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番外編~ある王女のその後
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「くそっ!全然痛みが引かないじゃないか…!」
セザールお兄様が忌々しそうに手首を抑えながら舌打ちをした。お兄様と一緒にバズレールを訪問した私達だったが、あの夜会からずっと、私達は手首の痛みに悩まされていた。理由は…セレン様だ。あの方が私達にかけた術のせい。そのせいで私達は、絶える事のない痛みに悩まされていた。
セレン様曰く、この痛みは王族としての誓いを破ると生じるという。痛みの度合いは誓いを破った度合いに比例するらしく、私たちのせいで不遇な目に遭った者達の人数と、私達がやった行動が誓いに反すれば反する程酷くなるという。最初はそんな事、ただの脅しだと思っていた。あの夜会でそう説明を受けたけど、そんなバカな事が許される筈はないと。
それよりもセレン様が全く私に関心を示さず、あの聖女崩れの平民と一緒にいる事が腹立たしくて、許せなくて、私はその事ばかりに気を取られていて、あの術の事など大した事ではないと思っていたのだ。
なのに…
最初の異変に気が付いたのは、夜会を辞して私室に戻ってきた時だった。セレン様を従えることが出来る腕輪を送りつけ、これでセレン様は私のいいなりだと有頂天だったのに、いざ夜会に出ればセレン様はあの娘を側に置き、私には冷え冷えとした視線を向けるだけだった。これまで私にあんな視線を向ける者など一人もいなかった。皆が私を称賛し、憧れの眼差しで見つけ、わずかの好意も手にしようと必死だったのに、セレン様は私に欠片も関心を持たれなかった。生まれて初めての屈辱に、私は目の前が真っ赤になるのを感じた。
だからこそ、王家の秘宝を持ち出して、セレン様を言いなりにしようとしたのに…結果は言わずもがな、私は初めて、手に入らないものがあると思い知らされたのだ。
「どうして…?!どうしてセレン様はっ…!!!」
部屋に戻ってドレスを侍女に脱がせている間も、私は苛々していた。何も知らない侍女すらも今は癪に障るばかりだった。なのに、ドレスが脱げないからじっとしているようにと私に指示したから、かっとなってちょうどそこにいた侍女を手にしていた扇で殴ったのだ。
「生意気な!誰にものを言っているのよ!」
「きゃぁあ!」
力任せに侍女を殴れば、鈍い音とともにその侍女は地に転がった。ふん、いい様だわ、と思ったその瞬間だった。
「きゃぁああ!」
突然、左手首が痛み出したのだ。まるで手首を切り刻まれそうな痛みは、私がこれまでに感じたどの痛みよりも痛かった。とっさに手首を抑えるけれど…手首には瑕一つなく、何の異変もない。なのに痛みは治まる気配がなかった。
「どうした、オレリア?!」
私の悲鳴を聞きつけたセザールお兄様が飛んできたけれど、それでも痛みは一向に引かなかった。国から連れてきた侍医を呼びつけて診せたけれど、何の問題もないという。
「殿下、もしかしたらその痛みは、あの異世界人の魔術では…」
合点がいったのは、夜会に共に出ていたお兄様の側近の言葉だった。彼はセレン様が私達に術をかけているのを見ていたし、セレン様の言葉もしっかり聞いていたのだ。
「オレリア様、痛みが生じる前に何をなさりましたか?」
側近の問いかけに、私は直ぐには答えられなかった。だって、侍女を扇でぶったなどと知れたら、外聞が悪いから。彼は侯爵家の長男で、いずれは王になるセザールお兄様の腕になる人物だ。そんな人に私が暴力をふるう王女だと知られるわけにはいかなかった。
それでも…彼は侍女達を呼び出して話を聞き、私の所業を知り、痛みを治めたいのなら打った侍女に謝るように進言してきた。
(どうして私が謝らなきゃいけないのよ…!)
そうは思ったけれど、彼の目があまりにも冷たく、また痛みも眠れないほどに耐えがたかったから、私は渋々ながらも侍女に謝った。その途端に痛みが引いたのは、偶然ではなかった。その後も何度も同じことを繰り返して…ようやく私は、自分の驕慢さを悟ったのだ。
あれから十年。私は今、王都の近くにある修道院で暮らしている。痛みを感じずに暮らせるようになるまでに、私は五年の歳月を必要とした。何をしても、言っても、何かしら痛みが生じて、私は気が狂いそうになったし、いっそ狂ってしまいたいと思った事もある。人と接すれば何かしら痛みを生じる事になり、大好きだった茶会も夜会も怖くて出られなくなってしまった。
結婚は諦めた。王女として嫁げば、必ず人前に出なければいけないから。痛みが怖くてそんな未来は受け入れられなかった。部屋から出られなくなった私を両親もお兄様も心配してくれたけれど…私は、出来るだけ人に会わずに済む人生を選んだ。
ここは王家が所有する領地の修道院だ。院長はお父様の叔母上様で、王家や貴族の子女のための修道院と言って過言ではない。そこで私は今、静かに暮らしている。華やかなドレスも、豪奢な宝石もない、質素で簡素な生活は、昔の私には考えられなかったものだ。
「シスターオレリア、子供たちが待っていますよ」
「まぁ、もうそんな時間?」
「ええ。子供たちはシスターが大好きなのですわ。早くお会いしたいと、早くに来てしまったみたいなのです」
「そう。ふふ、嬉しいわ」
今、私はこの修道院で週に三回、子供たちに文字や計算を教えている。その子供たちも平民で、学校に通える余裕がない家の子供たちだ。この国の識字率はまだまだ低くて、i特に平民では字が読める者の方が少なく、それは生活の質と比例している。字が読めなければ働き口が制限されて、貧しい子は安い賃金の仕事にしか就けない。一方で、字が読めれば、それだけで割のいい仕事に就けるのだ。貧困を減らすためにも、子供たちの教育が大事―それは私の一番上のお兄様-ジルベールお兄様がバズレールで始めた貧困対策の一つだった。
(私は何も知らなかった…本当に、何も…)
民の暮らしも、子供たちの心が痛くなる境遇も、王城で暮らしていた私は知らなかった。無知は罪だと、小さな頃からそう言われて育った私は、本当の意味でその意味を理解していなかったのだ。
あれから我が国は大きく変わった。結界に頼らない国造りが進み、セレン様が残した結界ももう少しで消えるという。あの方がいらっしゃった証がなくなるのだ。それは寂しく、また大きな不安をもたらした。魔獣の被害が増える可能性が高くなるからだ。もちろん、そうならない様にとジルベールお兄様の協力で、我が国は騎士団を増強して、それに備えている。
結界がなくなる事で、神殿の力も大きく失われるだろう。セレン様を召喚した神官たちは既に追放されたし、セザールお兄様は王太子の座を辞した。私同様、痛みに耐えきれなかったからだ。弟にその座を譲って臣籍降下し、今はジルベールお兄様の下で魔獣対策のノウハウを学んでいる。
セレン様は元の世界に戻る際、私達にかけた術を解除してくれたそうだけど、それでも私もセザールお兄様も、王族に戻る気にはならなかった。私達は、無知で、無神経で、無分別だったのだ。
(…これも、セレン様のお陰だったのね)
今でも目を閉じれば思い出す、あの黄金の髪と、この世界にはない深みのある青を含んだ碧の瞳の、私の愛しいお方。もうこの世界にはいらっしゃらない、本当に手が届かなくなった恋しい方。あんなにも執着したのは、あれが私の初恋だったからだ。私に媚を売らず、平然と拒絶したあの人は、私にとって忘れえぬ人になった。あの方の視線が私に向けられる事はなかったけれど…そんな悲しみや痛みすらも、今の私には愛おしく感じる。
「この世界の神に祈りを捧げましょう。あの方の一生が幸せであるように。私達が奪ったもの以上のものが、あの方にもたらされるように…)
