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婚約破棄?
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「不安にさせていたんだね。すまなかった」
気が付けば視界が歪んでいた。手が繋がったままレニエ様が隣の席に移った。急に距離が近づいて胸が一層跳ねた次の瞬間、影が差した。
「……っ!」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。レニエ様の顔が近付いて……
「可愛い」
レニエ様はそう言って笑うと、ハンカチを取り出してそっと私の頬に当てたけれど……い、今のって……涙を、なめられた? お陰で涙は止まったけれど。
「顔が真っ赤だよ」
「か、揶揄わないで下さい……」
「そんな顔も可愛い」
「かっ!」
可愛いなんて初めて言われた。恥ずかしくて顔を直視出来ない。恋人同士のような触れ合いに心臓がうるさいくらいに高鳴っている。絶対顔が赤くなっているだろう。
「ああ、ダメだな。浮かれてる」
「え?」
声が小さくてよく聞こえなかったけど、浮かれてる?
「カバネル先輩に何を言われるかわからないから、ここでやめておこう」
「そ、そうして下さい」
お昼休みが終わるまでに顔の赤みがひくだろうか。婚約も心配だけど今はそっちの方がずっと心配だった。知られてしまったとはいえ、二人きりで顔を赤くしていたら何と思われるか……
「話を戻すね。婚約だけど、実は想定外なことが起きてね。穏便に解消とはいかなくなってしまった」
「想定外? それはどういう……」
「その、妹君なんだが……」
「妹って、ミレーヌですか?」
言い難そうなレニエ様の様子に嫌な予感しかしない。
「そう。彼女、ジョセフ君の弟にもちょっかいを出してね」
「あ、あの子……!」
まさかそこまで節操無しだったとは。もしかしてデュノア伯爵家に押しかけたのだろうか。
「あ、あの子、まさかデュノア伯爵家に……」
「いや、弟君と接触したのは街なんだ」
「街で?」
「ああ。弟君が婚約者とデートしている時に話しかけてね。それも弟君にだけ挨拶して婚約者のことは完全無視」
その光景が手に取るようにわかった。ミレーヌならやり兼ねない。
「その後夜会でも同じことを繰り返したそうだ。諫めた伯爵夫人にも失礼なことを言って怒らせてしまってね」
「そういうことでしたか。確かに……それで穏便に解消は難しいですね」
元々デュノア伯爵夫妻はミレーヌに点が辛かった。姉の婚約者と噂になった上婚約者の弟にも絡んできたら、警戒するし縁を結ぼうとは思わないだろう。
「昨日、デュノア伯爵と御父君が話し合いをされたそうだ。近々君にも話が来るだろう」
もうそこまで話が進んでいたのか。婚約がなくなるのは嬉しいけれど、こんな形は望んでいなかった。
「すまない。醜聞にしないようにと慎重に進めたのが裏目に出てしまった」
「でも、それは妹のせいですから」
「それも織り込み済みで動いていたんだ。妹君には縁談も用意していた。悪くない話だったんだが……」
「そうでしたか。申し訳ございません。せっかくご助力頂いていましたのに……」
せっかくの縁談も流れては益々嫁ぎ先がなくなるだろうに。ミレーヌは何を考えているのか。
「ジョセフ君との婚約が無効になったら、直ぐに申し込みに行くよ」
