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番外編~レニエ⑧
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ジゼルとの婚約がようやく成った数日後、休暇が取れたので久しぶりに最初の妻の実家であるロルモー伯爵家を訪れた。彼女の命日が近づいていたのもある。以前は頻繁に訪れていたこの家も、最近足が遠のいていたが、この命日だけは欠かさず花を手に訪れていた。
クロエが亡くなってから十年の月日が流れ、ロルモー家の内情も随分と変わった。彼女の弟も今年三十を超えた。クロエのことがあったため彼の結婚も随分遅くなったが、五年前に妻を娶り今は三人の子の父親になっていた。それほどにロルモー家は長く悲しみに包まれていた。
「久しいな、レニエ君」
「義父上、ご無沙汰しておりました」
クロエが亡くなった直後は深い悲しみから老け込んで十は老いて見えた義父も、今は孫に癒されてか年相応に見えるようになられた。一番下の孫はまだ一つになったばかりで目にいれても痛くないほど可愛いと目を細める。クロエが生きていたら、何もなければ生まれたかもしれない我が子は幾つになっていただろうか。そんな想像をして眠れなかった日も随分遠くなったと思う。
いつもの応接室に案内され、義父自らグラスに酒を注いで手渡してくれた。側に控えていた侍女はぐずり始めた幼子をあやしている。彼が今最も大切に思っている存在は若くして亡くなった娘と同じ名で呼ばれていた。それは義母のたっての願いだった。長く患っていた義母は孫の誕生を見届けた後、娘のいる世界へと旅立っていた。
「悪いね、今年も」
「いえ、お気になさらないで下さい」
毎年同じやり取りをしているなと思い出し、それが可笑しくて口元が緩んだ。今年は昨年と心持が全く違うのを感じる。その理由を思い出して一層心が温かくなるのを感じた。
「今日は、報告があるんです」
幼子の声が落ち着き始めるのを待ってからそう告げると、義父が一瞬目を見開いた後、小さく笑みを浮かべた。
「……そうか。ようやくか……」
それだけで通じたのは幼い頃からの付き合い故だろう。両親の仲が良く生まれた時から知っている義父は、俺のもう一人の父親のような存在だ。俺を見た後でゆっくりと手にしていたグラスの琥珀色を見つめていた。
「そうか。よかったよ。あの子も、きっと喜んでいる」
ゆっくりと揺れるそれを見つめる義父が誰を想っているかは手に取るように分かった。そんな日は来ないと激しく拒んでいた俺に繰り返し義父が私に言い含めていたことを、十年を経てようやく迎える日が来た。目を細めてグラスを軽く掲げおめでとうと言われた。見慣れた笑みにいい報告が出来たことを嬉しく思った。
「長かったな。十年、いや十一年か……」
「はい」
まだ鮮明なままの記憶もあるが、薄れているものの方が多くなってしまった。時間は薬だというが全くその通りなのだろう。十年前の絶望や後悔、私憤が薄れることはないとずっと思っていたが、いつの間にか静かにあの頃を思い出せるようになっていた。そのことが彼女に対しての裏切りのように感じられて苦しんだ日々もあったが、それも随分遠くなったと思う。
「そうか……レニエ君も、これで幸せになれるな」
噛みしめるようにそう呟くと、義父はグラスの中身をゆっくりと喉に流し込んだ。グラスをテーブルに置くと、孫を抱いていた侍女に手を伸ばす。侍女は落ち着いた幼子を静かに義父に渡し、テーブルに置かれたグラスを下げた。
「今度こそ、幸せになるんだ」
「そのつもりです」
彼女の分もと言う必要はなかった。それはロルモー家の皆が繰り返し口にしていたことだし、俺にも繰り返された向けられた言葉だった。思えば随分とロルモー家に心配をかけていたと思う。でも、それももう終わる。終わらせる。
「あーあぁー」
「おやおや、どうしたクロエ?」
何かを訴えるかのように幼子が顔をぺちぺち叩くのを受け止めながら、義父が目元を細めて顔を崩した。笑いながら鼻を掴もうとする孫の手をやんわりと避けてその柔らかい頬に吸い付く。孫はくすぐったいのかきゃっきゃと声を上げた。
「君に……こんなにも愛おしい存在が来てくれる日が楽しみだよ」
孫を愛おしそうに見つめる目には慈愛と惜哀の念が深く刻まれていた。
「生まれたらあって下さると嬉しいです」
「もちろんだよ。レニエ君の子なら私には孫も同じだ」
嬉しそうに目元を下げる義父に心が温まる。正直で優しい義父は俺の復讐心を知らない。今も王太子夫妻を追い落とそうとしていることには気付いていないだろう。それをわざわざ知らせて余計な心配をかけるつもりはない。今は仲間が増えて政治的な意味合いが増しているし、守りたいもののための戦いでもある。
「いつか……領地も訪ねてもいいですか?」
「領地に?」
「はい。彼女を紹介しに……墓参りに行きたいと思いまして」
いつかクロエ以外の誰かと共に生きたいと思ったら、その時にはクロエに報告したいとずっと願っていた。きっと彼女は喜んでくれるだろう。彼女もまた義父と同じように善良で優しかったから。それはジゼルも同じだ。二人はあまり似ていないが根幹は近いような気がする。
「そうか。一緒に……来てくれるか……」
「はい。クロエの話をして、私の代わりに……泣いてくれましたから」
「そう、か。君の代わりに……」
グラスを両手で包みながらその表面を見つめる義父は、ここにはいない誰かの面影を追っているように見えた。よく笑いよく泣いた妻だったが、最近では笑っている顔ばかり思い出す。義父もそうならいいと思う。悲しみを抱え続けるのは苦しい。
