22 / 25
アレク編
訪問者 4
しおりを挟む レオナードは一直線に馬車へと向かう。
対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。
涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。
しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。
どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。
だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。
「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」
乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。
「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」
いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。
「えー……それは、また難題だなぁ」
過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。
でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。
涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。
とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。
ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。
だから、その痛々しい顔が良く見える。
額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。
彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。
なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」
ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。
レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。
それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。
「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」
───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。
ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。
「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」
馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。
そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。
レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。
「ここにいて。ルシータ」
至近距離なんてもんじゃない。
息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。
だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。
「───......なっ」
ルシータは小さく声をあげた。
なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。
なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。
「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」
労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。
「なっ!!!!」
今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。
むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。
「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」
レオナードの表情は矛盾していた。
不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。
ルシータは、ものの見事に固まった。
不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。
涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。
しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。
どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。
だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。
「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」
乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。
「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」
いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。
「えー……それは、また難題だなぁ」
過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。
でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。
涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。
とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。
ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。
だから、その痛々しい顔が良く見える。
額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。
彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。
なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」
ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。
レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。
それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。
「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」
───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。
ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。
「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」
馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。
そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。
レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。
「ここにいて。ルシータ」
至近距離なんてもんじゃない。
息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。
だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。
「───......なっ」
ルシータは小さく声をあげた。
なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。
なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。
「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」
労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。
「なっ!!!!」
今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。
むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。
「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」
レオナードの表情は矛盾していた。
不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。
ルシータは、ものの見事に固まった。
不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
婚約者を想うのをやめました
かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。
「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」
最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。
*書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

今日は私の結婚式
豆狸
恋愛
ベッドの上には、幼いころからの婚約者だったレーナと同じ色の髪をした女性の腐り爛れた死体があった。
彼女が着ているドレスも、二日前僕とレーナの父が結婚を拒むレーナを屋根裏部屋へ放り込んだときに着ていたものと同じである。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる