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人喰いつづら(一)
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年明けて睦月の七日、松の内最後の日のことであった。
何がどうなってこんな成り行きになったのか、と目を白黒させるお凛の眼前で、仙一郎は眠そうに目をしばたかせながら茶筅を動かしていた。茶を点てているのである。筋金入りの遊び人である主に茶の湯の心得もあったとは意外だが、お客はさらに意外だった。
仙一郎に相対して坐っているのは一人の老僧だった。すり切れた粗末な法衣を纏ったその僧侶は、巌のような目で仙一郎を凝視して身じろぎもしない。一方の主ときたら、寝間着姿の冴えない顔色で、正座するのがやっとのような有様だった。
「粥を食べたらもう一眠りしようと思ってたのに……」
生欠伸をかみ殺しては、ぶつぶつと口の中でごちている。昨晩も仲町で辰巳芸者と遊び倒し、昼時まで朝寝を決め込んだ後、七草粥を食べにようよう起き出してきた主である。それも、七草粥を食べて無病息災を祈念しよう、などという殊勝な心持ちがあったのではなく、単に二日酔いの胃の腑にやさしいものが食べたかっただけなのだった。
それが、どうして僧侶相手に茶なぞを点てているのかというと……
***
「今朝、深川八幡で富突の抽選があったそうですよ。一番富は千両ですって!千両!すごいですよねぇ、羨ましい。誰が当てたんでしょうねぇ」
「……お凛や、声を落としておくれ。頭ががんがんするよ」
七草粥をよそった茶碗をお凛から受け取りながら、仙一郎が蚊の鳴くような声で呻いた。
「富籤一枚で金一分もしますもの。私なんておいそれと買えやしません。千両とは言いませんが、二十両でも当たったら嬉しいだろうなぁ。旦那様、買ってみたことあります?」
大金が当たる籤引きのことを富突とか富籤と呼ぶが、お江戸の寺社では年中あちらこちらで行われている。深川八幡でも年始から籤を売り出し、松の内の七日に盛大な抽選会が催されるのである。しかし、一番富に千両もの大金が用意されることは珍しかった。
黄金の海に溺れる妄想に目を輝かせつつ、お凛がうっとりと言うと、主は悩ましげに眉間に皺を寄せて答えた。
「……梅と染に、年始の祝儀に十枚ずつ毎年買ってやっているよ」
「ひぇっ!二十枚も!?」
底抜けの与太者なのか単なる太っ腹なのかわかったものではない。多分前者なのであろうと思いつつ、
「当たったことあります?」
思わず身を乗り出して声を弾ませると、仙一郎は見えない金槌に殴られたように体を揺らした。
「たまに……五両とか十両とか。なぁ、小声で、そーっと話せと……」
「なぁんだ、そんなものですか」
お凛はがっかりして眉を下げた。毎年二十枚買いつづけてもその程度か。格式がありかつ有名な、谷中感応寺、湯島天神、目黒不動で行われる富籤を「三富」と呼ぶが、これらの寺では一度に一万枚もの籤が発行されると聞く。大金の配当がある籤を引き当てるなど、砂の山から砂金の粒を拾うようなものだ。
「一攫千金なんて上手い話、そうそうありはしないんですよね。人間地道に生きにゃならんって、おとっつぁんとおっかさんがよく言ってますけれど、本当ですよ。……でも、それなら奉公人にもご祝儀をもう少し弾んで下さっても……」
ぷっと頬を膨らませてつい零すと、怪訝そうに主が言った。
「何でさ?お前たちを喜ばせて私に何の得があるんだい?ーーわぁ!なしなしなし、今のはなし!冗談だってば!」
今にも大声を出そうと思い切り息を吸い込んだお凛に、仙一郎が両手を振り回して絶叫する。
