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目覚めたら…

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「…ん…」

 浅い微睡の中を漂っていた私は、香りと肌に感じる温度に違和感を感じ、意識がはっきりしていくのを感じました。これまで過ごしていた部屋は優しい香りがして、シーツ一枚でも暖かかったのですが…今私が感じたのは、かび臭さとヒヤッとした冷たい空気でした。

「…え?…」

 いつもと違うと感じた私の前に広がる景色は、全く見慣れぬ部屋でした。薄暗くてひんやりとかび臭さの残る倉庫のような場所で、壁際には木箱なども積まれています。自身に視線を落とすと、私は小さなベッドの上でいつもの肌触りのいい夜着とシーツに包まれていました。初夜のような薄っぺらい夜着でないのは幸いだったといえましょうか…
 相変わらず重く感じる身体をのろのろと起こして周りを見渡しましたが、全く見覚えがありません。ここはどこなのでしょうか…部屋を移動した記憶もありません。最後の記憶はラウラに髪を乾かして貰って、その後ベッドにもぐりこんだところで途絶えています。という事は…眠っている間にここに連れてこられたのでしょうか…一体何故、誰が…

「目が覚めたか」

 不意に視界の外から声がかかり、私の心臓が飛び出しそうになりました。身体が思うように動かないため、身体が飛び上がる事はありませんでしたが…この状況がかなりマズい事は直ぐに察しました。声の主にも心当たりがなく、私は不安をこらえながらも声のした方に視線を向けました。

「…ブ、ロム…様…」

 声の主は、脱獄したと聞いていたブロム様でした。以前のような貴族然とした風貌はすっかり鳴りを潜め、身体は以前に比べて確かに細く、頬もこけて別人の様ですらあります。三か月近くの牢生活で、すっかり秀麗な容姿も変わってしまわれたようで、険しさが際立って本性がそのまま剥き出た様にも見えます。

「…二人で話すのは初めてだな、マルダーンの王女よ」

 静かにそう話しかけてきたブロム様は、ベッドから十歩も離れていないソファに足を組んで腰かけていました。手にしているグラスに入っているのはお酒、でしょうか…そうしているとやはり先王の息子と言うだけあって、所作の美しさは変わっていないようですが、お世辞にも友好的な態度ではありません。

「ここは…」
「ああ、ここは王宮の地下の隠し通路に繋がる部屋だ」
「隠し…通路?」
「そう。有事に備えて作られた秘密の通路だ。万が一の時に逃げられるように、王宮の中にはこんな隠し通路がいくつも存在している」
「そんなものが…」

 私がここにいるという事は、あの寝室には誰も知らなかった隠し扉があって、ブロム様はそこから私を連れ去った…という事でしょうか。私が眠っている時は必ず離れた場所に侍女さんが控えていますし、部屋の入り口の直ぐ向こう側には護衛がいます。
 ただ、ベッドの周りはカーテンが下りているため、私の姿ははっきり見えません。また、侍女さんも時々トイレなどで部屋を出る事もあります。その隙に私を運び出したのでしょうか…

「だがまぁ、この国の王は世襲ではないからな。引継ぎが不十分で既に忘れ去られ、王や王宮の管理者ですら知らない通路はいくらでも存在している」
「まさか…」

 それでは、ヴァルが私を見つける事は困難…という事ではないでしょうか…もし知っていたら、厳重に警備をしていた筈です。その事に思い至った私は、思わず自分自身を抱きしめました。冷たい空気に死の予感を感じたせいか、珍しく眠気が消えていました。

「一体、どうして…」

 そうです。私を誘拐して何をしようとお考えなのでしょうか…ヴァルへの復讐なら、私を殺せばそれですむ筈です。夜会でもそうしようとしましたし、ここへ私を運び込むリスクを思えば、さっさと殺して逃げた方がよかった筈です。ブロム様のこの先にあるのは、死罪です。私に構っている暇があるなら、一刻も早く遠くに逃げた方がずっとマシでしょう。
 いえ…脱獄してからもう一月も経っているのです。どうしてここに留まっていたのでしょうか…滞在するにしても、食事などの問題もあります。それに私を害するだけなら、もっと早くに出来た筈です。それこそ寝込んでいる間ならずっと容易かったでしょうに。