「あーぅあー」
孫が窓の外を指さして何かを訴えた。鳥でも横切ったのだろうか。夕焼けが深まり温かい色が室内に広がっていた。
クロエが亡くなってから十年の月日が流れ、ロルモー家の内情も随分と変わった。彼女の弟も今年三十を超えた。クロエのことがあったため彼の結婚も随分遅くなったが、五年前に妻を娶り今は三人の子の父親になっていた。それほどにロルモー家は長く悲しみに包まれていた。
「久しいな、レニエ君」
「義父上、ご無沙汰しておりました」
クロエが亡くなった直後は深い悲しみから老け込んで十は老いて見えた義父も、今は孫に癒されてか年相応に見えるようになられた。一番下の孫はまだ一つになったばかりで目にいれても痛くないほど可愛いと目を細める。クロエが生きていたら、何もなければ生まれたかもしれない我が子は幾つになっていただろうか。そんな想像をして眠れなかった日も随分遠くなったと思う。
いつもの応接室に案内され、義父自らグラスに酒を注いで手渡してくれた。側に控えていた侍女はぐずり始めた幼子をあやしている。彼が今最も大切に思っている存在は若くして亡くなった娘と同じ名で呼ばれていた。それは義母のたっての願いだった。長く患っていた義母は孫の誕生を見届けた後、娘のいる世界へと旅立っていた。
「悪いね、今年も」
「いえ、お気になさらないで下さい」
毎年同じやり取りをしているなと思い出し、それが可笑しくて口元が緩んだ。今年は昨年と心持が全く違うのを感じる。その理由を思い出して一層心が温かくなるのを感じた。
「今日は、報告があるんです」
幼子の声が落ち着き始めるのを待ってからそう告げると、義父が一瞬目を見開いた後、小さく笑みを浮かべた。
「……そうか。ようやくか……」
それだけで通じたのは幼い頃からの付き合い故だろう。両親の仲が良く生まれた時から知っている義父は、俺のもう一人の父親のような存在だ。俺を見た後でゆっくりと手にしていたグラスの琥珀色を見つめていた。
「そうか。よかったよ。あの子も、きっと喜んでいる」
ゆっくりと揺れるそれを見つめる義父が誰を想っているかは手に取るように分かった。そんな日は来ないと激しく拒んでいた俺に繰り返し義父が私に言い含めていたことを、十年を経てようやく迎える日が来た。目を細めてグラスを軽く掲げおめでとうと言われた。見慣れた笑みにいい報告が出来たことを嬉しく思った。
「長かったな。十年、いや十一年か……」
「はい」
まだ鮮明なままの記憶もあるが、薄れているものの方が多くなってしまった。時間は薬だというが全くその通りなのだろう。十年前の絶望や後悔、私憤が薄れることはないとずっと思っていたが、いつの間にか静かにあの頃を思い出せるようになっていた。そのことが彼女に対しての裏切りのように感じられて苦しんだ日々もあったが、それも随分遠くなったと思う。
「そうか……レニエ君も、これで幸せになれるな」
噛みしめるようにそう呟くと、義父はグラスの中身をゆっくりと喉に流し込んだ。グラスをテーブルに置くと、孫を抱いていた侍女に手を伸ばす。侍女は落ち着いた幼子を静かに義父に渡し、テーブルに置かれたグラスを下げた。
「今度こそ、幸せになるんだ」
「そのつもりです」
彼女の分もと言う必要はなかった。それはロルモー家の皆が繰り返し口にしていたことだし、俺にも繰り返された向けられた言葉だった。思えば随分とロルモー家に心配をかけていたと思う。でも、それももう終わる。終わらせる。
「あーあぁー」
「おやおや、どうしたクロエ?」
何かを訴えるかのように幼子が顔をぺちぺち叩くのを受け止めながら、義父が目元を細めて顔を崩した。笑いながら鼻を掴もうとする孫の手をやんわりと避けてその柔らかい頬に吸い付く。孫はくすぐったいのかきゃっきゃと声を上げた。
「君に……こんなにも愛おしい存在が来てくれる日が楽しみだよ」
孫を愛おしそうに見つめる目には慈愛と惜哀の念が深く刻まれていた。
「生まれたらあって下さると嬉しいです」
「もちろんだよ。レニエ君の子なら私には孫も同じだ」
嬉しそうに目元を下げる義父に心が温まる。正直で優しい義父は俺の復讐心を知らない。今も王太子夫妻を追い落とそうとしていることには気付いていないだろう。それをわざわざ知らせて余計な心配をかけるつもりはない。今は仲間が増えて政治的な意味合いが増しているし、守りたいもののための戦いでもある。
「いつか……領地も訪ねてもいいですか?」
「領地に?」
「はい。彼女を紹介しに……墓参りに行きたいと思いまして」
いつかクロエ以外の誰かと共に生きたいと思ったら、その時にはクロエに報告したいとずっと願っていた。きっと彼女は喜んでくれるだろう。彼女もまた義父と同じように善良で優しかったから。それはジゼルも同じだ。二人はあまり似ていないが根幹は近いような気がする。
「そうか。一緒に……来てくれるか……」
「はい。クロエの話をして、私の代わりに……泣いてくれましたから」
「そう、か。君の代わりに……」
グラスを両手で包みながらその表面を見つめる義父は、ここにはいない誰かの面影を追っているように見えた。よく笑いよく泣いた妻だったが、最近では笑っている顔ばかり思い出す。義父もそうならいいと思う。悲しみを抱え続けるのは苦しい。
「あーぅあー」
孫が窓の外を指さして何かを訴えた。鳥でも横切ったのだろうか。夕焼けが深まり温かい色が室内に広がっていた。
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