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まさかの……

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 燭台一つだけの部屋は暗く、心許なかった。手元くらいしか見えないのは不便だけどないよりはましだと手を動かした。手の痛みに苦戦しながら作ったのは、シーツを裂いて繋げただけの長い紐だった。万が一の時はこれがあれば逃げ出すことも出来るわ。結び目は大きくして足や手が引っかかるようにしてあるし、この長さなら地面に届かなくても落ちて怪我をしない程度までは下りれるはず。

 問題は下に見張りがいること。暗くて下の様子がわからないからこのまま下りても直ぐに捕まってしまうかもしれない。逃げるなら彼らが他のことに気を取られるような状況を作るのが一番だけど、部屋の中を見て回っても使えそうなものは何もなかった。あるといえば……目に映ったのは唯一の光源でもある燭台くらい。これを使えば確かに騒ぎは起こせるのだけど……

 そんなことを考えていると急ぎ足の靴音が近付いてきた。慌てて紐を上掛の下に隠した。まだ見つかっては困るから。ベッドから離れてソファの後ろに立って扉を見つめていると足音が止まって話し声が聞こえてきた。開けろとか急げと言っているのが聞こえた。何かしら? もしかしてもうバレてしまったの? 緊張感が一気に増した。

「おい女! 主がお待ちだ。直ぐに来い!」

 そう言って顔を出したのはさっきの男だった。急いではいるけれど、慌ててはいないようにも見えるわ。益々不安が込み上げてくる。さっさと逃げればよかったと後悔しても遅かったわ。

「何ですの?」
「知るか! 依頼主が呼んでるんだ。ほら、さっさと来い!」

 そう言うとずかずかと部屋の中へと入って来て腕を掴まれた。痛いと訴えても聞き入れてくれない。何があったの? 向かう先はあの二人がいる部屋の方向だった。もうバレたの? 嫌な予感がシミのように胸の中を黒く染めていく。

「連れてきました!」
「っ!」

 連れて来られたのはさっきの部屋で、力任せに引っ張られて部屋の中に連れ込まれた。掴まれた腕の痛みに声が出そうになる。顔を上げて室内に目をやるとクラウス様とリシェル様は先ほどと変わらずソファに腰かけていて、一方で人の気配がずっと増していた。その中に見知った顔を認めて……息が止まった。

「……ヴォルフ、様……?」

 男たちに囲まれて剣先を向けられていたのはヴォルフ様だった。六人、七人……いえ、遠巻きにしている男たちもいるから二十人はいそう……

「ど、うして……」

 驚き過ぎてそれしか言葉が出なかった。まさか一人で乗り込んで来たなんてことないわよね? それとも、ヴォルフ様も囮でこうしている間に我が家の騎士たちが忍び込んでいる?

「動くな!」

 近づこうとしたらさっきの男に後ろから拘束されて何かを突きつけられた。しまったわ、驚き過ぎて逃げるタイミングを逃していた。

「イルーゼ、無事か?」

 こんな状況なのに気遣って下さるなんて。小さく頷く。

「ははっ、動くなよ! 動けばこの女の首が飛ぶぞ!!」

 低く昏く、でも揶揄うような色を含んだ声に身体が竦む。私が足枷になるなんて……

「ははっ、お前が他人を気遣うとはな! まぁ、一人で正面から乗り込んでくるのも意外だったが」
「え……」

 クラウス様が芝居かかった言い方で嘲笑したけれど……本当お一人で? しかも正面からって、いくらヴォルフ様がお強くても無茶だわ。

「ふふっ、本当に。残念でしたわ、イルーゼ様。私たちに協力して下さったらここで死ぬこともありませんでしたのに」

 リシェル様は同情を装いながらも小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。腹立たしいけれど確かにその通りだわ。いくらヴォルフ様が強くても無謀過ぎる……それでも、来てくれたことが嬉しくて目の奥が痛くなった。ヴォルフ様が私に近付こうとしたけれど周りにいる男たちが一斉に殺気立ったせいで叶わなかった。

「イルーゼ、その手はどうした?」
「え?」

 何のことかわからずヴォルフ様を見つめる。視線を辿った先にはハンカチで結んだ手があった。最初にかけられた言葉が私を案じるものだったから余計に目の奥が熱くなった。そんなの反則だわ、こんな時なのに……

