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積年の恨み

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「そうね。まだ詳細の連絡はないわ」

 私が直ぐに提案にのらなかったことが気に入らなかったのか、リシェル様の声が低くなった。暗い部屋の中でも眉を顰めたのが見えた。迂闊だったわ、つい心の声が漏れてしまった……

「でもそれも仕方ないわ。アウグストおじ様は慎重な方ですもの。無理に連絡はしないといつも仰っているわ」

 おじ様って……そんな風に呼ぶ仲なのね。

「でも、おじ様はあの男を王宮で追及したのでしょう?」
「そう、ですね。陛下の即位十五周年をお祝いする舞踏会で、ミュンター前侯爵様はヴォルフ様が偽物だと陛下に奏上されました」
「は! やったか!」
「ふふ! 予定通りね!」

 クラウス様とリシェル様の声が喜びに高まった。

「さすがはおじ様ね。これで私たちの恨みもようやく晴らせるわ」
「ああ、先代陛下の懐刀と呼ばれた御方だ。私たちの今後も安泰ですよ、リシェル様」
「ええ。ありがとうクラウス。あなたが諦めずにいてくれたお陰よ」

 手を取り合わんばかりの喜びようからさっきの失言は流されたように感じた。だったら有難いのだけど、真実を告げたらどんな反応が返ってくるのかと今度はそっちが心配になったわ。そうしたら逆上して行動が過激になってしまいそう。よろしくない状況なのは変わらないかも……嫌な汗が背中を伝うのを感じた。

「ふふっ、それであの男はどうなったの?」
「ああ、この上もなく愉快だ。あの男は今どうしている? 貴族牢……いや、地下牢かな? ふふ、あの男には似合いの場所だ」

 声を弾ませる二人に思わず後退りしたくなった。顔には出さなかったけれど。この場をどうやって切り抜けるたらいいのかしら……

「ねぇ、悪者はどうなったの? 教えてくださいな」
「ああ、もったいぶらずに話せよ」

 リシェル様が先を急かしクラウス様が同調した。うう、マズいわ……

「……私は陛下が沙汰を出される前に王宮を辞しましたので……その後どうなっているのかは存じません」
「まぁ、残念。こんなことならもう少し使いを遅らせるべきだったわね」
「そう。で、あの悪党は自分の罪を認めたのか?」

 ニヤニヤしながらクラウス様がグラスの中の琥珀色の液体を回しながら尋ねてきた。話さない訳にはいかないわね。でも本当のことは言えないし。だったら……

「ええ、悪者はご自身の罪を認めました」
「あの男が? 本当に観念したの? 何だか呆気なかったわね」
「ああ、あの男が簡単に認めるとは。意外でしたな」

 自白剤のお陰なのだけどね。それは機密だから言えないけれど。

「ご自身がやったと、一族の者は関係ないと仰っていましたわ。家族は無関係だと」
「へぇ、あの男にも一族だの家族だのを気にする心があったんだ」
「残念だわ! みっともなく乞い縋る姿、見てやりたかったわ」

 悪者や悪党って彼らにとってはヴォルフ様だけど、実際罪に問われたのは前当主。だったら前当主こそが悪者よね。嘘は言っていないわよ、彼らが勝手に勘違いしているだけで。ヴォルフ様がここに辿り着くまで少しでも時間を稼ぎたいわ。

「ああ、残念! あの無表情な顔が悔しさに歪むのを見たらどんなに胸が晴れたかしら」
「ああ、私も見てやりたかったよ。俺はお前達とは違うといわんばかりのすました顔も今回ばかりは歪んだろうに。こんなことなら変装して王宮に忍び込めばよかった」

 歓天喜地の域に達して踊り出しそうな二人に何とも言えない思いになった。煽り過ぎたと後悔したけれど遅かったわ。もし助けが来る前に真実を二人が知ったらその怒りは私に向かってくる。まだその辺の加減が出来ていないわ。難しいわ、会話術って……

