あなたに愛や恋は求めません【書籍化】

灰銀猫

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第三部

ガーゲルン侯爵家の秘密

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 殊更に穏やかな声で笑顔を添えてそう告げると、ガーゲルン侯爵家の三人は三様に表情を強張らせた。何を思ってかは知らないけれど、他家の婚姻式で新郎に迫り、その婚姻の証人を侮辱するなど到底許されないわ。

 妻子に無関心な侯爵と、奔放な夫人、夫人の価値観を受け継いだらしい令嬢。そういえば次男が見当たらないわね。出来ることならこの式に招待したくなかったけれど、辺境六侯爵家の一家を招かなければ無用な思惑を生むと招待状を送った。まさかここまで非常識な振る舞いをするとは思わなかったわ。このままお引き取り願った方がいいかしら。その時だった。

「何事です? 父上? 何をしていらっしゃるのです?」

 焦りを含んだ表情で割り入ってきたのはくすんだ金髪の青年だった。この方は……ガーゲルン侯爵家の次男のランドルフ様かしら? 招待したのは嫡男の長男だったけれど、出席は次男にとの連絡があったから記憶に残っていた。変更した理由は長男が前妻の子だからで、夫人は実子のランドルフ様を後継に望んでいるから。

「この小娘が我らを、ガーゲルン侯爵家を侮辱したのだ!」
「このって……相手はゾルガー侯爵夫人ではありませんか。どうせ姉上がつまらぬことをしたのではありませんか?」

 意外だわ、妹を擁護するかと思ったから。もしかしてランドルフ様は真っ当な感性をお持ちなのかしら?

「酷いわ、ランドルフ!」
「姉上の悪評はあちこちで聞いています。いい加減にしてください」

 ガーゲルン侯爵家にもまともな方はいたのね。長男は夫人らに冷遇されていると聞いていたから次代は大丈夫かとも思っていたけれど、次男も常識のある方ならまだ希望はあるかしら? そうは言っても今日はもう退場願いたいわ。つ、と一歩を踏み出してガーゲルン侯爵の正面に立った。まさか自ら近付いて来るとは思わなかったのか侯爵が怯んで半歩ほど下がった。

「そうそう、ガーゲルン侯爵。モーリッツ様はまだ見つかりませんの?」
「……モッ!! な、なに、を……」

 赤かった顔が一瞬で白くなった。まさかその名前が出てくるとは思わなかったみたいね。ここまで動揺するとは思わなかったけれど。

「先日、市井でデシレア様にとってもよく似た女性を見かけましたの。あまりにそっくりだから、もしかしてモーリッツ様のお子かしらと思って」
「ば、ばかな……モッ、モーリッツは……」」
「ああ、失礼しましたわ。そんな筈ありませんわよね」

 でも、本当に似ていたのですわと重ねて告げると、侯爵の顔から色に続いて表情も抜け落ちた。身体も小刻みに震えているようにも見える。

「し、失礼する!」

 侯爵が力なくそれだけを口にすると、踵を返して扉の方へと歩き始めてしまった。

「父上?」
「あなた!?」
「お父様!? ちょっと!!」

 突然の夫の、父の態度の変容に妻子がそれぞれの表情で声をかけて追いかけた。思った以上に効いたみたいね。

「義姉上、今のは一体……」
「侯爵の弟君のことを尋ねたのだけど……気分を害されたみたいね」
「弟って……」
「私も詳しくは。もし知りたいのでしたらヴォルフ様からお聞きになってください」

 さすがにこの場では話せないわ。モーリッツ様はガーゲルン侯爵の異母弟で、二十年前に行方不明になった方。好いた女性がいて駆け落ちしたとも、実らぬ恋に絶望して出奔したとも言われているけれど、それは表向きの話。

 実際は異母兄に命じられて妻との子作りを強要され、子が出来ると破落戸を雇って口封じをした。これが真実。侯爵は誰にも知られることなく事を成したと思っていたのでしょうね。そして、たった今までそのことすらも忘れていた。でも、彼は生きているわ。ガーゲルン侯爵が見けることは出来ないけれど。

 瀕死の傷を負ったモーリッツ様を見つけてゾルガー領に連れて帰ったのはお義父様。傷が癒えた彼は騎士として我が家に仕えることを望んだわ。もちろん我が身に起きたことを全て話して。その後使用人の一人と結婚し、一人娘はゾルガー邸で働いている。その娘がデシレア様にとてもよく似てたから、デシレア様を見た後、気になって調べたのだ。まさかこんな闇が隠れているとは思わなかったわ。

