深川あやかし屋敷奇譚

笹目いく子

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犬神(七)

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 すずが忽然と姿を消したという知らせが飛び込んだのは、仙之助がいつものごとく寝坊してきて、遅い朝餉を取っている最中のことだった。

「すずが消えた……?」

 周章狼狽しているあさひ屋の小僧から話を聞き出し、寝ぼけ眼の主は片方の眉を持ち上げる。

「はい。お心当たりはないかと、旦那さんが」
「ここには来ちゃいないよ」

 そのようで、とまだ十四かそこらの小僧が項垂れる。

「夜の間にいなくなったのかい」
「いえ、朝にお姿を見た者がおります。朝餉の前までは確かにおられたのです。そうだ、旦那さんが、天狗だとおっしゃって」

 天狗、と部屋の脇に控えたお凛は耳を疑う。主を見遣れば、その目がきらりと光ったようだった。

「天狗が来た。お嬢様を拐って行った、とそりゃあもう大騒ぎで……」
「お凛、行くぞ。猪牙を捕まえろ」

 箸を放り出すなり、仙之助はがばと立ち上がってそう言ったのだった。


 朝の忙しさと活気に溢れる相生町を夢中で走る。 
 あさひ屋の母屋のとある部屋の前に差し掛かったとき、奉公人に囲まれながら、亡霊のように虚ろな表情で縁側に立ち竦む遊左衛門を見て、お凛は仙之助の背後で息を飲んだ。 

「すず、どうして……一体何が……」

 白い朝日に照らされたその手に、茶と白の縞が入った、風切り羽根のような大きな羽根がある。
 恐怖に染まった青い顔をこちらへ向けた店主は、仙之助さん、と呻いた。

「これが、部屋の前に落ちていたんです……」
「羽根……?」 

 お凛は不思議に思いながら羽根を見下ろし、それから鋭く息を飲んだ。あれはもしや……。

「羽団扇の、羽根ですかねぇ、それ」

 仙之助のつるんとした両目が輝いた。
 羽団扇。天狗が持っている羽団扇ではないか。子供でも知っている。天狗はその手に、羽根のついた団扇を携えているのだ…… 

「天狗……天狗が来たんだ。すずを拐いに、また」
「旦那さん、しっかりしな。天狗なんぞがいるもんかい。芝居でもあるめぇし」

 霜髪にいかつい顔をした男が呆れ顔で言う。あさひ屋出入りの御用聞きで、雲蔵くもぞう親分というらしい。奉公人の知らせを受けて飛んで来たのだという。

「そうですとも。ご自分でどこかへお出かけになったのでは……」

 信じ難いように顔を引きつらせる番頭に、

「そんなはずはない。私に一言もなく、そんなことをするものか」

 遊左衛門は上ずった声で言下に言って、よろよろと母屋を出ていこうとする。

「さ、探すんだ。大山、大山にいるのか? ああ、天狗相手に一体どうしたらいいんだ。お坊様を呼ぼう。祈祷とお祓いを……」
「遊左衛門さん、ちょいと待ってくださいよ。ねぇ」

 緊迫感に欠ける声が響いた。
 遊左衛門が握り締めている羽根にひょいと手を伸ばし、仙之助はしげしげとそれを見回す。イヌワシの羽根でできた、茶色と白の縞模様。その羽根の先が赤く塗ってある。

「ははぁ……」
「ど、どうなさったんです? 早く……早く探しに行かなくては」

 焦燥に炙られているように額にじっとりと汗を浮かべ、店主が急かす。

「遊左衛門さん、これを持っている天狗ね。私知ってますよ」

 ぽっかりと、その場に空白が生まれたかのようだった。

「……え、ご、ご存知で? ご存知なんですか?」

 猛然と、舌をもつれさせて遊左衛門が叫ぶ。

「ええ。この、さきっぽだけ赤く塗ってあるでしょう? 珍しいなと思ったんで覚えてますよ。あの天狗の趣味なんでしょうね」
「どこの、どこの天狗ですか? どの山の?」

 途端、あははは、と青年が不謹慎なほどおかしげに笑うので、気でも触れたのかとお凛はぎょっとした。

「うーん、山じゃあないな。あちらこちらを旅しているから、宿無しみたいなもんでしょうけどね。あ、群れはあるのかなぁ」
「どういう意味で……旦那さん、教えてくださいまし!」
「そうですよ、ふざけている場合ですか!」

 殺気立った遊左衛門とお凛が声を荒げると、青年は「まぁまぁ」と小突きたくなるように呑気な顔でいなしてくる。

「こいつはね、千鳥勘兵衛一座っていう群れの一羽ですよ。今は……両国広小路に住んでいるはずです」

 そう言いながら、懐から引き札をかさりと取り出して見せた。
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