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変わる世界
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「ええっ!? 弟が、エルクが離宮に?」
熱が下がって四日後、ようやく起き上がる許可が出たその日、皇子から弟が皇宮を離れ離宮に移ったと聞かされた。しかも子が出来ないよう断種の処置をした上でだという。
「ど、どうしていきなり……」
「いきなりでもなかったんだ。本人からはかなり前から申し出があった」
「前からって……」
「ここに来た当初からだ」
最初からそのつもりだったなんて。断種もだ。そりゃあ、万が一を考えればその可能性もあったけれど、あの子はまだ十四歳。そういうのはまだ先だと思っていたから驚きしかなかった。
「父親が処刑されてここにいるのは辛いと言ってな。元よりその予定だったし、心情もわかると時期が早まったんだ。元々そうなった時の行き先は決まっていたし」
それにしても、一言もなく行ってしまうなんて……熱を出していた自分が情けない。皇子も皇子だ。そういうことなら熱があろうと叩き起こしてくれればよかったのに……
「一応姉に会わなくていいのかとは言ったぞ?」
しまった、顔に出てしまったらしい。
「だが、会えば離れ難くなると」
それは……ないような気がした。あの子が私にそんな気持ちを持っているとは思えない。
「ああ、手紙を預かっている」
そう言って懐から取り出したのは一通の手紙だった。何の飾り気もないそれを受け取ると、確かに差出人は弟だった。封を切ると、一枚の便箋に離宮に行くこと、これまでのお礼、そして元気でと簡素に書かれているだけだった。二度と会えない別れにしてはあっさりし過ぎていて、それは私たちの関係そのままだった。きっと弟にとって私はその辺の使用人よりも馴染みがないのだろう。実際会ったことは数えるほどしかなく、話をしたのはあのお茶会の一度きりだから。皇子がじっとこちらを見ていたので、手紙を差し出した。
「いいのか?」
「見せて困るようなことは書いてありませんから」
定型文のようなそれを見せたところで弟も困らないだろう。そう言いながらも中身を見た皇子が眉間に薄く皴を刻んだ。素っ気なさ過ぎて驚いたのだろう。
「あの子は、元気でしたか?」
「あ、ああ。いつもと変わらなかったな。侍女が付いて行ったし、ここにいた時と変わりなく過ごしているそうだ」
「そう、ですか」
寂しく感じる一方で、離れてほっとしている自分がいた。どう接していいのかわからなかったから。定期的に手紙でやり取りをしていても、それはこの手紙と同じで形だけ。きっと彼もそうだったのだろう。
「手紙を書くのは」
「構わない。ティナに預けてくれ」
「ありがとうございます」
会えなくなっても、生きていればまた心が通う日が来るかもしれない。ずっと会うことを禁じられてきたけれど、これからは手紙のやり取りは出来るから。
「あの三人の埋葬も済んだと報告があった」
「そうですか。ありがとうございます」
父らの遺体は秘密裏に埋葬されていた。遺体を奪おうとする王党派がいるかもしれないし、その場を拠点にされる可能性もある。アシェルから逃げ出さなければ王家の墓に埋葬されただろうに、こうなっては墓標すらも残されない。これも国から逃げた罰なのだろう。思えば逃亡したことに驚いて頭から抜けていたけれど、彼らの罪状を思えば毒杯はかなりの温情だった。彼らに私を責める資格なんてないだろう。紅茶に浮かぶ波紋を眺めながらそんなことを思った。
「それから、アシェルに向かう日が決まった」
皇子を見上げると、赤い瞳がこちらを見ていた。真剣な表情にとうとうその日が来るのかと鳥肌が立った。
「いつ……」
「三月後だ。冬が来る前に向かう」
「三月……」
寒くなれば移動は大変だからそうなるのだろう。でも向こうに行くのは春になってからだと思っていた。元々選考期間が一年だと言われていたし。
