深川あやかし屋敷奇譚

笹目いく子

文字の大きさ
上 下
21 / 55

化け猫こわい(六) 

しおりを挟む
 牡丹雪が庭と屋根に降り積もり、目に入るものすべてが白くまぁるく見えた。
 はぁ、と切なそうな溜め息を吐き、仙一郎が炬燵に丸まったまま、少し開いた障子の隙間からその景色を眺めて言った。

「あーあ。おみょう様がいなくなって、火が消えたようだよ。おみょう様の葱の入った味噌汁が恋しいなぁ……」
「何おっしゃってるんですか。染吉さんと梅奴さんに言いつけますよ?」

 足し炭をしながらお凛がしらっとした顔で言うと、青年は傷心の目を見開いた。

「おお、ひどいことを言うねぇ。叶わぬ恋と知りながら、尽くした男の純情ってもんがわからないかねぇ」
「殊勝なことを言いながら、羊羹なんぞ食べていないでくださいよ」

 佐賀町『船橋』の練り羊羹をもりもり口に運ぶ男を、お凛は冷やかに見下ろした。

「この胸の空虚なうろを、羊羹で満たしているのさ……お凛、お茶お替わり……」
「そんなことより、あの長岡ってお侍はどうなったんでしょうね」

 あの夕刻の出来事から、二日が経っていた。供侍の知らせを受けた殿様は、おみょうとお玉を即座にお屋敷へと呼び戻したのだった。お屋敷から差し向けられた立派な駕篭に乗り込むおみょうは、目に涙を浮かべながら幾度も仙一郎とお凛に礼を言った。

「おみょう様、行かないで……お殿様より私の方がいい男ですからぁ……」鼻水を垂らして泣きながら後を追おうとする主の袖をがっちり掴み、「どうぞお幸せに!」と満面の笑顔で手を振るお凛を見て、おみょうはあの、後光が差すような眩い笑顔を浮かべていた。
ーーしかし、あの男はどうなったのだろう。ご家中の方々も行方を追っているに違いないが、果たして捕まるものだろうか。去り際の異様な姿を思い出すと背筋にぶるっとふるえが走る。あれはまるで、化け猫そのものだった。いや、夕日のせいで目が眩んだのだ。そうに決まっている。けれど、とお凛は我知らず己の二の腕を両手でさすっていた。

 あの身ごなし、鳴き声、爛々と光る双眸、耳まで裂けたような口……人というものは、憎悪と執着と殺意とであれほどまでに変貌するものなのだろうか……。

 すると、ああ、と主が世間話のように言った。

「それがどうも、死んじゃったらしいよ」
「死んだ!?」

 裏返った声で叫ぶと、仙一郎はうんうんと頷いた。

「あの後の深夜に、両国広小路の辺りで猫と取っ組み合ってる男がいるっていうんで、町方が様子を見にいったんだと。そうしたら、侍らしき男が何匹かの猫を相手にものすごい格闘をしていてさ。町方が唖然としていると、月明かりの下に顔が浮かび上がって……」

 猫の頭をした男、に見えたという。

「男は逃げだし、行方が分からなくなった。けれど翌朝近くを探してみたら、薬研堀の側で息絶えているのが見つかったそうでね」

 猫と激しく争ったのか、体中を噛み跡と爪の跡だらけにしていた。
 着物は獣の爪に引き裂かれ、片方の耳と唇も千切れかかり、喉笛を執拗に噛まれて血まみれであったそうな。猫の牙は千枚通しのようなもので、噛み跡は小さくともずぶりと刺さり、傷は意外なほどに深くなる。それで喉を幾度も容赦なく噛まれたらたまらない。

「何でもちょっと前から、『化け猫がいやがる。化け猫がくる。やられてたまるか』って、ひどく憔悴してたって言ってたよ。……え?誰って、お屋敷の奉公人に聞いたんだよ。いやぁ、こんな話まで外に漏れるんだから世も末だぁね」

