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1巻

1-2

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 開催二十分前の、午後五時四十分。受付で貴重品を預けて、カードを首からぶら下げてラウンジに入る。
 十分前から開場している広いラウンジ内では、すでに多くの参加者が談笑していた。
 高い天井。連なる大きなシャンデリア。ラウンジというより、ダンスホールといったほうが近いほどきらびやかな空間。
 等間隔に設置された立食テーブルには、有名ブランドの食器に載せられた彩り豊かな料理が次々と並ぶ。

「思ったより人多いわねー。会場も華やか――……って、咲笑、大丈夫?」
「――えっ? あ、うん」

 いけない。想像を絶する規模と豪華さに圧倒され、口から魂が抜けかけていた。
 上質なスーツに身を包む男性陣に、お姫様みたいに着飾った女性たち。
 いくらプロの手で着飾ったとはいえ、私みたいな一般人の……それも野暮やぼったいのが紛れ込むのは良くないんじゃないの? と思っちゃう。
 明らかに場違いだってば!
 この人たちと交流を持つことを想像すると、すぐにでも会場から逃げ出したい……
 そう思いかけて、慌てて頭を振る。
 ――ダメダメ! なんのためにここに来たの。
 早くもくじけそうになる自らを叱咤しながら、みゆきとともにラウンジの奥へ突き進む。
 そんなふうにして会場を一回りし、開始まであと十分ほどになった頃、ウェイターさんからシャンパンのおかわりを受け取る。そしてモデルのように颯爽さっそうと隣を歩いているはずのみゆきに、「はい」とグラスを差し出した。
 ――のだが、あれ……?
 待っていても受け取った気配がないので、「みゆき?」と彼女がいるはずの方向へ視線を向ける。
 しかし、つい先程まで会話をしていた彼女の姿はそこにはなかった。
 ラウンジ内を見渡すと、数歩後方で立ち止まっている彼女を確認した。
 みゆきは私の視線に気づかず、ある一点を見つめたままだ。
 ――あれは……
 視線の先には、ついさっき会場入りした陵介くん。彼の周りには綺麗な女性が五、六人いる。
 いつも自信に満ちた、魅力的な猫のような大きなみゆきの瞳にどんよりと影が落ちている。
 彼女が今なにを考えているのか手に取るようにわかってしまう。
 私の胸までズキンと痛んだ。

「みゆき……?」

 咄嗟とっさに声をかけてしまった。私の声で我に返った彼女は、すぐに笑顔を作る。

「あー、ごめん、もしかして声かけてた? なんかぼーっとしてたみたいで」

 陵介くんが、チラチラこっちにSOSのサインを出しているような気がするけれども、みゆきは背を向けてしまう。
「やっぱり会場がグランツってだけでゴージャスよねぇ」なんて取り繕いながら私より前を歩き、無理矢理世間話をはじめた。
〝さくら〟である自分たちの立場を気にして無視しているのかな? と思って、相槌あいづちを重ねていたけれど、たぶん違う。私を気遣っているんだ。無意識なのだろうけど、彼女の瞳はたまに陵介くんを追っているもの。
 みゆきは昔からそうだ。自分こそ甘えたがりのくせに、『私に任せなさい!』と気弱な私のことを守ろうとする。
 でも、こういうときくらいは、ちゃんと甘えてほしい。大好きな彼女が、陵介くんを大好きなことは、誰よりも知っているんだから。

「みゆき」

 ペラペラと話を続ける彼女に、シャンパンをぐいっと押し付け、話をやめさせる。繊細なカットの入った見るからに高そうなグラスであることに気づき、ギョッとしそうになったが、努めてみゆきを強く見据えた。

「咲笑……?」
「みゆき、私は大丈夫だから、行っておいで」
「え?」

 本当はものすごく心細いけれど、自分のぶんのシャンパンを傾けて、余裕さをアピールしてみせる。どのみち婚活パーティーがはじまれば、みゆきの後ろで縮こまっているわけにはいかないのだ。

「私は私で美味しい料理でも食べて楽しんでいるから。夜も陵介くんの部屋でごゆっくり……ふふっ」

 元より、夜はひとりでナイトプールを楽しもうと思って水着を持ってきていた。仕事で忙しいふたりはなかなか会えないんだから、私に構わず仲良く過ごしてもらいたい。

「咲笑……」
「ほら、行っておいで。早くしないと、綺麗なお姉さんたちに取られちゃうよ?」

「でも……」と渋る彼女の背中を押して「ほら、早く!」と煽る。
 何度かそれを繰り返すと、やがて苦笑いしたみゆきは「ありがとう」と遠慮がちに陵介くんのもとに向かった。
 ……うん、良かった。大好きなふたりには、笑顔でいてもらいたいもんね。安堵してみゆきの背中を見送る。