「こ、これは……連れ去られる時に、意識を失いそうになって……」
「怪我をしたのか?」
「え、ええ」

 でももう痛みも感じないし問題はないわ。

「へぇ、お前に嫁を案じる感情なんてあったんだ。意外だねぇ」
「妻を心配するのは夫の務めだ」

 当然のように告げられた言葉に益々目の奥が熱くなる。こんな時に泣きたくない。

「はは! 驚いたな! こんな時に我が身の心配よりも嫁の心配? やっぱりずれているのは変わらないな!」
「ふふ、でもイルーゼ様にはよかったのではなくて? 最期に妻らしく心配して貰えたのだから。さぁ、二人揃って仲良くあの世に送ってあげるわ! お前たち! この二人をさっさと片付けてちょうだい! まずはその男からよ!」

 リシェル様の言葉にその場にいた男たちが一気に殺気立ち、ヴォルフ様に向けて一斉に剣を振るったけれど……

「ぎゃ!」
「な……!?」
「ぐわぁっ!!」

 次の瞬間、ヴォルフ様に襲い掛かった男たちが一斉に地に倒れ、私を拘束している男が息を呑む音が聞こえた。何が起きたのか全く理解出来ないけれど、男たちに何かしたのはヴォルフ様だということだけはわかった。だったら……!

「ぎゃぁ!」

 髪飾りを手に取ると、私はそれを思いっきり男の腕に突きつけた。カランと軽い音を立てて何かが床に転がった。ヴォルフ様の瞳の色と同じ緑玉が付いた楕円形の髪飾り。その先には中指ほどの長さの先端が尖がった細い棒が付いていた。これは護身用にと持たされたもので、身を守るために使えと言われていた。男が怯む隙に男から離れ、足元に落ちていた短剣を拾ったところで嗅ぎ慣れた匂いに包まれた。一瞬だけ強い力が加わるのを感じた。

「イルーゼ、よくやった」
「……ヴォルフ様のお陰です」

 こんな時なのにヴォルフ様に抱き寄せられた上に褒められてしまったことが嬉しくて顔が綻んでしまった。屋敷で何度かザーラたちを相手に練習したお陰なのだけど、頑張った甲斐があったわ。

「な……何を、何をしている!! 遠慮はいらない! 早くあいつらを殺せ!」

 せっかく感動的な再会なのに無粋な声が部屋に響いた。クラウス様は歯ぎしりが聞こえそうなほどに口を歪め、その向こうではリシェル様が目を見開きながら怯えた表情を浮かべていた。まさか私が反撃するとは思わなかったのでしょうね。私だってただ引き籠っていたわけじゃないのよ。

「早くしろっ!!」

 クラウス様が叫んでも男たちは躊躇していた。男たちが一瞬で倒れたから手を出し兼ねているのだ。

「へぇ、凄いね。夫婦で暗器なんか手にして。この二人、本当にお貴族様なの?」

 睨みあう中、鷹揚とした声が滑り込んできた。こちらに近付く足音に視線を向けると、小柄な少年が現れた。暗くて色はわからないけれど明るい色素を持ち、鼻筋の通った綺麗な顔をしている。

「……へぇ、これを使っているんだ」

 その少年は倒れている男の身体に近付くと何かを拾った。その指先には細い何かがある。あれは……以前、暗殺者が入り込んだ時にヴォルフ様が使ったものかしら? 暗くてよく見えないけれど。ヴォルフ様を見上げると相変わらず無表情でその少年を見ていた。その子に視線を戻すと、その子もじっとヴォルフ様を見ている。こんな時に軽い口調で話せるなんて、この子……

「おい! 貴様! その二人をさっさと片付けろ! そのためにお前のような者を雇ってやったんだからな!!」

 見合う二人の緊張感に誰も声を上げられない空気を裂いたのはクラウス様だった。ということは……彼はクラウス様が雇った暗殺者ってこと? どう見ても未成年なのに?

「煩いなぁ、無茶言わないでよ」
「なんだと!?」

 うんざりした感情が声に現れていて、それにクラウス様が目を釣り上げた。身分意識の強い彼のことだから、身分が下の者にそんな物言いをされるのが許せないのでしょうね。

「簡単に言うけどね、無理だよ」
「は? む、無理だと?」
「うん、だってこの人……絶対に僕より強いもん」



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