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遠乗り

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 別荘での夜は木の葉が風に揺れる音だけで静かだった。王宮の寮は夜中でも人の気配がしたし、ミオット侯爵家は大通りに面しているので夜中でも馬車や馬が行き交う音が時々届いていた。それを思うとここは静か過ぎる。


(あ、あんなことを……)

 ベッドに入ってからも中々寝付けず、レニエ様とのふれあいを思い出していた。身体の奥に残る未知の熱に戸惑う。唇が触れるだけのキスしか知らなかった私には衝撃的な事件だった。その先も……さすがに純潔を失う訳にはいかないと最後までしなかったけれど……女性は皆、あんなことをしていたなんて……オリアーヌも? 外に出て結婚している人を見たら意識してしまいそう翻弄されるばかりだった自分が信じられなくて、でもレニエ様の熱を帯びた視線や声が思い出されて身体が落ち着かない。何度も寝返りを打ち、枕を抱きしめて一人悶えて……気が付けば外は白み始めていた。

「おはよう、ジゼル」
「おっ、おはようございましゅ!」

 天気がいいからテラスで朝食をと侍女に告げられた。窓から差し込む木洩れ日が眩しい。案内された先ではレニエ様が既に待っていた。昨夜のことを思い出して一気に頭に血が上って……噛んでしまった。幾重にも恥ずかしい……

「よく眠れたかな?」
「は、はい」

 殆ど眠れなかったけれど、眠れなかったと答えれば心配をかけてしまう。それに……意識し過ぎだと思われそうで恥ずかしい。昨夜の色気など微塵も感じさせない爽やかな笑顔が眩しくて、意識しているのが自分だけだと思うと益々気恥ずかしかった。

「さぁ、今日は何がしたい? 町へ出ようか? それともまた森を散策する?」
「町ですか?」
「ああ、この先に小さいが町があるよ。ただ、散策するには何もないところだけどね」
「そう、ですか……」

 どうしようかと考える。町も気になるけれど王都に比べれば何もないみたいだという。だったら森を散策しようか。森の中で過ごすなんて滅多にないから。

「森の散策がいいです」
「そうか。だったらまた馬に乗って出かけよう。そうだな、今日は丘に行ってみようか」
「丘に?」
「森を抜けた先に丘があってね。見晴らしがいいんだよ。そこから集落や畑が遠くまで見渡せるんだ」
「まぁ、素敵ですね」
「ああ。今日は天気もいいし、きっと遠くまで見通せるだろう」

 これで今日の予定は決まった。私たちは早速馬に乗って丘を目指した。だけど……

(い、意識するなって言う方が無理……)

 よくよく考えれば、馬に一人で乗れないのだからレニエ様と同乗するわけで、そうなれば後ろからしっかり抱きこまれてしまうのは昨日で経験済みだった。それに思い至らなかった自分が恨めしい……伝わる体温に昨夜の触れ合いが思い出されて、レニエ様に話しかけられてもろくに受け答えが出来なかった。



「さぁ、着いたよ」

 目の前に広がるのは、延々と続く畑と遠くに見える町、その間を蛇行しながら流れる川と、遠くに見える山々だった。左手には別荘がある森も見える。

「凄い……あんなに遠くまで……」

 ミオット領は肥沃な土地で農業が盛んだと聞いている。目の前に延々と続く緑の絨毯は日の光を浴びて一層鮮やかだった。

「豊かな土地ですね」
「ありがたいことにね。ミオット領は広いから、ここからでは端までは見通せないね」
「この土地を、レニエ様が治めているのですね」
「そうだね。彼らを守るのが私の務めだ。いや……守るなんて烏滸がましいな。彼らに私たちが守られているんだ。私はその一部を手伝っているに過ぎないよ」
「そう、ですね」

 レニエ様の言う通りだった。それでもそんな風にいう貴族は少ない。父のように領主のお陰で領民が生きていられると言い切る者の方が多いのが現実だ。領主がいなくても領民は各々の職を全うして生きていくだろう。一方で領民のいない領主などあり得ない。実際は逆なのだ。それを理解しているレニエ様を嬉しく思いながら見上げた。

(……っ!)

 目が合ってしまった。昨日のことが思い出されて一気に羞恥心が襲ってきた。目の前の景色にすっかり気を取られていたけれど、それまでは昨夜のことを思い出して落ち着かなかったのに……

「赤くなっているよ、ジゼル」

 そっと頬を撫でられて益々頬が熱を持った。

「レ、レニエしゃま!」
「ふふっ、可愛いな、ジゼルは。朝も噛んでいたね。私を意識してくれるようになって嬉しいよ」
「……!」

 侍女や護衛も側にいるのに、なんてことを仰るのですか……! そう思うけれど恥ずかしくて顔を上げられなかった。やっと意識しなくて済むようになったのに、これじゃ逆戻りどころか前以上だ。きっとレニエ様には魅了の魔法が使えるのかもしれない。この世界に魔法なんてないけれど。

「さぁ、少し離れた場所にいい木陰があるんだ。そこで休憩しよう」

 休憩よりも今は別荘に戻って一人になりたかった。せめて顔が赤いのが収まるまでは。そう思うのだけど、レニエ様は上機嫌で木陰に異動して、広げた敷物の上で私を膝の間に座らせて話してくれなかった。侍女が笑みを浮かべたまま世話を焼いてくれるのも一層恥ずかしい。

「使用人の目が気になる?」
「え、ええ。レニエ様は気になりませんの?」
「いるのが当然だから。あんまり気にならないねぇ」
「そうですか。我が家は使用人が少なかったので……」
「では、少し離れて貰おうか。君たち、少し離れて休んでくれ」
「かしこまりました」

 侍女が頭を下げると、護衛と共に少しだけ離れた場所に移動してくれた。そこに敷物を敷いて腰を下ろし、侍女がお茶を淹れ始めた。護衛が二人だけ間を開けて立っていたけれど、この距離なら会話は聞こえないだろう。少しだけホッとした。

「ああ、先日は悪かったね」
「何がですか?」
「到着した時に付けた侍女だよ」
「ああ、あの方ですか」

 案内だけして荷物の片づけをせずに下がった侍女のことを指しているらしい。

「よく仕えてくれると思っていたんだが……君に嫉妬したらしくてね」
「嫉妬、ですか」

 それはレニエ様をお慕いしていたということだろうか。

「ああ。慕われるのはありがたいが、恋情は困るのでね。今後ジゼルに関わることはないから」
「あ、ありがとうございます」

 何となくそんな感じはしていたけれど、それは仕方がないだろう。私だって彼女の立場ならきっとレニエ様に憧れたしお慕いする自信がある。ただ……主従の関係を超えて婚約者に嫌がらせをする気にはなれなかった。



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