俺と彼女は捻くれた青春にその意義を追い求める。

のみかん

文字の大きさ
上 下
33 / 40

第33話『無敵の人』

しおりを挟む



「本当はね、ゆっくりと関係を深めていきたかった。だけどもうこうなってしまったらそれは無理」

 八重樫の目つきが変わる。

「だから今日、わたしはここであなたを永遠に手に入れる。あなたを殺してわたしの愛を真実のものだと証明する」

 そう言うと目の前の狂人は懐に手を入れ、そこから折り畳み式のナイフを取り出した。

 俺が目を疑い、そして思考が追いついた時にはすでに凶刃が棚橋の腹部に突き立てられた後だった。

「ぐっ……ふっ……」

 棚橋が崩れ落ち膝を着く。

 俺は急いで駆け寄って倒れる棚橋の体を支え、地面に寝かせる。

「どうしてお前避けようとしなかったんだよ! 馬鹿なのか?」

「いいんだよ……小鳥遊君。これでよかったんだ……」

「何がいいんだ。何もよくないだろ。まさかこの期に及んでまだクラスメートはみんないいやつだとか思ってるんじゃないだろうな」

「…………」

 俺の言葉に棚橋は弱々しく微笑む。
 もう喋るだけの体力もないのだろう。
 もはや比喩表現でもなんでもなく棚橋の顔色は青白い。

「小鳥遊さんには……最後に一言、謝っておきたかった……かな……」

 息も絶え絶えに棚橋は遺言のような言い草でそんなことを呟いて目を閉じる。
 どくどくと流れ出る血液が制服を赤く染めていく。
 このままでは確実に命に関わる。

 どうして俺はやつがこういう手段に出ることを予測できなかったのか。

 目の前にしているのは生き物を躊躇なく手にかけることのできる悪魔だというのに。

「八重樫、お前こんなことをして許されると思っているのか」

 ぎろりと睨みつけ、俺は八重樫に凄む。

「ふふっ、わたしは何をしても許されるの。何をやってもあのクソ親父がもみ消してくれるから。わたしは無敵。そう無敵の人。選ばれた人間なの」

 八重樫は恍惚とした表情で棚橋の血がついたナイフを頬ずりでもするように顔に近づける。
 親父? パトロン的な親父かそれとも父親的な親父か。
 つーか無敵の人ってそういう意味じゃねえだろ。
 どうでもいいことを連鎖的に脳内で逡巡していると。

「これでわたしの愛は永遠に紡がれる。この身体に、心に宿る愛が本物だと証明される時が来たのよ」

 どんどん衰弱していく棚橋には目もくれず、殺人犯になりつつある少女は己の愛に酔っていた。
 ……おいおい、何かおかしくないか。
 その愛している人間が死にかけているんだぞ。
 どうしてこいつはこんなに冷静なんだ?

「さっきから証明証明って。お前本当に棚橋のことが好きなのかよ」

「あなたの眼にはどう見える?」

 胡乱な目で訊ねられる。

「胡散臭いことこの上ないね」

「ハッ! 何を言ってるの? こんなに執着できるんだもの。好きに決まってるでしょ。小鳥遊さんを精神的に追い詰めてでも彼を手に入れようとしたのだから。それって覚悟がなきゃできないことだと思わない? 愛がなければ実行不可能なことだと思わない?」

「じゃあ具体的にどこが好きなんだよ」

「顔がよくて運動も勉強もできて、みんなの中心にいる人気者。性格も優しい。そんな棚橋君はわたしが好きになるのに相応しい条件を備えた素敵な人物よ」

 スラスラとまるで用意していたかのような紋切り型の賛辞を並び立てる。

「そうか……」

 彼女の言動には引っかかる箇所があった。

 なぜ証を立てることに固執するのか。

 愛という言葉を幾度もしつこいくらいに吠えるのか。

 それが今の返答で全て理解できたような気がする。

 俺は自分の考えに確信を持ち、口にした。

「やっぱりお前、本当は棚橋なんてどうでもいいんだろ。現に今、お前は棚橋のことなんか全然見ちゃいない」

 お前が欲しいのは自分が恋愛をしているという、その実感だけだ。

 棚橋陸という人間の内側には何一つとして注目していない。

 中身の伴わない棚橋の単純なスペックだけを述べ、それらを前面に押し出し、物件選びのように条件だけをさらって好意を抱く人間かどうかを判別している。

 愛しているからどんなこともできる。
 どんなこともできるから愛している。

 八重樫はその二つを繋げようと躍起になっている。

 繋げることで、自分が棚橋を愛していることを他者共に認められる事実にしようとしているのだ。

 そうしないと安心できないから。
 そうしないと自分自身を納得させられないから。
 単純な論法として二つはイコールに見える。
 だが実際、それらは同じ意味として成り立たない。

 根源を異にし、明確な事実の有無がそこにはある。

 八重樫は俺の言葉を受けて硬直し目を見開く。
 そして地面に横たわる棚橋を虚ろな瞳で見下ろした。
 その視線のあまりの無機質な冷たさに俺は思わずぞっと鳥肌を立ててしまう。

「あーダメか。この人でもダメなんだァ……」

 八重樫はポツリと呟き、諦観したような笑い顔を見せる。

「困ったもんね。やっぱりわたしにはわからない。何度生きている動物を殺しても。何度人を好きになろうとしても。心がちっとも動かない。愛おしいとも悲しいとも思えない。ただそこに肉塊があるとしか認識できない。だからわたしは悲しめない。棚橋君が死にかけているのにこんなにも落ち着いたままでいられてしまう」

 再び棚橋に目線を戻す。

「こんな誰もが好意を寄せそうな人にもわたしは興味を持てないの? この人ならわたしに愛を教えてくれると思ったのに。わたしは誰なら好きになれるの? それともわたしはもう駄目なの? ただの猟奇的な獣でしかないの?」

「…………」

「ねえ。そんなことないって言ってみてよ。クサいドラマみたいなテンプレートな説得で励ましてちょうだいよ」

 八重樫はわざとらしく腹を抱えて笑い出し、求めてもいない救いの言葉を俺に言わせようとする。
 どうしてだろう。

 俺はこいつが学級委員の眼鏡で三つ編みの八重樫でいた時よりも今の馬脚を現した姿の方を話しやすいと感じてしまっている。

 こいつの苦悩が。感性が。ところどころに既視感があって。

 こいつの抱えている劣等感が俺に似ているような気がして……。

「周りが生き物を愛でたり異性に恋したりすることを当たり前にこなしている中で、わたしだけが意味を理解できていない。そのことがすごく恥ずかしかった。みっともないと思った。……ねえ、あなたにも覚えがあるんじゃない?」

「……ねえよ」

 心の内を読まれたように唐突に共感を求められた俺は動揺する。

「でも、君はわたしと同じでしょ。一緒に行動した時、そうじゃないかって気が付いた。違うかもって思ってたけど、やっぱりそうだった。棚橋君が犯人を捜すために一生懸命になっているその隣で。君は小鳥遊由海のことも、棚橋君のことも。全部どうでもいいと思いながら、でも周りに倣うならこうするべきだろうって窺いながら付き合っていた。大抵の人には気付けないよう擬態していたけど、わたしにはすぐわかった。丸わかりだった。だって周囲を見回す雰囲気がわたしにそっくりなんだもの」

 ククッと口元に手を当て八重樫は嫌味な笑い声を上げた。

「違う。俺はお前とは違う」

「友達が死にそうな状況に焦ってる様子もないのに?」

 瀕死の棚橋を尻目に八重樫は俺に反駁する。

「……急いては事を仕損じるっていうだろうが」

 苦し紛れの戯言だ。

「今まで本当にそう思ってた? 何としてでも助けなきゃって思ったりした?」

 思っていない。思っていない。
 どう転んでもいいとさえ感じていた。
 心配する素振りを見せながら、心の底ではなるようになればいいと、そう思っていたのだ。

「…………」
 
 勝ち誇った表情でほくそ笑む八重樫の目には生気が取り戻されつつあった。
 むかつく顔をしてやがる。
 何をそんなに喜んでいる。

 俺は猛烈な怒りを覚え、憤りのあまり本心をぶつけてしまった。

「俺には理解できないね。恋愛なんて冷めてしまえば簡単に忘れてしまうある種の病のようなものにここまで入れ込むなんて」

 こんな本音、今まで誰かに語ったことなんてなかった。
 語ればおかしなやつだと避けられるに決まっているからだ。
 しかしなぜか八重樫を相手したこの時は軽やかに口が回ってしまった。
 滑ったとも言える。

「あなたはあきらめた。わたしは欲した。それだけの違いよ。根本は一緒。同じところにいて対極に位置する。それがわたしたちよ」

「……だからお前と一緒にするんじゃねえよ。俺は一線を越えていない」

「でも考え方については否定しないんだね」

「全部否定していくのが面倒だっただけだ」

「ふーん? ところでね、わたし今さっきいいことを思いついたの」

 いいこと、ね。俺には悪い予感しかしないんだがな。

「同じ意識を共有できるあなたをこの手で殺めたら、わたしは喪失感に浸れるかなって。失う悲しみを。感情を感じることができるかもしれないなって」

 何だか雲行きが怪しい。どこかで見た展開だ。

 そう、ほんの少し前にこの場所で……。

「確かめてみたいの。わたしに教えてよ。本当の愛が。人を好きになる人間らしい感情がどんなものなのかを。初めて会えた同類のあなたを失えば今度こそわかる気がする」

「待て、それってつまり……」

 八重樫は無邪気に笑い、血糊の着いたナイフを今度は俺に標準を合わせて放ってきたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

高校生なのに娘ができちゃった!?

まったりさん
キャラ文芸
不思議な桜が咲く島に住む主人公のもとに、主人公の娘と名乗る妙な女が現われた。その女のせいで主人公の生活はめちゃくちゃ、最初は最悪だったが、段々と主人公の気持ちが変わっていって…!? そうして、紅葉が桜に変わる頃、物語の幕は閉じる。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

自称未来の妻なヤンデレ転校生に振り回された挙句、最終的に責任を取らされる話

水島紗鳥
青春
成績優秀でスポーツ万能な男子高校生の黒月拓馬は、学校では常に1人だった。 そんなハイスペックぼっちな拓馬の前に未来の妻を自称する日英ハーフの美少女転校生、十六夜アリスが現れた事で平穏だった日常生活が激変する。 凄まじくヤンデレなアリスは拓馬を自分だけの物にするためにありとあらゆる手段を取り、どんどん外堀を埋めていく。 「なあ、サインと判子欲しいって渡された紙が記入済婚姻届なのは気のせいか?」 「気にしない気にしない」 「いや、気にするに決まってるだろ」 ヤンデレなアリスから完全にロックオンされてしまった拓馬の運命はいかに……?(なお、もう一生逃げられない模様) 表紙はイラストレーターの谷川犬兎様に描いていただきました。 小説投稿サイトでの利用許可を頂いております。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...