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婚約白紙になって
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ミレーヌのこともあって、私たちの婚約の白紙は世間には広がることはなかった。ミレーヌの婚約が正式に整うまで白紙にしたことを公表しない。父は破棄にしないのを条件にルドン伯爵家に口止めを約束させたからだ。そのせいか、学園に行っても誰かに何かを言われることはなかった。
学園でフィルマン様から話しかけてくることはなかった。挨拶はするし、授業などで必要最低限の話はするけれど、それだけだ。白紙になる前から私たちが疎遠になっていたのは知られていたから、誰もそのことを気にもしなかった。いや、気にはされていたかもしれない。いつ婚約を解消するのだろう。そういう意味で。
学園で時折見かけるフィルマン様は、今でもアラール様やフルール様の近くにいた。フルール様はアラール様と婚約するのが決まっているけれど、彼女の側にいる令息はそんなことは気にしないらしい。フィルマン様もルイゾン様も彼女を女王のように扱い、彼女に熱い視線を向けていた。
フルール様に笑顔を向けるフィルマン様に胸が痛んだ。自分から白紙を提案したくせに、もしかしたらと思う自分がまだ残っている。なんて厄介なのだろう、恋心とは。粉々に砕け散った筈なのに、時折何もなかったかのように現れて心を抉っていく。オリアーヌのようにきっぱり断ち切れない自分が情けなかった。
「まぁ、お姉様。お帰りなさいませ!」
家に帰ると、エントランスでミレーヌに会った。華やかに愛らしく着飾った姿は妖精のようだ。
「ただいま、ミレーヌ。出かけるの?」
「ええ、エクトル様とデートなの」
花が開くような笑みを浮かべるミレーヌは愛らしかった。そんな彼女は今、クルーゾー侯爵家のエクトル様との婚約話が上がっている。彼は私の一つ下で、中性的な麗しい容姿の持ち主だ。儚げな容姿のミレーヌと並ぶととてもお似合いで、二人の仲は学園でも話題になっていた。
ただミレーヌは勉強が苦手で、学園での成績はあまり良くない。家庭教師を付けても何だかんだ言って逃げ出してしまう。父が溺愛しているから教師も強く言えず、益々成績が下がっているのだけれど、エクトル様を射止めたミレーヌに父は、やっぱり女には教育など不要だの思いを強めていた。
もっとも、クルーゾー侯爵ご夫妻の考えは父とは逆だ。侯爵夫人の仕事は簡単ではなく、ご夫妻が望むのは容姿よりも成績が優秀でしっかりした女性だった。侯爵夫人がミレーヌよりも私の方が好ましいと言ったのも気に入らないのだろう。父からの風当たりは相変わらず強かった。
そんなに話を纏めたいのなら、今からでもミレーヌに勉強をさせればいいのにと思う。ミレーヌはまだ学園が二年残っているのだ。間に合わないということはない。努力している姿を見せれば侯爵ご夫妻の態度も軟化するだろうと思うのに、そこに話が行かないのが不思議だ。ミレーヌも毎日のように出かけている。これでは本気で侯爵夫人になりたいと思っていないように見られても仕方ないのに。
「何だ、帰っていたのか」
ミレーヌを見送って家に入ると、お父様の姿があった。機嫌がよかった顔は急速に無へと転じた。その言い方は帰ってこなくてもいいと言われているような気さえする。
「たった今帰ったところです」
「ああ」
それだけを言うと、父は踵を返して部屋へと向かってしまった。私も自分の部屋へと向かう。相変わらず父は私を見ると機嫌が悪くなる。何がそんなに気に入らないのかわからないけれど、もう慣れてしまった。
(居場所がないわね……)
父の態度もあってか、使用人も私よりもミレーヌ優先だ。邪険にされるわけではないけれど、居心地の悪さは昔から変わっていない。自宅よりもオリアーヌの屋敷の方が心地よく感じるのだから困ったものだ。
そんな私の唯一の希望が、フィルマン様との結婚だった。彼はこの家で私がどう扱われているかご存じだった。ルドン伯爵家に来たら誰も君を邪険になんかしないよと言ってくれたし、フルール様と出会う前は早く私を助け出したいとまで言ってくれた。それは私の希望でもあった。なのに……
(このタイミングで言ってくるなんてね……)
ミレーヌとの婚約話が進んでいることを知らなかったはずもない。このタイミングで白紙にすれば、私が一層父にきつく当たられることも。それでも彼は白紙を願い出た。もう私のことなど意識の片隅にも残っていないのだろう。
(ううん、元から、人の気持ちには疎かったわね……)
相手を思いやっている様に見せるけど、気が付けば自分の気持ちを優先していた。友達に対しても同じで、想像力が足りないと感じることが多かった。自分がこうだと思ったら、周りが見えなくなるのだ。それも成長すれば変わっていくかと思ったけど……残念ながらそうはならなかった。
もう再婚約はあり得ない。父が許さないし、世間もそうだ。何よりも私が許せなかった。再婚約の話を出したのは、確実に婚約をなかったことにしたかったからだ。あの時、私の恋心は砕け散って消えたから。もう二度と戻らないと思ったから。よりを戻してもきっと、また他の誰かに心変わりされると不安になるから。
