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父の呼び出し

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 ルイーズ様の視察の後は報告書の作成でとても忙しかった。それでも今回は室長と同行し、同じ部屋で過ごせたことが嬉しく、心が弾むのを止められなかった。この時間がずっと続くといいのにと、毎日祈るように過ごした。



 視察から半月後、幸せな夢心地が覚める時が来た。実家の父から顔を出すようにと連絡があったのだ。もう嫌な予感しかない。ミレーヌのことはどうなったのだろう。エドモンの話では相変わらず婚約者選びは難航していると聞く。当の本人は自分ほど可愛いのならいくらでも縁談はあると思っているらしい。何そのお花畑な思考はと思うのだけど、それがミレーヌなのだ。エドモンにミレーヌだからねと言われて納得してしまうのが悲しい。納得したくなかったけれど、これが現実。

 実家を訪ねると父の不機嫌に使用人も委縮してしまったのか、空気が重かった。ミレーヌは出かけているという。エドモンは仕事で、家には父しかいなかった。

「ミレーヌの縁談が決まらん……」

 久しぶりに家に戻り、険しい顔の父に告げられた言葉がそれだった。そんなことわかり切っていただろうに何をいまさらとしか思えない。でもそれを言えば激高するだろう。面倒くさいから言う気はない。

「そこで、だ。先にお前を片付ける」
「……私、を……?」

 全身が強張り、声が震えた。いつかはこんな日が来ると思っていたし、物扱いに傷ついたのは遠い昔に過ぎた。半年前なら深いため息一つで済んだだろう。なのに、どうして今なのか……いつだってミレーヌを優先していたのに。なぜ、今、こんな時だけ私を優先する……

「お、お待ちください。私はまだ仕事を辞めるつもりは……!」
「馬鹿を言うな! 結婚しないつもりか。そんなことは許さん!」
「ですが、私はまだ仕事を覚えている最中です! 一人前にもならない間に辞めるなんて……」
「黙れ!! 女のくせに生意気を言うな! それ以上言うなら働くことは許さんぞ!!」
「っ!」

 そう言われてしまえばこれ以上反論出来なかった。いくら成人しても私は父の庇護下にある。父が王宮に申し出てしまえば辞めざるを得ない。この国ではそれくらい家長の力は強いのだ。

「相手はデュノア伯爵家のジョゼフだ」
「デュノア伯爵家の……」

 家名もジョゼフ殿の名前も知っている。中程度の伯爵家で我が家と家格は同じくらいだけど向こうの方が裕福だ。ただ、ジョゼフ殿はあまりいい噂を聞かない。見た目が派手で、同じくらい女性関係も派手だと有名だったのだ。

「ジョゼフ殿ですか。ですが、彼なら私よりもミレーヌの方が……」

 女性好きなら地味で面白みのない私よりもミレーヌの方が似合っているのではないだろうか。

「わしもそのつもりだった。だが、デュノアはお前がいいと言うんだ。可愛いミレーヌではなくお前を! ジョゼフは軽薄で落ち着きがない、重しになるようなしっかりした女がいいと、デュノアが!」

 不本意を隠そうともせず不本意だと言い切った。ミレーヌの縁談を持ち込んで私を希望されたとエドモンが言っていたけれど、本当だったのか。

「だが、ジョゼフが片付けば、グノー公爵の縁者をミレーヌに紹介してくれるというのだ。それなら仕方なかろう」
「グノー公爵って……! お父様、その方は私がお仕えするルイーズ様を快く思っていないのは有名な話ですわ。そんな方と縁付けだなんて……」

 これはルイーズ様の足を引っ張るための縁談なのだろうか。グノー公爵はルイーズ様の実家のマラン公爵家と対立している。元々令嬢をルイ殿下の妃にしようと熱心に動いていたけれど、ルイ殿下はルイーズ様を選んでしまった。その為ルイーズ様を失脚させようと目論んでいると言われている。私たちがもっとも警戒している派閥だ。

「どうせ結婚すれば仕事は辞めるんだ。そうなれば関係ない。グノー公爵と縁が繋がれば我が領にもメリットがある」

 確かにグノー公爵は幅広く商売を手がけているけれど、父は商才がなくて何をしてもパッとしない。グノー公爵は貪欲だ。そんな相手と対等に商売が出来るとも思えないのだけど……

「顔合わせは来週だ」
「そ、そんな! 急に言われても困ります。こちらも予定があります」
「はっ! 小賢しいことを!」
「急に休むとなれば、ミオット様にシフトの変更を頼まなくてはなりません。それにルイーズ様に報告も」

 そう、急に休むとなれば休みを代わって貰わなければならない。しかも来週だなんて急すぎる。そんなことで迷惑をおかけするのは申し訳ないし、何よりも室長にこんな理由で休みが欲しいと告げたくない。

「……わかった。だったら都合のいい日を言え」

 忌々しそうな表情をしたが、侯爵であるミオット様やルイーズ様相手に我を通すのは憚られたのだろう。一歩間違えれば王家や侯爵家を蔑ろにしていると思われる。私たちには居丈高な父も、実態は小心者だ。そんな愚は犯さないだろう。

「わかりました。だったら十日後に。その日は休みですから」

 家長の父に逆らえるはずもない。ここで私が意固地になればなりふり構わなくなるかもしれない。それは避けたい。悔しいけれど従わざるを得なかった。



 寮へ戻る馬車の中で、私は深くため息をついた。春の陽だまりのような日々が色褪せていく。覚悟していたつもりで、実際そんなことはなかったのだと思い知らされた。

(ただ、お側にいられれば、それだけで……)

 目の奥が熱くなり、胸が何かに鷲掴みにされているように痛む。寮の自分の部屋までがやけに遠く感じた。ベッドに倒れ込んで枕を抱きしめ、隣に聞こえないよう声を押し殺した。



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