「イルーゼ様、それで、どうなさいますの?」

 まだ笑いが治まらないリシェル様にそう問われて心臓が跳ねた。今ここで気付かれるのはまずいわよね。とにかくこの場を切り抜けないと……

「……少し……考えさせてください……」

 従う余地を見せながらも戸惑いを見せた。時間が欲しい。一旦二人から離れてこれからのことも考えたかった。一緒にいるのはさすがに怖いわ。どこでボロが出るかわからないもの。

「そう。でも仕方ないわね。あんな男でも結婚させられれば情がわくのかもしれないし。いいわ、部屋を与えるからゆっくり考えて」
「そうだね。気持ちが落ち着けば誰に付くのが一番か、自ずと理解出来るだろう」

 すっかり私が彼らの申し出を受ける前提で話しているけれどそれは否定しなかった。勘違いしているのならそれでいい、少しでも時間を稼ぎたい。黙り込んだ私をショックを受けているのだろうと受け取ったらしい二人は、侍女らしい女性に私を客間に案内するように命じた。

 案内されたのはあの二人がいる三階ではなく二階の部屋だった。階が違うだけでも気が楽だわ。客間とはいっても十分な用意は出来ていなかったのか雑然としているけれど、さっきの地下の倉庫に比べたらずっとマシだった。

「廊下にも建物の外にも見張りがいる。逃げ出そうなんて考えるなよ」

 さっきの男がそう言って扉を閉じると外から鍵がかけられた音がした。閉じ込められたとはいえ、あの鍵がなければ入って来れないのなら少しはマシかもしれない。仲間にしようと考えているならリシェル様たちの意に反することはしないと思うし。窓があったので開けてみるとあっさりと開いた。あの二人は完全に私が協力すると思っているのかしら。それにしては油断し過ぎよ。でも窓の向こうにはバルコニーも何もなかった。ここは二階だからさすがに飛び降りるのは……無理よね。ドレスでは窓枠に乗り上げるのもおぼつかないし。

 燭台が一つだけの部屋は薄暗く、埃っぽい匂いに満ちていた。窓を開けたままにして空気を入れ替える。部屋の入り口側にソファとテーブルがあり、その奥にベッドがあった。ベッドの反対側にある扉を開けると化粧室がある。これだけでも今は御の字ね。さっきの部屋に戻されずに済んでよかったわ。

 ソファに掛けて頭の中を整理した。多分ここはヴォルフ様が以前話していた、クラウス様が潜伏している可能性があると言っていた王都外れの古屋敷ね。そこにリシェル様もいるとは思わなかったけれど、彼らの話しぶりから二人を支援していたのはミュンターの前当主でしょうね。今日の舞踏会で前当主がヴォルフ様を糾弾することも知っていたのだから。

 そして彼らの目的はヴォルフ様の失脚だ。リシェル様がヴォルフ様を恨んでいたとは予想していなかったけれど、そういうことならクラウス様や前当主と一緒にいるのも理解出来る。そういえばクラウス様の理由はわからないわね。クラウス様はリシェル様を慕っていたとの話もあったからグレシウスに嫁ぐ一因となったお義父様を恨んでヴォルフ様も……ってことかしら。元々対抗意識を持っていたというし、理由なんて案外そんなものなのかもしれないわ。

 彼らの動機や状況は分かったけれど、問題はこれからね。彼らが見つかったのは幸いだけど、どうやってこの場を切り抜けるかが問題だわ。待っていればヴォルフ様が来て下さるとは思うけれど、その前に彼らが真実に気付いてしまったら何をされるかわからない。今は浮かれているけれど、ミュンターの前当主からの連絡が来なければいつかは不審に思うでしょうし、他に協力者がいればそこから知らせが届くかもしれないもの。

 不安な気持ちを宥めたくてヴォルフ様から頂いた髪飾りに触れた。ヴォルフ様の瞳と同じ濃緑の石が付いた髪飾り。今は暗くて鮮やかな緑色が見えないのが寂しい。今頃どこに居らっしゃるかしら? この屋敷に何か起きているとわかれば直ぐに気付いて下さるはずよね。



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