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250円の思い出:プライスレス

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「お待ちどうさん、かけうどんだよ」

 2代変わっても同じである、丁寧なのかそうでないのかが微妙な店主の一言と共に注文の品が出される。まぁ、ピーク時は戦場のような忙しさだから、そうなるのもうなづけるが。
 かけうどん、1杯250円。若かったサラリーマン時代から変わらない値段にして、店主が言うには店1番の人気商品だ。
 務めていた会社の最寄り駅から徒歩2分もかからない場所にある立ち食いそば屋。その店は昼間となれば日夜戦う貧乏サラリーマンたちがつかの間の休息を求めて集まっていた。
 その店のうどんをすすると、あの時の記憶がパッと鮮明によみがえった。



「いいか真一、特に俺たちみたいな訪問販売だと営業ってのは愚痴を聞く事だ。相手が「もう勘弁してくれませんか?」って言って来るまで徹底的に愚痴を聞き続ける、いや「聞き切る」んだ。
 その愚痴ってのが新商品の開発のきっかけになるし、愚痴を聞けば聞くほど相手は親身になって商品を買ってくれるんだ。
「あなたが紹介したから買ってあげる」これが出来るようになると強いぞ。覚えておけ」
「は、はい先輩!」

 当時新人だった私は営業に回され、先輩についていきながら訪問販売のイロハを叩き込まれていた。

「おい真一! いつまでメシ食ってるつもりだ!? とっとと食え! うどんなんて飲むように食え! 相手が10分かけて食ってるなら俺たちは5分で食う!
 それで5分有利になるわけだ! 行くぞ!」
「ま、待って下さい先輩!」

 当時の先輩は振り回すように私を営業先に連れて行き、その知恵を授けてくれたのだが厳しかったし、親切でも無かった。
 口で教えてくれた時もあったがその多くは昔の職人時代から続く「見て盗め」という人だった。
 でも彼から学んだ事は私の事業のいしづえになっていて、一時期は営業において「この人あり!」と言われるまでになった。
 私がやったことは先輩のやり方を体系化して広めただけで、手柄は全部先輩にあると今でも思っているのだが。



(……先輩は今も会社にいるのだろうか?)

 ふと、厳しかった先輩の事を思う。風の噂では営業部長まで出世しているらしいとは聞いているが……。
 聞いた話では市販されている麺つゆの業務用サイズを使っているというスープをズズズッ、と飲むと今度は会社を離れることになったあの場面がよみがえる。

「会社を辞めるだぁ!? 辞めとけ! 独立だなんて失敗する!」
「じゃあ課長、お聞きしますがあなたは独立して失敗したんですか? してないですよね? 自分が体験して無い事にアレコレ言うなんて卑怯だとは思わないのですか?」
「お前! 3年も会社にいないくせに、新入りの分際で一体世界の何が分かるって言うんだ!? お前が思ってるほど世界は優しくないぞ!」

 独立してもやっていける算段がついて、満を持して会社に辞表を出したのは良いが課長が難癖をつけて受け入れてくれない。
 私は「とっておき」を出した。会社務めをする傍ら「2足のわらじ」をはいて育てた自分の会社の成績を見せつけたのだ。
 直近では会社からの給料と同じくらいの収入が出ていた。

「これくらいの成績が出ているから会社を辞めても食うには困りません。なので辞めます」
「その成績を出し続けることは出来るのか!? それも2年やそこらじゃない! 30年、40年、時には50年以上同じ成績を出し続けることが出来ると本気でも思っているのか!?
 世の中そんなに甘くないぞ! こんな仕事さっさと畳んで営業に専念しろ!」

 課長は猛抗議してきたが予想通りだった。彼は「事なかれ主義」で余計なさざ波を立たせたくない性格なのでまぁそうなるだろうとは思っていた。その一方で……。



「真一、聞いたぜ。お前会社辞めて独立するんだってな?」
「!! 先輩、何で知ってるんですか!?」
「課長とあれだけやりあってちゃ誰だって気づくもんだよ、鈍い奴だなお前は」

 先輩が社内で私にそう声をかけてくれた。

「先輩、先輩も課長と同じように独立を止めようとしてるんですか? なら話は聞きませんよ」
「いいや、違う。お前が上手く行くよう近くの神社にお参りにでも行ってやるよ。ここから歩いて10分もかからないから仕事が終わってから行こうぜ」
「!! せ、先輩!? それって……」
「ああ、お前ならきっと上手く行くさ。何せこの俺が仕込んだ奴だからな。それと出世したら、たまにはおごってくれると嬉しいけどな」

 独立なんてやめろ、どうせ失敗する。会社の人間誰もがそう言っていた中、唯一先輩だけは背中を押してくれていた。
 その心遣いは嬉しかった。



「ご馳走様」
 うどんをすすり、スープも飲み干した私はしばらく立ったままではあったが食休みをしていた。
 年を取ったのか食も細くなり、若手だった頃とは違って食後すぐ動けるほど身体は丈夫では無くなっていた。
 周りを見ると若手が各々ズズズッ、と麺をすする音が聞こえていた中ガラガラッ、という入り口のドアが開く音が聞こえてきた。

「いらっしゃい」という店主の声の先を見ると……私の目は驚きで大きく見開いた。

「……!! 先輩!?」
「おお……お前、真一か!?」

 年を取ってだいぶ白髪が目立ち、体型も崩れていたがその顔は絶対に忘れることが出来ない、先輩の物だった。

「ご無沙汰しています、先輩」
「真一、あれから話は聞いてるよ。結構出世したそうだな」
「先輩が授けてくれた営業テクニックのおかげですよ。おかげさまで何とか稼げています。噂では営業部長になってるそうですが何でこんな店に?」

 私も先輩も、他の客が着ているシワシワのくたびれたシャツやスーツではなく、それなりに手の込んだ10万は確実にするスーツを着ていたから、この店の想定客とは層がズレているだろう。
 それなのに、なぜ?

「この店は俺の原点だからな。今でも初心を忘れないために通ってるんだ。営業部長という人の上に立つ人間だからこそな。
 そういうお前こそ、こんな店には無縁なはずだぞ? もっといい店に行けるはずだと思うんだが」
「地元に戻ったので久しぶりに食べてみたくなりましてね。あ、そうだ。今日は私がおごりますよ。確かこの近くに良い店が出来たんですよ」
「へぇそうか。じゃあ楽しみにしてるぞ」

 この店のかけうどん250円には、値段はつけられないプライスレス
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