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1巻
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「竜人は寿命が人族の三倍以上あるそうですね。それだと番の方が先に死んでしまうのでは……」
そうなのです。竜人はこの世界の種族の中では一番長命です。しかし、番至上主義の竜人は、番が亡くなると生きる気力をなくしてしまい、後を追って自死したり衰弱死したりすると聞きます。でも人族は、どう頑張っても七十年くらいしか生きられませんよね……
「そこは大丈夫です。番に選ばれた女性は、竜人と同じ寿命を授けられるのです」
「同じ寿命を? どうやって……」
「どうするかはお教え出来ませんが、ちゃんと方法があるのですよ」
「……何だかもう、おとぎ話のようで現実味がないわ……」
「そうでしょうね。でも、他の獣人にも似た部分はあるのですよ。まぁ、竜人ほど顕著ではありませんが」
なるほど、獣人が種族以外から番を迎えるための方法がちゃんとあるのね。まぁ、私には関係ないでしょうけれど……
「ちなみに陛下は今、おいくつなのですか?」
「陛下ですか? 確か、八十歳くらいだったかと……」
「はっ、八十歳!?」
「人族に換算すると、二十代半ばというところですか」
「二十代半ば……」
これはどう受け止めればいいのでしょう……数字だけ聞くとお爺ちゃんですが、寿命が人族の三、四倍というのなら三か四で割った年数が実年齢だと思えばいいのでしょうか。いえ、それにしても生きている長さが違うのですから、陛下からすれば、十七歳になったばかりの私なんぞ、ひよっこでしかないのでしょう……
何というか、私には理解しがたい世界でしたが、もしかしたら私を番と認識してしまう獣人もいるのでしょうか……それでは、同盟の障害になりそうです。
「エリサ姫には特別な香料を使っていただきます。これで他の獣人から番と認識されることはないのでご安心ください」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
とりあえず同盟にひびが入る事態は避けられそうです。獣人との婚姻は思わぬ問題が起きるみたいですわね……これは慎重に行動する必要がありそうです。
◆ ◆ ◆
二週間の旅程を終えて王城に到着した翌日、私は白翠宮と呼ばれる王城の謁見の間に呼ばれました。この王城はマルダーンと違い、白と翠で統一されたとても美しい物です。獣人は野蛮だ、芸術など解さないと聞かされてきましたが、この建物からは高い建築技術とセンスのよさがうかがえます。むしろゴテゴテと飾り立てたマルダーンの方が残念に感じられるほどです。
初めてお会いした竜人の国王陛下は、名をジークヴァルド様と仰いました。青みを帯びて煌めく銀色の髪は一つに結ばれ、涼やかな目元と鋭く金色に光る瞳、彫刻のように整った秀麗なお顔、鍛えられてしなやかそうな体躯……どれも一級品の要素をお持ちです。さらに気品と威厳まで持ち合わせているのですから、これはもう王の中の王と言えましょう。
年齢は八十歳くらいとお聞きしていましたが、どう見ても二十代前半か半ばにしか見えません。人族の三、四倍長生きするという話は間違いではないようです。年々横に成長し続け、脂ぎって加齢臭もしそうな私の父とは大違い。いえ、比べる方が失礼ですわね、これは。
しかし、よかったのは見た目だけでした。
「私があなたを愛することはない。私が欲するのは、番だけだ」
素晴らしいお姿の陛下からの宣言は、酷く残念なものでした。ええ、私もかっこいいと思ったのは否めません。ただ、最初の台詞で全て台無しです……
(やっぱりそうなるわよね……)
言われた内容は予測していたものだったので、それほど落胆はなかったのですが……私としては一縷の望みと言いますか、少しはいい関係が築けないかと期待していただけに、ここまで拒絶されるとは予想外でした。それにこれは国の同盟のための結婚なのです。私たちの仲が悪いとなれば国際問題にもなるので、番でなくてもお互いに歩み寄り、家族のような関係になれたら、と思っていましたが……
……番の概念を持つ獣人である陛下には、そんな私の期待は届かなかった様子です。
政略結婚なのは、こちらも承知の上です。勿論、番のこともお聞きしていますし、ここに来るまでに獣人についてもケヴィン様から色々教えてもらいました。そして出た結果が……『形だけの結婚をして三年後に離婚』です。私だって馬鹿ではありません。愛してくれない相手に愛を乞うつもりはありませんし、番しか愛せないという獣人相手にちゃんと夫婦をしよう! なんて言うつもりは微塵もありませんでした。
しかし……
こちらが歩み寄る気でいたのに、全く歩み寄る気がない陛下。
王のくせに、両国間の関係よりも番を優先する陛下。
私よりも年上のくせに、大人げなく私情に走る陛下。
はっきり言いましょう。
あなたの愛なんか、こっちから願い下げです! と。
でももちろん、そんなことを口に出す気はありません。私は仮にも王女なのです。国と国民のためにも、ここで事を荒立てる気はありません。それではただの馬鹿になってしまうでしょう。
「エリサ姫を王妃として遇し、御身の安全は保障しよう。ある程度の散財も容認する。だが……妻として愛することは出来ない。妻は我が番ただ一人だ」
「それはわかっておりますわ。竜人であらせられる陛下にとっての番の重要性は理解しているつもりです。決して陛下や番となった方を煩わせることはいたしませんわ」
ふぅ、獣人って脳筋なのでしょうか? 国同士の結婚なのだから、もう少し体裁だけでも整えてくれたらいいのに……
「申し訳ございません、エリサ姫。陛下も、他国の姫君への態度ではございませんぞ。遠路はるばる来てくださったというのに、もう少し労わりの言葉をかけられないのですか?」
声を上げたのは、この国の宰相と紹介されたトールヴァルト様でした。トールヴァルト様も竜人で、陛下によく似た容姿でいらっしゃいますが、こちらは輝くような白金の髪に金色の瞳で、陛下よりもずっと柔和で温厚そうな顔立ちをされていますわね。実際、声も言葉も穏やかで、冷たそうで大人気ない陛下とは対照的です。どうやら見かねて声を上げてくれたみたいですわ。
「別にこちらが望んだことではない」
「それでも、その条件を受け入れたのは陛下ですよ」
「仕方なかろう。同盟を結べばマルダーンにいる獣人たちへの差別をやめ、今後五年は戦争を仕掛けてこないと約束する。番が見つかった場合は即離婚、三年経って子が出来なかった際も離婚でいいと言うのだ。獣人たちの安全を考えれば、呑まざるを得ん」
(ええっ!?)