パタン、と手にした本を閉じて、私は子供たちが集うホールに向うために立ち上がった。窓から見える空は、雲一つない鮮やかな晴天だった。
- - - - -
これで本当に完結です。
最後までお付き合いくださってありがとうございました。
セザールお兄様が忌々しそうに手首を抑えながら舌打ちをした。お兄様と一緒にバズレールを訪問した私達だったが、あの夜会からずっと、私達は手首の痛みに悩まされていた。理由は…セレン様だ。あの方が私達にかけた術のせい。そのせいで私達は、絶える事のない痛みに悩まされていた。
セレン様曰く、この痛みは王族としての誓いを破ると生じるという。痛みの度合いは誓いを破った度合いに比例するらしく、私たちのせいで不遇な目に遭った者達の人数と、私達がやった行動が誓いに反すれば反する程酷くなるという。最初はそんな事、ただの脅しだと思っていた。あの夜会でそう説明を受けたけど、そんなバカな事が許される筈はないと。
それよりもセレン様が全く私に関心を示さず、あの聖女崩れの平民と一緒にいる事が腹立たしくて、許せなくて、私はその事ばかりに気を取られていて、あの術の事など大した事ではないと思っていたのだ。
なのに…
最初の異変に気が付いたのは、夜会を辞して私室に戻ってきた時だった。セレン様を従えることが出来る腕輪を送りつけ、これでセレン様は私のいいなりだと有頂天だったのに、いざ夜会に出ればセレン様はあの娘を側に置き、私には冷え冷えとした視線を向けるだけだった。これまで私にあんな視線を向ける者など一人もいなかった。皆が私を称賛し、憧れの眼差しで見つけ、わずかの好意も手にしようと必死だったのに、セレン様は私に欠片も関心を持たれなかった。生まれて初めての屈辱に、私は目の前が真っ赤になるのを感じた。
だからこそ、王家の秘宝を持ち出して、セレン様を言いなりにしようとしたのに…結果は言わずもがな、私は初めて、手に入らないものがあると思い知らされたのだ。
「どうして…?!どうしてセレン様はっ…!!!」
部屋に戻ってドレスを侍女に脱がせている間も、私は苛々していた。何も知らない侍女すらも今は癪に障るばかりだった。なのに、ドレスが脱げないからじっとしているようにと私に指示したから、かっとなってちょうどそこにいた侍女を手にしていた扇で殴ったのだ。
「生意気な!誰にものを言っているのよ!」
「きゃぁあ!」
力任せに侍女を殴れば、鈍い音とともにその侍女は地に転がった。ふん、いい様だわ、と思ったその瞬間だった。
「きゃぁああ!」
突然、左手首が痛み出したのだ。まるで手首を切り刻まれそうな痛みは、私がこれまでに感じたどの痛みよりも痛かった。とっさに手首を抑えるけれど…手首には瑕一つなく、何の異変もない。なのに痛みは治まる気配がなかった。
「どうした、オレリア?!」
私の悲鳴を聞きつけたセザールお兄様が飛んできたけれど、それでも痛みは一向に引かなかった。国から連れてきた侍医を呼びつけて診せたけれど、何の問題もないという。
「殿下、もしかしたらその痛みは、あの異世界人の魔術では…」
合点がいったのは、夜会に共に出ていたお兄様の側近の言葉だった。彼はセレン様が私達に術をかけているのを見ていたし、セレン様の言葉もしっかり聞いていたのだ。
「オレリア様、痛みが生じる前に何をなさりましたか?」
側近の問いかけに、私は直ぐには答えられなかった。だって、侍女を扇でぶったなどと知れたら、外聞が悪いから。彼は侯爵家の長男で、いずれは王になるセザールお兄様の腕になる人物だ。そんな人に私が暴力をふるう王女だと知られるわけにはいかなかった。
それでも…彼は侍女達を呼び出して話を聞き、私の所業を知り、痛みを治めたいのなら打った侍女に謝るように進言してきた。
(どうして私が謝らなきゃいけないのよ…!)