「――優しいんだね」

 そのとき、艶のある低い声に話しかけられた。
 ハッとして顔を上げる。
 ――だれ……?
 柔らかそうなダークブラウンのマッシュヘア、大きなアーモンドアイにキリッとした眉。そして、スッと通った鼻筋。女性と見間違うほど綺麗な顔立ちだ。
 身長は百八十をゆうに超えているだろうか。光沢のある上質なネイビーのストライプのスーツに、シルバーのアスコットタイ。トモキよりも遥かに大きく、女性の平均身長程度の私を見下ろすほどの高身長だ。
 無意識にポーッと見惚みとれる。

「――いきなり失礼。陵介には世話になっていてね。偶然にも君の心遣いを目にして、声をかけずにはいられなかったんだ」

 会話をはじめたみゆきたちに視線を配り、我に返った私を見て、ニコリと上品な笑みを浮かべる。まるで、スクリーンから出てきた王子様のような人だ。

「さっきから助けてほしそうな顔でこっちを見ていたから、きっと喜ぶと思うよ」

 優しげな声色。どうやら彼も陵介くんと親しいらしい。緊張しつつも少しだけ警戒心が解ける。

「……お知り合い、なんですね。ふたりにはいつもお世話になっているので、喜んでくれるなら良かったです」
「とても友達思いなんだね」

 優しげに細められた色素の薄い瞳に見つめられ、全身が甘く震える。
 ここにいるということは、おそらく経営者や大企業役員なのだろう。しかし、振る舞いにも口調にも品があって、周囲より頭一つ抜け出ているよう。
 甘いマスクのせいだろうか。
 トクン、トクンと鼓動が自然と高鳴る。

「――あのぉ、すみません~!」

 そのとき。ポーッとしている私の前に、数名の女性がきゃあきゃあ言いながら体を滑らせ、会話に加わってきた。
 その瞬間、我に返る。
 そっか、こんな素敵な男性を放っておく人はいないよね。
 もう少し話をしたい気もしたけれど。私は赤く染まった顔を隠すように頭を下げて、その場をあとにする。
 彼がこちらを見ていたことも知らずに。


   ◇


 ――約三十分後。
 ラウンジを出てすぐの、中庭に隣接するリゾートプール。誰もいないプールサイドに伸びるデッキの隅っこに腰を下ろした私は、ライトアップされた揺らめく水面を眺めていた。
 無人のプールサイドは、まるでパーティー会場とは別世界のように静かだ。
 ――結局、あれから会場の熱気に圧倒されて、三十分もしないうちにコソコソ出てきてしまった。せっかくみゆきと陵介くんが連れてきてくれたのに。
 はぁ……と特大のため息をこぼしながら、膝を抱え直す。
 どうにかここで探さないと、帰国後母にロックオンされるのがわかっているのに、なんでうまくできないんだろう。
 こんな引く手数多あまたな男性たちの中から探そうなんていうのが、甘い考えなのかなぁ。
 深いため息が止まらない。
 胸に顎がくっつくほどの勢いでうなだれていると、トモキの言葉が脳裏をよぎる。

『咲笑って大人しいよなぁ。オレ、明るい子のほうが好きなんだけど』

 そう言われたのは、付き合ってすぐの頃だっけ。
 引っ込み思案で、思ったことをあまり口にできない私。そんな自分が好きなわけではないけれども、性格というものはなかなか直せないものだ。
 それすらも理解して付き合ってくれたのかと思ったけれど、きっと彼は違ったのだろう。
 だからあの頃、ちょっとでも変われたら、と思って髪を切ってカラーリングをしてみたり、メイクをみゆきに教えてもらったりした。
 でも、明るくなったのは外見だけで、中身は引っ込み思案で気弱なままだ。
 こんなんだもん、明るくて輪の中心にいるようなトモキとなんて合うわけがないよね。こうなるのは当たり前のことだったのかもしれない。
 はぁ……
 ――ってダメダメ。トモキのこと考えて、どうするの! 次の恋に行くために、ここまできたのに!
 次は、私のことを大切にしてくれる人とお付き合いして、幸せになるんだから。
 優しくて、穏やかで、紳士的で……
 そう心でつぶやいた瞬間、ふとさっき会場でやりとりをした、綺麗な男性がぼんやり脳裏に浮かぶ。
 誠実そうで、まさに理想通りの人だった。言葉を交わしたのは一瞬だったのに、あの優しげな笑顔がまぶたの裏に焼き付いて離れない。
 あんな素敵な男性と結ばれたら、これ以上のことはないだろうな……
 ――まぁ、婚活パーティーから逃げてきた私に、そんな都合のいい話があるわけないよね。
 そうやって、何度目かのため息をこぼした、そのとき。