番が見つかったら即離婚? それ、今初めて聞きましたが……なるほど、ラルセンがこの条件を呑んだのは、そんな約束があったからなのですね。
そして陛下、本人を前にそこまではっきり仰らなくてもいいのでは……どうも陛下は随分と正直な方のようです。いや、それは個人としては美点かもしれませんが、国王としてはいかがなものかと思います。でもまぁ、本心がはっきりわかったのは、ある意味では好都合というものです。それに王妃として遇してくれるというのなら、国にいた時よりはマシな生活が出来そうです。これはもしかしてチャンスではないでしょうか。しかも番が見つかれば離婚となれば……
「早速ですが、陛下にお願いがございます」
そう、私はこれを好機として自分の望みを叶えることにしました。それは陛下の邪魔をする気は微塵もない、という私の考えをはっきり表明する行為でもあります。
「……何だ? 内容による。申してみろ」
会ってすぐにお願い事を口にしようとする私に、陛下は怪訝な表情を浮かべました。それもそうでしょうね、初対面なのに頼み事をするなんてマナー違反かもしれません。でも、先に向こうがマナー違反をしたのですし、私のお願い事は陛下にとっても悪くないはずです。いえ、むしろ陛下のお望みに適うのではないでしょうか。
私のお願いを聞くため、国賓を持てなす時に使う応接室に移動となりました。ここで私は、これまでラウラと相談して決めたことを陛下に申し上げました。
「……姫は……本当にこんな条件でよろしいのか?」
私の出した提案に、陛下だけでなく宰相様やケヴィン様も困惑の表情を浮かべていました。まぁ、確かに一国の王女が求める内容ではないかもしれませんわね。私の提案というものは……
・白い結婚とする
・結婚後は体調不良を理由に別居婚希望
・三年経ったら子どもが出来ないことを理由に離婚
・離婚後は病気療養と発表し、一年後に死亡を発表
・離婚後は平民として暮らせるように手配
・小さな離れで静かに暮らしたい
・家庭教師を付けてほしい
簡単に言えばこんな感じです。要は最初から白い別居婚で、関わりを最低限にするというものです。番至上主義は獣人の本能ですから、その本能に逆らうなんて無茶な真似をする気はありません。それで下手に恨みや妬みを買うのも勘弁してほしいのです。味方が少ない以上、敵を作らず目立たず静かに三年間を過ごし、その後は放逐してもらうのが一番でしょう。
それに、番が見つかったら即離婚なのです。これなら三年待たずに済むので、早く見つかってほしいですわね。
「全く問題ありませんわ。だって陛下にとっては番が最優先でいらっしゃるのでしょう?」
「あ、ああ……そう、だが……」
「もし番が見つかった時、私が近くにいれば、その方は気を悪くされるでしょう?」
「確かに……」
「でしたら、最初から形だけの夫婦ということをはっきりさせておけば、余計なトラブルは避けられますわ」
「それはそうだが……」
「勿論、国同士の同盟のため表立っては無理でしょう。でも、体調不良からの別居婚なんて、政略結婚ではよくある話です。私は人族で、獣人の皆様より身体が小さくて体力もありません。こちらの習慣や気候に馴染めなかった、ということにすればマルダーンは何も言わないでしょう」
まぁ、あの人たちは私が不幸になるのが嬉しくて仕方ないのだから、むしろ喜ぶでしょうが。それに、同盟だって維持する気があるのかどうか疑問です。もし本気で同盟を守りたいなら、国としての体裁を整えたはず。だとすれば……あまり母国を気にする必要はないように思います。
「しかし……」
陛下はまだ疑っておられるのか、渋い表情で私を見ていますが、そんな私に声をかけたのは宰相様でした。
「エリサ姫の名誉はどうなります? あなたは王女でいらっしゃるのですぞ。そんな不名誉な噂が広がっては……」
「私は別に構いませんわ。いえ、むしろその方が好都合ですし」
「好都合?」
「ええ。私、母が亡くなってからは王宮の外で寂しく暮らしておりましたの。まぁ、後ろ盾のない王女なんてそんなものですが……ですから私、王女として生きるよりも、平民として市井で暮らしたいとずっと願っておりましたの」
「ですが……」
「王宮で寂しく暮らしている間、平民だったらよかったのに、と思っていましたわ。そりゃあ、大変なこともあるでしょう。でも友達も出来ず、外に出ることも許されず、ただ生かされているだけの生活なんてまっぴらです。むしろこれは、私にとって希望なのです」
そこでにっこりと笑みを浮かべると、その場にいた皆様は一層困惑してしまいました。
「何と言いますか、エリサ姫は王宮でお会いした時とは別人のようですな……」
戸惑いを微塵も感じさせない表情でそう言ったのはケヴィン様でした。彼はこの中では私のことを一番理解しているでしょう。
「あそこでは、意見を口にすることも許されていませんでしたから……」
「それは……まぁ、王族とはそういうものではありますが……」
「母が言っておりましたわ。その地の習慣に逆らうな、と。その土地にはその土地のルールがあるのだから、逆らっても痛い目を見るだけだと。だから私、この国の習慣に逆らう気はありませんの」
「……賢明なお母上だったのですね」
「そう言っていただけると嬉しいですわ」
そう、私は決めたのです。これからは王女や王妃としてではなく、私として生きていくと。図らずもそうさせてくれたのは目の前に佇む竜王陛下ですわ。もしかしたら私が番かも? なんて希望がなかったわけじゃないけれど、彼の態度からその可能性は皆無だと悟りました。となれば、計画を実行するだけ。少なくとも国に返されることだけは絶対に阻止したいのです。
「……さすがに、すぐには返事は出来ない。我々はあなたがスパイだとの疑いも捨てきれていないのだから」
「陛下!」