そうは思ったけれど、彼の目があまりにも冷たく、また痛みも眠れないほどに耐えがたかったから、私は渋々ながらも侍女に謝った。その途端に痛みが引いたのは、偶然ではなかった。その後も何度も同じことを繰り返して…ようやく私は、自分の驕慢さを悟ったのだ。
あれから十年。私は今、王都の近くにある修道院で暮らしている。痛みを感じずに暮らせるようになるまでに、私は五年の歳月を必要とした。何をしても、言っても、何かしら痛みが生じて、私は気が狂いそうになったし、いっそ狂ってしまいたいと思った事もある。人と接すれば何かしら痛みを生じる事になり、大好きだった茶会も夜会も怖くて出られなくなってしまった。
結婚は諦めた。王女として嫁げば、必ず人前に出なければいけないから。痛みが怖くてそんな未来は受け入れられなかった。部屋から出られなくなった私を両親もお兄様も心配してくれたけれど…私は、出来るだけ人に会わずに済む人生を選んだ。
ここは王家が所有する領地の修道院だ。院長はお父様の叔母上様で、王家や貴族の子女のための修道院と言って過言ではない。そこで私は今、静かに暮らしている。華やかなドレスも、豪奢な宝石もない、質素で簡素な生活は、昔の私には考えられなかったものだ。
「シスターオレリア、子供たちが待っていますよ」
「まぁ、もうそんな時間?」
「ええ。子供たちはシスターが大好きなのですわ。早くお会いしたいと、早くに来てしまったみたいなのです」
「そう。ふふ、嬉しいわ」
今、私はこの修道院で週に三回、子供たちに文字や計算を教えている。その子供たちも平民で、学校に通える余裕がない家の子供たちだ。この国の識字率はまだまだ低くて、i特に平民では字が読める者の方が少なく、それは生活の質と比例している。字が読めなければ働き口が制限されて、貧しい子は安い賃金の仕事にしか就けない。一方で、字が読めれば、それだけで割のいい仕事に就けるのだ。貧困を減らすためにも、子供たちの教育が大事―それは私の一番上のお兄様-ジルベールお兄様がバズレールで始めた貧困対策の一つだった。
(私は何も知らなかった…本当に、何も…)
民の暮らしも、子供たちの心が痛くなる境遇も、王城で暮らしていた私は知らなかった。無知は罪だと、小さな頃からそう言われて育った私は、本当の意味でその意味を理解していなかったのだ。
あれから我が国は大きく変わった。結界に頼らない国造りが進み、セレン様が残した結界ももう少しで消えるという。あの方がいらっしゃった証がなくなるのだ。それは寂しく、また大きな不安をもたらした。魔獣の被害が増える可能性が高くなるからだ。もちろん、そうならない様にとジルベールお兄様の協力で、我が国は騎士団を増強して、それに備えている。
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セレン様は元の世界に戻る際、私達にかけた術を解除してくれたそうだけど、それでも私もセザールお兄様も、王族に戻る気にはならなかった。私達は、無知で、無神経で、無分別だったのだ。
(…これも、セレン様のお陰だったのね)
今でも目を閉じれば思い出す、あの黄金の髪と、この世界にはない深みのある青を含んだ碧の瞳の、私の愛しいお方。もうこの世界にはいらっしゃらない、本当に手が届かなくなった恋しい方。あんなにも執着したのは、あれが私の初恋だったからだ。私に媚を売らず、平然と拒絶したあの人は、私にとって忘れえぬ人になった。あの方の視線が私に向けられる事はなかったけれど…そんな悲しみや痛みすらも、今の私には愛おしく感じる。
「この世界の神に祈りを捧げましょう。あの方の一生が幸せであるように。私達が奪ったもの以上のものが、あの方にもたらされるように…)
パタン、と手にした本を閉じて、私は子供たちが集うホールに向うために立ち上がった。窓から見える空は、雲一つない鮮やかな晴天だった。
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これで本当に完結です。
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