36 / 68
彼らが去った後
しおりを挟む
父らが去った謁見室は、さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返った。実際はあちこちで囁くような会話が起きているけれど、それでも静かに思えるほど王妃が叫んでいたのだろう。呆然と彼らが去ったドアの方を眺めていたけれど、近くに人の気配を感じて我に返った。皇子が側にいるのも忘れるくらい、王妃の存在感が凄かったんだけど……
「大丈夫か?」
「……はぁ」
間の抜けた返事しか出来なかったけれど、ここにきてじわじわと気恥ずかしくなってきた。今は顔を上げたくない。こんな時だと言うのに顔が赤くなっていないだろうか。不謹慎だろうに……
「ソフィ王女よ」
「は、はいっ!」
皇帝陛下に呼ばれて思わず声が裏返ってしまった。まさか直接話すことになるなんて……
「アシェルの王妃はそなただ。心して勤めよ。帝国の方針に外れれば廃妃もあり得ると忘れぬな」
それは警告だった。王妃になっても帝国の意に反した行動をとれば廃位されると言うことか。一度私を妃に立てれば大義名分は立ち、格好は付く。帝国なら適当な罪をでっち上げて廃妃にするなど造作もないだろう。その後で帝国人の妃を据えればいい。この先も決して安泰ではないのだ。
「ご厚情に感謝いたします。今後も精進し、心からお仕えさせて頂きます」
他に言えることがなかった。帝国に従うしか生き残る道はないのだから。尤も、アシェルよりも帝国の考えの方が好ましいと思えるからまだマシだろう。問題があるとすれば皇子の方か。私が相手なんて嫌じゃないだろうか。皇子がどんな表情をしているのか気になったけれど、視線を向けるのは何となく憚られた。まず身長差が問題だ。ここで見上げると目立つような気がしてやりにくい。もう少し離れてくれるといいのだけど……
というか、いつの間に近付いていたのか。足音もしなかったし、全く気付かなかった。そりゃあ、王妃の様子にすっかり気を取られていたけれど。そしてなぜやってきたのか。こうなるとわかっていた? いやでも、飛んできたのは靴だし、当たったところで大したことは……
「エリク王子よ」
「はい」
「そなたもだ。王位を継げないのは悔しいかもしれんがそこは諦めろ。その上で自分の道を探せ。そなたは若い。まだ時間はいくらでもあろう」
「ご厚情、感謝申し上げます」
相変わらず感情がわからないけれど、ここに来た時よりも顔色がよくなっていた。若いからアシェルの考えに染まっていないだろうし、帝国がしっかり道を示してくれるだろうから大丈夫だろう。そう思いたい。こうなると私もいずれアシェルに向かう。エリクは帝国から出られないだろうから、もう会えないかもしれない。これまでだって数えるほどしか顔を合わせたことはなかったけれど、彼の未来が明るいものであることを願いたい。出来ればここにいる間に一度だけでも会えないだろうか……
「ソフィ王女とエリク王子よ。王と王妃、アンジェリカ王女は十日後には旅立つ。そなたらはどうする?」
どうと言われても、直ぐには答えが出なかった。彼らと共に十日を過ごすのは……さすがに勘弁してもらいたかった。どうせ罵詈雑言の嵐で身の危険さえ感じる。そりゃあ騎士が見張っているだろうけど、そんな中で十日も過ごしたくなかった。
(どうしよう……)
ここで王妃と異母姉を前に、高笑いでもしてこれまでの思いをぶつけたらすっきりする……とは思えなかった。そんなことをしても後で後悔しそうだ。それにあの人たちと同じ土俵に上がることになる。それは……大事な何かを失いような気がする。
それでも、一度は会うべきだろうか。特に父が何を考えているのかを聞いてみたかった。死の宣告の前にも表情を変えなかった父。王妃や異母姉が騒いでも一言も発しなかった父。あの人は何を考えていたのだろう……
「皇帝陛下」
エリクの声にハッとした。ああ、また自分の考えに入り込んでしまった。大事な場だというのに……
「何だ、エリク王子よ」
「ぼ……私は、会いません」
「そうか。だが、いいのか? いずれ後悔することになるかもしれんぞ?」
皇帝陛下は案じるような目をエリクに向けた。ご自身の末の皇子よりもずっと年下の弟への態度には労りが感じられた。本当は優しくて愛情深い方なのかもしれない。
「後悔するとは思えません。それに……」
「それに?」
「後悔する時が来ても、それは自分で選んだことだと、受け止めたいと思います」
生気のない姿からは想像出来ないほどエリクの声ははっきりしていた。この子が意志をもって話すのを見たのは、これが初めてかもしれない。
「そうか。わかった」
「ありがとうございます」
頭を上げたエリクの顔は何だかすっきりしているように見えた。彼は彼なりにこうなった時のことを考えていたのかもしれない。
「ソフィ王女はどうする?」
「わ、私は……」
エリクと違い、私は直ぐに答えられなかった。どうすべきなのだろう、どうすると一番後悔しない? 答えが欲しいのに心はどちらにも揺れて決められなかった。どっちを選んでも後悔しそうだったけれど、エリクの答えを聞いて合わない選択肢の方がいいように思えたのもある。
「……まだ十日ある。ゆっくりと考えよ。後悔のないように」
「ご厚情、ありがとうございます」
決めかねているのを見透かされてしまったらしいけれど、今はそれに甘んじたいと思った。まだ色んな事を聞かされたばかりで消化出来ていない。せめて一晩考えるくらいの時間が欲しかった。
(エリクですらちゃんと考えていたのに……)
今までの半年間、こうなる予想をしていなかったわけじゃない。それでも、いざとなった時にどうするかを決めていなかった。いや、違う。決断から逃げていたのだ。予想が立てられなかったわけじゃない。立てた先にある未来が怖くて避けていたのだ。
謁見室を去る足は酷く重く感じた。見えた筈の未来から逃げていた自分を自覚してしまったからだ。ここでの生活が今までの中で一番穏やかで居心地がよかったから、ずっとこのままでいいとすら思っていた。王妃や異母姉ですら死ぬと思うと気が重くなったから。
(異母姉を馬鹿になんか出来なかった……)
現実に向き合っていないのは、私の方だった。
「大丈夫か?」
「……はぁ」
間の抜けた返事しか出来なかったけれど、ここにきてじわじわと気恥ずかしくなってきた。今は顔を上げたくない。こんな時だと言うのに顔が赤くなっていないだろうか。不謹慎だろうに……
「ソフィ王女よ」
「は、はいっ!」
皇帝陛下に呼ばれて思わず声が裏返ってしまった。まさか直接話すことになるなんて……
「アシェルの王妃はそなただ。心して勤めよ。帝国の方針に外れれば廃妃もあり得ると忘れぬな」
それは警告だった。王妃になっても帝国の意に反した行動をとれば廃位されると言うことか。一度私を妃に立てれば大義名分は立ち、格好は付く。帝国なら適当な罪をでっち上げて廃妃にするなど造作もないだろう。その後で帝国人の妃を据えればいい。この先も決して安泰ではないのだ。
「ご厚情に感謝いたします。今後も精進し、心からお仕えさせて頂きます」
他に言えることがなかった。帝国に従うしか生き残る道はないのだから。尤も、アシェルよりも帝国の考えの方が好ましいと思えるからまだマシだろう。問題があるとすれば皇子の方か。私が相手なんて嫌じゃないだろうか。皇子がどんな表情をしているのか気になったけれど、視線を向けるのは何となく憚られた。まず身長差が問題だ。ここで見上げると目立つような気がしてやりにくい。もう少し離れてくれるといいのだけど……
というか、いつの間に近付いていたのか。足音もしなかったし、全く気付かなかった。そりゃあ、王妃の様子にすっかり気を取られていたけれど。そしてなぜやってきたのか。こうなるとわかっていた? いやでも、飛んできたのは靴だし、当たったところで大したことは……
「エリク王子よ」
「はい」
「そなたもだ。王位を継げないのは悔しいかもしれんがそこは諦めろ。その上で自分の道を探せ。そなたは若い。まだ時間はいくらでもあろう」
「ご厚情、感謝申し上げます」
相変わらず感情がわからないけれど、ここに来た時よりも顔色がよくなっていた。若いからアシェルの考えに染まっていないだろうし、帝国がしっかり道を示してくれるだろうから大丈夫だろう。そう思いたい。こうなると私もいずれアシェルに向かう。エリクは帝国から出られないだろうから、もう会えないかもしれない。これまでだって数えるほどしか顔を合わせたことはなかったけれど、彼の未来が明るいものであることを願いたい。出来ればここにいる間に一度だけでも会えないだろうか……
「ソフィ王女とエリク王子よ。王と王妃、アンジェリカ王女は十日後には旅立つ。そなたらはどうする?」
どうと言われても、直ぐには答えが出なかった。彼らと共に十日を過ごすのは……さすがに勘弁してもらいたかった。どうせ罵詈雑言の嵐で身の危険さえ感じる。そりゃあ騎士が見張っているだろうけど、そんな中で十日も過ごしたくなかった。
(どうしよう……)
ここで王妃と異母姉を前に、高笑いでもしてこれまでの思いをぶつけたらすっきりする……とは思えなかった。そんなことをしても後で後悔しそうだ。それにあの人たちと同じ土俵に上がることになる。それは……大事な何かを失いような気がする。
それでも、一度は会うべきだろうか。特に父が何を考えているのかを聞いてみたかった。死の宣告の前にも表情を変えなかった父。王妃や異母姉が騒いでも一言も発しなかった父。あの人は何を考えていたのだろう……
「皇帝陛下」
エリクの声にハッとした。ああ、また自分の考えに入り込んでしまった。大事な場だというのに……
「何だ、エリク王子よ」
「ぼ……私は、会いません」
「そうか。だが、いいのか? いずれ後悔することになるかもしれんぞ?」
皇帝陛下は案じるような目をエリクに向けた。ご自身の末の皇子よりもずっと年下の弟への態度には労りが感じられた。本当は優しくて愛情深い方なのかもしれない。
「後悔するとは思えません。それに……」
「それに?」
「後悔する時が来ても、それは自分で選んだことだと、受け止めたいと思います」
生気のない姿からは想像出来ないほどエリクの声ははっきりしていた。この子が意志をもって話すのを見たのは、これが初めてかもしれない。
「そうか。わかった」
「ありがとうございます」
頭を上げたエリクの顔は何だかすっきりしているように見えた。彼は彼なりにこうなった時のことを考えていたのかもしれない。
「ソフィ王女はどうする?」
「わ、私は……」
エリクと違い、私は直ぐに答えられなかった。どうすべきなのだろう、どうすると一番後悔しない? 答えが欲しいのに心はどちらにも揺れて決められなかった。どっちを選んでも後悔しそうだったけれど、エリクの答えを聞いて合わない選択肢の方がいいように思えたのもある。
「……まだ十日ある。ゆっくりと考えよ。後悔のないように」
「ご厚情、ありがとうございます」
決めかねているのを見透かされてしまったらしいけれど、今はそれに甘んじたいと思った。まだ色んな事を聞かされたばかりで消化出来ていない。せめて一晩考えるくらいの時間が欲しかった。
(エリクですらちゃんと考えていたのに……)
今までの半年間、こうなる予想をしていなかったわけじゃない。それでも、いざとなった時にどうするかを決めていなかった。いや、違う。決断から逃げていたのだ。予想が立てられなかったわけじゃない。立てた先にある未来が怖くて避けていたのだ。
謁見室を去る足は酷く重く感じた。見えた筈の未来から逃げていた自分を自覚してしまったからだ。ここでの生活が今までの中で一番穏やかで居心地がよかったから、ずっとこのままでいいとすら思っていた。王妃や異母姉ですら死ぬと思うと気が重くなったから。
(異母姉を馬鹿になんか出来なかった……)
現実に向き合っていないのは、私の方だった。
97
お気に入りに追加
2,747
あなたにおすすめの小説

