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あるあるその12 親に感謝すべきと言いすぎ

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  もう言っちゃいましょう。
 「親に感謝しろ」っていうのは「自分を良い人間に見せかけるため」の「綺麗事」です。
 もっと言えば、自分を親世代から悪い人間だと思われたくないがためについている「嘘」です。

 本音を吐かせたら「親の古い考えなんて全部無視して俺の話だけを聞け」というものです。
 でもそんな本音を堂々と言ってしまったら受けが悪くなってしまうので上手く綺麗事でお化粧しています。
 いつの時代も親というのは常に正しいものだからです。



 でも世の中、何でもかんでも正直に言えば良いってもんじゃあないんです。ハゲてる人に「今日もハゲ散らかしてますね」って言っても衝突するだけです。汗臭いデブに「おいデブ、お前クセエぞ風呂入ってんのか?」って言っても良い事なんて何一つありません。
 親世代に向かって「あなたは子供の事をちっともわかってない」とか「あなた方の考えは古い」なんて正直に言っても「何だテメェコノヤロウ」となって子供から自分の本や動画コンテンツを取り上げて見る機会を奪います。

 そうなったら売り上げが落ちるだけなので「親世代の反感を買わないため」に「親に感謝しろ」って言ってるのだと思います。
 要はリップサービスです、あんなのは。あるいは「自分を良い人に見せる」ための策です。
「親を捨てろ」と言う人と「親を大事にしろ」と言う人ではどっちがいい人に見えるかは明らかですよね?



 ちなみに、親にとって子供、子供にとっての親というのは「一番身近なジェネレーションギャップの向こう側にいる存在」だと言っていいでしょう。

 子供が飛びつく最新のコンテンツというのはどれだけ少なく見積もっても親の守備範囲から3000万キロメートル(誇張表現ではなく、本当にそのくらいの距離はある)離れた位置にある物で、親はそんな自分の知らない物は「良く分かんないけど何となく危ないからやめとけ」と親権を乱用して止めさせようとします。

 ここで重要なのは「良く分からない物」は「良く分からない物」のままです。それがどういうものなのか調べようともしませんし、ましてや理解できる日は永遠に来ません。とにかく「良く分からないけど何となく危ないから」やめとけ。そう言います。

 正直、これは人間が人間である限りどうしようもないもので、誰でも年取ってくると自分でいろいろ調べようとする気力がなくなってきますし、そもそも「新しい存在=怖い」という方程式が歳をとると共に強力になっていき、新しいものは拒否します。
 苦労してまで新しい方法を使う位なら今までの方法をおし通そうとするものです。年を取ると頑固になると良く言われますがあれはその通りで「加齢と共に変化することが難しくなる」のです。



 実際1930年代のアメリカでは「子供がラジオばかり聞いている。暴力に目覚めないか不安だ」と親たちがラジオを目の敵にしました。
 その後TVの時代になると「子供たちはテレビばかり見て外に出ようとしない」と言いだし、コンピューターゲームが流行り出してゲーセンが建つと学校は子供たちにゲーセンへの立ち入りを禁止しました。

 現代でもスマホのやり過ぎを危惧するのは、Youtuberに夢中になる子供に不安を持つのは、いつも親です。親というのはそういうものです。
 少なくとも80~90年の間、同じことを繰り返し続けていますし、今後も繰り返します。断言します
 今の子供たちが親の世代になったら「昔は悪さと言えば親のクレジットカードを盗んで課金する位のかわいくて愛きょうのある物だったのに、今の子供たちときたら……」などと「必ず」言いだします。
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