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番に戸惑う心

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 結婚式とそれに続く披露パーティーを終えた私を訪れたのは、セーデン王国のマリーア様でした。今日もセーデン風の衣装を身に着けたマリーア様はとても麗しくてまさに美女と呼ぶに相応しいです。今日はセーデンの色でもあり、王族の証でもある赤い瞳と同じ色の衣装をまとっていらっしゃいますが、少し色のトーンを落としているせいか色の割に仰々しさはなく、茶色や黒の指し色もうまくマッチして、シックで気品すら感じられます。きっと私ではあんな風には着こなせないでしょうね。

「お疲れのところにお邪魔してごめんなさいね」
「いえ、もう終わりましたから、大丈夫です」

 マリーア様と向かい合って座った私は、ラウラにお茶の用意をお願いしました。マリーア様も披露パーティーに出ていらっしゃったのに、ここに来てよろしかったのでしょうか。今日は兄でもあるエーギル様のエスコートで出席していましたが、確か出席していたルーズベールのユリウス王子の婚約者でもあった筈です。だったらこんなところにいては皆さん探していらっしゃるのではないでしょうか…

「ああ、私の事はお気になさらず。兄もジーク様も、私がここにいる事を知っていますから」
「そうでしたか」

 ジーク様…と愛称で呼ばれるマリーア様に、私はまたモヤっとした気分を思い出しました。いえ、私なんかよりもずっとお付き合いが長いので仕方ないのですが…

「あ、ごめんなさい。ご結婚なさったのですし、もう愛称呼びは不適切でしたわね」
「いえ…ジーク様が何も仰らないのであれば、お気になさる必要は…」

 思っていた事を指摘されてしまった私は、どう答えるべきかわからず、咄嗟に否定してしまいました。もしかして…嫌な感情が顔に出てしまったでしょうか…だとしたら、それはそれで申し訳ないです。

「いいえ、こういう事はきちんとすべきでしたわ。私の配慮が足りず、申し訳ございませんでした」
「いえ、謝って頂くほどでは…」

 頭を下げてしまわれたマリーア様に、私の方が困惑してしまいました。

「あの、頭をあげて下さい。お付き合いも長くて昔からの習慣なのですもの、お気にされる事は…」
「それでも、結婚されたのですからけじめは大事ですわ。私ったら、いつまでも子供の頃の感覚で…お恥ずかしいわ」

 眉を下げて謝罪されるマリーア様に他意はなく、本当に気付いていなかっただけのようです。今度からは陛下とお呼びしますわと言われて、ホッとしている自分がいました。
 一方で、ジーク様の気持ちに応える覚悟がまだ持てないのに、嫉妬している自分に気が付いてしまい、そんな自分にも戸惑いました。嫉妬する資格なんて、今の私にはないのに……
 きっとマリーア様の方がずっと長く深くジーク様を想っていたのでしょうね。番だからとあっさりジーク様の感心を得た私ですが、本当に番とは何なのでしょうか…

「…エリサ様はもしかして…番と言われた事に戸惑っていらっしゃいますの?」

 私が自分の気持ちに気を取られていると、マリーア様がおずおずと問いかけてきました。その問いは私の今の状況をそのまま表していて、心の中を覗かれたような気がした私は思わずマリーア様を見上げてしまいました。

「…やっぱり、そうだったのですね」
「…ど、うして…」

 しまったと思った時には時すでに遅し、私の本音はすっかりマリーア様に伝わってしまったようです。マリーア様はジーク様にずっと片思いをしていたと聞きました。だとすれば迷っている私を、マリーア様は許しがたいと思われるでしょうか…

「…エリサ様の今のお気持ち、私も、わかりますわ」
「え?」

 ジーク様に片思いしていたマリーア様がそのような事を言うとは思わず、私は戸惑うしか出来ませんでした。という事は、マリーア様も誰かの番だと言われた事があった…という事でしょうか…

「昔話を、聞いて下さいます?」

 どこか寂し気な笑みを浮かべながらそう前置きして、マリーア様はかつて、とある獣人に番だと言われた時の事を話してくださいました。
マリーア様がまだ子どもの頃、人族でいえば十歳くらいの時、マリーア様は国内の虎人から番だと言われたそうです。相手は成人したばかりの伯爵家の次男で、その頃は騎士として王宮に勤めていたそうです。
 元より番の認識が薄く、まだ幼かったマリーア様に対して、相手は体格のいい虎人で、しかも体を鍛えている騎士でした。急に番だと言われて距離を詰めてきた相手に、恐怖しか感じなかったそうです。
 兎人で王位継承権もないマリーア様の処遇は、それほど重要視されていませんでした。番を重視する虎人の国ですから、貴族の子息の番が見つかったと周りは歓迎ムードでしたが、マリーア様は違いました。急に番だと言われても全く理解出来ず、当然のように決められていく未来に戸惑いしか感じられなかったそうです。