己の大声に悶絶している青年に胸の裡で舌を出していると、唐紙越しにお江津の声が聞こえてきた。
「あのう、旦那様、お客様がおいででございますが……お通ししても大丈夫でしょうか?上野妙円寺の泥徳様でございます」
頭痛と吐き気に脂汗を浮かべて粥を啜っていた主が、ぎょっとしたように顔を上げた。
「ええっ、和尚さんが?……私あの人苦手なんだよねぇ。徳の高い坊さんだっていうけどさ、がみがみくどくど口うるさいんだよ。うぷ」涙目になって慌てて深呼吸すると、匙と茶碗を膳に投げだしそそくさと逃げ出す体勢になった。「誰彼構わず徳を振りまくのは止めて欲しいもんだ。ましてや二日酔いの時になんて、勘弁してもらいたいよ」
しかし宿酔が足に来ているらしく、必死の形相のわりに蝸牛のごとくのろのろと畳を這うばかりである。
そうこうする内に、
「旦那、仙一郎の旦那!」
と茶の間の唐紙が勢いよく開いて、背中に何やら大きな風呂敷包を負い、ぼろぼろの法衣を纏った僧侶が踏み込んできた。
「……あ、どうも泥徳和尚。明けましておめ……」
「茶湯始に呼んでやったというのに、今年も来ないとはどういう了見じゃ!この儂の招きだぞ。それを、毎年毎年すっぽかしおって」
仕方なく四つ這いの格好で挨拶をする主を遮り、憤懣やるかたない様子で口を開く。やたらと額に汗を浮かせ、でんと立派な鼻で豪快に息をしている。なんとも暑苦しさを覚える外見をした僧侶だ。
「え、だって呼んでくれなんて頼んでないし……」闖入者を迷惑そうに見上げて主が弱々しく呟く。
「だからというて、毎年毎年茶湯始に呼ばれては断る奴があるか、ええ!? しかもこの儂の!茶事だぞ!」
お凛は茶を出すのも忘れ、廊下のお江津と顔を見合わせると地団太を踏む僧侶をぽかんと見上げた。
茶湯始というと、茶の湯の初会のことだろうか。このぼろきれのような法衣をまとった僧侶は茶人でもあるらしい。
新年を迎えたことを祝い、その年に初めて釜に火を入れる茶席を、茶道では「茶湯始」とか「初茶湯」と呼ぶと聞いている。お凛にはてんで縁のない世界であるが、無駄に器用で通人の仙一郎は茶の湯も嗜むようだ。
「そんなことをおっしゃられても、私にも都合ってもんがありまして……松の内は忙しいんですよね」
辰巳芸者と飲めや歌えやの日々ですからね、とお凛は冷やかな目を主に向ける。
「そんな言い訳はどうでもいいわい。茶湯始に来ないというのなら、こちらから来てやろうと出向いたんじゃ。ささ、早速点ててもらおうか!」
げっ、と仙一郎が目を剥いた。
「勘弁してくださいよ。こっちは二日酔いで‥…」
「お盆点でよろしい。正装しろともいわんから、とっとと始めろ」
どっかりと畳に腰を下ろした僧侶は、押し込み強盗か強請りか集りにきたえせ僧侶としか見えない。
その迫力に、すっかり気圧されているお凛らと主であった。
***
暖かな居間に、しゃしゃっ、とひそやかな音が耳に心地よく立っている。若葉のような清涼感のある香りが鼻腔をくすぐる。なるほど、上等の抹茶の香りとはこういうものか、とお凛は部屋の隅で感心していた。
と、そこに地鳴りのような和尚の声が響いた。
「まったくお前さんと来たら、この数年姿を見せんと思ったら、妙な趣味事に耽っているそうじゃないか。おまけに「あやかし屋敷のいわく付き旦那」だとか、「がらくた旦那」だとか呼ばれているだと?ふざけているにもほどがあるわい」
「ふざけているのはどちらなんですか……変な言葉の組み合わせを勝手に作らないで下さいよ。あやかし屋敷以外あっていないじゃありませんか。私はいわく付きでもがらくたでもありませんよ」どうにか正座して、青色吐息で茶を点てる仙一郎がぼやく。
「気を散らすな!手元が疎かになっておるぞ!」
くわっ、と僧侶が目を三角にした。
「じゃあ話しかけないで下さいよ……」そう嘆きながらも、仙一郎の手捌きは妙に様になっている。流れるような動きで茶筅が軽快に茶碗の中で踊る。だが、それを点てている当人は、鬢はほつれて寝間着の襟はだらしなく乱れ、二日酔いで今にも吐きそうと、鬱陶しいことこの上ない姿だ。しかし、この僧侶はその爽やかとは程遠い青年を食い入るように見つめていた。
台所で鉄瓶に湯を沸かしながらお江津に聞いた所によると、僧侶は上野の破れ寺の僧で、茶人として名高いお方であるそうだ。仙一郎の父が茶の湯を嗜む縁で少なからぬ行き来があるらしい。寺にある傾きかけた茶室の趣きと、泥徳の点てる茶の奥深さは茶の湯の世界に知れ渡っているそうで、茶席に招かれることを切望しない茶人はおよそお江戸におるまいとの評判だった。
その泥徳が、どういうわけか仙一郎の茶に執心なのだそうだ。
「あ、まずい。茶筅を見てたら目が回ってきた」呻く主の顔が紫がかってきた。「もう無理、降参。こんなもんでいいでしょ。えーと、この茶碗、正面はどっちだったかな。こっちかな?ま、いいかどっちでも。盆点だし」
「よくない!ちっともよくないぞ!」
「ちょっと頭に響くんで、小声でお願いできますか……」
青筋を立てている老僧に、主が眉間に皺を寄せながらようよう茶碗を勧める。どういう茶席なのだ、とお凛は思わず天井を仰いだ。
僧侶はいかつい肩を上下させて仙一郎を睨んでいたが、やがて唇を引き結ぶと、両手に濃茶の茶碗を包んだ。椀を愛で、すっすと手のひらの上で回し、じっと椀の内側を覗き込む姿は堂に入っている。おもむろに、ずずっと啜った。
ぱぁっ、と僧侶の顔が黄金のごとく輝いたように、お凛には見えた。
頬は桃色の睡蓮の花びらのように染まり、険しかった瞳は極楽浄土を垣間見たかのような歓喜の涙を浮かべている。
「……南無……」
思わず天を仰いで両手を合わせてから、泥徳ははっと我に返った様子で茶碗を凝視し、次いで、長火鉢にへばり付いて虫の息の青年を見詰めた。
「……うむ。見事な手前じゃ」
口惜しげに口元に皺を刻んで唸る。
「はぁ。そりゃどうも。うぷ。もういいですかね?お引き取りいただいても」
今にも倒れこみそうになりながら仙一郎がげっそりして言うが、僧侶は何やらぶつぶつと口の中で呟いている。
「この繊細さ、この深みと味わい。無我の境地のような平安と静穏、清らかな稚児の無邪気さを思わせる清涼感、それでいて、悟りを開いた者が知る人生の苦味が心に沁み入るかのようだ……ううむ……」
「あのう……泥徳さん、聞いてます?」
「ーー解せぬ!まったく解せぬ」突如泥徳がつるつるの頭を抱えた。「お前さんのような欲垢と煩悩の塊のような輩が、なぜ名のある茶人のような見事な茶を点てるのか……御仏のご采配は儂には到底計り知れぬ……」
「んーまぁ才能でしょうかね……ほら、私ってこの通り美男子の上に多芸多才でしょう?色男ってのは罪深いことです、いやまったく。おぇ」
気息奄々としながらも、減らず口は一向に衰えないのはさすがである。
「それをお前さんときたら、毎日芸者と遊び回って二日酔いだと!? そんな羨ましい……じゃない、自堕落な暮らしに身を落として恥ずかしいとは思わんのか。儂の弟子になれば立派な茶人にしてやると言っておるのに!」
うへぇ、と仙一郎が童顔をしかめた。
「いえ、お誘いは有難いんですが、私そこまで茶の湯に情熱はないし。おとっつぁんに仕込まれただけで……」
「お前さんは茶の湯の奥深さをまったく理解しておらん。儂が師となれば必ず才を開花させてやるものを」
