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横暴な先輩と頼れる上司
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オリアーヌが言い出したミオット室長の独身疑惑は、私の中ではまさかの思いが強すぎて信じられそうになかった。上位貴族の当主が三十過ぎても独身だなんて、よほどの事情がなければあり得ない。周りから結婚しろと迫られるのは明白だ。室長はあの通り穏やかな性格だから断り切れないだろうし。
そんなことを思いながら出勤した。昨日は休みだったから今日は仕事がそれなりに溜まっているだろう。そう思うと気が重いけれど、職場に行けばお会い出来ると思えばそんな空気は霧散する。
「おい! なんで勝手に休んでるんだ!」
挨拶をしながら部屋に入った途端、そんな怒号が飛んできた。何事かと室内を見渡せば、ブルレック様が鬼の形相で睨んでいた。何だろう。休み前に出した書類に不備があっただろうか。でも、確認を取ったからそれはないはず。
「いきなり何のことでしょう? 室長に許可を頂いていますが?」
「はぁ? 何で俺に言わねぇんだよ!!」
ブルレック様の許可は必要ないのに、何故か唾が飛ぶ勢いでまくしたてられた。
「先週から休むとお話していますわ。予定表にも、ほら、あのように書かれていますし」
そう言って壁にある今月の全員の予定表を指さす。王子妃の公務は休みなしだし、王宮に勤める者は大抵そうだ。だから交代で休みを取る。毎月室長が勤務の予定表を作り、問題なければその通りに休む。急に休みが必要な場合は室長にお願いして調整して貰う。だから文句を言われる謂れはないのだけど……
「だ、だからって、休みなら前の日に言えよな! 黙って休まれたら迷惑だろうが!」
「そうは言われましても……」
何だというのだ。今までだって事前に言ったことなどないのに。
「何だよ! 先輩に向かって逆らう気か!! 大体、何で仕事が終わっていないのに休んでるんだ! 一昨日頼んだ書類、出来ていなかっただろうが!!」
「一昨日の、書類? ああ、前回の公務に使った経費のものですね」
「そうだ! どうして仕事が終わっていないのに休みを取った?」
何のことかと記憶を探った。そういえば一件、お昼前にやっておけと言われて渡された書類があった。でも、あれは……
「それは……」
「私がいいと言ったからだよ」
私の言葉に別の声が被さった。
「し、室長!?」
穏やかで朗々と響くその声は、ミオット室長のものだった。その後ろにはカバネル様の姿も見えた。
「ミオット室長、カバネル様、おはようございます」
「ああ、シャリエ嬢、おはよう」
「シャリエ嬢、おはよう。昨日はお休みで寂しかったよ~」
相変わらず軽いノリのカバネル様の一言で、部屋の空気の刺々しさが随分薄れた気がした。
「室長、あの、これは……」
「ブルレック君、あの書類は君に頼んだものだろう?」
「え、あ、そ、それは……その! そうです、その女がやると! やらせて欲しいと言ったんです!!」
その女呼ばわりもどうかと思うけれど、指さすのも止めて欲しい。こんな品のない方がどうしてここにいるのか不思議だ。
「そうなのか? シャリエ嬢?」
室長が気遣うような視線を向けてきた。その目が大丈夫だと言ってくれているような気がするのは気のせいだろうか。
「いえ、私からはそのようなことは何も言っておりません。あの日は次回の地方公務の予算書の作成で手一杯でしたから。それが終わっても明日が期限の公務の予定表作りがあります。他の仕事に手を上げる余裕はさすがに……」
「な! お、お前っ!!」
ブルレック様は憤って立ち上がろうとしたけれど、室長たちの姿に上げた腰をすぐに戻した。
「ブルレック君、あれは君にと頼んだよね? シャリエ嬢は急ぎの案件をやっているからと。それは君だけでなくここにいる全員が聞いていた話だ」