握る手の力に力が込められ、もう放したくないと言われているようだった。でも……
「レニエ様は……よろしいのですか?」
「何がです?」
「私などでは、レニエ様とミオット侯爵家の名に傷が……」
私と婚姻したら醜聞続きのミレーヌと実家が付いてくる。私もエドモンも文官として評価して頂いてはいるけれど、実家の名は何だかんだ言ってずっと付いて回る。それでなくても我が家は伯爵家、レニエ様は侯爵家で現当主だ。元から家格だって釣り合わないのに……
「そんなことは気にしなくていいよ。私が当主だからね。私が望めば問題ない。それに煩く言ってくる親戚もいないから大丈夫だよ」
「ですが……」
「あなたはジゼルはルイーズ様やルイ様からの評判もいい。何かあればお二人にお力添えをお願いすることも出来るから」
力強くそう言われた。いつもの優しい顔立ちに強い意志が見えて、不安が薄れていく。
「出来ればシャリエ伯爵家の名前に傷を付けたくなかったけれど、妹君と父君の態度は目に余る。君や弟君への態度は許し難いと思っている。ただ……」
「ただ?」
「ジゼルはどう? やはり生家だから簡単には見捨てられないだろう? 弟君もいるし」
そう言われて戸惑うのはエドモンのことがあるからだ。あの子のためにも出来る限り綺麗なままであってほしかったと思う。
「弟のために醜聞は避けたいと思っていました。でも弟は……あの子も家を出てもいいと言っていました。弟がいいのであれば私も……」
「そう? 例えば弟君がどこかに婿養子に入っても?」
「本人が望むのなら構いません。そんな話もあるみたいですし。正直に言うと実家の爵位を返上してもいいとすら思っています」
元々領主としても凡庸で、今までのやり方を伝統の一言で片付けて新しいものを取り入れない父だ。領民のことを思うと爵位も領地も王家に返上した方がいいのではないかと思う。ただ、そうなると平民になってしまい、レニエ様に嫁ぐのは難しくなるのだけど……
「弟君とは仲がいいんだね」
「そう、ですね。ずっと妹大事の父の下で助け合ってきましたから」
弟がいたから今までやって来れたと思う。ミレーヌだけを偏愛する父の元での暮らしは決していいものではなかったけれど、家を離れてしまえばそれほど心煩わされることもない。
「近々家から呼び出しがあるだろう。それまでに弟君と話し合っておくといい。ああ、時間だね。この話はまたね」
執務室のドアが開く音がして、カバネル様がムーシェ様に話しかけている声が聞こえてきた。
気が付けば視界が歪んでいた。手が繋がったままレニエ様が隣の席に移った。急に距離が近づいて胸が一層跳ねた次の瞬間、影が差した。
「……っ!」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。レニエ様の顔が近付いて……
「可愛い」
レニエ様はそう言って笑うと、ハンカチを取り出してそっと私の頬に当てたけれど……い、今のって……涙を、なめられた? お陰で涙は止まったけれど。
「顔が真っ赤だよ」
「か、揶揄わないで下さい……」
「そんな顔も可愛い」
「かっ!」
可愛いなんて初めて言われた。恥ずかしくて顔を直視出来ない。恋人同士のような触れ合いに心臓がうるさいくらいに高鳴っている。絶対顔が赤くなっているだろう。
「ああ、ダメだな。浮かれてる」
「え?」
声が小さくてよく聞こえなかったけど、浮かれてる?
