あなたに愛や恋は求めません【書籍化】

灰銀猫

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第二部

暗示の後

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 目が覚めると一人だった。その理由にため息が出てしまう。ヴォルフ様との距離がまた離れてしまったのだから。そうなるたびに何か粗相をしたのかと困惑したけれど、暗示だと知ってからは少し気持ちが楽になった。暗示はヴォルフ様を、巡り巡って私やゾルガー家を、王家を護るためのもの。常に冷静で最適な判断が出来るためにと代々ゾルガー家に伝わっている秘密の一つ。小さなミスが命取りにもなると理解しているから止めてほしいなんて思わないけれど、寂しいと思う気持ちは止められない。そう思うくらいは許してほしいわ。

 窓から光が差し込んで、既に日が昇ったと伝えてくる。身体を起こすと疲れはあまり感じなかった。昨夜の交接はいつもより激しさも回数も少なかったから。何というか、集中し切れなかった気がする。それは多分ヴォルフ様もそうだったように思う。それもこの窓のせいだと思う。最中に窓から誰かが侵入するのではとの不安を感じてしまったから。今も窓から差し込む日差しに慣れないわ。サイドテーブルにある呼び鈴を鳴らした。

「イルーゼ様、お目覚めになりましたか?」

 直ぐにザーラが居間から顔を出した。ヴォルフ様は既に執務室だった。私は慣れない旅で疲れているだろうから起きるまで寝かせておくようにと言付かっていたという。そういう心遣いは変わらないわ。

「寝過ごしてしまったわね」
「そんなことはありませんわ。でももう少しで朝食のお時間です」
「そう、じゃ着替えるから手伝って」
「はい、先ずは洗顔を。今お湯をお持ちしますね」

 そう言うとザーラが居間へと消えていった。ベッドから下りて彼女を追う。目が覚めて部屋の中が明るいのが変な感じだわ。昨夜は移動の疲れもあったからよく眠れたけれど、今夜からは眠りが浅くなりそう。実家でもそうだったけれど。

 顔を洗って着替えを済ませ、髪をまとめて貰う。用意されたのは昨夜酒宴で着ていたような簡素なドレスだった。ここではこれで過ごすってことね。締め付け感がなくて軽いから有難いわ。支度がもう少しで終わると言う頃にフォルカーが朝食の用意が出来たと呼びに来た。

 食堂に入ると既にヴォルフ様とフレディ様が座っていたわ。遅くなったことを詫びると大して待っていないと言って下さった。お二人とも昨夜と同じ簡素な服装だったからこれで正解なのね。気楽さに慣れたらコルセットが出来なくなりそうだわ。それに体型にも気を付けないと。一月後には陛下の誕生を祝う夜会があるのだから。

「よく眠れたか?」
「はい」

 簡単な会話を交わした後、食事はいつも通り粛々と進んだ。ヴォルフ様もフレディ様も話すタイプではないから会話が少ないのはいつも通り。もうそれを苦に感じることはないわ。チラとヴォルフ様の様子を伺う。いつもと変わりないけれど、暗示をかける前ならもう少し言葉があった。それが分かるくらいにはヴォルフ様のことを理解出来るようになったわ。どんな暗示をかけているのかまでは教えてくれないけれど、暗示があってもヴォルフ様はヴォルフ様だわ。

「イルーゼ、今日は一人で過ごしてくれ。今日中に仕事を終わらせる」
「わかりましたわ」

 それは予定通りね。私は観光に来たようなものだけどヴォルフ様は違う。久しぶりの領地でやらなければならないことがたくさんおありになる。滞在中に仕事を優先するのは当然だけど、私との時間を作ろうとして下さっている。だから邪魔はしないわ。

 朝食後、何をしようかと考えているとオリスがやってきた。フレディ様が庭でお茶でも飲まないかと言っているという。することもないのでお受けする。領地のことなどはフレディ様がお詳しいし、それ以外でも色々聞いてみたいもの。

 案内されたのは庭の四阿だった。王都のそれとは違って素朴で木を組んだだけの簡素なものだけど、小さな黄色い花をつけるつる植物に飾られていたわ。黄色い花とヴォルフ様の目のような鮮やかな緑が互いを引き立て合っているように見える。素敵だわ。