もう一度あなたと?
キムラましゅろう
恋愛
アデリオール王国魔法省で魔法書士として
働くわたしに、ある日王命が下った。
かつて魅了に囚われ、婚約破棄を言い渡してきた相手、
ワルター=ブライスと再び婚約を結ぶようにと。
「え?もう一度あなたと?」
国王は王太子に巻き込まれる形で魅了に掛けられた者達への
救済措置のつもりだろうけど、はっきり言って迷惑だ。
だって魅了に掛けられなくても、
あの人はわたしになんて興味はなかったもの。
しかもわたしは聞いてしまった。
とりあえずは王命に従って、頃合いを見て再び婚約解消をすればいいと、彼が仲間と話している所を……。
OK、そう言う事ならこちらにも考えがある。
どうせ再びフラれるとわかっているなら、この状況、利用させてもらいましょう。
完全ご都合主義、ノーリアリティ展開で進行します。
生暖かい目で見ていただけると幸いです。
小説家になろうさんの方でも投稿しています。

なんで私だけ我慢しなくちゃならないわけ?
ワールド
恋愛
私、フォン・クラインハートは、由緒正しき家柄に生まれ、常に家族の期待に応えるべく振る舞ってまいりましたわ。恋愛、趣味、さらには私の将来に至るまで、すべては家名と伝統のため。しかし、これ以上、我慢するのは終わりにしようと決意いたしましたわ。
だってなんで私だけ我慢しなくちゃいけないと思ったんですもの。
これからは好き勝手やらせてもらいますわ。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!
私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました
山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。
※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。
コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。
ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。
トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。
クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。
シモン・ノアイユ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。
ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。
シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。
〈あらすじ〉
コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。
ジレジレ、すれ違いラブストーリー

公爵令嬢を虐げた自称ヒロインの末路
八代奏多
恋愛
公爵令嬢のレシアはヒロインを自称する伯爵令嬢のセラフィから毎日のように嫌がらせを受けていた。
王子殿下の婚約者はレシアではなく私が相応しいとセラフィは言うが……
……そんなこと、絶対にさせませんわよ?

【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。
完菜
恋愛
王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。
そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。
ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。
その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。
しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)

初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる