あなたに愛や恋は求めません【書籍化】

灰銀猫

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第二部

公爵令嬢の提案

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 大丈夫なのか気を揉みながらヴォルフ様と共に南棟の応接間に向かった。いつもと変わらず動じないヴォルフ様を見ていると自分の気が小さいと感じてしまう。

「遅いですよ」

 応接室に入った私たちにかけられたのは公爵の不満を表す言葉だった。

「文句があるなら帰れ」

 ヴォルフ様は無表情で返した。そんな物言いをして大丈夫なのかと思わず息を呑み込んだけれど、違う理由で公爵も同じように息を呑んでた。

「な……!」

 今までそんな扱いを受けたことがなかったのか公爵が目を丸くしていた。隣に腰かけるクラリッサ様もだ。今日はゲオルグ様は来なかったのね。それだけで気が楽になった。

「前触れもなく押しかけて来たのはそちらだ。不満なら帰ればいい」

 さらに追い打ちをかけるようにヴォルフ様が言い放った。

「無礼な!!」

 声を上げたのは彼らの後ろに立つ従者の一人だった。

「貴様! いくら筆頭侯爵とはいえ言葉が過ぎるぞ!! こちらをアーレントの王族と知ってのことか!」

 怒気を含んだ声が飛んできた。確かに半刻も待たせたのはやり過ぎだったかもしれない。

「それが何だ? 俺の父親はローゼンベルク王、母親はアーレント王と王族の血を引く正妃の間に生まれた王女。臣下出身の側妃が産んだ元王子に無礼だと言われる筋合いはない」
「なにを……っ!!」

 私の心配をよそにヴォルフ様はいつも通りだった。勢い付いていた従者は抗議の声を上げたけれど、その声は続かなかった。ヴォルフ様の言葉の意味を理解したのね。いくら美しく寵姫と持て囃されようと公爵の母親は伯爵家の娘。公式の場では王族の血が濃いほどと尊ばれるのは各国共通で、陛下の実子と公表された今は公爵よりもヴォルフ様の方が上になる。

「……失礼した。確かに仰る通りだ」
「閣下!!」
「控えろ」

 公爵が頭を下げ、従者が驚きを含んだ声を上げたけれど、公爵は軽く手を挙げて従者を制した。従者は不満そうに顔を歪めたけれど主の意には逆らえないわよね。クラリッサ様はまだ驚きから冷めないように見えた。

「それで何の用だ?」
「……お座りになりませんか?」

 ヴォルフ様の問いに公爵が質問で返した。そう、私たちはまだ立ったままだったから。

「用件を言え。内容による」

 その言葉はヴォルフ様が彼らに時間を割く必要性を感じていないことを物語っていた。公爵たちの望みは予想しているものね。

「では遠慮なく。今回の話は両国の友好に有益なものです」
「それはアーレント王の意向か?」

 ヴォルフ様の問いに答えは帰ってこなかった。公爵の独断なのね。だったら断っても問題ないかしら。

「ヴォルフ様、お願いします! どうか私共の話をお聞き届けくださいませ」

 殺伐とした空気の中、涼やかな声を上げたのはクラリッサ様だった。両手を胸の前で組んで目を潤ませた姿は可憐でそこだけ別世界のように見えるわ。だけど許可なく名前を呼ぶのはマナー違反、勝手に呼ぶなと一刀……

「俺の名を勝手に呼ぶな」

 ……両断されてしまったわ。無表情に告げられたそれにクラリッサ様が目を丸くして固まってしまった。

「俺の名を呼んでいいのは国王夫妻と王太子、そして妻だけだ」

 ……そう言えば我が国で名を呼んでいるのは私たちだけだった。エーリック様は兄上と呼ぶし、王太子妃殿下や五侯爵の当主はゾルガー侯爵と呼ぶ。後は……そう言えばヴォルフ様が熱を出した時に運んでくれた男性は呼び捨てだったわね。すっかり忘れていたけれど、あの方、誰だったのかしら?

