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訪問の理由
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レニエ様に続いて応接室に入ると、男性が一人、背を向けて座っていた。私たちに気付くと慌てて立ち上がってこちらを向いた。
(お、お父様……?)
思わず声が出そうになった。あまりにも……あまりにも別人に見えたからだ。居丈高で気難しい印象しかなかった父。ミレーヌにだけは笑顔を見せていた父は、そこにはいなかった。目は虚ろでその下にはくっきりと隈が浮かび、気力なく萎れてすっかり老け込んだ姿は十年、いや二十年後の姿のように見えた。
「ジ、ジゼル……! 頼む、助けてくれ!」
縋り付くこの初老の男は誰なのだろう。そう思いたくなるほどに以前の父とはかけ離れていて、一瞬夢を見ているのではないかとすら思えた。
「お父……シャリエ伯爵、どうなさいましたか?」
冷たく突き放すような言い方になったけれど、そうしなければ動揺しているのがばれてしまっただろう。何を言おうとしているのかわからないだけに心配よりも警戒が勝った。
「ジ、ジゼル……す、すまなかった……すまない、私は……私はどうしたらいいのか……ジゼル……私は……」
父が……謝った? 初めて聞く謝罪の言葉に私の奥底で何かが激しくうごめくのを感じた。何を言っているのだろう、この人は……
「落ち着かれよ、シャリエ伯爵。まずは座って。話はそれからだ」
「は、はい……」
レニエ様にそう言われて、我に返った。父もレニエ様の存在を思い出したらしい。ふらふらしながらも大人しく腰を下ろした
「それで、どのような用件か」
レニエ様には珍しく物言いが冷たく威圧的だった。きっとお怒りなのだろう、せっかくいい雰囲気だったし、そもそも二度と関わるなと言ってあったのだ。それをあっさり反故にされたのだから。
「ミオット侯爵、申し訳ございません。私は……縁を切ると……申し訳な……」
「謝罪は不要だ。用件を話して貰いたい」
「は、はい……じ、実は……ミ、ミレーヌのことで……」
「ミレーヌが? あの子、また何かやらかしましたの?」
思わず声に出てしまった。もう関係がなくなったせいか、以前よりも驚いていない自分に驚く。
「ジゼル、どうしたらいいんだ。ミレーヌは……ミレーヌが……」
「シャリエ伯爵落ち着いて下さい。ミレーヌがどうしたんです?」
また興奮しそうになった父を宥めるように尋ねた。こんなに混乱している姿を見るのも初めてかもしれない。
「ミレーヌが……子を、子を身籠っているらしいんだ……」
「子を!?」
父が両手で顔を覆って俯いてしまった。いくら浅はかなあの子でも、婚姻前に純潔を散らすようなことはしないだろうに。その価値を十分理解して令息たちを翻弄していたのだから。しかもこれから婿を探さなければならないのだ。未亡人ならまだしも、未婚で子が出来きれば婿取りは絶望的だ。
「相手は……相手はどなたですの?」
父が頭を左右に振った。相手がわからない? そんな馬鹿な……
「相手はわかりませんの? まさか……不特定多数の令息とそういう関係だったのですか?」」
これにも頭を振った。確かに複数の令息と懇意にはしていたけれど、一線は守っていたはずだ。となれば、嫌な予感しかない。
「ミ、ミレーヌは何て言っているんです?」
「……わからない。そんなこと聞けるはずもないだろう? あの子がそんなふしだらなことをするわけがない」
本人に話を聞いていなかったのか。なのに一体どうして妊娠しているなどと言い出したのか。
「だったら気のせいではありませんか?」
「わしもそう思っている。だが、侍女たちが話していたんだ。どうやら月の物が遅れていると。そのせいでミレーヌの機嫌が悪くて大変だと……」
父の妄想ではなかったらしい。でも、侍女たちがそういうのなら聞き捨てるわけにもいかない。
「だったらなおのこと、直接問いただせばいいではありませんか」
「お、男親がそんなことを聞けるはずがないだろう? もしそうじゃなかったら……」
この期に及んでまだミレーヌに嫌われることを恐れているのだろうか。どうしてそこまでミレーヌに強く出られないのだろう。私たちには平気で怒鳴り散らすのに。
「……どうしてそうもミレーヌに気を使いますの? 私やエドモンには気遣う言葉一つくれなかったのに」
こうなると恨み言に聞こえるかもしれないけれど事実だから仕方がない。一体何がそこまでミレーヌ優先にさせているのだろう。
「そ、それは……」
「言いたくないなら構いませんわ。でしたらもうお話はありませんわね? お引き取り下さい」
こっちも暇ではないし、ここは実家ではなくレニエ様のお屋敷なのだ。建設的な話が出来ないなら帰ってほしい。
「ま、待ってくれ! 言う! 言うから!」
「……聞いたところで協力するかはわかりませんわ」
「わ、わかっている。わかっているが、頼む! 話を聞いてくれ!」
「そうは仰いましても、シャリエ伯爵は私やエドモンの話などろくに聞いて下さらなかったではありませんか。なのにご自分だけは話を聞けと仰る。どう考えても不公平ではありませんか?」
項垂れていた父が目を見開いてこちらに視線を向けた。かなり驚かせたようだけどこれくらい言っても罰は当たらないだろう。レニエ様に性格が悪いと思われただろうか。そっちの方が心配だ。
「……すまない、ジゼル。すまなかった……だが、ミレーヌを優先していたのは……妻の……エリゼの願いだったんだ……」
「お母様、の……」
(お、お父様……?)
