【完結】望んだのは、私ではなくあなたです

灰銀猫

文字の大きさ
上 下
29 / 86

後悔しないために

しおりを挟む
 あの後も当たり障りのない会話が続いた。ミレーヌがやって来る事もなく、お茶の時間は滞りなく終わった。ジョセフ様が思った以上にミレーヌに興味がないとわかって、二人をくっつけるのが難しくなってしまった。バリエ伯爵家に嫁ぐ可能性は減ったけれど、このままではジョセフ様との結婚は確定だ。

(……このままじゃ、結婚は避けられない……)

 ジョセフ様が思ったほど嫌な人ではなく、噂に聞くほど節操無しではないとはわかったのはよかったけれど、それを素直に喜べなかった。室長にこんな思いを持たなければ、思ったよりも真っ当そうな人だったと安堵して嫁いだかもしれない。貴族の結婚なんてそんなものだ。どんなに年が離れていようが、問題のある人物だろうが、命じられれば嫁ぐしかないのが貴族に生まれた者の責務だから。




 実家を辞した後、オリアーヌの屋敷に寄った。何となくこのまま寮に戻りたくなかったし、誰かに話を聞いて貰いたい気分だったからだ。急な訪問だったけれど彼女は優しく受け入れてくれた。

「いっそ当たって砕けたら?」

 思っていたことを吐き出した私に、彼女はそう言った。

「当たって砕ける……」
「そう。ミオット侯爵にその想いを正直に話したら? 何もしなければこのまま結婚よ? それに……」
「それに、何?」

 オリアーヌの表情が急に険しくなった。何だろう、何だか嫌な予感がする。

「ミレーヌが何をするかわからないわよ? あなたの婚約者に襲い掛かって既成事実を作ったら? 自分だと偽ってジゼルをアルマン様に襲わせる可能性もあるわ。あの子は自分のためなら実の姉を犠牲にする事だって厭わないわよ?」
「まさか……」

 いくら何でもそこまでするだろうか。仲がいいとは言えないけれど、実の姉妹なのに……

「ジゼルは優しいからそんなこと考えもしないだろうけど、あの子は自分のことしか考えていないわ。気を付けないと」

 真剣な表情はそれが冗談ではないと物語っていた。

「このままじゃジョセフ様と結婚、最悪アルマン様を押し付けられるわ。どうするかはジゼルの自由だけど、ミオット侯爵は独り身よ。もしかしたらチャンスがあるかもしれないわ」
「そ、そうかしら……」

 チャンスがあると思ってもいいのだろうか。そりゃあ、侯爵家からの申し込みがあれば、デュノア伯爵家との話は白紙に出来るけれど。

「侯爵とは挨拶はしたことがあるけれど、詳しいお人柄まではわからなかったけれど、穏やかでお優しそうな方だったわ。そこはジゼルの方がよくわかっているでしょう?」
「え、ええ」
「告白してもそれを誰かに言ったり、揶揄ったりする方じゃないでしょう? それにダメだったらジョセフ様と結婚するんだから退職になるわ。顔を合わせるのも暫くの間だけよね?」
「そう、ね」
「だったらやってみる価値はあるわ。後悔したくないでしょう?」

 後悔という言葉が重かった。オリアーヌはルイゾン様との復縁に後悔しないと言っていたけれど、実際共に暮らしていると思うところはあるのだろう。フルール様のことがなければもっと心安く暮らせただろう。それでも彼女は当主で領民の命を預かる立場として、ルイゾン様を選ばなかったらもっと後悔すると言っていた。領主の夫として側に置くなら、一緒に領主教育を受けてきたルイゾン様が最適だったのだろう。




(後悔、か……)

 後悔だったら既にしていた。あの時、室長に誰か想う相手がいるのかと問われた時に、どうして何も言えなかったのか。あの時室長だと、あなたを想っていると言えばよかったと物凄く後悔していた。あの時に時間が巻き戻ればいいのにと願ってしまうほどに。

(今度、その機会があったら……ううん、機会がなければ作らなきゃ……)

 残業すればそんな機会もあるだろうか。最近の室長はやっと視察の報告なども片付いて、時間に余裕も出来ているように見えた。通常の業務に戻れば執務室での時間も増える筈。もし二人きりになるチャンスがあったら……その時こそはと心の中で誓った。



 その時は突然やってきた。翌日が期限の書類の最終チェックのため、少し残業になってしまった。今日はフィルマン様はお休みで、カバネル様とムーシェ様は定時で帰ってしまわれた。室長はルイーズ様に呼ばれたっきり帰ってこないので、施錠のこともあって残っていたのだ。