ブルレック様が眉間に皴を刻みながら俯いた。知らなかったわけじゃないけど、忘れていたのだろう。
「それに、君はあの日の午後、どこに行っていた?」
「……え?」
急に話が変わったことに理解が付いていかなかったのか、ブルレック様が室長を見上げた。その表情からは怒りが消え、今は戸惑いが支配していた。
「あの日の午後、君は退勤時間までずっと不在だったね。どこに行っていたの?」
その一言に大きく目を開いて、次に私を睨みつけた。
「シャリエ嬢からは何も聞いていないよ。私はルイーズ様から教えて頂いたんだよ。孤児院の慰問の帰り道、街中で君を見かけたとね」
「……あ、あれは……」
あの日は終日、室長とカバネル様は会議で不在だったから、気付かれていないと思っていたらしい。でもルイーズ様の証言では文句が言える筈もない。
「どうして職務中に街にいたんだい? 君の仕事で街へ出るような用事は何もないし、外出届も出ていなかったよね」
「あ、そ……」
「詳しく話を聞かせて貰おうか」
だから一緒に来てくれるかな。室長がそう言うとブルレック様はふらふらと力ない足取りでその後を突いていった。
「あ~あ、これであいつも終わりだなぁ。左遷で済めばいいけど」
カバネル様がその背を見送りながらそう言った。確かにあの日、ブルレック様は午後からいなかった。私は忙しくて気にしている余裕もなく、てっきり午後からは休みだと思っていたくらいだ。
「シャリエ嬢、不快な思いをさせてすまなかったね」
暫くして室長が戻って来て謝罪されてしまった。聞けばあの書類はブルレック様に自分でやるようにと重ねて頼んでいたそうだ。
「いえ、室長のせいではありませんから」
「そうは言うけど、彼を増長させたのは私にも原因があるからね。二度とあんなことがないようにするから、これからも頼むよ」
「はい、勿論です」
室長にそう言われて、心が軽くなった。ブルレック様のことでは随分嫌な思いをしたからだ。二度とあんな横暴な態度をとられないのならそれで十分だ。そう思っていたのだけど、ブルレック様の姿をこの部屋で見ることは二度となかった。
そんなことを思いながら出勤した。昨日は休みだったから今日は仕事がそれなりに溜まっているだろう。そう思うと気が重いけれど、職場に行けばお会い出来ると思えばそんな空気は霧散する。
「おい! なんで勝手に休んでるんだ!」
挨拶をしながら部屋に入った途端、そんな怒号が飛んできた。何事かと室内を見渡せば、ブルレック様が鬼の形相で睨んでいた。何だろう。休み前に出した書類に不備があっただろうか。でも、確認を取ったからそれはないはず。
「いきなり何のことでしょう? 室長に許可を頂いていますが?」
「はぁ? 何で俺に言わねぇんだよ!!」
ブルレック様の許可は必要ないのに、何故か唾が飛ぶ勢いでまくしたてられた。
「先週から休むとお話していますわ。予定表にも、ほら、あのように書かれていますし」
そう言って壁にある今月の全員の予定表を指さす。王子妃の公務は休みなしだし、王宮に勤める者は大抵そうだ。だから交代で休みを取る。毎月室長が勤務の予定表を作り、問題なければその通りに休む。急に休みが必要な場合は室長にお願いして調整して貰う。だから文句を言われる謂れはないのだけど……
「だ、だからって、休みなら前の日に言えよな! 黙って休まれたら迷惑だろうが!」
「そうは言われましても……」
何だというのだ。今までだって事前に言ったことなどないのに。
「何だよ! 先輩に向かって逆らう気か!! 大体、何で仕事が終わっていないのに休んでるんだ! 一昨日頼んだ書類、出来ていなかっただろうが!!」
「一昨日の、書類? ああ、前回の公務に使った経費のものですね」
「そうだ! どうして仕事が終わっていないのに休みを取った?」
