を隼人さんが根気強く説得してくれて、了承を得てすぐ彼の住むのマンハッタンのタワーマンションに移り住む。
それから半年後、私の大学卒業と同時に、結婚した。
ホテル事業を展開する彼のお兄さんのリゾートホテルで盛大に行われたヨーロッパでの挙式。
初夜は大きなベッドで何度もキスを交わして、抱きしめあって眠った。
『みな……』
『隼人さん……』
入浴を済ませ、スイートルームのベッドに押し倒されて交される濃密なキス。
いよいよだって思った。
付き合って間もなくからキスを重ねることはあったものの、今同様それ以上行為は無かった私たち。
同じベッドで眠っていたけれども、どこか遠慮しあって手を繋ぐだけだった。
男性経験の無い、それも十個も年の離れた私に、きっと隼人さん遠慮しているんだろうなぁと思っていた。
だから、この日こそは――って密かに思っていたの。
だけど。
『疲れただろう? 今夜は、こうやって眠ろう』
彼は違っていた。
なにかから耐えるように私を抱きしめて、隼人さんはベッドに横になったんだ。
『え……隼人さん?』
『なにもこの日だけが特別なわけじゃない――。新婚旅行も兼ねているんだ。明日は行きたいところあるんだろう? 今夜はゆっくり休んだほうがいい』
もちろんこの言葉に疑問を持たなかったわけではない。けれども、自らベッドに誘う度胸のない私は、違和感を覚えながらも、気づけば彼の腕の中で眠っていたんだ。
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