あっさりと私をスパイだと言ってしまった陛下に、宰相様が声を上げて立ち上がりましたわ。スパイと疑われている可能性はなきにしも非ずでしたが……もしかして、今の提案でそう思われたのだとしたら残念です。でも、先日までは敵国として小競り合いが続いていたのですから、それも仕方ありませんわね。
「返事は急ぎませんわ。私としては、同行したラウラと安全で穏やかに暮らせることを一番に望みます。それさえ守っていただけるのでしたら陛下の御意思に従います。どうかよろしいようにお取り計らいくださいませ」
こうして、私たちの初対面は終わりました。さぁ、これからは自由を手に入れるために、明るい未来に向かって突き進むだけです。
「エリサ様、お話合いはいかがでしたの?」
陛下たちとの面会が終わった私は、王城にある客間の一室に案内されました。王妃として嫁ぐ私ですので、本来なら陛下の私室の隣にある正妃の部屋に入るのが筋ですが、それは番至上主義のこの国では当てはまりません。正妃の部屋は番の部屋と決まっているからです。まぁ、私としても陛下と友好関係を築くのは諦めたので、こっちの方が気楽ですわね。
「ええ、こちらの条件をお話したわ。でも……すぐに返事は出来ないようだから、どうなるかはまだわからないの。それに、番が見つかったら即離婚だそうよ」
「ええっ?」
「マルダーンとはそういう約束なのですって。でも、それなら三年待たずに済むから好都合よね」
「それはそうですが……」
「スパイと疑われているみたいだし、しばらくはここで大人しくしていましょう。少なくとも国にいる時よりはマシだと思うから」
そう言って私は部屋の中を見回しました。国賓を迎えるための客間だと先ほど説明されましたが、確かに納得です。落ち着きのあるモスグリーンの壁紙を基調とした上品な内装に調度品、明るく日当たりのいい部屋は、あの粗末な小屋と比べるのも申し訳ないレベルです。しかも嬉しいことに、続き間にある侍女用の部屋もとってもいい造りです。私はともかく、ラウラに快適な部屋があって安堵しました。国から連れてきたのは彼女一人ですが、どんな扱いを受けるかとても心配だったのです。
「今日のご予定は……特にないようですわね」
「ええ。長旅で疲れただろうから、ゆっくりするようにと仰っていたわ」
「そうですわね。二週間も馬車に揺られっ放しで、お尻が痛くなっちゃいましたわ」
「でも、色々と物珍しくて楽しかったわ。外に出たのは初めてですもの」
「そうですわね。エリサ様はずっと王宮から出られませんでしたから……」
「外は珍しいものでいっぱいなのね。本当に素敵だわ。ケヴィン様の話も面白かったし、ここに来てよかったわ」
「でも……まだ安心は出来ませんわ」
「ええ、わかっているわ」
そう、あの国から出られたのは嬉しいけれど、この先も安泰だとはまだ決まっていません。私のお願いが聞き入れられるかもわからないのです。今だって私の味方はラウラだけで、それは何も変わっていません。しかも……ここではラウラにも知り合いが一人もいないので、もしかすると母国より条件が悪いかもしれません。ラウラには私と一緒のせいで苦労ばかりかけて申し訳ないです。でも……彼女がいなくなったら私は一人ぼっちになってしまうのですよね。甘えてはいけないと思うのですが、まだ一人になるのが怖くて自由にしてあげられないのが心苦しくもあります。
「そういえばエリサ様、国から持ってきたドレスなのですが……」
「ああ、陛下が持たせてくれたものね」
「あれ、どう見てもエリサ様にはサイズが合いませんわ」
「えっ?」
「あのドレスたちは姉君のものではありませんか? エリサ様には大きすぎてぶかぶかですもの」
「そう……もしかしたら、あの人たちのお古かしらね」
「可能性はありますわ。デザインもあまりセンスがよくありませんもの。エリサ様がお召しになるには派手ですし、品もありませんわ」
「そう……困ったわね。近々お披露目のパーティーくらいはするでしょうから……」
「一着だけでも、何とかリメイクして見られるようにしますわ」
「ありがとう。お願いね」
「あと、宝飾品も本物かどうか怪しいですわね」
「そう……」
「全く、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのか……あんなのが母国だと思うと情けない限りですわ」
ラウラはぷりぷり怒っていますが、それに関しては同感です。この婚姻は同盟を結んだ証なので、それなりの格式などが必要なはず。なのに、国は、国王陛下は何を考えているのでしょう。
それとも、本当は戦争を起こしたいのでしょうか。国のやり方を見ていると、そんな風にしか思えません。もしかするとラルセンを怒らせて私を害させ、それを口実に戦争を起こすつもりでしょうか。でも、最近の我が国は負けっ放しで、とても太刀打ち出来るとは思えないのですが……
コンコン……
私たちが母国の仕打ちに眉をひそめていると、ドアをノックする音が聞こえました。今の恥ずかしい会話を聞かれなかったでしょうか。とはいえ、今更取り繕うのも難しいし、すぐにわかってしまうでしょうが……
「失礼します、エリサ王女殿下。トールヴァルトです」
訪ねてきたのは宰相様でした。これまでにお会いした中ではケヴィン様に続いて好印象の方です。もっとも、表面上はにこやかでも中は真っ黒、という方も政治家には多いので、一概にいい人とは言えないのでしょうが……
僅かに警戒しながらも出迎えると、トールヴァルト様は二人の女性を連れていました。
「エリサ王女殿下。殿下にお付きする侍女を連れて参りました」
そう言って紹介されたのは、ダニエラとシーラという名の二人の女性でした。ダニエラは金髪と赤紫の瞳が印象的で、私よりも年上に見えます。一方のシーラは茶色の髪と薄緑色の瞳で、こちらは同じ年くらいでしょうか。二人とも獣人のようですが、獣人とほとんど接したことがない私には、すぐには何の獣人かはわかりません。