「その頃はぐいぐい来るその人の事が怖かったわ。番だって言われても私は何も感じないし、でも周りは番だから将来は結婚するのが当然って雰囲気で」

 その空気は、私もわかる気がします。私も…番だと分かってからは、周りの皆さんの態度が変わっていきましたから。誰も直接何かを言ってくる事はありませんでしたが、無言の圧力のようなものがあった、と思うのは気のせいではないと思います。

「好きな人がいるって言ったけど、それは一時的なものだと否定されて…番に大切にされたらそんな気持ちなど直ぐに忘れると言われて…凄く悲しかったわ」

 ティーカップのお茶に視線を落とすマリーア様は、ここではないどこかを見ているようにも見えました。マリーア様の言う好きな方は、きっとジーク様なのでしょうね…その事にざらつく感覚がしましたが、ジーク様の名を出さなかったのは、マリーア様の気遣いなのでしょう…

「番だって言うだけで好意を持たれるのは、凄く不思議だったわ。まだ本当に子供だったから余計に怖かったんですの」

 そう言ってマリーア様は眉を下げられましたが…確かに十歳くらいの女の子に大人が本気で求婚したら、そう感じてもおかしくないですわよね。そう言う意味では、私はこの年でよかったのかもしれません。

「でも…番を重視する獣人って、それが普通なの。あれから番になった方々を何人も見てきたけど…本当に色々だったわ」
「色々とは…」
「互いに番だとわかって少しも迷わない人達もいたし、私みたいに片方が受け入れられなくて揉めたり拗れたりした人達もいたわ。番と感じなくても上位種に選ばれたと喜ぶ人や、逆に上位種は地位や身分が上だからと、拒否出来なかった人もいましたわ」

 なるほど、人族しかいない母国ではあり得ないような事も、獣人の国ではよくある事だったのですね。でも…マリーア様の話を聞いて私は少しだけ、気が軽くなりました。この戸惑いが私だけではなかったのだと思うだけでも、空気が軽く感じられたのです。

「エリサ様が戸惑うのは、普通の事です。罪悪感を持つ必要もありませんし、好きにならなきゃと思い詰めなくてもいいと思いますわ」

 そう、なのでしょうか…いえ、確かに誰も悪くはない、のですよね。人を好きになるのは理屈じゃないと聞きますし。私だってジーク様が好きだと思う気持ちは確かにあるのです。

「私も時々、迷わない上位種の方が羨ましく思いますわ。あんな風に迷わないのは、楽なのでしょうね」
「でも…ジーク様は…」
「ジーク様も迷ってはいませんよ。真っすぐにエリサ様を思っていらっしゃいますもの」
「そう、でしょうか…」
「エリサ様がそう感じるのは、陛下がエリサ様を大切に思うが故に、自制していらっしゃるからですわ」
「じゃ、私、ジーク様に我慢を…」
「そうですわね、我慢していらっしゃると思います。でも、それっていけない事ですか?」
「え?」

 思いがけない言葉に、私はまたマリーア様を見上げてしまいました。

「人族や私達兎人も、殆どが番と無縁です。私たちは誰かを好きになったら相手に好きになって貰おうとするでしょう?相手に嫌われたくない、好きになって貰いたいからこそ我慢もするし待ちもします。それって普通の事だと思いませんか?」
「確かに…それは…」

 マリーア様の言葉は、確かに私の中にストンと落とし込まれました。私も好きな人が出来たら、きっと相手に好きになって貰おうと頑張るでしょう。
でも、ただ自分の気持ちを押し付けるだけではダメなことくらいはわかります。相手の立場や状況によっては、待ったり我慢したり…身を引く事もあるのでしょう。

「待たせるのは悪い事じゃありませんわ。そうしている時間も幸せだと言っていた友人もいましたわ。それが恋の醍醐味だとも」
「醍醐味…」
「ええ。陛下だって我慢だけしているわけではないと思いますわ。誰かを好きになれば、待つ時間だって愛おしく感じるものです。だからエリサ様も焦る必要はないと思いますよ」

 実感が込められたマリーア様の言葉は、私には思いがけないものでした。ずっと陛下を待たせている、我慢させている、早く自分の気持ちを合わせなければと焦りを感じていましたが…そんな時間も愛おしく感じるなんて、思いもしませんでした。

 と、その時です。俄かに部屋の外が騒がしくなりました。今はまだ清翠の間の近くの控室にいるので、酔った招待客が騒いでいるのでしょうか。マリーア様も眉間に皺を寄せて難しい表情をしていらっしゃいます。

「ここにいたのね!」

 ひときわ大きな音を立ててドアが開いたと思ったら、そこには凄い形相をしたカミラが仁王立ちしていました。

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