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忠告12(前編) あなたには、ひとりで母国へ帰ってもらいます
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しおりを挟む「……もっと、嫌な奴ならよかったのに」
一旦俯いたクリスが小さく何かを口にしたような気がしたけれど。気の所為だったようで。
「わかった――なら、彼女の引き抜きを掛けて、証明してみてよ」
次に視線を合わせてきた彼は、とんでもない提案を楽しそうに持ちかけてきた。
――引き抜き……?
「うちのグループ内じゃ、そう珍しいことじゃないよね」
業界最大手で世界的なトップ争いの中のいるウチでは、スカウトやヘッドハンティングなどといった〝引き抜き〟は珍しくない。
むしろうちはちょっと特殊で、そういった競合社会から身を守るため、特定のグループ企業内に限り、チーム異動、転勤、そしてスカウトを個々で申請できるシステムになっている。
各企業のスキルアップやチーム強化、また社員の仕事に対するやりがいや熱意を高め、有能な社員の他社流出を防ぐ目的だ。
出産や結婚を機に、仕事量の少ない家から近い勤務地へ異動申請する先輩もいれば。スカウトで海外転勤し、今ではチームを束ねている人もいる。
もしくは逆に引き抜かれて、こちらにやってくる場合だって。
もちろん辞令ではないから決断は個々の自由だし、社員の中ではとてもこのユニークなシステムが好評なんだけれど。
でも、〝証明〟というからには、社則通り進むとは思えない。
「昨夜ディナーのときに、グレンとの会食の件を話したら、祖父がとてもサクラを気に入っていてね――その流れで、祖父と共に、ミスター・サカエに申し入れてきたんだ。『彼女の力を我が社に貸して欲しい』って」
心臓が暴れ出した。
この言い方。みなまで言わずとも意味はわかる。
つまり、ゆくゆくLNOXを背負い、グレン氏との取引の主導となる〝クリスの専属秘書として〟という意味だ。
会長が、気後れすら感じる引き抜きの申し出に、なんて答えたかはわからないけれど、親友でもあられるクリスのお爺さまから頭を下げられたら、きっと、無下にはできないだろう。
私は、もちろん、本社を離れたくない。
「最も、サクラには偽装結婚を突きつけて拒否させるつもりはなかったけど……うちでは頑固な祖父が絶対的な決定権を持っている……。これをサクラの返事ではなく――チアキが、どうにか攻略するのはどう?」
一瞬、脅迫めいた言葉にびくりとしつつも。
智秋さんが……? 意識がそちらに流れる。
「祖父は一度決めたことは、なかなか崩さない……ましてや、信頼関係のない他人が突然意見をしたところで、警戒されることのほうが多い――まぁ、もう動き出している以上、キミがやらなきゃ自然とサクラはウチに来ることになるけど、どうする……?」
クリスはきっと、はじめからこの証明という名の〝勝負〟を挑みに、見つけた私のもとへきたのだろう。ふたりでいるのを察して。
とはいえ、どうすると尋ねながらも、その質問には、明らかに選択肢がない。
秘密を発露してしまった私には、ここでの発言権や拒否権がないだろう。
だけど、私たちが一緒にいるための答えは……ひとつだけだ。
「つまり――私が、クリスの祖父――ダニエル会長へ、よりよい代理案をプレゼンしなければ、桜さんが異国であなたのお付きになってしまうと?」
智秋さんは、焦燥に揺れる私とは真逆の、先程と変わらない、落ち着き払った静かな声で、状況確認をはじめる。
「〝俺〟を試したいのは理解しましたが、この状況、証明ではなく脅しともいえるのでは……?」
冷静で、それどころか薄い唇に弧を描き、
だけど、眼鏡の奥の瞳にはいつもとは違った鋭さを滲ませながら、クリスを逸らさず捉えている。
「せめて〝勝負〟と言って欲しいな。――それに言っただろう? 僕はこのままじゃキミを許せない。なんならもっと引っ掻き回したいとも思うし、ミスター・サカエにキミたちのことを話してもいいんだ」
クリスの方も崩れない。いつも穏やかなグリーンアイには、今日は強い強い光が宿っている。
そうやって見つめ合って、ふたりの間でバチバチと何かが光って散ったあと、智秋さんが鋭く切り替えした。
「――やり方には釈然としないが、ここまで状況を整えられて、受けないわけがないでしょう。……ダニエル会長を納得させ、あなたには……ひとりで母国へ帰ってもらいます」
変わらぬ自信を見せる智秋さんと、余裕たっぷりに笑うクリスを交互に見ながら、私は圧倒されて、静まり返ったフロアでどうすることもできなかった。
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