「ダニエラです。どうぞよろしくお願いいたします」
「シーラと申します。何なりとお申し付けください」
「エリサです、どうぞよろしくね」
一応挨拶はしましたが……二人とも私付きになるのを喜んでいるようには見えませんね。挨拶をしてもにこりともしないところを見ると、番でもないのに妃になった私をよく思っていないのでしょう。こちらはそんなつもりはないのですが、やはり端から見るとそんな風に見えてしまうのはどうしようもないようです。これは、早く別居婚にした方がよさそうですわね。
◆ ◆ ◆
竜王陛下に謁見してからの私は、客間から一歩も外に出ない生活を送ることになりました。勿論、食事は三食しっかり出るし、更に日に二回のお茶の時間には美味しいお菓子も出してもらえます。お風呂もたっぷりお湯が出るし、ベッドはふかふかでシーツもパリッと洗い立てです。今までを思えば夢のような生活なのだけれど……
部屋から出ることは禁止されていたため、こんな生活が五日も続くと、さすがに外に出たくなるのが人情というものでしょう。
「ねぇ、ダニエラ。外に出たいのだけれど」
我慢出来なくなった私は、思い切って宰相様が付けてくれた侍女にそう尋ねてみました。相変わらず彼女たちはにこりともしないので、かえって息が詰まってしまいそうです。傅かれる生活に慣れていない私としては、監視されているようにしか感じられません。
「申し訳ございませんが、許可が出ておりません。宰相様からの許可が出るまではこちらでお過ごしください」
「でも……もう五日も経っているのに、ずっと閉じこもりっぱなしで気が滅入って病気になりそうだわ。せめて庭の散歩くらいは許していただけないかしら?」
「……」
私のお願いは、ダニエラの苛立ちで返されました。私のことが気に入らないというのは、この五日間でよくわかりました。侍女二人を何度かお茶や会話に誘ったけれど、何を言っても常に無表情でそっけない返事をするばかりです。これで嫌われていないと思えるほど、私の神経は太くはありません。
ふぅ……とため息をついた私は、ダニエラとシーラを下がらせました。あの二人のせいで部屋の空気が悪くなるのは言わずもがなです。これならラウラと二人きりの方がずっと気楽というものです。
「国を出られてよかったと思ったけれど……ここもあまり変わりないわね……」
「そうですわね」
あちらでの生活は貧しく惨めなものではありましたが、王城の中の森を散策するくらいの自由はありました。何もすることがなかった私たちは、森の中で長い時間、木の実を採ったり、花を眺めたり、小川で足を濡らして涼を取ったり、仲良くなった動物たちと遊んだりと、人目を気にせずに過ごしていました。
でも、ここでは何もかもが贅沢ではありますが、庭に出ることすら出来ません。部屋にはバルコニーもなく、窓から外を眺めるだけ。いくら立派な部屋でもこう無為に過ごすのは、思った以上に苦痛です。
「はぁ……どうせ番しか愛せない陛下ですもの。さっさと別居させてくれないかしら……」
そうはいっても、表立ってそのようなことは言えません。声を大にして、私は陛下とは白い結婚で三年後には離婚するつもりなの! と叫びたいくらいなのですが……それが周りに知れたら国際問題になりかねません。
母国など、私の扱いが不当だとして攻め込んでくる可能性もあります。そうなったら私の身が危険にさらされるとわかっていても、です。むしろあの王妃たちは、私を苦しめられるならと嬉々として攻め込んできそうな気がするので、それだけは絶対に避けたいのです。
けれど、そんな裏事情を侍女たちが知る由もなく。その後も私は地味な嫌がらせを受ける日々を送ることになりました。食事に虫が入っている、冷めて固くなってから持ってくるなどは、大したダメージにはなりませんでした。勿論食べはせず、しっかり皿に残しておきました。そのうち今度はお菓子に辛みのある調味料が入っていたり、湯浴みのお湯がすっかり冷めていたり……なんてことが始まりましたが、これも想定内です。
おかしな味の料理が運ばれてくるようになったので、侍女たちだけの仕業ではないことは明らかでした。どうやらこの国にも私の居場所はないようです。問題はこれに陛下たちも関わっているか、ですわね。もし陛下たちの意を汲んでのことなら、最悪命の危険もあり得ます。食事に少しずつ毒を盛っておいて、こちらの食事が合わずに体調不良となり、その結果病死……なんてシナリオが描かれている可能性がないとは言えないのです。
特に獣人は番のこととなると理性の箍が外れるそうです。これは逃げる準備をしておいた方がいいのでしょうか。
それからの私とラウラは、変な味がする料理は食べずに残すことにしました。さすがに食べるのには躊躇しましたし、かといって食べるふりをして気がついていないと思われると一層エスカレートしそうだからです。まぁ、残したら残したでエスカレートする恐れもあるのですが……ラウラと相談した結果、食べないことで食事に不満があるとの意思表示をして、それが上に伝われば何らかのアクションがあるだろうから、その時に直談判した方がいいのでは……との結論になりました。ケヴィン様の様子からして、卑怯な真似をする可能性は低いと考えたからです。
そうなのです。竜人はこの世界の種族の中では一番長命です。しかし、番至上主義の竜人は、番が亡くなると生きる気力をなくしてしまい、後を追って自死したり衰弱死したりすると聞きます。でも人族は、どう頑張っても七十年くらいしか生きられませんよね……
「そこは大丈夫です。番に選ばれた女性は、竜人と同じ寿命を授けられるのです」
「同じ寿命を? どうやって……」
「どうするかはお教え出来ませんが、ちゃんと方法があるのですよ」
「……何だかもう、おとぎ話のようで現実味がないわ……」
「そうでしょうね。でも、他の獣人にも似た部分はあるのですよ。まぁ、竜人ほど顕著ではありませんが」
なるほど、獣人が種族以外から番を迎えるための方法がちゃんとあるのね。まぁ、私には関係ないでしょうけれど……
「ちなみに陛下は今、おいくつなのですか?」
「陛下ですか? 確か、八十歳くらいだったかと……」
「はっ、八十歳!?」
「人族に換算すると、二十代半ばというところですか」
「二十代半ば……」
これはどう受け止めればいいのでしょう……数字だけ聞くとお爺ちゃんですが、寿命が人族の三、四倍というのなら三か四で割った年数が実年齢だと思えばいいのでしょうか。いえ、それにしても生きている長さが違うのですから、陛下からすれば、十七歳になったばかりの私なんぞ、ひよっこでしかないのでしょう……
何というか、私には理解しがたい世界でしたが、もしかしたら私を番と認識してしまう獣人もいるのでしょうか……それでは、同盟の障害になりそうです。
「エリサ姫には特別な香料を使っていただきます。これで他の獣人から番と認識されることはないのでご安心ください」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
とりあえず同盟にひびが入る事態は避けられそうです。獣人との婚姻は思わぬ問題が起きるみたいですわね……これは慎重に行動する必要がありそうです。
◆ ◆ ◆
二週間の旅程を終えて王城に到着した翌日、私は白翠宮と呼ばれる王城の謁見の間に呼ばれました。この王城はマルダーンと違い、白と翠で統一されたとても美しい物です。獣人は野蛮だ、芸術など解さないと聞かされてきましたが、この建物からは高い建築技術とセンスのよさがうかがえます。むしろゴテゴテと飾り立てたマルダーンの方が残念に感じられるほどです。
初めてお会いした竜人の国王陛下は、名をジークヴァルド様と仰いました。青みを帯びて煌めく銀色の髪は一つに結ばれ、涼やかな目元と鋭く金色に光る瞳、彫刻のように整った秀麗なお顔、鍛えられてしなやかそうな体躯……どれも一級品の要素をお持ちです。さらに気品と威厳まで持ち合わせているのですから、これはもう王の中の王と言えましょう。
年齢は八十歳くらいとお聞きしていましたが、どう見ても二十代前半か半ばにしか見えません。人族の三、四倍長生きするという話は間違いではないようです。年々横に成長し続け、脂ぎって加齢臭もしそうな私の父とは大違い。いえ、比べる方が失礼ですわね、これは。
しかし、よかったのは見た目だけでした。
「私があなたを愛することはない。私が欲するのは、番だけだ」
素晴らしいお姿の陛下からの宣言は、酷く残念なものでした。ええ、私もかっこいいと思ったのは否めません。ただ、最初の台詞で全て台無しです……
(やっぱりそうなるわよね……)
言われた内容は予測していたものだったので、それほど落胆はなかったのですが……私としては一縷の望みと言いますか、少しはいい関係が築けないかと期待していただけに、ここまで拒絶されるとは予想外でした。それにこれは国の同盟のための結婚なのです。私たちの仲が悪いとなれば国際問題にもなるので、番でなくてもお互いに歩み寄り、家族のような関係になれたら、と思っていましたが……
……番の概念を持つ獣人である陛下には、そんな私の期待は届かなかった様子です。
政略結婚なのは、こちらも承知の上です。勿論、番のこともお聞きしていますし、ここに来るまでに獣人についてもケヴィン様から色々教えてもらいました。そして出た結果が……『形だけの結婚をして三年後に離婚』です。私だって馬鹿ではありません。愛してくれない相手に愛を乞うつもりはありませんし、番しか愛せないという獣人相手にちゃんと夫婦をしよう! なんて言うつもりは微塵もありませんでした。
しかし……
こちらが歩み寄る気でいたのに、全く歩み寄る気がない陛下。
王のくせに、両国間の関係よりも番を優先する陛下。
私よりも年上のくせに、大人げなく私情に走る陛下。
はっきり言いましょう。
あなたの愛なんか、こっちから願い下げです! と。
でももちろん、そんなことを口に出す気はありません。私は仮にも王女なのです。国と国民のためにも、ここで事を荒立てる気はありません。それではただの馬鹿になってしまうでしょう。
「エリサ姫を王妃として遇し、御身の安全は保障しよう。ある程度の散財も容認する。だが……妻として愛することは出来ない。妻は我が番ただ一人だ」
「それはわかっておりますわ。竜人であらせられる陛下にとっての番の重要性は理解しているつもりです。決して陛下や番となった方を煩わせることはいたしませんわ」
ふぅ、獣人って脳筋なのでしょうか? 国同士の結婚なのだから、もう少し体裁だけでも整えてくれたらいいのに……
「申し訳ございません、エリサ姫。陛下も、他国の姫君への態度ではございませんぞ。遠路はるばる来てくださったというのに、もう少し労わりの言葉をかけられないのですか?」
声を上げたのは、この国の宰相と紹介されたトールヴァルト様でした。トールヴァルト様も竜人で、陛下によく似た容姿でいらっしゃいますが、こちらは輝くような白金の髪に金色の瞳で、陛下よりもずっと柔和で温厚そうな顔立ちをされていますわね。実際、声も言葉も穏やかで、冷たそうで大人気ない陛下とは対照的です。どうやら見かねて声を上げてくれたみたいですわ。
「別にこちらが望んだことではない」
「それでも、その条件を受け入れたのは陛下ですよ」
「仕方なかろう。同盟を結べばマルダーンにいる獣人たちへの差別をやめ、今後五年は戦争を仕掛けてこないと約束する。番が見つかった場合は即離婚、三年経って子が出来なかった際も離婚でいいと言うのだ。獣人たちの安全を考えれば、呑まざるを得ん」
(ええっ!?)
番が見つかったら即離婚? それ、今初めて聞きましたが……なるほど、ラルセンがこの条件を呑んだのは、そんな約束があったからなのですね。
そして陛下、本人を前にそこまではっきり仰らなくてもいいのでは……どうも陛下は随分と正直な方のようです。いや、それは個人としては美点かもしれませんが、国王としてはいかがなものかと思います。でもまぁ、本心がはっきりわかったのは、ある意味では好都合というものです。それに王妃として遇してくれるというのなら、国にいた時よりはマシな生活が出来そうです。これはもしかしてチャンスではないでしょうか。しかも番が見つかれば離婚となれば……
「早速ですが、陛下にお願いがございます」
そう、私はこれを好機として自分の望みを叶えることにしました。それは陛下の邪魔をする気は微塵もない、という私の考えをはっきり表明する行為でもあります。
「……何だ? 内容による。申してみろ」
会ってすぐにお願い事を口にしようとする私に、陛下は怪訝な表情を浮かべました。それもそうでしょうね、初対面なのに頼み事をするなんてマナー違反かもしれません。でも、先に向こうがマナー違反をしたのですし、私のお願い事は陛下にとっても悪くないはずです。いえ、むしろ陛下のお望みに適うのではないでしょうか。
私のお願いを聞くため、国賓を持てなす時に使う応接室に移動となりました。ここで私は、これまでラウラと相談して決めたことを陛下に申し上げました。
「……姫は……本当にこんな条件でよろしいのか?」
私の出した提案に、陛下だけでなく宰相様やケヴィン様も困惑の表情を浮かべていました。まぁ、確かに一国の王女が求める内容ではないかもしれませんわね。私の提案というものは……
・白い結婚とする
・結婚後は体調不良を理由に別居婚希望
・三年経ったら子どもが出来ないことを理由に離婚
・離婚後は病気療養と発表し、一年後に死亡を発表
・離婚後は平民として暮らせるように手配
・小さな離れで静かに暮らしたい
・家庭教師を付けてほしい
簡単に言えばこんな感じです。要は最初から白い別居婚で、関わりを最低限にするというものです。番至上主義は獣人の本能ですから、その本能に逆らうなんて無茶な真似をする気はありません。それで下手に恨みや妬みを買うのも勘弁してほしいのです。味方が少ない以上、敵を作らず目立たず静かに三年間を過ごし、その後は放逐してもらうのが一番でしょう。
それに、番が見つかったら即離婚なのです。これなら三年待たずに済むので、早く見つかってほしいですわね。
「全く問題ありませんわ。だって陛下にとっては番が最優先でいらっしゃるのでしょう?」
「あ、ああ……そう、だが……」
「もし番が見つかった時、私が近くにいれば、その方は気を悪くされるでしょう?」
「確かに……」
「でしたら、最初から形だけの夫婦ということをはっきりさせておけば、余計なトラブルは避けられますわ」
「それはそうだが……」
「勿論、国同士の同盟のため表立っては無理でしょう。でも、体調不良からの別居婚なんて、政略結婚ではよくある話です。私は人族で、獣人の皆様より身体が小さくて体力もありません。こちらの習慣や気候に馴染めなかった、ということにすればマルダーンは何も言わないでしょう」
まぁ、あの人たちは私が不幸になるのが嬉しくて仕方ないのだから、むしろ喜ぶでしょうが。それに、同盟だって維持する気があるのかどうか疑問です。もし本気で同盟を守りたいなら、国としての体裁を整えたはず。だとすれば……あまり母国を気にする必要はないように思います。
「しかし……」
陛下はまだ疑っておられるのか、渋い表情で私を見ていますが、そんな私に声をかけたのは宰相様でした。
「エリサ姫の名誉はどうなります? あなたは王女でいらっしゃるのですぞ。そんな不名誉な噂が広がっては……」
「私は別に構いませんわ。いえ、むしろその方が好都合ですし」
「好都合?」
「ええ。私、母が亡くなってからは王宮の外で寂しく暮らしておりましたの。まぁ、後ろ盾のない王女なんてそんなものですが……ですから私、王女として生きるよりも、平民として市井で暮らしたいとずっと願っておりましたの」
「ですが……」
「王宮で寂しく暮らしている間、平民だったらよかったのに、と思っていましたわ。そりゃあ、大変なこともあるでしょう。でも友達も出来ず、外に出ることも許されず、ただ生かされているだけの生活なんてまっぴらです。むしろこれは、私にとって希望なのです」
そこでにっこりと笑みを浮かべると、その場にいた皆様は一層困惑してしまいました。
「何と言いますか、エリサ姫は王宮でお会いした時とは別人のようですな……」
戸惑いを微塵も感じさせない表情でそう言ったのはケヴィン様でした。彼はこの中では私のことを一番理解しているでしょう。
「あそこでは、意見を口にすることも許されていませんでしたから……」
「それは……まぁ、王族とはそういうものではありますが……」
「母が言っておりましたわ。その地の習慣に逆らうな、と。その土地にはその土地のルールがあるのだから、逆らっても痛い目を見るだけだと。だから私、この国の習慣に逆らう気はありませんの」
「……賢明なお母上だったのですね」
「そう言っていただけると嬉しいですわ」
そう、私は決めたのです。これからは王女や王妃としてではなく、私として生きていくと。図らずもそうさせてくれたのは目の前に佇む竜王陛下ですわ。もしかしたら私が番かも? なんて希望がなかったわけじゃないけれど、彼の態度からその可能性は皆無だと悟りました。となれば、計画を実行するだけ。少なくとも国に返されることだけは絶対に阻止したいのです。
