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第5話『ドーホー。いい響き……』
しおりを挟む「寝てるところを起こしたら悪いし、俺達は帰ろうかな」
どうやらイケメン太郎は起きる気配のない病人を見て引くべきと判断したようだ。
「何か要件があるなら伝えておくけど」
「いや、今日はクラス委員としてクラスの代表でお見舞いに来ただけだから」
お前もクラス委員なのかよ。
いや、三つ編みの女子がクラス委員であるかはわからないけど。
「でもそうだね。強いて言うなら、早く元気になってくれってことかな。クラスのみんなも待っているから」
みんなって誰だよ。
そんなみんな仲良しなんてことあるわけなかろうに。
恐らく言葉の綾だろうからいちいち噛みつきはしないが個人的には少しひっかかる物言いだ。
「また来るよ」
「三日くらいで退院するらしいから、そんな心配することないと思うぞ」
「そうか、大したことないようなら安心だよ」
そう言ったイケメンが一瞬だけ表情を暗くしたように見えたのは気のせいだろうか。
「じゃあまた学校で会おう」
イケメンは胸の前で小さく手を挙げ、病室を後にした。
眼鏡の女子も会釈して去っていく。
行儀良さの垣間見える綺麗なお辞儀であった。
そういや結局あの子は一言も会話に加わってこなかったな。
何しに来たんだか。
うん、まあ、普通にお見舞いだよな。
断じて俺と雑談するためではない。
よく考えるとあの二人の名前を聞いてなかったが、クラスも違うようなので知らなくても差し障りはないだろう。
こちらも名乗っていないのだし。
それより、さてさて。
「二人とも、もう帰ったぞ」
声をかけてみるが反応はない。
「おい、いい加減に……のひぃっ!」
俺は突然布団の中から飛び出してきた腕に手首を掴まれ思わずマヌケな声を上げてしまった。
なんという失態、屈辱!
ああ、俺は辱めを受けてしまったよ……。
「こ、この、お前、一体どういう……ん?」
こいつ、震えているのか?
細い指先が包んでくる、そこから伝わってくる僅かな振動。体温。
トイレでも我慢してるのだろうか。
もしくは怯えているとか。
……誰にだ?
俺が想定外のスキンシップに戸惑い逡巡していると小鳥遊由海はひょっこりと顔を覗かせてきた。
ただし口元は隠し、目がギリギリ表に出る程度であったが。
「…………」
無言である。無言でこちらを見つめている。
仲間にでもなりたいのだろうか。
そういえば初めてこいつとまともに目を合わせた気がする。
…………何か言えよ。
俺たちはノンバーバルコミュニケーションで意思疎通が図れるような密な間柄ではない。
したがって、視線のキャッチボールを繰り返していても不毛の時が過ぎるだけである。
なので俺は音声言語を用いて訊ねることにする。
「お前さ、あのイケメンとなんかあったの?」
「……タナハシくんはいい人、優しい人だよ」
タナハシっていうのはあのイケメンの名前かな。
じゃああっちの三つ編みの女子が怖かったのか。
まさかね。恐らく学校で何か嫌な目にあったのだろう。
小鳥遊由海は疎外の対象になりそうな素材の塊だし。
日本人離れした彼女の容姿は良くも悪くも周囲からはみだした存在となりうるはずだ。
おまけにどう見たって小鳥遊由海は社交的な性格ではなく、対人コミュニケーションを円滑にこなせる人種とは思えない。
外見と内面のダブルパンチ。
目立ちながらも器用に立ち回ることのできない優れた存在にはその輝きに対して畏敬の念は寄せられず、妬みだけが鋭く刃を向けてくる。
きっと今現在の彼女の震えは制服を着た級友たちを見たせいで何かは知らないがその嫌な出来事を思い出してしまったとか、そういうアレから生じているものなのだろう。
俺はそう解釈した。間違った推測かもしれないが、様々な場所で様々な人間を見てきた俺の観察眼はさほど節穴ではないと自負している。さっきもイケメン太郎のクラブを当てたし。二つ出してたからずるい? ずるくねえよ! まったく、高校に部活動が一体何いくつあると思ってるのか。
まあ、それはそれとして。
「お前、同じ学校だったんだな」
勝手に自己解決した俺は違う話題を小鳥遊由海に持ちかけた。
話題の転換を割と自由に行うのが渡り者の習性である。
嘘だが。
「……厳密に言えば」
ぼそぼそとした小声で小鳥遊由海は答える。
じゃあ簡潔に言うとどうなるんだ。
よその学校になるのかよ。
そんな追及は心の中に内包し、さらに別の問いを投げかける。
「あいつらと同じクラスなんだって?」
「そう、わたしは二年一組。部活は帰宅部」
そこまで訊いてないけど。
「俺も帰宅部に入るつもりだから同胞だな」
俺は乾いた笑いを響かせつまらないジョークをのたまう。
「ドーホー。いい響き……」
どこら辺が琴線に触れたのか、感慨にふける小鳥遊由海。
新鮮な反応であり、望んでいたリアクションと違った。
いやもうかなり違うね。
心揺さぶる要素など一切なかったはずだが。
こいつの感性はやっぱりよくわからん。
ところで彼女はいつまで俺の手を掴んでいるつもりなのだろうか。
ことさら拒絶をするつもりはないがこれでは安易に立ち上がれない。
細かに言えばトイレに行くことが出来ない。
ちょっと今危ないんだが。まあ、まだ余裕だから。
余談であるが、気が付いた時には小鳥遊由海の震えはいつの間にか止まっていた。
いつの間に止まったのかね。
その後結局、小鳥遊由海は再度眠りにつくまで俺の手首を拘束したままだった。
手汗はベッタリまとわりつき、そして俺の膀胱はギリギリ持ちこたえた。
そしてたっぷり時間をかけてから母親はやってきた。
その間、俺はひたすら待ちぼうけ。どうにも乗るバスを間違えたらしい。
頼むから本当にしっかりしてくれよ。
おかげでこっちは呑気によだれを垂らしながらイビキをかいている小鳥遊由海を眺めていなくてはならなかったんだぜ。
これが俺と小鳥遊由海のファーストコンタクト。本当ならば今日は特に波風立たず普通に転校し、クラスメートに自己紹介をして新顔特有のアウェー感を堪能しつつ、だんだんと朱に染まっていく過程の第一歩を踏みだす始まりの日だったというのに。
ただ、不可抗力によって交流を義務付けられたことで隣人もとい同級生の小鳥遊由海の印象が当初の言葉の通じない危険な生き物から少し不器用でちょっとだけ情緒不安定な少女に改善された。
あれ、改善されたのか?
とにもかくにも。
ほら、隣に住む住民が得体のしれない人物じゃあ困るだろう?
話してみれば話せるやつであることがわかったのはいいことだ。
だが、わかったが。それだけ。同じ高校に通う、名前と顔を知っているお隣さんという間柄。
それ以上深くは俺と小鳥遊由海は関わらない。
少なくとも俺はそう思っていた。
クラスも違うようだし。
しかし、そんな心持ちで構えていたのはどうやら俺だけだったようで。
周囲の連中はそれを許してはくれなかったのである。
どういうことかって?
それを説明するにはどの部分から話せばいいのやら。
なんと言ってもいろんな人間の思惑が入り混じって錯綜しているせいで非常に混沌とした出来映えとなってやがるからな。
筆舌に尽くしがたいとはこのことである。
困ったもんだ。だが、そうだな。もし語るとするならば。とりあえず導入として相応しいところ。
俺が一日遅れの初登校をはたしたその日のことから話すとしようか。
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