何のことかと記憶を探った。そういえば一件、お昼前にやっておけと言われて渡された書類があった。でも、あれは……
「それは……」
「私がいいと言ったからだよ」
私の言葉に別の声が被さった。
「し、室長!?」
穏やかで朗々と響くその声は、ミオット室長のものだった。その後ろにはカバネル様の姿も見えた。
「ミオット室長、カバネル様、おはようございます」
「ああ、シャリエ嬢、おはよう」
「シャリエ嬢、おはよう。昨日はお休みで寂しかったよ~」
相変わらず軽いノリのカバネル様の一言で、部屋の空気の刺々しさが随分薄れた気がした。
「室長、あの、これは……」
「ブルレック君、あの書類は君に頼んだものだろう?」
「え、あ、そ、それは……その! そうです、その女がやると! やらせて欲しいと言ったんです!!」
その女呼ばわりもどうかと思うけれど、指さすのも止めて欲しい。こんな品のない方がどうしてここにいるのか不思議だ。
「そうなのか? シャリエ嬢?」
室長が気遣うような視線を向けてきた。その目が大丈夫だと言ってくれているような気がするのは気のせいだろうか。
「いえ、私からはそのようなことは何も言っておりません。あの日は次回の地方公務の予算書の作成で手一杯でしたから。それが終わっても明日が期限の公務の予定表作りがあります。他の仕事に手を上げる余裕はさすがに……」
「な! お、お前っ!!」
ブルレック様は憤って立ち上がろうとしたけれど、室長たちの姿に上げた腰をすぐに戻した。
「ブルレック君、あれは君にと頼んだよね? シャリエ嬢は急ぎの案件をやっているからと。それは君だけでなくここにいる全員が聞いていた話だ」
ブルレック様が眉間に皴を刻みながら俯いた。知らなかったわけじゃないけど、忘れていたのだろう。
「それに、君はあの日の午後、どこに行っていた?」
「……え?」
急に話が変わったことに理解が付いていかなかったのか、ブルレック様が室長を見上げた。その表情からは怒りが消え、今は戸惑いが支配していた。
「あの日の午後、君は退勤時間までずっと不在だったね。どこに行っていたの?」
その一言に大きく目を開いて、次に私を睨みつけた。
「シャリエ嬢からは何も聞いていないよ。私はルイーズ様から教えて頂いたんだよ。孤児院の慰問の帰り道、街中で君を見かけたとね」
「……あ、あれは……」
あの日は終日、室長とカバネル様は会議で不在だったから、気付かれていないと思っていたらしい。でもルイーズ様の証言では文句が言える筈もない。
「どうして職務中に街にいたんだい? 君の仕事で街へ出るような用事は何もないし、外出届も出ていなかったよね」
「あ、そ……」
「詳しく話を聞かせて貰おうか」
だから一緒に来てくれるかな。室長がそう言うとブルレック様はふらふらと力ない足取りでその後を突いていった。
「あ~あ、これであいつも終わりだなぁ。左遷で済めばいいけど」
カバネル様がその背を見送りながらそう言った。確かにあの日、ブルレック様は午後からいなかった。私は忙しくて気にしている余裕もなく、てっきり午後からは休みだと思っていたくらいだ。
「シャリエ嬢、不快な思いをさせてすまなかったね」
暫くして室長が戻って来て謝罪されてしまった。聞けばあの書類はブルレック様に自分でやるようにと重ねて頼んでいたそうだ。
「いえ、室長のせいではありませんから」
「そうは言うけど、彼を増長させたのは私にも原因があるからね。二度とあんなことがないようにするから、これからも頼むよ」
「はい、勿論です」
室長にそう言われて、心が軽くなった。ブルレック様のことでは随分嫌な思いをしたからだ。二度とあんな横暴な態度をとられないのならそれで十分だ。そう思っていたのだけど、ブルレック様の姿をこの部屋で見ることは二度となかった。
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