「うーん、でもねぇ。美女が同席するなら喜んで出席するけど、お坊さんたちや偉い茶人の人たちと回し飲みしてもつまらないしなぁ……」
茶の湯の理解に深刻な問題を抱えていそうな発言をすると、主は長火鉢で両手を炙りながら飴玉のような目をぱっと開いた。
「そうだ。美女の紅がほんのりついた茶碗なんて、風情があっていいじゃありませんか。うん、茶も美味くなりそうだ。それだったら喜んでお招きに与るなぁ。美女を三、四人招いてそういうのやってくださいよ、泥徳さん」
「ば……馬鹿者!おのれは茶の湯を冒涜する気か!松風塵外心を何と心得るのだ不埒者!天罰的中!」
僧侶が顔を真っ赤にして数珠を振り回す。一瞬妙な間があったのは、まさか想像したのではあるまいな、とお凛は疑った。
「ーーだが、しかし。どうしてもお前さんの助けが必要なのだ……」
不意に声を落とし、泥徳が額の汗を拭った。
はて、と目を瞬かせる仙一郎の顔を睨むように見ると、和尚はしばし黙考してから厳かに口を開いた。
「実は、困ったことになったのじゃ。お前さんのその……「いかさま旦那」だか「覗き見旦那」だかの、その破廉恥な力でどうにかしてくれ」
「……人を騙り者か変態みたいに呼ばないでくれます……?」
顔を引きつらせてふるえる主を無視して、泥徳は深々と嘆息した。あまりにも思いつめた様子に、仙一郎はしぶしぶのように尋ねた。
「……で、何なんです?その困り事というのは」
「それよ、それ」
僧侶はごくりと喉仏を動かすと、じりじり膝行って数拍の間沈黙した。
やがてからからに乾いた唇から囁かれた声に、お凛も仙一郎も仰天したのだった。
「ーー富籤。深川八幡の富籤、一番富一千両。あれを当てたのは、儂なんだ」
***
屋敷の内が上を下への大騒ぎになった。お江津と富蔵も駆けつけて、和尚の懐にあった当たり札を目の当たりにすると、「ちょっと……頭が割れる……」と息も絶え絶えで畳に伸びている仙一郎を他所に、歓声を上げて札を拝んだ。千両、千両だよ、やったよ、と自分が当てたわけでもないのにお祭り騒ぎである。
ようやく興奮の波が落ち着き、お江津と富蔵が雲を踏むような足取りで去ったところで、主が息を吹き返してよれよれと座り直した。
「それにしても……お坊さんが富突なんぞに手を出してもいいんですか?まぁ、お坊さんは買っちゃならんという法もなかったと思いますけど」
「外聞はまことに悪いのう」
しごく真面目に応じると、泥徳はほっと嘆息した。
「しかしな、儂は金が欲しかったわけではないぞ。そりゃあ寺のあちこちは傾いておるし、麦飯に漬物の素食であるが、禅僧たるもの無一物の清貧こそが修行の道。わび住まいに何の不満があろうか。……ただ、試してみようと思い立っただけなんじゃ。それがあろうことか千両を当ててしまうとは……」
「試す……?」
首を傾げた仙一郎に、和尚の顔が渋くなる。
「そうじゃ。真実願ったことが叶えられるのかと、つい誘惑に負けたのだ。実際に千両当ててみて目が覚めてのう。いや、儂も未熟であることよ」
顎に皺を刻みながらそう呟くと、背後に置いていた風呂敷包を膝の前に押し出した。
「……お前さんに、こいつを預かってもらいたい。気は進まんのだが、他に適当な者が思いつかんのだ」
「へぇ?何ですか。いわく因縁付きのものですか?」
僧侶は答えず、黙って風呂敷の結び目を解いていく。
やがて中から現れたのは、ひとつの葛籠であった。
「ーーこいつはな、願いを叶える葛籠だ。拝んで頼めば応えてくれる、摩訶不思議な葛籠なのじゃ」
恐れと畏怖が滲む声で、老僧はそう低く言ったのだった。