「カバネル先輩に何を言われるかわからないから、ここでやめておこう」
「そ、そうして下さい」
お昼休みが終わるまでに顔の赤みがひくだろうか。婚約も心配だけど今はそっちの方がずっと心配だった。知られてしまったとはいえ、二人きりで顔を赤くしていたら何と思われるか……
「話を戻すね。婚約だけど、実は想定外なことが起きてね。穏便に解消とはいかなくなってしまった」
「想定外? それはどういう……」
「その、妹君なんだが……」
「妹って、ミレーヌですか?」
言い難そうなレニエ様の様子に嫌な予感しかしない。
「そう。彼女、ジョセフ君の弟にもちょっかいを出してね」
「あ、あの子……!」
まさかそこまで節操無しだったとは。もしかしてデュノア伯爵家に押しかけたのだろうか。
「あ、あの子、まさかデュノア伯爵家に……」
「いや、弟君と接触したのは街なんだ」
「街で?」
「ああ。弟君が婚約者とデートしている時に話しかけてね。それも弟君にだけ挨拶して婚約者のことは完全無視」
その光景が手に取るようにわかった。ミレーヌならやり兼ねない。
「その後夜会でも同じことを繰り返したそうだ。諫めた伯爵夫人にも失礼なことを言って怒らせてしまってね」
「そういうことでしたか。確かに……それで穏便に解消は難しいですね」
元々デュノア伯爵夫妻はミレーヌに点が辛かった。姉の婚約者と噂になった上婚約者の弟にも絡んできたら、警戒するし縁を結ぼうとは思わないだろう。
「昨日、デュノア伯爵と御父君が話し合いをされたそうだ。近々君にも話が来るだろう」
もうそこまで話が進んでいたのか。婚約がなくなるのは嬉しいけれど、こんな形は望んでいなかった。
「すまない。醜聞にしないようにと慎重に進めたのが裏目に出てしまった」
「でも、それは妹のせいですから」
「それも織り込み済みで動いていたんだ。妹君には縁談も用意していた。悪くない話だったんだが……」
「そうでしたか。申し訳ございません。せっかくご助力頂いていましたのに……」
せっかくの縁談も流れては益々嫁ぎ先がなくなるだろうに。ミレーヌは何を考えているのか。
「ジョセフ君との婚約が無効になったら、直ぐに申し込みに行くよ」
握る手の力に力が込められ、もう放したくないと言われているようだった。でも……
「レニエ様は……よろしいのですか?」
「何がです?」
「私などでは、レニエ様とミオット侯爵家の名に傷が……」
私と婚姻したら醜聞続きのミレーヌと実家が付いてくる。私もエドモンも文官として評価して頂いてはいるけれど、実家の名は何だかんだ言ってずっと付いて回る。それでなくても我が家は伯爵家、レニエ様は侯爵家で現当主だ。元から家格だって釣り合わないのに……
「そんなことは気にしなくていいよ。私が当主だからね。私が望めば問題ない。それに煩く言ってくる親戚もいないから大丈夫だよ」
「ですが……」
「あなたはジゼルはルイーズ様やルイ様からの評判もいい。何かあればお二人にお力添えをお願いすることも出来るから」
力強くそう言われた。いつもの優しい顔立ちに強い意志が見えて、不安が薄れていく。
「出来ればシャリエ伯爵家の名前に傷を付けたくなかったけれど、妹君と父君の態度は目に余る。君や弟君への態度は許し難いと思っている。ただ……」
「ただ?」
「ジゼルはどう? やはり生家だから簡単には見捨てられないだろう? 弟君もいるし」
そう言われて戸惑うのはエドモンのことがあるからだ。あの子のためにも出来る限り綺麗なままであってほしかったと思う。
「弟のために醜聞は避けたいと思っていました。でも弟は……あの子も家を出てもいいと言っていました。弟がいいのであれば私も……」
「そう? 例えば弟君がどこかに婿養子に入っても?」
「本人が望むのなら構いません。そんな話もあるみたいですし。正直に言うと実家の爵位を返上してもいいとすら思っています」
元々領主としても凡庸で、今までのやり方を伝統の一言で片付けて新しいものを取り入れない父だ。領民のことを思うと爵位も領地も王家に返上した方がいいのではないかと思う。ただ、そうなると平民になってしまい、レニエ様に嫁ぐのは難しくなるのだけど……
「弟君とは仲がいいんだね」
「そう、ですね。ずっと妹大事の父の下で助け合ってきましたから」
弟がいたから今までやって来れたと思う。ミレーヌだけを偏愛する父の元での暮らしは決していいものではなかったけれど、家を離れてしまえばそれほど心煩わされることもない。
「近々家から呼び出しがあるだろう。それまでに弟君と話し合っておくといい。ああ、時間だね。この話はまたね」
執務室のドアが開く音がして、カバネル様がムーシェ様に話しかけている声が聞こえてきた。
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