「シャリエ嬢、大丈夫かい?」
「し、室長?」

 急に声をかけられて声が上ずってしまった。いつの間にか戻ってこられたらしい。書類に集中していて気付かなかった。室長の黒い瞳が見開いていた。きっと変に思われただろう……

「ああ、驚かせてしまったかな。すまない」
「い、いえ、ちょっと驚いただけですから……」

 変な声を出したことが恥ずかしい。でも、話しかけられた事が嬉しかった。こんな些細な事でも心が躍る。

「あ、あの、何か?」

 何かあっただろうか? 頼まれている書類は期限内のものだ出してあるし、残りはまだ余裕がある筈。それともミスでもあっただろうか。

「用という訳じゃないんだけど、なんだか沈んでいる感じだったからね。最近ため息も多いようだし」
「……え?」

 まさか仕事中に態度に出ていたなんて。とんでもない失態だ。仕事の時は出来るだけ平常心でと心がけているのに……

「デュノア伯爵家のことも気になってね」
「あ……」

 そういえば室長が話をしてみると言って下さったけれど……気が付けば執務室には私と室長しかいなかった。こ、これは……

「彼のことなら心配はいらないよ。きっと上手く立ち回ってくれるだろう」
「え? それは……」

 二人きりだと気付いたら一気に緊張感が増してきた。

「ああ、ジョゼフ君にね、話をしたんだよ。彼は私の後輩で、昔から相談に乗っていたんだ」
「そ、そうだったんですか」

 ジョセフ様とそんな繋がりがあったなんて。そういえば室長は以前は宰相府などにお勤めだったという。

「彼は見た目の派手さと態度で損をしているけれど、真面目で優しい子なんだよ。シャリエ嬢にとっても悪い話ではないけれど……それでも結婚は考えられない?」
「それは……」
「本当の気持ちを話して?」

 あの黒い瞳に覗き込まれると嘘など言えそうもなかった。こ、これはもしかして……

「は、はい……やっぱり私は……」

 室長の知り合いだとしても、いい人だとしても、今は室長以外の方なんて考えられなかった。それが許されないことだとわかっているけれど、それでも……

「そうか」

 ああ、このまま告げてしまってもいいだろうか。こんな機会はもう二度とないかもしれない・……

「室長、私……」




しおりを挟む
感想 191

あなたにおすすめの小説

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら

みおな
恋愛
 子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。 公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。  クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。  クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。 「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」 「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」 「ファンティーヌが」 「ファンティーヌが」  だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。 「私のことはお気になさらず」

【完結】もう結構ですわ!

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
恋愛
 どこぞの物語のように、夜会で婚約破棄を告げられる。結構ですわ、お受けしますと返答し、私シャルリーヌ・リン・ル・フォールは微笑み返した。  愚かな王子を擁するヴァロワ王家は、あっという間に追い詰められていく。逆に、ル・フォール公国は独立し、豊かさを享受し始めた。シャルリーヌは、豊かな国と愛する人、両方を手に入れられるのか!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/11/29……完結 2024/09/12……小説家になろう 異世界日間連載 7位 恋愛日間連載 11位 2024/09/12……エブリスタ、恋愛ファンタジー 1位 2024/09/12……カクヨム恋愛日間 4位、週間 65位 2024/09/12……アルファポリス、女性向けHOT 42位 2024/09/11……連載開始

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

【完結】「君を愛することはない」と言われた公爵令嬢は思い出の夜を繰り返す

おのまとぺ
恋愛
「君を愛することはない!」 鳴り響く鐘の音の中で、三年の婚約期間の末に結ばれるはずだったマルクス様は高らかに宣言しました。隣には彼の義理の妹シシーがピッタリとくっついています。私は笑顔で「承知いたしました」と答え、ガラスの靴を脱ぎ捨てて、一目散に式場の扉へと走り出しました。 え?悲しくないのかですって? そんなこと思うわけないじゃないですか。だって、私はこの三年間、一度たりとも彼を愛したことなどなかったのですから。私が本当に愛していたのはーーー ◇よくある婚約破棄 ◇元サヤはないです ◇タグは増えたりします ◇薬物などの危険物が少し登場します

王太子殿下から婚約破棄されたのは冷たい私のせいですか?

ねーさん
恋愛
 公爵令嬢であるアリシアは王太子殿下と婚約してから十年、王太子妃教育に勤しんで来た。  なのに王太子殿下は男爵令嬢とイチャイチャ…諫めるアリシアを悪者扱い。「アリシア様は殿下に冷たい」なんて男爵令嬢に言われ、結果、婚約は破棄。    王太子妃になるため自由な時間もなく頑張って来たのに、私は駒じゃありません!

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

王子は婚約破棄を泣いて詫びる

tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。 目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。 「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」 存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。  王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

処理中です...