何がどうなってこんな成り行きになったのか、と目を白黒させるお凛の眼前で、仙一郎は眠そうに目をしばたかせながら茶筅を動かしていた。茶を点てているのである。筋金入りの遊び人である主に茶の湯の心得もあったとは意外だが、お客はさらに意外だった。
仙一郎に相対して坐っているのは一人の老僧だった。すり切れた粗末な法衣を纏ったその僧侶は、巌のような目で仙一郎を凝視して身じろぎもしない。一方の主ときたら、寝間着姿の冴えない顔色で、正座するのがやっとのような有様だった。
「粥を食べたらもう一眠りしようと思ってたのに……」
生欠伸をかみ殺しては、ぶつぶつと口の中でごちている。昨晩も仲町で辰巳芸者と遊び倒し、昼時まで朝寝を決め込んだ後、七草粥を食べにようよう起き出してきた主である。それも、七草粥を食べて無病息災を祈念しよう、などという殊勝な心持ちがあったのではなく、単に二日酔いの胃の腑にやさしいものが食べたかっただけなのだった。
それが、どうして僧侶相手に茶なぞを点てているのかというと……
***
「今朝、深川八幡で富突の抽選があったそうですよ。一番富は千両ですって!千両!すごいですよねぇ、羨ましい。誰が当てたんでしょうねぇ」
「……お凛や、声を落としておくれ。頭ががんがんするよ」
七草粥をよそった茶碗をお凛から受け取りながら、仙一郎が蚊の鳴くような声で呻いた。
「富籤一枚で金一分もしますもの。私なんておいそれと買えやしません。千両とは言いませんが、二十両でも当たったら嬉しいだろうなぁ。旦那様、買ってみたことあります?」
大金が当たる籤引きのことを富突とか富籤と呼ぶが、お江戸の寺社では年中あちらこちらで行われている。深川八幡でも年始から籤を売り出し、松の内の七日に盛大な抽選会が催されるのである。しかし、一番富に千両もの大金が用意されることは珍しかった。
黄金の海に溺れる妄想に目を輝かせつつ、お凛がうっとりと言うと、主は悩ましげに眉間に皺を寄せて答えた。
「……梅と染に、年始の祝儀に十枚ずつ毎年買ってやっているよ」
「ひぇっ!二十枚も!?」
底抜けの与太者なのか単なる太っ腹なのかわかったものではない。多分前者なのであろうと思いつつ、
「当たったことあります?」
思わず身を乗り出して声を弾ませると、仙一郎は見えない金槌に殴られたように体を揺らした。
「たまに……五両とか十両とか。なぁ、小声で、そーっと話せと……」
「なぁんだ、そんなものですか」
お凛はがっかりして眉を下げた。毎年二十枚買いつづけてもその程度か。格式がありかつ有名な、谷中感応寺、湯島天神、目黒不動で行われる富籤を「三富」と呼ぶが、これらの寺では一度に一万枚もの籤が発行されると聞く。大金の配当がある籤を引き当てるなど、砂の山から砂金の粒を拾うようなものだ。
「一攫千金なんて上手い話、そうそうありはしないんですよね。人間地道に生きにゃならんって、おとっつぁんとおっかさんがよく言ってますけれど、本当ですよ。……でも、それなら奉公人にもご祝儀をもう少し弾んで下さっても……」
ぷっと頬を膨らませてつい零すと、怪訝そうに主が言った。
「何でさ?お前たちを喜ばせて私に何の得があるんだい?ーーわぁ!なしなしなし、今のはなし!冗談だってば!」
今にも大声を出そうと思い切り息を吸い込んだお凛に、仙一郎が両手を振り回して絶叫する。
己の大声に悶絶している青年に胸の裡で舌を出していると、唐紙越しにお江津の声が聞こえてきた。
「あのう、旦那様、お客様がおいででございますが……お通ししても大丈夫でしょうか?上野妙円寺の泥徳様でございます」
頭痛と吐き気に脂汗を浮かべて粥を啜っていた主が、ぎょっとしたように顔を上げた。
「ええっ、和尚さんが?……私あの人苦手なんだよねぇ。徳の高い坊さんだっていうけどさ、がみがみくどくど口うるさいんだよ。うぷ」涙目になって慌てて深呼吸すると、匙と茶碗を膳に投げだしそそくさと逃げ出す体勢になった。「誰彼構わず徳を振りまくのは止めて欲しいもんだ。ましてや二日酔いの時になんて、勘弁してもらいたいよ」
しかし宿酔が足に来ているらしく、必死の形相のわりに蝸牛のごとくのろのろと畳を這うばかりである。
そうこうする内に、
「旦那、仙一郎の旦那!」
と茶の間の唐紙が勢いよく開いて、背中に何やら大きな風呂敷包を負い、ぼろぼろの法衣を纏った僧侶が踏み込んできた。
「……あ、どうも泥徳和尚。明けましておめ……」
「茶湯始に呼んでやったというのに、今年も来ないとはどういう了見じゃ!この儂の招きだぞ。それを、毎年毎年すっぽかしおって」
仕方なく四つ這いの格好で挨拶をする主を遮り、憤懣やるかたない様子で口を開く。やたらと額に汗を浮かせ、でんと立派な鼻で豪快に息をしている。なんとも暑苦しさを覚える外見をした僧侶だ。
「え、だって呼んでくれなんて頼んでないし……」闖入者を迷惑そうに見上げて主が弱々しく呟く。
「だからというて、毎年毎年茶湯始に呼ばれては断る奴があるか、ええ!? しかもこの儂の!茶事だぞ!」
お凛は茶を出すのも忘れ、廊下のお江津と顔を見合わせると地団太を踏む僧侶をぽかんと見上げた。
茶湯始というと、茶の湯の初会のことだろうか。このぼろきれのような法衣をまとった僧侶は茶人でもあるらしい。
新年を迎えたことを祝い、その年に初めて釜に火を入れる茶席を、茶道では「茶湯始」とか「初茶湯」と呼ぶと聞いている。お凛にはてんで縁のない世界であるが、無駄に器用で通人の仙一郎は茶の湯も嗜むようだ。
「そんなことをおっしゃられても、私にも都合ってもんがありまして……松の内は忙しいんですよね」
辰巳芸者と飲めや歌えやの日々ですからね、とお凛は冷やかな目を主に向ける。
「そんな言い訳はどうでもいいわい。茶湯始に来ないというのなら、こちらから来てやろうと出向いたんじゃ。ささ、早速点ててもらおうか!」
げっ、と仙一郎が目を剥いた。
「勘弁してくださいよ。こっちは二日酔いで‥…」
「お盆点でよろしい。正装しろともいわんから、とっとと始めろ」
どっかりと畳に腰を下ろした僧侶は、押し込み強盗か強請りか集りにきたえせ僧侶としか見えない。
その迫力に、すっかり気圧されているお凛らと主であった。
***
暖かな居間に、しゃしゃっ、とひそやかな音が耳に心地よく立っている。若葉のような清涼感のある香りが鼻腔をくすぐる。なるほど、上等の抹茶の香りとはこういうものか、とお凛は部屋の隅で感心していた。
と、そこに地鳴りのような和尚の声が響いた。
「まったくお前さんと来たら、この数年姿を見せんと思ったら、妙な趣味事に耽っているそうじゃないか。おまけに「あやかし屋敷のいわく付き旦那」だとか、「がらくた旦那」だとか呼ばれているだと?ふざけているにもほどがあるわい」
「ふざけているのはどちらなんですか……変な言葉の組み合わせを勝手に作らないで下さいよ。あやかし屋敷以外あっていないじゃありませんか。私はいわく付きでもがらくたでもありませんよ」どうにか正座して、青色吐息で茶を点てる仙一郎がぼやく。
「気を散らすな!手元が疎かになっておるぞ!」
くわっ、と僧侶が目を三角にした。
