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第二部

出立前夜

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 王太子殿下からのこの急な呼び出しは最初から罠だとわかっていた。ヴォルフ様は王太子殿下にも話していて、もし急な用件があればその時はヴォルフ様が事前に指定した方法で連絡を取るよう伝えていた。何日も前からヴォルフ様には王家の影が付いていて、これはゾルガーの影も同じで、違うのは屋敷の中に入れるかどうかの差。殿下にはザイデル伯爵やフリーデル公爵らのことも含めて話をしてあり、必要に応じて殿下も動いて下さることになっていた。

 殿下が動いて下さるなら我が家の出番はないかもしれないと思ったけれど、ゾルガー家で捜索隊を出さなければ我が家の騎士や使用人たちが黙っていない。それくらいヴォルフ様はこの家では絶対的な存在だった。

 フレディ様は今回、当主代行を務めるようヴォルフ様に命じられた。彼には十分な後継者教育をしているのだけど、自信がないせいで自分には無理だと思い込んでいる節がある。それではいざという時に困るからと、早い話が荒治療を課されたのだ。

 私はフレディ様の補佐をするのかと思ったけれど、それではフレディ様が私を当てにするかもしれない、そうなっては意味がないと離されることになった。どうするのかと思った私にヴォルフ様は、王太子殿下が滞在する離宮へ行くようにと言われた。ゾルガー邸以外で私を守れるのは王族がいる離宮くらいしかなく、それなら捜索隊に紛れて私を送り届けることが出来るからと。

 まさかそんなことになるとは思わなくて驚いたけれど、確かにそれ以外で私が安全な場所はない。ヴォルフ様が狙われているということは私も狙われているのだから。特にフリーデル公爵はもしヴォルフ様が頷かなければ私を攫ってでも……と考えてもおかしくはないし、むしろいなくなってくれた方が好都合。それはザイデル伯爵も同じ。後がない人たちは普通なら絶対にやらないような手でも強引に使ってくる。ヴォルフ様を王太子殿下の名を騙って呼び出したのがその証拠。彼らは相当に追い詰められている。私のせいでフレディ様が動けなくなる可能性もあるしその逆もある。ヴォルフ様から見た私たちはまだまだ色んな事が足りていないのでしょうね。

 もっとも、この計画も私がヴォルフ様のお子を身籠っていないから出来ることなのだけど。もしこの可能性があったら状況は変わったでしょうね。フリーデル公爵はもっと強硬な手に出たかもしれない。私を攫ってお腹の子共々殺す、とか。

 捜索隊の人選はあらかじめヴォルフ様がリストを作っていたので、それを元にフレディ様がグレンと相談して決めていた。今回はティオとグレンがフレディ様の補佐として支えることになっている。大まかな流れもヴォルフ様から教えていただいていて、それは私も一緒に聞いていた。いつどこで何が起こってもいいようにと、最近は私もこういう話の時には同席させられる。ヴォルフ様とフレディ様が不在の場合は私が動かなければいけないからだとか。

 普通の夫人はそんなことしないのだけど、ヴォルフ様は「お前なら出来るだろう」と言って同席させる。それは喜んでいいのかしら? 度胸があると見込まれたのは嬉しいけれど、今は昔ほど無鉄砲に動けないのに。

 今後の流れを確認した後、ヴォルフ様の私室に戻った。湯あみの準備が途中で止まっていたから、ロッテたちがお湯を運び直してくれている。重いのに申し訳ないけれど、今は湯冷めして風邪をひくわけにもいかないのよね。それまでにザーラと共に明日着る女性用の騎士服を確認した。ゾルガーには女性の騎士もいるけれどデザインは同じ。黒に近い濃緑を基調に黒と緑が釦などに使われている。派手さはなく実用性重視だから余計な装飾もないわ。

 お湯の準備が出来たとロッテが呼びに来た。後の世話はロッテとスージーに頼んで、ザーラとロッテには明日の準備をするために下がるように伝えた。きっと明日からは彼女たちにはかなりの負担をかけるからしっかり休んでほしい。

