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第27話『限りなくありえないシナリオ』
しおりを挟む「小鳥遊君。ちょっと待って」
八重樫がふと何かに気が付いたように神妙な顔つきで立ち止まる。
「……誰かにつけられてる、かもしれないです」
つけられてる? そんな馬鹿な。誰が?
「ちょっと失礼します」
八重樫が俺との距離をほぼ密着する程詰め、鞄から手鏡を取り出して背後の景色を映し出す。
曲がり角にある電柱の陰に見慣れた我が校のスクールバックの一部が見え隠れしていた。
「確かに誰かいるな」
「いますよね」
同じ場所に、しかも物陰という不自然極まりない場所に一定以上留まり続ける輩。
明らかに不審だ。
ひょっとしたら俺たちが事件を嗅ぎまわっていることを察した犯人が動向を窺っているのかもしれない。
だが八重樫はよくあんなのに気付いたな。
「とりあえず、俺が行って確認してくる。八重樫はそこで待っててくれ」
考えすぎかもしれないが絶対にありえないわけではない。
「え、でも……」
「ちょっと顔を見てくるだけだ。やましい理由じゃなかったら俺が近づいても何もしてこないだろ? 万が一、怪しい動きをしてきたらその時にどうにかすればいいさ」
「……気を付けてね」
俺はただ来た道を何気なく歩いている素振りで引き返す。
もちろん警戒することも忘れてはいない。
一歩二歩、少しずつ対象との距離を縮めていく。
相手に動きはない。
俺の取り越し苦労だったか……? と、安堵したその時である。
俺の向かう先を悟った追跡者は電柱の陰から曲がり角に飛び込み、一目散に駆け出した。
「おい、待て!」
声を出すのと同時に俺も全力で走り出す。
追いつかずとも、その姿さえ確認すれば。
そうすればこちらのものだ。
俺は身軽さを重視し、鞄を投げ捨てた。
揉みあいになった場合、両手は空いていたほうがいいしな。
一直線の住宅街の道。
猛スピードで走り去っていこうとする天帝学園生の後ろ姿を視覚で捉える。
そのシルエットを見た瞬間、俺は目を見開いた。
「なんであいつがここに……」
見覚えのある背格好。髪型。
俺のよく知る人物とよく似た、いや本人としか思えない背中が逃亡している光景がそこにはあった。
思考が追いつく前にまず無意識に足が止まり、急転直下すぎる現実が目に入ってきた場景の処理を遅らせる。
追いかけて、引き留めて。
すぐにでも話を聞かなくてはならないはずだと頭ではわかっていた。
だが俺は何もせず、ただ呆然と佇んでそいつがT字路を曲がって消えていくのを見送ったのだった。
「小鳥遊君! どうしたんですか!?」
立ち止まって放心している俺を心配したのか、八重樫が駆け寄ってくる。
「すまん……。思ったより足の速いやつでさ」
とっさに考えた、事実を交えた言い訳を述べる。
「……知っている人でしたか?」
八重樫は俺を見つめ訊ねてきた。
「……いいや」
俺は嘘を吐いた。
そうしなければいけないのではと、八重樫の顔見て直感的に感じたからだ。
まだ何も確信がない状況で言うべきではないだろうし。
いらぬ不信感を煽っても仕方ない。
だが、俺はかなり困惑していた。
この事実を基に導き出される結論は限りなくありえないシナリオ。
……なあ、ちょっと前に別れたばかりのお前がどうしてあそこであんなことをしていたんだ?
何も言わずに俺たちをつけていたんだ?
一体、どういうことなんだよ。
こうなってくると何を信じればいいのかわからなくなってくる。
人間不信に陥りそうだよ、まったく。
晴れ渡っていた空模様が唐突に怪しくなり始め、灰色に彩られだす。
水滴が頬をなぞったような気がして手の平を天に向けると、だまし討ちとも言える大雨が空から降り注いできた。
八重樫の自宅のマンションを目前に信号待ちをしていた俺たちは土砂降りのスコールになすすべなく打たれる。
「とりあえず、わたしのうちまで行きましょう!」
「お、おう」
追い立てられるように俺たちは駆け、先を急ぐ。
鞄を頭上に掲げ微細な抵抗を試みるも、雨はそれを嘲笑うように俺たちをずぶ濡れにした。
こんなことなら折り畳み傘を常備しておくんだった。
最近ロクなことがない。
踏んだり蹴ったりだ。
水も滴るいい男になってしまった俺は八重樫の自宅に雨宿りがてらお邪魔させてもらっていた。
「どうぞ、拭いて下さい」
「ありがとう」
俺は通されたリビングで八重樫から白いバスタオルを受け取り、濡れた髪や制服を拭った。
自分の家とは異なる洗剤の匂い。
だが悪くない。どうでもいい感想だ。
八重樫の自宅は俺の家より各室の面積が広めの世帯向けマンションだった。
きっとお値段も我が家よりお高いことだろう。
そしてなんと聞けば八重樫はこの4LDKのマンションに一人で暮らしているという。
何だかどこかで似たような設定を聞いたぞ。
最近は女子高生のマンションでの一人暮らしがブームになっているのか。まさか。
隅々まで掃除も行き届いていてまさに塵一つないと表現するにふさわしい清潔具合。
だが八重樫の家は最低限の家具しか置かれておらず、整理整頓がなされていると言うよりはむしろ殺風景と言えるもの寂しさがあった。
この小綺麗さに俺が違和感を覚えてしまったのは、ほぼ同じ条件の中で構築されたゴミ屋敷を先に見てしまっていたからか。
まずいぞ、感覚の基準が間違いなく汚染されている。
家主の性格の違いによって生まれるインテリアの差異を比較し脳内で吟味したりしていると八重樫が俺の対面に腰を下ろして口を開いた。
この家、ソファーすらないんだもんなぁ。おかげで俺も彼女もフローリングに直座りだ。カーペットかクッションくらい置けばいいのにと思いながら俺は耳を傾ける。
「小鳥遊君。この雨模様だし、今日はもうこれでお開きにしませんか?」
声に出されたのはそんな予想外の提言。
その提案は渡りに船ではあるのだが、まさか向こうから切り出されるとは思わなかった。
「えーと……?」
俺は間をとるようにこのリビングの数少ない家具であるこたつ机に目を移す。
「……小鳥遊君、本当はあまり乗り気ではなかったでしょう?」
「そんなことは……」
顔合わせをしてからずっと抱いていた本心を突かれ狼狽えた。
初めから、見透かされていたのか。
完璧に擬態できていると自惚れていた自分に激しい羞恥を覚える。
ひょっとすると同じように俺の本質もすでに看破されているのだろうか。
他人を軽んじ、時には軽蔑することさえもある性根を。
八重樫は特に俺を非難するわけでもなく、眼鏡越しの澄んだ瞳で見つめてくるだけ。
「……まあ、八重樫がそう言うのなら今日はやめにしておこうか」
前述の八重樫の指摘を否定することもなく、ただ聞かなかったことにして俺は平然とそうのたまった。
大丈夫、そのはずだ……。
俺は自分に言い聞かせた。
いつのもように、即座に気持ちを切り捨てた。
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