あなたに愛や恋は求めません【書籍化】

灰銀猫

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第二部

人見知り

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 私の腕を振り払って、エドゼルがお義姉様にしがみついてしまった。しかも顔まで隠して。

「エ、エドゼル?」

 差し出した私の手が虚しく宙に浮いたまま取り残された。エドゼルは泣きながら全力で私を拒否している。そんな、どうして? 前に会った時はあんなに笑ってくれたのに……

「ごめんなさいね。最近人見知りが酷くて……」
「人見知り……」
「大丈夫よ。暫く一緒にいれば」

 暫くって……会っていなかったのはたった一月ほどなのに? なのにもう忘れられてしまったなんて……こんなことなら無理をしてでも会いに来ればよかった。

 それから暫くはお義姉様の腕に抱かれたエドゼルに話しかけたり、持ってきたおもちゃを見せたりして距離を詰めていった。時間が経てば少しずつ警戒を緩めてくれて、最後には抱っこもさせてくれた。

「わ、重くなったわね」
「ぅあ~うぅ~」

 それでも心細いのかお義姉様に手を伸ばしている。以前は私にも笑いかけてくれたのに……それにしても重くなったわ……今回はずしりとした重みを感じる。それだけ成長しているのね。そこは嬉しいのだけど、人見知りは悲しすぎるわ……でも、我が子なら……ヴォルフ様そっくりな子が、私にだけ……やだ、ちょっと、いえかなり嬉しいかも。そんなことを思っている間も顔を叩かれた。こんなに小さい手なのに、痛いわ。

「エドゼル?」
「あーうぅ~」

 名前を呼ぶと理解しているのか返事をしてくれた。賢いのね。私の髪が気になるのか仕切りに手を伸ばしてくる。手も大きくなったわね。それに力が凄いわ、こんなに小さいのに。それでも柔らかさは変わらない。

「本当に可愛いわ……私も、早く欲しい……」

 柔らかい金の髪もつぶらな瞳もふくふくした頬も……全身で私を魅了してきて、勝てる気が全くしない……

「ふふっ、お気持ちわかりますわ。私も実際に育ててみていっそう強くそう感じましたから」
「ええ。本当に。エドゼル、どう? うちの子にならない?」
「う~ぁあう~」
 
 私がそう問いかけると、じっと私を見て、少し間をおいてからそう答えた。青く澄んだ瞳が可愛い……いいよと言われた気がしたわ。

「エドゼル、いいの?」
「うふふ、ダメですわよ、イルーゼ様」

 横からお義姉様の牽制が入ってしまった。笑顔なのに怖いわ……残念だけど連れて帰るのはだめよね。

「イルーゼ様はまだこれからですわ。でも、そのためには早く侯爵家にお戻りになりませんとね」
「そう、ですわね」

 今も執務室でお忙しくしているだろうヴォルフ様を思い浮かべた。家を出てきたばかりなのにもう恋しいわ。早く帰りたいけれどそういう訳にもいかないのよね。やるべきことを片付けないと帰れないわ。それまではエドゼルで癒されるしかないわね。

 それから暫くはエドゼルと遊んでいたけれど、ぐずり始めたので楽しい時間は終わってしまったわ。仕方がないわね、まだ小さいのだもの。乳母に連れていかれるエドゼルを見送りながら、お義姉様よりも乳母に懐いているのだなと感じた。そうね、お義姉様は授乳が出来ないし、仕事もあるからずっと一緒にはいられないもの。お腹を満たしてくれて過ごす時間が長い方に懐くのは仕方がないわね。私も……そうなるのかしらとまだ来ぬ我が子を思った。

 でも、今はそれよりも実家のことね。

「イルーゼ様、それで……今回はどうされたのです? お子のことで悩んで、という訳ではありませんでしょう?」

 ロッテがお茶を淹れ直してくれた。美味しいけれど渋みが強いのはお義姉様の好みかしら。

「ええ。少し、気になったことがありまして」
「もしかして……ヨアキム様のことかしら?」

 ヨアキム様はリンハルト伯爵家の次男で兄の同級だった方。王宮に文官として出仕していて、中々な美男子で華やかな噂もちらほら聞こえてくる。そのヨアキム様が兄の見舞いと称して頻繁にこの屋敷を訪れているのよね。