 どうせまた、中間ちゅうげんにえげつない額の金子を握らせて口を割らせたに違いないのに、いけしゃあしゃあと慨嘆して見せたものである。

「あれかねぇ。化け猫騒ぎを演じる内に、あのお侍自身が化け猫に取り憑かれちまったのかな。業ってのは恐ろしいもんだねぇ」

 つるんとした瞳に牡丹雪を映しながら仙一郎が無邪気な声で言うのを、お凛は絶句したまま聞いた。怨念の黒い手に捕まってしまったのは、それを利用しようとした長岡自身だったということだろうか……。お玉が化け猫であったのかどうかお凛には到底わからないし、そんなものの存在は今も信じてなどいない。いないけれど。
 お殿様とおみょう、長岡や奥女中たちの住まう屋敷には、化け猫は何匹もいたのではないかと、ふとそんなことが頭を過る。多くのきらびやかな人々の間に、化け猫の頭をした人間が何食わぬ顔をして紛れ込んでいる。隙あらば獲物を頭から噛み砕こうと、瞳を細くして狙いを定めている。そんな奇怪な想像が心を離れない。

「あ、そうそう」能天気な声に、お凛は物思いから引き戻された。「おみょう様はご息災にしていらっしゃるって話だよ。殿様の果報者め。涙を飲んで身を引いてあげたんだからさ、私に感謝して欲しいもんだ」

 鼻をすすりながら、お茶、と湯飲みを振って見せる。

「旦那様、おみょう様たちは一体どちらのご家中なんですか?旦那様はご存知なんでしょう。教えて下さいよ」
「駄目だよ。下手に話が広まって、ご家名に傷がついたら困る」

 にべもなく断られ、お凛はむっとした。

「私はそんなに口が軽い金棒引きじゃありません!ぺらぺら人に喋ったりしませんから」
「駄目だね。絶対駄目」
「けち!猫を集めるの大変だったんですよ?あちこち引っかかれそうになるし、逃げないようにご機嫌を取って餌もやって。ご褒美くらいくれたって罰は当たりませんよ!」
「それが褒美をもらおうって態度なのかい……」

 言いかけて、今にも化け猫の如く飛びかかろうかと目を光らせるお凛にぎょっとして、仙一郎が炬燵から飛び出した。盆を片手に追いすがろうとするお凛から逃げながら、「ほらほら」と青年が開いた障子から庭を指して言う。

「うまさうな 雪がふうはり ふわりかな」

 見れば、こんもりと積もった雪が、白い菓子のようにきらきらと薄い冬の日差しに輝いている。
 ほう、とお凛は思わず納得し、しばしその景色に見惚れた。なるほどねぇ、美味しそうでほのぼのと和む景色だわ。おみょう様も、お玉とお殿様と一緒に、この雪景色を眺めているんだろうか……

「ん?」

 そこまで考えてからふっと我に返った。あっ、と思って見回せば、茶の間はすでにもぬけの殻で、主の姿は猫よろしく、音もなく掻き消えているのであった。
 どこかで、にゃあ、と鳴く猫の声が、幻のように聞こえた気がした。
                 
                               おしまい
しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

夜珠あやかし手帖 ろくろくび

井田いづ
歴史・時代
あなたのことを、首を長くしてお待ちしておりましたのに──。 +++ 今も昔も世間には妖怪譚がありふれているように、この辻にもまた不思議な噂が立っていた。曰く、そこには辻斬りの妖がいるのだと──。 団子屋の娘たまはうっかり辻斬り現場を見てしまった晩から、おかしな事件に巻き込まれていく。 町娘たまと妖斬り夜四郎の妖退治譚、ここに開幕! (二作目→ https://www.alphapolis.co.jp/novel/284186508/398634218)

命の番人

小夜時雨
歴史・時代
時は春秋戦国時代。かつて名を馳せた刀工のもとを一人の怪しい男が訪ねてくる。男は刀工に刀を作るよう依頼するが、彼は首を縦には振らない。男は意地になり、刀を作ると言わぬなら、ここを動かぬといい、腰を下ろして--。 二人の男の奇妙な物語が始まる。

抜け忍料理屋ねこまんま

JUN
歴史・時代
 里を抜けた忍者は、抜け忍として追われる事になる。久磨川衆から逃げ出した忍者、疾風、八雲、狭霧。彼らは遠く離れた地で新しい生活を始めるが、周囲では色々と問題が持ち上がる。目立ってはいけないと、影から解決を図って平穏な毎日を送る兄弟だが、このまま無事に暮らしていけるのだろうか……?

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...