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第三部

王女殿下と公爵令嬢

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 クラリッサ様の時は不安の方が勝ったけれど、今の私は好奇心の方が上回ったわ。これは多分アンゼルとヴォルフ様のお陰ね。後継を産んで第二夫人の話はもうなくなったし、ヴォルフ様はマルティナ様の話をした時もはっきりと私以外を迎える気はないと仰ったわ。ヴォルフ様を信じるから私もこんなことで一々心を乱すのは止めたわ。ヴォルフ様はずっと私を妻にとの態度を貫いて下さっているから。嫁して二年余りになるけれど、その間ヴォルフ様が他の女性を気にかける素振りもなかったし。

「お会いしたかったですわ、イルーゼ様」

 顔を上げたマルティナ様はにこりと笑みを浮かべた。大人っぽい顔立ちが少しだけ幼くなるわ。可愛らしい方ね、見ているだけなら。でもその皮の下はどんな本性が潜んでいるのかしらとワクワクしてしまう。性格が悪いって思われるかもしれないけれど、こうも夫を狙われたら悪くもなるわよ。表面には出さないし、傷ついた分の慰謝料を求めたりしないのだから心の中で悪態をつくくらいは許してほしいわ。

「まぁ、光栄ですわ」
「何時お会い出来るかと心待ちにしておりましたの。折り入ってお願いがございまして……」

 頬をバラ色に染めてマルティナ様が小さな音を立てて両手を胸の前で合わせた。私の腰にあったヴォルフ様の手に微かに力が入るのを感じた。

「お断りしますわ」

 にっこりと笑みを浮かべてそう告げると、マルティナ様だけでなくデットリック様や公爵も固まった。

「ま、まだ何も申しておりませんよ?」

 困惑の表情を浮かべるマルティナ様だけど、どうしてお願いごとを私がきくと思うのかしら?

「まぁ、申し訳ありません。でも、私、どなた様からもお願いごとはお断りしておりますの」
「え?」
「ゾルガー侯爵夫人という立場にいると色んな方が色んなお願いごとを持ってこられるのです。でも、全ての方のお願いを叶えて差し上げることは不可能でしょう? それに一部の方の願いだけ叶えては依怙贔屓になってしまいますし。ですから私、どなた様も平等にお断りしておりますの」

 言った言葉に嘘はないわ。筆頭侯爵夫人の私に便宜を計ってくれるようお願いに来る人は後を絶たない。でも、一人の願いを叶えればその裏で誰かが損をする。ゾルガー家に関わるものなら一考の余地はあるけれど、そういう類いのものは当主であるヴォルフ様に持っていくべき。でもそれをしないのは何かしらの思惑があるからで、それが我が家にとっていいことだとは思えないから。

「そ、それは……」

 マルティナ様はクラリッサ様よりもしっかりしていたらしく、私の言った言葉を理解してくれたらしい。よかったわ、わかって下さって。まぁ、ヴォルフ様を譲れと言われても断るけれど。第一譲るとか譲らないとか、ヴォルフ様に失礼じゃない? ヴォルフ様は物じゃないのだから。

「はははっ、イルーゼ夫人は中々に賢い方のようだな」

 愉快そうに笑い声をあげたのはデットリック様だった。この方、何でも面白がりそうね。マルティナ様も気まずそうな表情を浮かべているし、公爵は呆気に取られているように見えた。その時だった。

「マルティナお姉様を虐めないで!!」

 会場に甲高い声が上がって、周囲の視線が一斉にこちらに向けられた。声の主はエルフリーナ様で、マルティナ様を庇うように一歩前に出て私を睨みつけていた。まるでお姫様を守る騎士のよう。健気な姿は愛らしいけれど、この構図はちょっと困ったわね。これじゃ私がマルティナ様を虐めていたみたいじゃない……

「え? ちょ! エルフリーナ様!」

 でも、私以上に焦ったのはマルティナ様の方だったけれど、何だか言葉遣いが……エルフリーナ様の側に立って腕を取っている姿は淑女らしくないというか……

「エルフリーナ様、何を仰っているのです?」
「何って、その女がマルティナお姉様に酷いことを言ったからでしょう?」
「ええっ?」

 驚いていたのはマルティナ様の方だった。いえいえ、エルフリーナ様、マルティナ様は今から私に酷いことを言う予定だったのですよ。マルティナ様にはその自覚がおありですし。

「だって、お姉様のお願いを、話も聞かずに断ったじゃない! お母様が仰っていたわ。人の話は最後まで聞かなきゃいけないって。そうしないと正しい判断が出来ないからって」
「エルフリーナ様……」

 なるほど、エルフリーナ様はしっかり躾けられてきたのね。ただ、私の言った言葉の意味が理解出来なかっただけで。それもこの年では仕方がないかもしれないけれど……困ったわね。この真相が世間に知れたらエルフリーナ様はリカード殿下の婚約者から外されてしまうかもしれないわ。

「エルフリーナ、それを言うならお前こそ礼を失している」
「お、お父様?」

 止めようとして失敗したマルティナ様に代わって諫めたのは実父のデットリック様だった。

「そもそも、大人の会話に口を挟むなと言われていただろう?」
「そ、それは……」

 父親に優しく諭されたエルフリーナ様だけど、一気に怯えた表情を浮かべた。父親にはあまり懐いていないのかしら?

「それにイルーゼ夫人の言ったことは間違っていない」
「で、ですが……」
「夫人は王族と同じくらいに偉いんだ。そんな立場にいる者が皆のお願いを叶えたらどうなると思う?」
「どう、って……」

 何かを言いかけて、そこで言葉が途切れた。今になってようやく言葉の意味を理解したみたいね。まだ完全にではなさそうだけど。

「お前はこのローゼンベルグの王妃になるためにここにいるのだろう? その様な態度では王妃の重責は務まらぬぞ」
「も、申し訳ございません……」

 ドレスの裾をぎゅっと握ってエルフリーナ様が父親に頭を下げた。娘を諭す優しい父親に見えるけれど……どうやらデットリック様は高圧的な方のようね。実子なのにここまで委縮させてしまうなんて。

「ああ、すまないね、イルーゼ夫人」
「い、いえ……」
「この子はまだ社交界に出すには早かったようだ」
「まぁ、そんなことはありませんわ。今のお言葉はオイラー公爵令嬢を思ってのことでしょう? 実の姉妹のようで微笑ましいですわ」

 取り成すように笑顔でそう告げると、ほっとした空気が流れた。場が収まったしこれでよかったのかしら? でも、私が公爵令嬢を虐めているみたいな空気が残らなきゃいいのだけど。だってデットリック様の声は小さくて、周りの人には聞こえていなかったように思うから。



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