「侯爵、そんな風に言わなくとも……」
「お父様」

 何かを言いかけた公爵の腕に手をかけて止めたのはクラリッサ様だった。公爵は尚も何か言いたげにしていたけれど、クラリッサ様は宥めるように首を振った。

「ゾルガー侯爵様、大変失礼致しました」

 意外にもクラリッサ様は立ち上がると頭を下げて謝罪した。公爵はそんな娘の様子を物言いたげに見ているけれど何も言わなかった。

「侯爵様、お時間がないようですので単刀直入に申し上げますわ。私は十年前に侯爵様に助けて頂いた時からずっとお慕いしておりました。どうか私を妻にして下さいませんか?」

 形のいい眉を下げ、今にも泣き出しそうな表情でクラリッサ様はヴォルフ様にそう訴えた。それからクラリッサ様はヴォルフ様との出会った時のことを話し出した。家族で王宮に招かれていたこと、そこで国王ご夫妻や王太子殿下ご夫妻と歓談したこと、兄二人と庭を散策していたところはぐれて迷子になってしまったこと、その時通りがかったヴォルフ様と出会ったこと、その時に心配することはないと言われ安心して泣いてしまったこと、そのせいでその場に駆けつけた公爵夫人が誤解してヴォルフ様を責めたこと、泣き止んでから母親に本当のことを話して誤解を解き、謝罪の手紙を送ったこと、気にしていないと書かれた返事が来たことなどだ。

「あの時は母が大変失礼致しました。助けて頂いたのに誤解してしまって……」
「その件に関しては私からも改めて謝罪する。侯爵、すまなかった」

 どうやらその話は本当らしく公爵まで頭を下げた。ヴォルフ様は大したことではないと素っ気なかったけれど。

「あれから私は侯爵様だけを想って参りました。周りからは子供の戯言だと言われ続けましたが、伯父様は十年想い続けたら求婚するのを認めると。私はその言葉だけを頼りに今まで努力してきたのです」

 切実に訴える様子は可憐の一言に尽きて、同性なのにくらっとしてしまいそうだった。愛らしくて健気で必死で、並みの男性なら相愛の妻がいても絆されてしまいそう。ヴォルフ様ももしかしたら心が動かされてしまうのではないかしら。そんな不安が急速に胸を覆いつくす。そんな気持ちが顔に出ないようにするのが精一杯だった。

「侯爵、どうかこの子の願いを叶えてやってくれないか? この子は貴殿の妻になるためにこの十年努力してきたんだ。筆頭侯爵の妻として立てるようローゼンベルクについても必死に学んできた。王子妃並のものは持っているよ」

 公爵も必死に訴えてきた。父親として他国に娘を嫁がせる不安もあるでしょうに、それ以上にクラリッサ様の想いを尊重しているのね。彼女が大切に思われているのが伝わってくる。

「イルーゼ様とは政略だと伺いましたわ。ガウス伯爵家からワイン事業の技術提供を受けるためだと。お二人は想い合っているわけでないのですよね?」
「そうだな」

 ヴォルフ様が素っ気なくそう答えた。その言葉に心が軋むけれど事実だから何も言えない。

「だったらどうか私の願いをお聞き届けください。イルーゼ様には我が家から相応の慰謝料をお支払いしますわ。ガウス家の負債の五倍をお支払いしましょう。その上で我が国へのワインの販路もご紹介します。お望みならこれから五年間のワインの輸送費もこちらが持ちますわ」

 それは破格なまでの申し入れだった。それって我が家の負債の額までご存じってことよね。まぁ、調べればわかってしまうものだけど。それの五倍……お義姉様の負担もこれでなくなるわね。残ったお金で新たな事業を起こすことも出来るし、再婚する際の持参金も心配なくなる。しかもワインの販路がアーレントに開かれれば実家は長期的に潤うわね。輸送費がネックだけど、それが五年間免除となれば損はしない。

「いかがですか、イルーゼ様。悪い話ではないでしょう?」
「え、ええ……」

 そう尋ねられたらそうとしか答えられない。悔しいけれど我が家の状況が悪くないのは事実だから。

「だったら私にその座を譲って下さい。イルーゼ様だってご自覚されているのでしょう? ご自身と実家が侯爵様の足枷になっていると」

 向けられた視線は眩しいくらいに真っ直ぐで強い想いを表していた。確かにクラリッサ様の言う通りで私と実家はヴォルフ様の負担になっていて、この先もそれが変わることはない。一方でクラリッサ様を娶ればヴォルフ様には大きな恩恵が与えられるわ。私では絶対にもたらすことが無理な莫大な恩恵が。手に入れた筈の大切な何かが手のひらから静かに零れ落ちていくような気がした。



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