「向こうに行って、春か夏には叔父上から統治権を受け継ぐ。叔父上は半年か一年ほどはいて下さるが、それからは俺たちでやっていくことになる」
「春か夏って……」
いくら何でも早すぎやしないだろうか。
「既に叔父上の手で統治は出来ている。王妃選考もアンジェリカ嬢が処刑されたことで決まったんだ。いつまでも王位を空席にしておけば、帝国の力が足りないと余計な憶測を呼ぶことになる」
確かにその通りだけど、本当に至尊の地位に就くのだとの実感が湧いて、重圧がずしりと身体にのしかかってくるのを感じた。そのために今までやってきたとはいえ、いざその日が来ると言われると不安が募る。
「明日から俺と一緒に統治者としての教育を受けて貰う。アシェルの内情や今後の方針も含めてだ。今までとは違い自分で考えることが増えるだろう」
「統治者として……」
王妃としてと考えていたけれど、統治者としてと言われるとは思わなかった。皇子を支えるのが妃の務めだけど、主体的に動くのは皇子や帝国だと思っていたからだ。
「帝国では皇后は皇帝の代理をすることもある。俺はアシェルでも同じ方法を取ろうと考えている。だから俺と同じ位置に立てるようになれ」
「そ、そんな、無理です」
さすがに無茶ぶりもいいところだ。真っ当に教育を受けたのが帝国に来てからの私には到底無理だ。
「無理かどうかはお前が決めることじゃない。出来ないではなくやって貰う。俺よりもお前の方がアシェルには詳しいだろう?」
「でも、私は殆ど外に出られなくて……」
「出来ない理由を探すな。そんな暇があったら出来る方法を探せ。甘えるな」
そう言われてしまえば何も言えなかった。出来ない理由は確かにいくらでも浮かぶけれど、それを甘えだと言われてしまえば反論のしようもない。
「心配するな。支えてくれる者がいる。自分一人ですべてを背負う必要はない」
そう言われたけれど、何の慰めにもならないと感じたのは気のせいだろうか。アンジェリカに勝つことだけを考えていたけれど、その先にあったのは途方もなく高く険しい山で、とても頂上に辿り着けるとは思えなかった。
熱が下がって四日後、ようやく起き上がる許可が出たその日、皇子から弟が皇宮を離れ離宮に移ったと聞かされた。しかも子が出来ないよう断種の処置をした上でだという。
「ど、どうしていきなり……」
「いきなりでもなかったんだ。本人からはかなり前から申し出があった」
「前からって……」
「ここに来た当初からだ」
最初からそのつもりだったなんて。断種もだ。そりゃあ、万が一を考えればその可能性もあったけれど、あの子はまだ十四歳。そういうのはまだ先だと思っていたから驚きしかなかった。
「父親が処刑されてここにいるのは辛いと言ってな。元よりその予定だったし、心情もわかると時期が早まったんだ。元々そうなった時の行き先は決まっていたし」
それにしても、一言もなく行ってしまうなんて……熱を出していた自分が情けない。皇子も皇子だ。そういうことなら熱があろうと叩き起こしてくれればよかったのに……
「一応姉に会わなくていいのかとは言ったぞ?」
しまった、顔に出てしまったらしい。
「だが、会えば離れ難くなると」
それは……ないような気がした。あの子が私にそんな気持ちを持っているとは思えない。
「ああ、手紙を預かっている」
そう言って懐から取り出したのは一通の手紙だった。何の飾り気もないそれを受け取ると、確かに差出人は弟だった。封を切ると、一枚の便箋に離宮に行くこと、これまでのお礼、そして元気でと簡素に書かれているだけだった。二度と会えない別れにしてはあっさりし過ぎていて、それは私たちの関係そのままだった。きっと弟にとって私はその辺の使用人よりも馴染みがないのだろう。実際会ったことは数えるほどしかなく、話をしたのはあのお茶会の一度きりだから。皇子がじっとこちらを見ていたので、手紙を差し出した。
「いいのか?」
「見せて困るようなことは書いてありませんから」
定型文のようなそれを見せたところで弟も困らないだろう。そう言いながらも中身を見た皇子が眉間に薄く皴を刻んだ。素っ気なさ過ぎて驚いたのだろう。
「あの子は、元気でしたか?」
「あ、ああ。いつもと変わらなかったな。侍女が付いて行ったし、ここにいた時と変わりなく過ごしているそうだ」
「そう、ですか」
寂しく感じる一方で、離れてほっとしている自分がいた。どう接していいのかわからなかったから。定期的に手紙でやり取りをしていても、それはこの手紙と同じで形だけ。きっと彼もそうだったのだろう。
「手紙を書くのは」
「構わない。ティナに預けてくれ」
「ありがとうございます」
会えなくなっても、生きていればまた心が通う日が来るかもしれない。ずっと会うことを禁じられてきたけれど、これからは手紙のやり取りは出来るから。
「あの三人の埋葬も済んだと報告があった」
「そうですか。ありがとうございます」
父らの遺体は秘密裏に埋葬されていた。遺体を奪おうとする王党派がいるかもしれないし、その場を拠点にされる可能性もある。アシェルから逃げ出さなければ王家の墓に埋葬されただろうに、こうなっては墓標すらも残されない。これも国から逃げた罰なのだろう。思えば逃亡したことに驚いて頭から抜けていたけれど、彼らの罪状を思えば毒杯はかなりの温情だった。彼らに私を責める資格なんてないだろう。紅茶に浮かぶ波紋を眺めながらそんなことを思った。
「それから、アシェルに向かう日が決まった」
皇子を見上げると、赤い瞳がこちらを見ていた。真剣な表情にとうとうその日が来るのかと鳥肌が立った。
「いつ……」
「三月後だ。冬が来る前に向かう」
「三月……」
寒くなれば移動は大変だからそうなるのだろう。でも向こうに行くのは春になってからだと思っていた。元々選考期間が一年だと言われていたし。
「向こうに行って、春か夏には叔父上から統治権を受け継ぐ。叔父上は半年か一年ほどはいて下さるが、それからは俺たちでやっていくことになる」
「春か夏って……」
いくら何でも早すぎやしないだろうか。
「既に叔父上の手で統治は出来ている。王妃選考もアンジェリカ嬢が処刑されたことで決まったんだ。いつまでも王位を空席にしておけば、帝国の力が足りないと余計な憶測を呼ぶことになる」
確かにその通りだけど、本当に至尊の地位に就くのだとの実感が湧いて、重圧がずしりと身体にのしかかってくるのを感じた。そのために今までやってきたとはいえ、いざその日が来ると言われると不安が募る。
「明日から俺と一緒に統治者としての教育を受けて貰う。アシェルの内情や今後の方針も含めてだ。今までとは違い自分で考えることが増えるだろう」
「統治者として……」
王妃としてと考えていたけれど、統治者としてと言われるとは思わなかった。皇子を支えるのが妃の務めだけど、主体的に動くのは皇子や帝国だと思っていたからだ。
「帝国では皇后は皇帝の代理をすることもある。俺はアシェルでも同じ方法を取ろうと考えている。だから俺と同じ位置に立てるようになれ」
「そ、そんな、無理です」
さすがに無茶ぶりもいいところだ。真っ当に教育を受けたのが帝国に来てからの私には到底無理だ。
「無理かどうかはお前が決めることじゃない。出来ないではなくやって貰う。俺よりもお前の方がアシェルには詳しいだろう?」
「でも、私は殆ど外に出られなくて……」
「出来ない理由を探すな。そんな暇があったら出来る方法を探せ。甘えるな」
そう言われてしまえば何も言えなかった。出来ない理由は確かにいくらでも浮かぶけれど、それを甘えだと言われてしまえば反論のしようもない。
「心配するな。支えてくれる者がいる。自分一人ですべてを背負う必要はない」
そう言われたけれど、何の慰めにもならないと感じたのは気のせいだろうか。アンジェリカに勝つことだけを考えていたけれど、その先にあったのは途方もなく高く険しい山で、とても頂上に辿り着けるとは思えなかった。
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