「じゃあ話しかけないで下さいよ……」そう嘆きながらも、仙一郎の手捌きは妙に様になっている。流れるような動きで茶筅が軽快に茶碗の中で踊る。だが、それを点てている当人は、鬢はほつれて寝間着の襟はだらしなく乱れ、二日酔いで今にも吐きそうと、鬱陶しいことこの上ない姿だ。しかし、この僧侶はその爽やかとは程遠い青年を食い入るように見つめていた。
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その泥徳が、どういうわけか仙一郎の茶に執心なのだそうだ。
「あ、まずい。茶筅を見てたら目が回ってきた」呻く主の顔が紫がかってきた。「もう無理、降参。こんなもんでいいでしょ。えーと、この茶碗、正面はどっちだったかな。こっちかな?ま、いいかどっちでも。盆点だし」
「よくない!ちっともよくないぞ!」
「ちょっと頭に響くんで、小声でお願いできますか……」
青筋を立てている老僧に、主が眉間に皺を寄せながらようよう茶碗を勧める。どういう茶席なのだ、とお凛は思わず天井を仰いだ。
僧侶はいかつい肩を上下させて仙一郎を睨んでいたが、やがて唇を引き結ぶと、両手に濃茶の茶碗を包んだ。椀を愛で、すっすと手のひらの上で回し、じっと椀の内側を覗き込む姿は堂に入っている。おもむろに、ずずっと啜った。
ぱぁっ、と僧侶の顔が黄金のごとく輝いたように、お凛には見えた。
頬は桃色の睡蓮の花びらのように染まり、険しかった瞳は極楽浄土を垣間見たかのような歓喜の涙を浮かべている。
「……南無……」
思わず天を仰いで両手を合わせてから、泥徳ははっと我に返った様子で茶碗を凝視し、次いで、長火鉢にへばり付いて虫の息の青年を見詰めた。
「……うむ。見事な手前じゃ」
口惜しげに口元に皺を刻んで唸る。
「はぁ。そりゃどうも。うぷ。もういいですかね?お引き取りいただいても」
今にも倒れこみそうになりながら仙一郎がげっそりして言うが、僧侶は何やらぶつぶつと口の中で呟いている。
「この繊細さ、この深みと味わい。無我の境地のような平安と静穏、清らかな稚児の無邪気さを思わせる清涼感、それでいて、悟りを開いた者が知る人生の苦味が心に沁み入るかのようだ……ううむ……」
「あのう……泥徳さん、聞いてます?」
「ーー解せぬ!まったく解せぬ」突如泥徳がつるつるの頭を抱えた。「お前さんのような欲垢と煩悩の塊のような輩が、なぜ名のある茶人のような見事な茶を点てるのか……御仏のご采配は儂には到底計り知れぬ……」
「んーまぁ才能でしょうかね……ほら、私ってこの通り美男子の上に多芸多才でしょう?色男ってのは罪深いことです、いやまったく。おぇ」
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うへぇ、と仙一郎が童顔をしかめた。
「いえ、お誘いは有難いんですが、私そこまで茶の湯に情熱はないし。おとっつぁんに仕込まれただけで……」
「お前さんは茶の湯の奥深さをまったく理解しておらん。儂が師となれば必ず才を開花させてやるものを」
「うーん、でもねぇ。美女が同席するなら喜んで出席するけど、お坊さんたちや偉い茶人の人たちと回し飲みしてもつまらないしなぁ……」
茶の湯の理解に深刻な問題を抱えていそうな発言をすると、主は長火鉢で両手を炙りながら飴玉のような目をぱっと開いた。
「そうだ。美女の紅がほんのりついた茶碗なんて、風情があっていいじゃありませんか。うん、茶も美味くなりそうだ。それだったら喜んでお招きに与るなぁ。美女を三、四人招いてそういうのやってくださいよ、泥徳さん」
「ば……馬鹿者!おのれは茶の湯を冒涜する気か!松風塵外心を何と心得るのだ不埒者!天罰的中!」
僧侶が顔を真っ赤にして数珠を振り回す。一瞬妙な間があったのは、まさか想像したのではあるまいな、とお凛は疑った。