「やぁ、イルーゼ」
「フレディ、お招きありがとう」

 お互いに呼び捨てをするのにも慣れたわ。いつだったか王都の屋敷にお忍びで来た王太子殿下の提案からこうなったのよね。互いにイルーゼ嬢フレディ様と呼び合っていた私たちに、家族なのに固い、他人行儀過ぎて仲が悪いと噂になっていると言われたのが始まり。その頃には気安く冗談を言うくらいには打ち解けていたのもあってこうなったわ。私はまだ慣れなくてつい様を付けて呼びそうになるのだけど。

 四阿には私とフレディ様、いえフレディとオリス、そしてマルガの四人だけ。ザーラは寝ずの番をしてくれたから今は休んで貰っている。マルガがお茶を淹れてくれてオリスがお菓子を並べてくれた。

「昨夜は驚いただろう?」
「ええ、見る物も着る物も食べる物も初めてのものばかりで新鮮でしたわ」
「そうだろうな。王都とは全く別物だから。俺はこっちのほうが気楽でいいけど」
「わかりますわ。私の場合、特に服が楽過ぎて……王都に戻ったらコルセットを付けるのが嫌になりそうですわ」
「ああ、女性は特にそうだろうね」

 本当に気を付けないとドレスが入らなくなりそう。死活問題だわ。それからは領邸のことや昨夜の酒宴で出た料理のことなどを教えて貰ったわ。あまり食べられなかったけれど、ここでの料理は王都のそれに比べると調理は簡単で豪快なのだとか。確かに骨が付いたままの肉が出てきたのには驚いたわ。王都ではそんなこと基本的ないから。

「フレディはすっかり馴染んでいるわね」
「そうだな。最近はこっちで過ごすことが多いからな。それに堅苦しさもないし。いずれはこっちに腰を落ち着けたいよ」
「ふふっ、そうなったらヴォルフ様よりも逞しくなってしまいそうね」
「そうだな。こっちは馬で視察に行ったり、夜盗討伐も行くし。身体を動かすことも多いからな。少しは叔父上に近付けるかな」
「フレディなら出来ますわ。そうなると王都の令嬢方が一層喜びそうですわね

 男性の好みが変わったのもあって、フレディの人気は以前よりも確実に高くなっているわ。婚約者がいても憧れて私に橋渡しをと頼んでくる令嬢も少なくない。全てお断りしているけれど。

「それは困るな。気のない相手に思われても対処に困る」

 眉をしかめて眉間にしわを刻む姿は本気で嫌がっているように見えた。上手くあしらえるほど女性慣れしていないし、お優しいから無下にも出来ないのよね。でもその言い方って……

「ふふっ、それではまるでどなたか想う方がいるように見えますわね」
「……っ!」

 からかうなと言われるだろうと思ってそう言ったのだけど……返事はなく、不思議に思って視線を向けると赤くなっているフレディがいた。

「フ、フレディ……ひょっとして……まさか、本当に?」

 狼狽えるフレディに私まで動揺してしまったわ。相手は誰なの? ロジーナ様、じゃないわよね。ロジーナ様は王太后様の遺品を整理している際にご自身の出自を知ってしまって、今は婚約白紙を願い出ている。今白紙にすると二人に釣書が押し寄せるからと、どちらかに相手が出来るまでは公表しない方針になっているのだけど……

「……よ、よかったと言っていいのかしら?」
「……いや、イルーゼ……その……」
「お相手はどなたですの? 応援しますわ」
「それは……あの、まだそういう関係では……」

 赤くなってしどろもどろになってしまわれたわ。初心なのよね、身体が大きくて怖そうに見えるのに。

「ではこれから口説きに行かれると?」
「そ、そうなる、かな……」
「それでお相手は? 相手がわからなければお手伝いも出来ませんわ」」

 中々相手の名を言わないのでもう一度尋ねた。

「ご心配なく。誰にも言いませんわ。あ、もしかして昨夜親しく話していたご令嬢とか?」
「え! い、いや、それは……」

 顔は良く見えなかったけれど、随分距離が近かったように見えるわ。分家の御令嬢かしら? でも分家の令嬢ならリット家の養女にするなどすれば問題ないわ。侯爵家でも分家から妻を迎えることは珍しくないもの。血の存続のためにはよくあることだし。

「ち、違うんだ……」
「違う? だったらどなたが……」
「イルーゼ様、フレディは繊細なんです。あまり問い詰めるのは……」

 止めに入ったのはオリスだった。

「そうは言うけどオリス、ぼやぼやしているとどこかの誰かにご令嬢を攫われてしまうわよ」

 そう言うとフレディが目に見えて固まったわ。これは……恋敵がいるのかしら?




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