「……さすがに、すぐには返事は出来ない。我々はあなたがスパイだとの疑いも捨てきれていないのだから」
「陛下!」
あっさりと私をスパイだと言ってしまった陛下に、宰相様が声を上げて立ち上がりましたわ。スパイと疑われている可能性はなきにしも非ずでしたが……もしかして、今の提案でそう思われたのだとしたら残念です。でも、先日までは敵国として小競り合いが続いていたのですから、それも仕方ありませんわね。
「返事は急ぎませんわ。私としては、同行したラウラと安全で穏やかに暮らせることを一番に望みます。それさえ守っていただけるのでしたら陛下の御意思に従います。どうかよろしいようにお取り計らいくださいませ」
こうして、私たちの初対面は終わりました。さぁ、これからは自由を手に入れるために、明るい未来に向かって突き進むだけです。
「エリサ様、お話合いはいかがでしたの?」
陛下たちとの面会が終わった私は、王城にある客間の一室に案内されました。王妃として嫁ぐ私ですので、本来なら陛下の私室の隣にある正妃の部屋に入るのが筋ですが、それは番至上主義のこの国では当てはまりません。正妃の部屋は番の部屋と決まっているからです。まぁ、私としても陛下と友好関係を築くのは諦めたので、こっちの方が気楽ですわね。
「ええ、こちらの条件をお話したわ。でも……すぐに返事は出来ないようだから、どうなるかはまだわからないの。それに、番が見つかったら即離婚だそうよ」
「ええっ?」
「マルダーンとはそういう約束なのですって。でも、それなら三年待たずに済むから好都合よね」
「それはそうですが……」
「スパイと疑われているみたいだし、しばらくはここで大人しくしていましょう。少なくとも国にいる時よりはマシだと思うから」
そう言って私は部屋の中を見回しました。国賓を迎えるための客間だと先ほど説明されましたが、確かに納得です。落ち着きのあるモスグリーンの壁紙を基調とした上品な内装に調度品、明るく日当たりのいい部屋は、あの粗末な小屋と比べるのも申し訳ないレベルです。しかも嬉しいことに、続き間にある侍女用の部屋もとってもいい造りです。私はともかく、ラウラに快適な部屋があって安堵しました。国から連れてきたのは彼女一人ですが、どんな扱いを受けるかとても心配だったのです。
「今日のご予定は……特にないようですわね」
「ええ。長旅で疲れただろうから、ゆっくりするようにと仰っていたわ」
「そうですわね。二週間も馬車に揺られっ放しで、お尻が痛くなっちゃいましたわ」
「でも、色々と物珍しくて楽しかったわ。外に出たのは初めてですもの」
「そうですわね。エリサ様はずっと王宮から出られませんでしたから……」
「外は珍しいものでいっぱいなのね。本当に素敵だわ。ケヴィン様の話も面白かったし、ここに来てよかったわ」
「でも……まだ安心は出来ませんわ」
「ええ、わかっているわ」
そう、あの国から出られたのは嬉しいけれど、この先も安泰だとはまだ決まっていません。私のお願いが聞き入れられるかもわからないのです。今だって私の味方はラウラだけで、それは何も変わっていません。しかも……ここではラウラにも知り合いが一人もいないので、もしかすると母国より条件が悪いかもしれません。ラウラには私と一緒のせいで苦労ばかりかけて申し訳ないです。でも……彼女がいなくなったら私は一人ぼっちになってしまうのですよね。甘えてはいけないと思うのですが、まだ一人になるのが怖くて自由にしてあげられないのが心苦しくもあります。
「そういえばエリサ様、国から持ってきたドレスなのですが……」
「ああ、陛下が持たせてくれたものね」
「あれ、どう見てもエリサ様にはサイズが合いませんわ」
「えっ?」
「あのドレスたちは姉君のものではありませんか? エリサ様には大きすぎてぶかぶかですもの」
「そう……もしかしたら、あの人たちのお古かしらね」
「可能性はありますわ。デザインもあまりセンスがよくありませんもの。エリサ様がお召しになるには派手ですし、品もありませんわ」
「そう……困ったわね。近々お披露目のパーティーくらいはするでしょうから……」
「一着だけでも、何とかリメイクして見られるようにしますわ」
「ありがとう。お願いね」
「あと、宝飾品も本物かどうか怪しいですわね」
「そう……」
「全く、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのか……あんなのが母国だと思うと情けない限りですわ」
ラウラはぷりぷり怒っていますが、それに関しては同感です。この婚姻は同盟を結んだ証なので、それなりの格式などが必要なはず。なのに、国は、国王陛下は何を考えているのでしょう。
それとも、本当は戦争を起こしたいのでしょうか。国のやり方を見ていると、そんな風にしか思えません。もしかするとラルセンを怒らせて私を害させ、それを口実に戦争を起こすつもりでしょうか。でも、最近の我が国は負けっ放しで、とても太刀打ち出来るとは思えないのですが……
コンコン……
私たちが母国の仕打ちに眉をひそめていると、ドアをノックする音が聞こえました。今の恥ずかしい会話を聞かれなかったでしょうか。とはいえ、今更取り繕うのも難しいし、すぐにわかってしまうでしょうが……
「失礼します、エリサ王女殿下。トールヴァルトです」
訪ねてきたのは宰相様でした。これまでにお会いした中ではケヴィン様に続いて好印象の方です。もっとも、表面上はにこやかでも中は真っ黒、という方も政治家には多いので、一概にいい人とは言えないのでしょうが……
僅かに警戒しながらも出迎えると、トールヴァルト様は二人の女性を連れていました。
「エリサ王女殿下。殿下にお付きする侍女を連れて参りました」
