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番外編~ジョセフ

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 絢爛豪華な王家主催の夜会。参加するのは何年ぶりだろうか。今日、俺は初めてシャリエ伯爵として出席したが、曰く付きの家の当主に収まった俺に声をかけてくる者はいない。
会場の中心では侯爵家以上の家格の方々がダンスに興じている。ワインのグラスを手に壁際で彼らが舞う様子を眺めた。俺にも妻はいるが形だけ、それも社交の場に出すことは決してない。まぁ、あんなのと一緒に参加などごめんだが。
 ダンスの輪の一角には、かつての上司と婚約者が揃いの衣装で踊っていた。互いに笑みを浮かべて寄り添う様は想い合う仲のいい一対。周囲の者も仲のいい様子の二人に目を奪われていた。

「熱心にどなたをご覧になっているのかしら?」

 聞き覚えのある声のする方に視線を向けると、懐かしい顔が俺を見ていた。記憶にある面影よりもずっと艶やかに美しくなっている。

「フルールか……」
「まぁ、何よ、その気のない返事は」
「別に取り繕うような仲でもないだろう」

 シャンデリアの光を受けてところどころに金を纏う黒髪と、鮮やかな緑の瞳の持ち主は学園に入る前からの付き合いだ。メルシェ伯爵家の令嬢で、数年前まではデュフール小伯爵夫人と呼ばれていた女。子が出来ずに離縁されて生家に戻ったと聞くが、結婚する少し前から連絡を取ることはなかった。十年、にはならないか……

「随分変わられましたのね」
「……どうだかな」

 彼女が示す人物は、俺か、それとも中央で踊るあの方か。答える必要性を感じないので適当に相槌を打つ。確かに変わられたと思う。この二年ほどは噂になるほどの変わりようだった。

「随分な言い様ですこと」

 だったら他所に行けばいい。俺に構う必要などないだろう。シャンパンを片手に隣に立ったフルールに周りの者たちが興味深げに視線を向ける。いい噂を聞かないシャリエ家の当主になった俺と十年ほど前に恋仲だと噂された女が一緒にいれば、同年代より上の者は好奇心をそそられるのだろう。没交渉でたった今までその存在すら忘れていたとしても。

「落ち着かれましたのね」
「そうだな」

 昔を知っている人はそう言うだろうな。今では仕事よりも家庭重視、愛妻家で有名になった。

「表情が軟らかくなりましたし」
「……ああ」

 どこか殺伐とした影を纏っていたのが嘘みたいだ。ああ、彼女にはあんな風に笑いかけるのか……

「でもまさか、シャリエ家に婿入りするとは思いませんでしたわ」

 そこまで言われてフルールを見た。今の話、俺のことだったのか……

「何ですの、その表情は」
「い、いや……」
「あなたのことですけど……相変わらず侯爵様にご執心なのですね」
「……何だよ、それ」

 思わず声が上ずってしまった。何を言い出すんだ、この女は……!

「あんなに熱心に見つめていたらそう思ってしまいますわよ」
「……俺はそっちの趣味はない」

 先輩は恩人だから気になるだけで、そういう感情は一切ない。そういう意味で言うなら気になるのは元婚約者の方だ。あんな笑顔をするなんて…知らなかった。

「ふふっ、わかっていますわよ。それでもあんなに女性関係が華やかだったあなたが今はそんな素振りも見せないとなれば、深読みする者もおりますのよ」

 揶揄うような笑みが腹立たしいが動揺すれば肯定するも同じだ。馬鹿馬鹿しい……

「……そう言えば、奥様がご懐妊だとか。おめでとうございます」
「ああ」

 ミレーヌが二人目を身籠った。あまり間が空かなかったが体調に問題はなく、経過は順調だという。生まれる子が男児なら、あの女との付き合いも終わりを告げるだろう。長男は問題なくすくすくと育ち、賢さを見せ始めている。あの女の性質を受け継がなければいいのだが……そうなった場合は廃嫡して養子をとると決まっているが、子は親を選べないし罪もない。どうか真っ当に育ってほしいと切に願う。

「……再婚しないのか?」

 何となく気になったので聞いてみた。離婚して数年経つ。そろそろ再婚してもいいだろうに。子が出来なくても後妻としてそれなりに需要はあるだろうに。

「まぁ、気にかけて頂けるなんて僥倖ね。でも残念ながら……」

 尋ねたはいいが何も言えなかった。言えるほど親しいわけでもない。

「姪と甥が可愛いんですの。弟夫妻もいてもいいと言ってくれます」
「そうか。確かに子は可愛いな」

 実家に帰っても肩身が狭くて苦労しているかと思ったが、そういう訳ではないらしい。子が持てなくても世話をすることで満たされることもある。返事がないし視線を感じるのでちらと見ると、目を大きく開いてこちらを見ていた。

「何だ?」
「意外、でしたわ。あなたが子を可愛がるなんて……」
「そうか? とーとーと言いながら追いかけてくるんだ。邪険に出来るかよ」

 レオンは可愛い。中々構ってやれないが、遊んでやると際限がなくて、疲れて寝落ちするまで放してくれない。だがそんなところも可愛い。自分の子だったらもっと可愛いのだろうかと思うこともあるが、あんな無垢な目を向けられたら血の繋がりなんて関係ないと思ってしまう。

「まぁ、随分な父親ぶりですわね。では、その子が大きくなったら是非家庭教師にして下さいませ。その頃には甥姪も手を離れているでしょうから」

 笑いながらそう言われて揶揄っているのかと思ったら、後半は営業だった。

「そうだな。だが厳しく出来るか? 俺は甘やかすが厳しくもするつもりだぞ」
「まぁ、私だって甘やかしてはおりませんわ」
「そうか?」
「当り前ですわ。甘やかしてもろくな人間になりませんから。あら、でもそうですわね。家庭教師になるのもいいかもしれませんわ。教えるのは好きですもの」

 学園でも成績はよかったなと思う。そう言えば文官になりたいと言っていたな。あの頃はまだ嫌がる親も多かったが。たった五、六年でそんな風潮も大きく変わって、次男三男や嫁ぎ先が決まらない令嬢が勤めに出ることも多くなった。彼女も文官になっていたら婚家で苦しむこともなかっただろうか。

 そんなことを考えながらダンスを踊る二人を眺めた。ちょうど音楽が終わったところだ。

「どうだ、たまには踊るか?」
「まぁ、私なんかでよろしいのかしら?」
「それを言うなら俺の方だろう。曰く付きのシャリエ家当主だからな」

 口の端を上げてそう言うと、一瞬だけきょとんとした顔をしてからふわりと笑みを浮かべた。幼く見えたその表情に、なんだ、変わっていないなと懐かしさが増した。

「ふふっ、では将来のために繋がりを修復いたしましょうか」

 おどけた様にそういう様は昔を想い出させた。彼女と恋仲になったことはない。互いに親や兄弟間の問題を抱えて苦しんでいたから同士的な感情を共有していた。恋情がないのは気が楽だ。時間は薬だというが、彼女がいればその効きが加速するような気がした。


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