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忠告5 今夜、あなたの時間をください
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「今から行くのは、今後うちとLNOXが事業取引を試みているベンチャー企業が開発に携わった科学館のシアター。……いわゆるプラネタリウムです」
「あ…………はい」
――ですよねー。そんなわけがなかった。
涼しい顔で運転する智秋さんの隣で、うなだれる私。まず場所が会社で“國井さん”と言った時点で仕事に決まっている。
「この件についての話は聞いてますね?」
「あ……はい、少し前に藤森さんから」
こんな残念な私だが、仕事脳はしっかりしている。
今回智秋さんのボスとなる、LNOXの御曹司ことクリス。
前にも言ったかもしれないが、トップマネジメント研修というのは半分名目で、彼の来日の目的はこっち。
いわゆる、取引の主導及び仲介役。
そこのベンチャー企業の社長さんと友人とかで。
簡単に言うと、LNOX主導のうちの電子機器の新事業参入の話しをもちかけようとしているわけだ。
つまり、今回の智秋さんは秘書業務をしながら、取引きを成功へ導かなければならないとも言える。
とても厄介な……いや、重要な役割をこうむっている。
「……もしかして、私のことも会長から?」
「そうです。本日の会食後に、会長から同行セクレタリーにチケットが渡されまして――
『お前たち今夜の予定は? 昨日クリスからこんな手土産をもらってのぉ。夕食がてら勉強会でもどうだ――?』
――で、あなたも連れてくることを要求されました。まぁ……今後そのベンチャー企業とは、近々会食などが組み込まれる予定ですし、会話の引き出しは多いほうがいい。話しを持ちかける側の人間としては、勉強しておくに越したことはないと思います」
――出かける前に藤森さんが言ってたのはこれのことか……。会長からいち早く聞いていたのだろう。
手元には、車に乗ってすぐに手渡された、ロボットや星座が描かれたチケットが一枚。
ひと月前にオープンした、地上5階建ての都内最大の科学館の中のプラネタリウム『天空劇場』。専門家をも唸らせるほどの最新の映像システムを採用していて、メディアなどでも未だにとても大きな話題となっている。あまりの人気ぶりから、完全予約制で、それも予約が一年先まで埋まっているとか。
でも、この件の主導ははじめ社長だ。フォローが必要となった際も、いつものように藤森さんが入ることになるだろう。
そして会長は、いくら終業後でも、余程のことがない限りなんの関連もない人物を、突然呼び出すようなことはしない人だ。私たち秘書のプライベートを大切に思い、常に配慮しているから。
本当に勉強なのだろうか……?
一番理由として思い当たるのは……。
「……偽装妻としての初仕事――?」
「え?」
会長に疑われているとは思わないけれど、電撃婚だから心配しているのはあり得る。
もしくは、忙しい彼とあまり一緒に過ごしていない私を気遣ってるとか?
それしか思いつかない……。
「いえ――。確かそのベンチャー企業って、欧米のIT関連の企業だったと思うのですが、プラネタリウムまで手掛けているんですね? インターネットでECモールとかを展開してる会社だという情報が印象的で――」
どちらにしろ、仕事は仕事。頭は自然とそれ仕様に切り替わってゆく。
「私もIT関連に詳しいわけではありませんが……プラネタリウムというのも、単純にいうとCGやソフトをプログラミングすることで成り立っています。なので、その企業のもつ高度なマーケティング技術と最先端のテクノロジーを組み合わせれば、可能かと――」
「し、CGをぷろみらりんぐして、テクノロジーを組み合わせる……」
な、なに語だろう。
ちんぷんかんぷんだ。
「……まぁ、その提携により、次世代への技術を取り入れ、世界的規模のビジネスに視点を向けた――ということです、簡単に言えば。
うちがこれからしようとしていることと同じなわけです」
全然簡単ではないが、わかりやすくまとめてくれたらしい。
いうなれば、ウチの電子機器グループと提携することで、両者ともさらなる飛躍になるだろう――ということらしい。
海外の有名大学を出た智秋さんは、異業種の知識の方もさすがだ。
「……難しいですが――ゼネラルマネージャーのお話を聞いてると、わくわくしてきます」
助手席の足元にあるハンドバックから手帳とペンを取り出して、智秋さんの言った言葉で気になったことをメモしておく。
仕事に意欲的な智秋さんの言葉は、いつも聞いていて心地よい。
外資秘書の理想像は、ボスと対等な知識を身に着け、対等な立場でいること。これまでも彼と話していると、まだまだだと実感させられてきた。
隣からチラチラと視線を感じるけれど、気にせずメモを続けた。
「……ほんとに、あなたはなんていうか……」
なんか言った……?
「へ……?」
「いえ。――まぁ、あなたもわかると思いますが、会長は理由もなく人を呼びつけるようなことはしない人です。急な呼び出しですが、今後につなげていきましょう」
「はい、しっかりと偽装妻の務め、果たします――」
宣言してみせるものの、とたん、運転中の智秋さんのポーカーフェイスが、前方を見たまま「ん?」と少し訝しげになる。
なんだか思っていた反応と違って、私も「へ?」となる。
「――念のため弁解しておきますが……」
信号待ちになったタイミングで、こちらに切れ長の澄んだ眼差しが寄せられて。
「あなたがこうして無理難題に付き合ってくれただけで感謝していますし。夫婦関係の顕示のために同行させるような真似はしませんよ――」
……え?
「第一、会長は………私のことをよく知ってますから、深く疑うことはありません……」
智秋さんはキッパリ否定したあと、ちょっぴり困ったふうにそんなことをつぶやく。
それは、どういう意味だろう……?
「まぁ、仕事も兼ねているので手放しというわけには行きませんが、私も天体観測は嫌いではありません、あなたも楽しめばいいでしょう」
考えているうちに、さらりと話をすり替えられてしまい、慌てて返事をする。
とりあえず……私の意気込みは必要ないらしく、これは、仕事らしい?
再び車を走らせた横顔は、少しだけ柔らかいような気がした。
「…………まぁ、少々、うるさいのがひとりいるのが難点ですがね」
そんなふうに思っていると、ため息交じりの独り言が飛び込んできた。
え……? うるさい……?
てっきり、引き合わせのときのように、会長と3人の席だと思いこんでいたのだけど――
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