「終わったか」

 ガーゲルン侯爵家の四人が去るとヴォルフ様が戻ってこられた。ランベルツ侯爵の姿はないわね。お話は終わったのかしら。

「ええ。あれでよろしかったでしょうか?」

 本当はヴォルフ様が諫めるはずだったのに……もしかしてわざと離れられました? いえ、声をかけてきたのはランベルツ侯爵だったけれど。

「ああ。あれでいい」

 ……やっぱりわざとですのね。でも、いつもヴォルフ様はこんな風に嫌な役目を負っていらっしゃるのね。だったら私もそのお手伝いがしたい。そのためなら人に何と思われても構わないもの。

「叔父上」

 会場にまだ騒きが残る中、フレディがザーラを伴ってやってきた。二人とも背が高くて、こうして並ぶと本当にお似合いだわ。

「すみません、ついカッとなって……」

 ガーゲルン嬢に厳しい言葉をかけたことを謝っているのね。

「構わん」
「フレディの怒りは当然だわ。こんな席で第二夫人の話なんか出されたら私だって許せないもの」
「ああ。イルーゼが釘を刺したから次はないだろう」
「イルーゼが? 何をしたんだ?」

 どういう意味かしら? なんだか私が問題を起こしたように聞こえるけれど。

「侯爵の弟君のお話をしただけよ」

 それだけを言うと侯爵に弟がいたのかとフレディが首を傾げていたけれど、彼はあの日記を読んでいないのかしら? ヴォルフ様を仰ぎ見ると「お前だけだ」と小声で言われた。嬉しいなんて思ってしまったわ。信用されているのだと。いやだわ、顔が熱くなってきた。赤くなっていないわよね。

 それにしても、ああいう手はあまり好きじゃないけれど効果は絶大なのね。私が知っているということはヴォルフ様も知っているということで、それはいつ世間に、王家に知られるかわからないのだから。情報一つで相手を抑えられるのだから凄いわ。

 その後は招待客への挨拶が延々と続いた。ガーゲルン侯爵家のことが気になっているようだけど誰もそのことを口にはしなかった。それだけ令嬢の振る舞いは反感を買っていたのね。でも仕方ないわ。実際に付き纏われて婚約者と揉めた令息もいたというのだから。それでも六侯爵家の令嬢だからと拒絶出来なくて困っていたというし。

「イルーゼ様、随分とお優しかったですわね」

 声をかけてくれたのはエルマ様だった。

「エルマ様。それにバルドリック様も。来てくださって嬉しいわ」
「ふふ、フレディ様のご成婚おめでとうございます。一安心ですわね」
「ありがとうございます。ええ、ホッとしましたわ」

 エルマ様に会うのは久しぶりだわ。少しこけていた頬が丸くなって印象が柔らかくなった。そして今日もバルドリック様がしっかり寄り添って周りを警戒している。警戒し過ぎじゃないかと思うのだけど……ちょっと束縛が過ぎる気がするわ。

「ガーゲルン侯爵家ね。色々と叩けば出てきそうよねぇ」
「まぁ、エルマ様ったら。憶測でそのようなことを仰ってはいけませんわ」
「あら、だってあの方、バルに色目を使っていたそうですわよ」
「ああ、エルマ。俺があんなのに引っかかると思っていないよね? 君と比べることすら悍ましいよ」

 酷い言い様ね。バルドリック様が必死に弁明しているけれど、誰もバルドリック様が引っかかるなんて思わないわよ。きっと害虫を見るような目で一蹴されたのでしょうね。

「そうそう、マヌエル様にお子が出来たそうよ。先日当主から連絡を頂いたわ」
「まぁ、マヌエル様が」

 ベルトラム一門の伯爵家に嫁いだいとこのマヌエル様。今は私よりもエルマ様との付き合いの方が多くなっている。最近姿を見かけなかったし今日のパーティーも欠席とあったからお見舞いにと思っていたけれど、お子が出来ていたのね。よかったわ、これで彼女も気が楽になったわね。

「楽しみだわ。マヌエル様に似て聡明なお子が生まれそうね」
「ええ。彼女、控えめだけど読書家なだけあって色んな事をご存じだもの」

 大人しいから伯爵家に馴染めるかと心配だったけれど、夫の令息は穏やかな性格で関係は良好だと聞くし、義母と趣味の刺繍や孤児院の支援などで気が合うらしく仲良くしていると聞く。よかったわ、彼女も姉のせいで理不尽な目に遭った時期もあったから。

「あら、イルーゼ様、あの方って……」

 エルマ様の視線の先には亜麻色の髪を綺麗に編み込んで水色のドレスに身を包んだ令嬢が、こちらをじっと見ていた。


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