そう言って紹介されたのは、ダニエラとシーラという名の二人の女性でした。ダニエラは金髪と赤紫の瞳が印象的で、私よりも年上に見えます。一方のシーラは茶色の髪と薄緑色の瞳で、こちらは同じ年くらいでしょうか。二人とも獣人のようですが、獣人とほとんど接したことがない私には、すぐには何の獣人かはわかりません。
「ダニエラです。どうぞよろしくお願いいたします」
「シーラと申します。何なりとお申し付けください」
「エリサです、どうぞよろしくね」
一応挨拶はしましたが……二人とも私付きになるのを喜んでいるようには見えませんね。挨拶をしてもにこりともしないところを見ると、番でもないのに妃になった私をよく思っていないのでしょう。こちらはそんなつもりはないのですが、やはり端から見るとそんな風に見えてしまうのはどうしようもないようです。これは、早く別居婚にした方がよさそうですわね。
◆ ◆ ◆
竜王陛下に謁見してからの私は、客間から一歩も外に出ない生活を送ることになりました。勿論、食事は三食しっかり出るし、更に日に二回のお茶の時間には美味しいお菓子も出してもらえます。お風呂もたっぷりお湯が出るし、ベッドはふかふかでシーツもパリッと洗い立てです。今までを思えば夢のような生活なのだけれど……
部屋から出ることは禁止されていたため、こんな生活が五日も続くと、さすがに外に出たくなるのが人情というものでしょう。
「ねぇ、ダニエラ。外に出たいのだけれど」
我慢出来なくなった私は、思い切って宰相様が付けてくれた侍女にそう尋ねてみました。相変わらず彼女たちはにこりともしないので、かえって息が詰まってしまいそうです。傅かれる生活に慣れていない私としては、監視されているようにしか感じられません。
「申し訳ございませんが、許可が出ておりません。宰相様からの許可が出るまではこちらでお過ごしください」
「でも……もう五日も経っているのに、ずっと閉じこもりっぱなしで気が滅入って病気になりそうだわ。せめて庭の散歩くらいは許していただけないかしら?」
「……」
私のお願いは、ダニエラの苛立ちで返されました。私のことが気に入らないというのは、この五日間でよくわかりました。侍女二人を何度かお茶や会話に誘ったけれど、何を言っても常に無表情でそっけない返事をするばかりです。これで嫌われていないと思えるほど、私の神経は太くはありません。
ふぅ……とため息をついた私は、ダニエラとシーラを下がらせました。あの二人のせいで部屋の空気が悪くなるのは言わずもがなです。これならラウラと二人きりの方がずっと気楽というものです。
「国を出られてよかったと思ったけれど……ここもあまり変わりないわね……」
「そうですわね」
あちらでの生活は貧しく惨めなものではありましたが、王城の中の森を散策するくらいの自由はありました。何もすることがなかった私たちは、森の中で長い時間、木の実を採ったり、花を眺めたり、小川で足を濡らして涼を取ったり、仲良くなった動物たちと遊んだりと、人目を気にせずに過ごしていました。
でも、ここでは何もかもが贅沢ではありますが、庭に出ることすら出来ません。部屋にはバルコニーもなく、窓から外を眺めるだけ。いくら立派な部屋でもこう無為に過ごすのは、思った以上に苦痛です。
「はぁ……どうせ番しか愛せない陛下ですもの。さっさと別居させてくれないかしら……」
そうはいっても、表立ってそのようなことは言えません。声を大にして、私は陛下とは白い結婚で三年後には離婚するつもりなの! と叫びたいくらいなのですが……それが周りに知れたら国際問題になりかねません。
母国など、私の扱いが不当だとして攻め込んでくる可能性もあります。そうなったら私の身が危険にさらされるとわかっていても、です。むしろあの王妃たちは、私を苦しめられるならと嬉々として攻め込んできそうな気がするので、それだけは絶対に避けたいのです。
けれど、そんな裏事情を侍女たちが知る由もなく。その後も私は地味な嫌がらせを受ける日々を送ることになりました。食事に虫が入っている、冷めて固くなってから持ってくるなどは、大したダメージにはなりませんでした。勿論食べはせず、しっかり皿に残しておきました。そのうち今度はお菓子に辛みのある調味料が入っていたり、湯浴みのお湯がすっかり冷めていたり……なんてことが始まりましたが、これも想定内です。
おかしな味の料理が運ばれてくるようになったので、侍女たちだけの仕業ではないことは明らかでした。どうやらこの国にも私の居場所はないようです。問題はこれに陛下たちも関わっているか、ですわね。もし陛下たちの意を汲んでのことなら、最悪命の危険もあり得ます。食事に少しずつ毒を盛っておいて、こちらの食事が合わずに体調不良となり、その結果病死……なんてシナリオが描かれている可能性がないとは言えないのです。
特に獣人は番のこととなると理性の箍が外れるそうです。これは逃げる準備をしておいた方がいいのでしょうか。
それからの私とラウラは、変な味がする料理は食べずに残すことにしました。さすがに食べるのには躊躇しましたし、かといって食べるふりをして気がついていないと思われると一層エスカレートしそうだからです。まぁ、残したら残したでエスカレートする恐れもあるのですが……ラウラと相談した結果、食べないことで食事に不満があるとの意思表示をして、それが上に伝われば何らかのアクションがあるだろうから、その時に直談判した方がいいのでは……との結論になりました。ケヴィン様の様子からして、卑怯な真似をする可能性は低いと考えたからです。
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