「ええ、お見舞いに来られるほど仲が良かったとは聞いたことがなくて。少し気になりましたの」
「私も驚きましたわ。今までも夜会で顔を合わせればご挨拶はしましたけれど……」

 それはつまり、顔を知っているだけの関係ということ。独身時代も含めてあの方が我が家を訪れた覚えもない。

「それで、お見舞いだけでしたの?」
「それが……共同事業をしようと」
「共同事業?」

 ヨアキム様の提案はこうだった。リンハルト領はガウス領の南に接し、その境には大きな川が通っている。この川は大雨が降るとよく溢れるので橋を架けるのが難しい。そのため今までは舟で渡るか大回りしないといけなかったのだけど、そこに橋をかけようというものだった。確かに橋をかければ往来も増えて利は大きいのだけど、これまで橋がなかったのには理由がある。簡単ではないからだ。

「どうもリンハルト伯爵が乗り気なのだとか」
「伯爵が……確かに検討する価値はありますわね」
「ええ」

 魅力的な話だけど、そのためには膨大な資金と労力が必要になるわ。でも、リンハルト伯爵家は一昨年の水害で被害が出ていて、今はそちら対策が先ではないかしら。それに……そんな余裕もないはずなのだけど。

「それで、お義姉様はどうお考えですの?」

 さり気なくお義姉様を見た。やっぱりお綺麗だわ。父や兄なんかよりもずっと貫禄があるし。

「話にならないと思いますわ。我が家はもちろんですけれど、リンハルト伯爵家にもそんな余裕はありませんでしょう?」
「ええ」

 お義姉様がにこりと笑みを浮かべた。よかったわ、あちら側じゃなくて。

「それに、急にレイモンド様に近付いてきたのも気になりますわ。もし家同士の事業なら伯爵がお義父様に話を持って来られるでしょうし」
「そうなりますわね」

 家の事業、しかもこれだけ大掛かりな物なら当主自ら話を持ってくるわ。いくら王宮にお勤めでも嫡男でもないヨアキム様が出てくるのは不自然だし、我が家に対しても礼を失している。それは兄への感情を表しているってことかしら。

「きっと、何か別のお考えがおありなのだと、そう思っていますわ」
「別のお考えとは?」
「そうですわね……私を篭絡して愛人に収まり、この家を好きにする、かしら?」
「お義姉様はどうお考えですの?」
「……残念だけど、あんな浮ついた方はちょっと……」

 そう言いながら顎に指を当てる姿はいつもよりも幼く見えた。ヨアキム様に思うところはないようでホッとしたわ。あの兄の妻でいることに疲れて恋人を……なんて可能性もないとはいえなかったもの。それでも家に影響がない限りは知らん顔をするつもりだった。政略結婚が主の貴族ではよくあることだし、お義姉様にも癒しや支えは必要だと思うから。

「残念ですわ。お義姉様のお心の支えになればと思っていましたけれど」
「さすがに私も相手を選ぶわ。この家とエドゼルを醜聞で汚したくないもの。私はそこまで趣味は悪くないわよ」
「でも、夫があれではどんな男性も素敵に見えますわ」

 残念ながら兄は夫としても最低の部類に入る。能力もないのに威張りたがりで思いやりもなくて。お義姉様みたいに優秀で美人で性格もいい女性なんて兄には勿体なさ過ぎるわ。もっと大切にすれば兄の株も上がったのに。

「ふふっ、確かにレイモンド様は困った方ですものね。最近は特に……」

 何かを言いかけてお義姉様が口を噤んだ。何だか言ってはいけないことを言ってしまったような?

「お義姉様、兄がどうかしました?」

 また何かやらかしたのではないでしょうね。身体が不自由になってからは癇癪が酷くなったと聞くけれど……まさかお義姉様に酷いことを?

「お義姉様、遠慮せずに仰って下さい。手に余るようなら領地に、父の元に送り届けますわ」
「ありがとう、イルーゼ様。でも……違うの。そうではないの……」

 珍しくお義姉様が動揺しているように見えたわ。何があったの?

「……イルーゼ様、私……もしかしたら、レイモンド様を……壊してしまったかもしれません……」



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