(ダメね、後ろばかり見ていては……)
私は文官試験の参考書を手にした。
学園でフィルマン様から話しかけてくることはなかった。挨拶はするし、授業などで必要最低限の話はするけれど、それだけだ。白紙になる前から私たちが疎遠になっていたのは知られていたから、誰もそのことを気にもしなかった。いや、気にはされていたかもしれない。いつ婚約を解消するのだろう。そういう意味で。
学園で時折見かけるフィルマン様は、今でもアラール様やフルール様の近くにいた。フルール様はアラール様と婚約するのが決まっているけれど、彼女の側にいる令息はそんなことは気にしないらしい。フィルマン様もルイゾン様も彼女を女王のように扱い、彼女に熱い視線を向けていた。
フルール様に笑顔を向けるフィルマン様に胸が痛んだ。自分から白紙を提案したくせに、もしかしたらと思う自分がまだ残っている。なんて厄介なのだろう、恋心とは。粉々に砕け散った筈なのに、時折何もなかったかのように現れて心を抉っていく。オリアーヌのようにきっぱり断ち切れない自分が情けなかった。
「まぁ、お姉様。お帰りなさいませ!」
家に帰ると、エントランスでミレーヌに会った。華やかに愛らしく着飾った姿は妖精のようだ。
「ただいま、ミレーヌ。出かけるの?」
「ええ、エクトル様とデートなの」
花が開くような笑みを浮かべるミレーヌは愛らしかった。そんな彼女は今、クルーゾー侯爵家のエクトル様との婚約話が上がっている。彼は私の一つ下で、中性的な麗しい容姿の持ち主だ。儚げな容姿のミレーヌと並ぶととてもお似合いで、二人の仲は学園でも話題になっていた。
ただミレーヌは勉強が苦手で、学園での成績はあまり良くない。家庭教師を付けても何だかんだ言って逃げ出してしまう。父が溺愛しているから教師も強く言えず、益々成績が下がっているのだけれど、エクトル様を射止めたミレーヌに父は、やっぱり女には教育など不要だの思いを強めていた。
もっとも、クルーゾー侯爵ご夫妻の考えは父とは逆だ。侯爵夫人の仕事は簡単ではなく、ご夫妻が望むのは容姿よりも成績が優秀でしっかりした女性だった。侯爵夫人がミレーヌよりも私の方が好ましいと言ったのも気に入らないのだろう。父からの風当たりは相変わらず強かった。
そんなに話を纏めたいのなら、今からでもミレーヌに勉強をさせればいいのにと思う。ミレーヌはまだ学園が二年残っているのだ。間に合わないということはない。努力している姿を見せれば侯爵ご夫妻の態度も軟化するだろうと思うのに、そこに話が行かないのが不思議だ。ミレーヌも毎日のように出かけている。これでは本気で侯爵夫人になりたいと思っていないように見られても仕方ないのに。
「何だ、帰っていたのか」
ミレーヌを見送って家に入ると、お父様の姿があった。機嫌がよかった顔は急速に無へと転じた。その言い方は帰ってこなくてもいいと言われているような気さえする。
「たった今帰ったところです」
「ああ」
それだけを言うと、父は踵を返して部屋へと向かってしまった。私も自分の部屋へと向かう。相変わらず父は私を見ると機嫌が悪くなる。何がそんなに気に入らないのかわからないけれど、もう慣れてしまった。
(居場所がないわね……)
父の態度もあってか、使用人も私よりもミレーヌ優先だ。邪険にされるわけではないけれど、居心地の悪さは昔から変わっていない。自宅よりもオリアーヌの屋敷の方が心地よく感じるのだから困ったものだ。
そんな私の唯一の希望が、フィルマン様との結婚だった。彼はこの家で私がどう扱われているかご存じだった。ルドン伯爵家に来たら誰も君を邪険になんかしないよと言ってくれたし、フルール様と出会う前は早く私を助け出したいとまで言ってくれた。それは私の希望でもあった。なのに……
(このタイミングで言ってくるなんてね……)
ミレーヌとの婚約話が進んでいることを知らなかったはずもない。このタイミングで白紙にすれば、私が一層父にきつく当たられることも。それでも彼は白紙を願い出た。もう私のことなど意識の片隅にも残っていないのだろう。
(ううん、元から、人の気持ちには疎かったわね……)
相手を思いやっている様に見せるけど、気が付けば自分の気持ちを優先していた。友達に対しても同じで、想像力が足りないと感じることが多かった。自分がこうだと思ったら、周りが見えなくなるのだ。それも成長すれば変わっていくかと思ったけど……残念ながらそうはならなかった。
もう再婚約はあり得ない。父が許さないし、世間もそうだ。何よりも私が許せなかった。再婚約の話を出したのは、確実に婚約をなかったことにしたかったからだ。あの時、私の恋心は砕け散って消えたから。もう二度と戻らないと思ったから。よりを戻してもきっと、また他の誰かに心変わりされると不安になるから。
(ダメね、後ろばかり見ていては……)
私は文官試験の参考書を手にした。
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