「…どうやらジークと番ったらしいな」
「な…」
「その様子では、まだ身体は出来上がっていないようだが…」
「…っ」

 その言葉に私は、ヴァルが言っていた言葉を思い出しました。今の私はまだ身体が変化しておらず、脆弱で復讐のターゲットとしては申し分ないのだと。番った事を知られる恥ずかしさよりも今は、自分がヴァルの弱点でしかない事が苦しいです。私に何かあったら…ヴァルも無事では済まないのですから…

「…どういうおつもりなのです?」

 ブロム様の真意がわからず、私は思わずそう尋ねました。今はこの状況を何とかしなければなりません。ヴァルの助けが来るかどうかもわかりませんが…私はここで死ぬわけにはいかないのですから。

「それをお前に正直に話すとでも?」
「……」
「まぁ、そうだな。あのまま部屋で殺してもつまらなかったからな。今頃はお前がいなくなって大騒ぎになっているだろう。既に一日経っているからな」
「一日?!」

 そんなに時間が経っていたとは思いませんでした。いくら寝てばかりの私でも最近は一日中眠りっぱなしなどという事はありません。しかも最後の記憶は日中なのです。となれば…何か薬などを使われたのでしょうか…

「ジークも今頃は血眼になって捜しているだろうな。やっと手に入れた番だ、失うなどと想像するだけでも死にたくなるほどの絶望だろう」
「何て、事を…」
「いっそこのまま連れ出してみるのもいいだろうな。見つからない絶望とはどんな味がするのだろうな。それとも…お前を俺のものにでもしてみるか」
「な…」
「番が他の男に奪われ目の前で蹂躙されたら…あのすました顔も崩れるかもしれないな」

 愉快そうにそう話すブロム様に、私は全身の鳥肌が立つのを感じました。ヴァル以外の人にだなんて…想像もしたくありません。それくらいなら…
「まぁ、どれも興味深いが焦る必要もない。今は番が見つからない苦しみを味わうといい」

 どうやらブロム様は相当ヴァルを恨んでいるのですね。幼馴染だと聞いていましたが…父親でもある先王様が臣下を皆殺しにしようとしたのを止めたのはヴァルだったと聞いています。その後先王様は幽閉されて亡くなったとか…そのきっかけになったのはヴァルですが…ヴァルのせいでもないでしょうに…

「…今直ぐお前をどうこうつもりはない。だが、聞きたい事があってな」
「聞きたい、事?」

 私を害するのが目的だと思っていましたが…どうやらそう言うわけではないように感じます。先ほどからブロム様はその場から動かず、こんな場面にも関わらず優雅にお酒を楽しんでいるようにも見えます。

「大した事ではない。ただお前が…ジークの番になった事をどう思っているのか、それが聞いてみたかっただけだ」
「番になった事を…」

 どうしてブロム様がそんな事を聞いてくるのでしょうか…
 でも、そう言えばブロム様のお母様は人族で、先王様に無理やり番にされたと伺っています。確か相思相愛の婚約者もいて、結婚直前だったとも。
 だとしたら、ご自身のお母様の事に関係しているのでしょうか…私もお母様と同じ人族ですし、同盟のためにと意に反して結婚させられた点では似ていない事もありません。番だと分かったとはいえ、それまでの関係性を思えば…私が進んで番になったようには見えないかもしれません。

「…何を考えているかは知らんが、お前の考えている事は多分、的外れだ。俺が知りたいのはお前の気持ちだからな」
「私の?」

 それこそ余計に訳が分かりません。私の気持ちを聞いてどうしようと言うのでしょうか…だってブロム様はヴァルを憎んでいて、その為に私を害したいはずなのです。復讐のためには私の気持ちなど関係ないでしょうに…

「訳が分からないと言った顔だな。まぁ、そうなるだろうが。竜人の呪いのような執着心を、お前はどれだけ理解している?」

 口の端をわずかに上げた笑みに、不安が一層募るのを感じましたが…その質問に私は直ぐには答えられませんでした。
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