思わず声が出そうになった。あまりにも……あまりにも別人に見えたからだ。居丈高で気難しい印象しかなかった父。ミレーヌにだけは笑顔を見せていた父は、そこにはいなかった。目は虚ろでその下にはくっきりと隈が浮かび、気力なく萎れてすっかり老け込んだ姿は十年、いや二十年後の姿のように見えた。
「ジ、ジゼル……! 頼む、助けてくれ!」
縋り付くこの初老の男は誰なのだろう。そう思いたくなるほどに以前の父とはかけ離れていて、一瞬夢を見ているのではないかとすら思えた。
「お父……シャリエ伯爵、どうなさいましたか?」
冷たく突き放すような言い方になったけれど、そうしなければ動揺しているのがばれてしまっただろう。何を言おうとしているのかわからないだけに心配よりも警戒が勝った。
「ジ、ジゼル……す、すまなかった……すまない、私は……私はどうしたらいいのか……ジゼル……私は……」
父が……謝った? 初めて聞く謝罪の言葉に私の奥底で何かが激しくうごめくのを感じた。何を言っているのだろう、この人は……
「落ち着かれよ、シャリエ伯爵。まずは座って。話はそれからだ」
「は、はい……」
レニエ様にそう言われて、我に返った。父もレニエ様の存在を思い出したらしい。ふらふらしながらも大人しく腰を下ろした
「それで、どのような用件か」
レニエ様には珍しく物言いが冷たく威圧的だった。きっとお怒りなのだろう、せっかくいい雰囲気だったし、そもそも二度と関わるなと言ってあったのだ。それをあっさり反故にされたのだから。
「ミオット侯爵、申し訳ございません。私は……縁を切ると……申し訳な……」
「謝罪は不要だ。用件を話して貰いたい」
「は、はい……じ、実は……ミ、ミレーヌのことで……」
「ミレーヌが? あの子、また何かやらかしましたの?」
思わず声に出てしまった。もう関係がなくなったせいか、以前よりも驚いていない自分に驚く。
「ジゼル、どうしたらいいんだ。ミレーヌは……ミレーヌが……」
「シャリエ伯爵落ち着いて下さい。ミレーヌがどうしたんです?」
また興奮しそうになった父を宥めるように尋ねた。こんなに混乱している姿を見るのも初めてかもしれない。
「ミレーヌが……子を、子を身籠っているらしいんだ……」
「子を!?」
父が両手で顔を覆って俯いてしまった。いくら浅はかなあの子でも、婚姻前に純潔を散らすようなことはしないだろうに。その価値を十分理解して令息たちを翻弄していたのだから。しかもこれから婿を探さなければならないのだ。未亡人ならまだしも、未婚で子が出来きれば婿取りは絶望的だ。
「相手は……相手はどなたですの?」
父が頭を左右に振った。相手がわからない? そんな馬鹿な……
「相手はわかりませんの? まさか……不特定多数の令息とそういう関係だったのですか?」」
これにも頭を振った。確かに複数の令息と懇意にはしていたけれど、一線は守っていたはずだ。となれば、嫌な予感しかない。
「ミ、ミレーヌは何て言っているんです?」
「……わからない。そんなこと聞けるはずもないだろう? あの子がそんなふしだらなことをするわけがない」
本人に話を聞いていなかったのか。なのに一体どうして妊娠しているなどと言い出したのか。
「だったら気のせいではありませんか?」
「わしもそう思っている。だが、侍女たちが話していたんだ。どうやら月の物が遅れていると。そのせいでミレーヌの機嫌が悪くて大変だと……」
父の妄想ではなかったらしい。でも、侍女たちがそういうのなら聞き捨てるわけにもいかない。
「だったらなおのこと、直接問いただせばいいではありませんか」
「お、男親がそんなことを聞けるはずがないだろう? もしそうじゃなかったら……」
この期に及んでまだミレーヌに嫌われることを恐れているのだろうか。どうしてそこまでミレーヌに強く出られないのだろう。私たちには平気で怒鳴り散らすのに。
「……どうしてそうもミレーヌに気を使いますの? 私やエドモンには気遣う言葉一つくれなかったのに」
こうなると恨み言に聞こえるかもしれないけれど事実だから仕方がない。一体何がそこまでミレーヌ優先にさせているのだろう。
「そ、それは……」
「言いたくないなら構いませんわ。でしたらもうお話はありませんわね? お引き取り下さい」
こっちも暇ではないし、ここは実家ではなくレニエ様のお屋敷なのだ。建設的な話が出来ないなら帰ってほしい。
「ま、待ってくれ! 言う! 言うから!」
「……聞いたところで協力するかはわかりませんわ」
「わ、わかっている。わかっているが、頼む! 話を聞いてくれ!」
「そうは仰いましても、シャリエ伯爵は私やエドモンの話などろくに聞いて下さらなかったではありませんか。なのにご自分だけは話を聞けと仰る。どう考えても不公平ではありませんか?」
項垂れていた父が目を見開いてこちらに視線を向けた。かなり驚かせたようだけどこれくらい言っても罰は当たらないだろう。レニエ様に性格が悪いと思われただろうか。そっちの方が心配だ。
「……すまない、ジゼル。すまなかった……だが、ミレーヌを優先していたのは……妻の……エリゼの願いだったんだ……」
「お母様、の……」
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