「ーーだが、しかし。どうしてもお前さんの助けが必要なのだ……」
不意に声を落とし、泥徳が額の汗を拭った。
はて、と目を瞬かせる仙一郎の顔を睨むように見ると、和尚はしばし黙考してから厳かに口を開いた。
「実は、困ったことになったのじゃ。お前さんのその……「いかさま旦那」だか「覗き見旦那」だかの、その破廉恥な力でどうにかしてくれ」
「……人を騙り者か変態みたいに呼ばないでくれます……?」
顔を引きつらせてふるえる主を無視して、泥徳は深々と嘆息した。あまりにも思いつめた様子に、仙一郎はしぶしぶのように尋ねた。
「……で、何なんです?その困り事というのは」
「それよ、それ」
僧侶はごくりと喉仏を動かすと、じりじり膝行って数拍の間沈黙した。
やがてからからに乾いた唇から囁かれた声に、お凛も仙一郎も仰天したのだった。
「ーー富籤。深川八幡の富籤、一番富一千両。あれを当てたのは、儂なんだ」
***
屋敷の内が上を下への大騒ぎになった。お江津と富蔵も駆けつけて、和尚の懐にあった当たり札を目の当たりにすると、「ちょっと……頭が割れる……」と息も絶え絶えで畳に伸びている仙一郎を他所に、歓声を上げて札を拝んだ。千両、千両だよ、やったよ、と自分が当てたわけでもないのにお祭り騒ぎである。
ようやく興奮の波が落ち着き、お江津と富蔵が雲を踏むような足取りで去ったところで、主が息を吹き返してよれよれと座り直した。
「それにしても……お坊さんが富突なんぞに手を出してもいいんですか?まぁ、お坊さんは買っちゃならんという法もなかったと思いますけど」
「外聞はまことに悪いのう」
しごく真面目に応じると、泥徳はほっと嘆息した。
「しかしな、儂は金が欲しかったわけではないぞ。そりゃあ寺のあちこちは傾いておるし、麦飯に漬物の素食であるが、禅僧たるもの無一物の清貧こそが修行の道。わび住まいに何の不満があろうか。……ただ、試してみようと思い立っただけなんじゃ。それがあろうことか千両を当ててしまうとは……」
「試す……?」
首を傾げた仙一郎に、和尚の顔が渋くなる。
「そうじゃ。真実願ったことが叶えられるのかと、つい誘惑に負けたのだ。実際に千両当ててみて目が覚めてのう。いや、儂も未熟であることよ」
顎に皺を刻みながらそう呟くと、背後に置いていた風呂敷包を膝の前に押し出した。
「……お前さんに、こいつを預かってもらいたい。気は進まんのだが、他に適当な者が思いつかんのだ」
「へぇ?何ですか。いわく因縁付きのものですか?」
僧侶は答えず、黙って風呂敷の結び目を解いていく。
やがて中から現れたのは、ひとつの葛籠であった。
「ーーこいつはな、願いを叶える葛籠だ。拝んで頼めば応えてくれる、摩訶不思議な葛籠なのじゃ」
恐れと畏怖が滲む声で、老僧はそう低く言ったのだった。
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弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
局中法度
夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。
士道に叛く行ないの者が負う責め。
鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。
新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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