「イルーゼ嬢、本当に行かれるのですか?」

 私の髪を洗いながらロッテが不安そうに声を震わせた。

「行くわ。せっかくヴォルフ様が下さった機会ですもの」
「でもイルーゼ様、乗馬は……」
「……以前よりは大分マシになったわよ」
「でも……馬で駆けても一日半はかかりますよ。大丈夫なのですか?」

 そう言われると自信が揺らぐわ。そんなに長く馬に乗ったことがないから。それに子どもの頃に噛まれたせいで馬は苦手なのよね。あれは兄が馬に悪戯をしたからで、側にいた私がとばっちりを受けたのだけど。理不尽だと感じたこともあってどうしても苦手意識が先に立つ。馬にもそれが伝わるようで中々上手くいない。

「でも行くしかないわ。何とかなるでしょ」

 ヴォルフ様も私の乗馬の腕前はご存じだけど、それでも行けと仰ったのなら問題ないはずよ。

「楽観視し過ぎて心配です。私もお供出来たらよかったのに……」
「ロッテは馬がダメなんだから仕方ないわ。無理はダメよ」
「馬がダメなんじゃありません。高いのがダメなだけです。ロバなら平気なのに……」

 ロッテは意外にも高所恐怖症だった。表情に出さないから気付かなかったのだけど、さすがに動く馬は不安定で耐えられなかった。動物好きで馬も可愛いと言って撫でたりするくらい好きだけど、それと乗るのは別問題らしい。

「はぁ……お戻りになるまで無茶はなさらないで下さいね」
「わかっているわよ。最近無茶なことなんかしていないでしょ?」
「馬で行くと仰ったことが無茶なのです。馬車で行くことも出来ましたのに」
「馬車は乗り心地が悪いから止めた方がいいと言われたんだから仕方ないでしょう」

 捜索隊には食料や野営のテントなどを積んだ小型の馬車も同行するからいざとなったらそっちにも乗れる。でも乗り心地は最悪らしく馬の方がマシらしい。学生の頃はエルマ様と何度か遠乗りに行ったこともあるのだから問題ないはず。

「今夜の香油は香りの弱いものにしますよ」
「ええ、お願い」

 髪を拭いて貰って気持ちを落ち着けるお茶を飲む。ヴォルフ様はいらっしゃらないし、あんなことがあっては気が昂って眠れそうにないけれど、少しだけでも身体を休めないと。夜明けと共に出発するから早く休まないといけないわね。ロッテはこのまま寝ずの番で時間になったら起こしに来てくれる。眠れなくてもいいから身体を横にして下さいと言われたので、ヴォルフ様の寝室に入った。

 窓もない真っ暗な空間も最初は落ち着かなかったけれど、今ではどこよりも心地よくて安心を感じる。冷たいシーツが寂しい。ヴォルフ様は今どこにいらっしゃるのかしら? 酷い目に遭わされていない? お強いから滅多なことはないと思うけれど、拘束されたり薬を盛られたりしたらと考えると不安が募る。王家と我が家の影が付いていると言うけれど、馬車で連れ去られたのなら影が振り切られて見失っているかもしれない……

「……ヴォルフ様……」

 名を呼んでも返事はなかった。わかっているけれど心が冷える。早くお顔が見たい。昨夜感じた温もりを思い出すと目の奥が熱くなってきた。ダメだわ、早く寝なきゃいけないのに。胸元の首飾りの飾りに指を添える。婚姻後初めてのヴォルフ様の誕生日に宝石商に頼んで作って貰ったお揃いのそれ。装飾が少なくヴォルフ様の瞳の色と同じ夏の葉色の輝石。今も身に着けて下さっているかしら? そんな小さな繋がりでも縋りたくなる。ヴォルフ様の枕を抱きしめてみたけれど、いつもの香りはしなかった。




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