「――ここにいたんだ」

 静かなリゾートプールに響いた声に、ひえっ! と私は飛び上がった。
 声のほうに顔を向けると、なんと、今まさに思い浮かべていた人物が立っていた。柔らかそうな髪を揺らし、ヒラヒラと手を振りながらこちらに駆け寄ってくるではないか。

「――え」

 混乱のあまり、短く声が漏れる。

「あぁ、良かった、部屋に戻っていたらどうしようかと」

 だけど彼は、そんな私に構わず、安堵した様子で片膝をついて側に腰をおろす。
 どうして私を捜しているのか理解できず、王子様のように美麗な彼をポーッと見上げた。
 しかし、見惚みとれている場合ではない! すぐに頭を切り替え慌てて口を開く。

「わ、私……ですか?」
「そうだよ。君、7のナンバーカードを持ってないか?」

 そう言いながら、彼は首に下げていたパスケースを、スーツの胸ポケットから覗かせて私に尋ねる。大きく書かれている数字は『7』だ。
 つられて私のほうも理解できないまま、首に下げていたパスケースを見せる。

「はい、そうですが……」

 まるで、病院の待ち合い室のような、おかしなやり取り。しかし、彼は安堵したようにスーツの胸ポケットにケースをしまい、ニコリと微笑む。

「――やっぱり。今、イベントミッションがはじまって、まずは同じナンバーの人とファーストコンタクトを取ってくれという指示があったんだ。俺にだけパートナーが現れなくてね。さっき、君が外へ出ていくのが見えたから、もしかしたらと思って……」

 まさか見られていたなんて。彼みたいに素敵な人なら、相手なんて選り取り見取りだろうに……。わざわざ私のことを捜してくれたんだ。とても真面目な人らしい。胸が甘く痛みだす。

「すみません……なんだかひとりでいたら場違いな気がしてしまって……圧倒されたというか」

 正直に謝罪すると、彼は「謝らないで」と微笑み、少しだけ距離を置いて隣に腰を下ろす。

「君と話したいなと思って来たのであって、とがめるつもりなんてさらさらない」

 その言葉に図らずも彼を見上げる。ぱちりと目が合うと、彼は優しげにふんわりと微笑む。トクトクと心臓が早鐘を打つ。
 どういうこと? 〝話したいな〟って……つまり私に会いに来たってこと?

「――名前、教えてくれる?」

 彼は本当に会場に戻るつもりはないようで、当たり前のように尋ねてきた。

「え? さえ……です。小道、咲笑」

 ドキドキしながらも、自然なやり取りに言葉が引き出されてしまう。とても不思議な人だ。
 もしかして、さっき言っていた、会場で行う予定の〝ファーストなんたら〟をここで行おうとしているんだろうか?

「さえ、か。――なら〝さえ〟、今日はどうしてこのパーティーに?」

 わっ。いきなり呼び捨てされてしまった。
 ドギマギしつつも優しげな声に促されるように、また素直に質問の答えを考える。
 やっぱりここで、〝ファーストなんたら〟をしようとしてるらしい。

「えっと……今日は、みゆきが……い、いえ友人が、恋人と別れた私を励まそうとして――」

 つい、そこまで言って、ハッと口を押さえる。
 失恋したから婚活しているだなんて伝えたら非常識だろうか。失礼だと怒られるかもしれない。
 しかし、私の心配とは裏腹に、隣からはクスクスと笑い声が聞こえてきた。

「気にしなくていい。ありのままに話してほしい。俺は、君のことが知りたいと思って質問してるから」

 さっきも見せてくれたふんわりとした笑顔に、また見惚みとれる。
 私のことが知りたい……? 夢みたいなセリフだ。どうしよう、胸が高鳴る。

「歳はいくつなの?」
「に、……二十五です」
「なら、俺の六つ下だね。俺は三十一。ちなみに名前は、『優しい』って書いて『すぐる』」

 ――すぐるさん。
 物腰が柔らかくて自然体。だけどちゃんと私の求める距離感を保ってくれる。とても魅力的な男性。初対面なのにこんなに気兼ねせずに会話ができるのは初めてだ。
 その後も色んな質問をされた。職業だとか。趣味だとか。もちろん彼の職業も教えてくれた。
 洗練された風貌からなんとなく察していたが、彼は企業経営者らしい。
 お父様が大きな会社の代表で、現在動かしているのは自分と弟さんだと教えてくれた。私も事情により、退職し求職中であると告げた。
 肩書きや人柄はもちろん、こんなに眉目秀麗びもくしゅうれいだなんて……。何度も彼の整った顔をチラチラ覗き見てしまった。

「――でも、……なんで恋人と別れたの?」

 そんなふうにしていくつもの質問を重ね、私の肩の力が抜けた頃。さり気なく、けれども心底不思議だとでも言いたげに、そんな質問が投げられた。
 反射的に端整な顔を見上げる。視線が絡まると、彼の表情がかすかに揺れたような気がした。

不躾ぶしつけな質問をして申し訳ない。こんなに素直でいい子なのに、なんでだろうと考えてしまってね。さっきも、なんだか思い詰めたような顔をしていたし……」

 会場でもそうだったが、彼はとても人のことを見ているらしい。

「良かったら、聞かせてくれないかな?」

 褒め上手な彼の、ひどく優しい声に心がほころんでいった。
 ぽつりぽつりと、トモキとの別れからこのパーティーの参加に至るまでを掻い摘んで話す。
 本当だったら、知り合って間もない男性に身の上話をするなんて考えられない。
 けれども。この日限りだと思って気が緩んだのか。はたまた、彼にほだされたのか。
 話していくうちに、心優しい彼にすがりつきたくなった。
 ずっと静かに耳を傾けてくれたすぐるさんは、話し終えるといたわるようにポンと私の頭に触れた。
 温かくて大きな手だ。

「つまり……同僚の恋人と別れた上に、ご家族に無理矢理縁談を勧められそうなわけか。職場も辞めてしまったと」
「はい。だからその前に自分の意志で相手を見つけたいと思ったんですが……さっきも言ったように咄嗟とっさに会場を出てきちゃって」
「人が多いから圧倒されたんだな。俺も人前はあまりの得意ではないからわかるよ」

 さり気ない心遣いにじわりと目の奥が熱くなる。やっぱり彼は第一印象で感じた通り、理想通りの素敵な男性だ。
 そんな人にこうして長話を聞いてもらえるだなんて……
 これは、神様が与えてくれた、独身最後の甘いひとときなのかもしれない。
 ……とはいえ、彼の優しさにいつまでも甘えているわけにはいかない。長く引き止めるのは、可哀想だ。

「いろいろ愚痴ぐちってしまい、すみません。幸せになりたいだけなのに、なんだか難しいものですね」

 少しだけ惜しみながらも、話を終わらせようとしたその瞬間、膝の上に置いていた手に、大きな手が重なった。
 え……? 予想外のことに息が止まる。

「――なら、ちょっとだけ俺に付き合わない?」

 すぐるさんの切れ長のアーモンドアイが魅力的なカーブを描く。

「え?」

 どう、いうこと?

「抜け出そう、ふたりで」
「ぬ、抜け出す? わぁ、ちょ、ちょっと……」

 指を絡められて、手をぐいっと引かれた。
 彼はおとぎ話の王子様のように優雅に微笑み、リゾートプールから私を連れ出したのだった。



   第二章 花火とプロポーズと利害一致婚と


「あの、すぐるさん、どこに行くんですか?」
「さぁ、どこだろうね」

 手を引かれたまま、館内のエレベーターに乗る。その仕草はとてもスマートなものの、ラウンジではまだ婚活パーティーの最中だ。
「会場に戻ったほうがいいのでは?」と何度も声をかけたが「せっかく来てくれたんだから楽しんでもらいたい」と、よくわからない誘い文句で制されてしまった。
 つい一ヶ月前は、初めての失恋に涙していたのに、なぜか今は見目麗しい素敵な男性に誘われて、パーティーからコッソリ抜け出している。
 後ろめたさを感じつつも、なんだか夢を見ているみたいで高揚してしまう。
 やがてエレベーターの上昇感が止み、扉が開く。そうして目の前に広がった光景に、思わず「うわぁっ」と声を上げてしまった。
 ドーム型の大きなフロアに見えたのは、豪華なシャンデリア。スロットマシーン、ルーレット。まるで映画の世界に入り込んだような興奮と、テーマパークのような豪華絢爛さがビリビリ肌に伝わってきた。
 カジノだ! 初めて見た……!
 オープン前なのに、ドレスアップしたハリウッドスターのような人たちが各コーナーを楽しんでいる姿が見える。もしかしたら、特別な宿泊者にのみ開放しているのだろうか。
 唖然あぜんとしていると、ホテリエの男性が廊下の先からこちらに近づいて来るのが見えた。
 やけに慌てた様子だ。
 男性が頭を下げて口を開く前に、すぐるさんは制するように、スッと右手を上げる。

「――奥の個室、空いていますか?」

 男性は背筋を伸ばしかしこまった様子で、深々と頭を下げる。

「……すぐに、ご案内いたします」

 私たちはすぐに、フロアの一番奥にある特別な一室へと通された。



「わぁ、すごい綺麗……」

 通された個室で、私は歓喜の声を上げてしまった。
 ピカピカに磨かれたガラス窓の向こうでは、シンガポールの夜を最も彩るとも言われる、光と水の織りなす野外ショーが繰り広げられている。

「カジノじゃなくて、ホッとした?」

 百八十度どこを見ても広がる幻想的な光景に目をキラキラさせていると、隣に並んだすぐるさんがカクテルグラスを差し出しながら、クスクス笑う。
 エレベーターを出たときの、驚いたマヌケ顔を見られていたらしい。ボンッと頬に熱が集まる。

「すみません……その、嫌なわけじゃないんです。あまりにもきらびやかで圧倒されちゃって」

 言葉を選びながら正直に伝えていると、すぐるさんはいたずらが成功した子供みたいな、可愛い顔をする。

「驚かせて申し訳ない。一週間前からカジノフロアだけ先行でオープンしてるんだ。普段はここもカジノのVIPルームとして使用しているんだが。ショーが一番綺麗に見えるからさ」

 促され背後を見ると、ゲームテーブルやルーレット、革張りの大きなソファが存在感を放っている。
 言う通りカジノの上客の部屋のようだ。

「ここによく来られるんですか?」
「まぁ……そうだな。ギャンブルはやらないんだが」
「――え?」

 ――やらないのに?

「ほら、そろそろ一番いいところだから、目をそらさないほうがいい」

 すぐるさんが私の肩に触れて、外を見るように促す。
 なんだかはぐらかされたような気がしたものの、感じる体温と、耳に触れる吐息に一気に意識が集中する。
「もうすぐだから、見ててね」なんてさらに後ろから低くささやかれてしまって。ばっくん、ばっくん心臓が暴れまくる。
 だめ、近すぎる。こんなのドキドキして耐えられない。
 そう思った数秒後、「ヒュー」という甲高い音がして意識が流れた。
 そして次の瞬間、ドドドとお腹の奥底に響く音とともに、次々と、ガラスの向こう側で花火が上がりはじめる。

「花火! こんなに近くで⁉」
「綺麗だな……。これが本日のこのショーの一番の見どころ。リニューアルを記念して、花火は今日から打ち上げられるらしいよ」
「こんなに近くから花火を見たのは初めてです! 光も重なって、なんだか花火の中にいるみたい!」
「花火は好きなんだ?」
「はい! とっても好きです!」

 その瞬間、照明を落とした静かな部屋に静寂が訪れる。
 ――とっても好きです! という声が部屋の中で反響した途端、すぐるさんが隣で、ふふっと息を漏らした。
 は、恥ずかしすぎる。なんだか告白してるみたいじゃない。

「……すみません。さっきからはしゃいで、興奮しすぎですよね……」

 なんだか恥ずかしくなって謝るものの、彼はゆるゆると首を横に振る。

「そんなことない。君に喜んでもらいたいと思っていたから、可愛い笑顔が見られて嬉しいよ。元気が出てきたようで、良かった」

 ドキリッと胸が大きく音を立てた。笑顔のすぐるさんと視線が重なる。
 可愛いって……
 もしかして、励ますためにここまで連れてきてくれたの?
 心の中で問いかけながら、再び花火に向けられた中性的な横顔をそっと見つめる。
 初対面なのに根気強く愚痴ぐちを聞いてくれて、元気づけようと、温かい手でここまで優しく導いてくれたすぐるさん。
 たまたま同じ『7』番を持っていただけの私に、夢のようなひとときを与えてくれた。
 シンガポールの美しい夜景と、王子様のような素敵な男性。こんな輝かしい夜は、もう二度と訪れないだろう……


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