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二人との対峙

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 私を攫ったのはリシェル様とクラウス様だった。こうも予想通りになるとは思わなかったわ。前当主の糾弾が成功したと信じ切っているのかしら? それに意外だわ。リシェル様はヴォルフ様を慕っている様に見えたけれど、今の言い方ではそんな空気は感じないわね。

「そういえば、姉が産気付いたとゾルガー邸に知らせを寄こしたのはあなた方ですの?」
「ええ、そうよ。だって、イルーゼ様ったら外に出ないんですもの。こうでもしなければあの男から引き離せなかったのよ。それにさすがにあの男も……今は自由に動けないでしょう?」

 だったら姉は無関係ってこと? 今の言い方だとそうなるわよね。そしてヴォルフ様は王宮に拘束されていると思っているってことね。

「夫が動けないと? それはどういう意味でしょう?」
「夫人は意外なことを仰る。噂に聞いていますよ。あなたの夫であるヴォルフと名乗る男は偽物だと」

 クラウス様が優越感で歪めた表情で諭すように言った。そういえばこの方はずっとヴォルフ様に対抗意識を持っていたと聞くわ。彼の動機は嫉妬、でいいのかしら?

「全く嘆かわしいことだわ。筆頭侯爵家の当主がどこの誰ともわからない下賤の者だなんて。我が国の品位を疑われてしまいますわ」
「そうそう。誉れ高き五侯爵家、その筆頭が卑賎な身では示しがつかないからね」

 彼らの言っていることからも二人が前当主と通じているのだとわかった。そんなことを言っていたのは前当主くらいだもの。

「お気の毒なイルーゼ様。身分卑しい男の妻にされて、その上新婚早々に破綻だなんて。あの男も良心があるのなら結婚などしなければよかったのに」

 吐き捨てるような言い方はとてもではないがヴォルフ様に近付こうとしていたリシェル様と同一人物とは思えなかった。あんなに熱心に話しかけていたのに……それとも嘘の正体を吹き込まれてご自身のプライドが傷ついたのかしら? でも、真実を知ったらもっとショックかもしれない。なんせ実の兄なのだから。

「どうかして?」

 私が黙り込んでしまったのを不審に思われたらしく、リシェル様が探るような表情を浮かべていた。

「いえ……そんな風に仰るとは思わなかったもので。リシェル様はヴォルフ様を慕っているように見えましたから」

 世間もそう認識していたはずよ。リシェル様が陛下に懇願したという噂もあったくらいだから。

「ふふ、私があの男を? 冗談でしょう?」
「冗談、ですか……」

 小馬鹿にした言い方に嘘は見えなかった。あれは演技だったというの? ヴォルフ様が素っ気なかったのは兄妹だっただけでなくそれをご存じだったから?

「せっかくだから教えてあげるわ。あなたもあの男の犠牲者の一人ですものね」

 気の毒そうな表情からして本心からそう思っている様に見えた。確かにリシェル様の信じていることが真実ならそうなるでしょうね。もしかすると私に同情した風を装って協力者にしようと考えているのかもしれない。

「私はね、あの男を死ぬほど憎んでいるのよ」

 淑女らしからぬ低く吐き捨てるような言い方には多大な怨嗟が込められていた。こんな表情のリシェル様を見るのは初めてかもしれない。

 全ての発端はリシェル様の姉であるアンジェリカ様だった。実は最初にグレイシスの第二王子との婚姻が決まっていたのはアンジェリカ様だったのだ。だけどアンジェリカ様は素行に問題があり、叔父でもあるグレンゲル公爵と必要以上に距離が近く、また令息たちを側に置いていた。このまま嫁げばグレイシスでも問題を起こす可能性があると陛下に奏上したのがお義父様だった。

 当時陛下はまだ即位して間もなく、国内が荒れていたのもありグレイシス王国との関係を出来る限り良好に保っておきたかった。そこでアンジェリカ様は妃としての務めを果たすには身体が弱いことにして、代わりに白羽の矢が立ったのがリシェル様だった。当時まだ十三歳だったリシェル様は困惑したという。既に婚姻は三年後と定められていたからだ。でも三年後でもリシェル様は十六歳、嫁ぐには若すぎて不安しかなかったが、国のためにと父王に懇願されては否と言えなかった。

 それから早急に妃になるための教育が始まったが、アンジェリカ様が何年もかけて行った教育をリシェル様は三年で終えなければならなかった。妃教育に必要な素養も足りていない状態での教育は過酷の一言に尽き、それからの三年間は記憶がないほどに忙しく苦しいものだったという。

 なのに、そんなリシェル様に対してアンジェリカ様は他国に嫁ぐ重圧から解放され、一層自由気ままに過ごすようになった。リシェル様がいる前で令息たちと楽しく過ごす姿にやり切れない思いを募らせたのは仕方のないことだったのかもしれない。そんな彼女の鬱々とした不満が向かった先は姉ではなく変更を奏上した先代のお義父様に向かい、それはグレイシスでの生活の間にゾルガー家そのものになっていたという。

「あの男が……ゾルガーの当主が余計なことを言わなければ、私はあんな苦労をせずに済んだのよ。しかも嫁いだ後もお父様はあちらで冷遇された私に何もしてくれなかったわ」
「確かに嫁ぐきっかけを作ったのは先代当主だったかもしれませんが国を思ってのことですし、それに……さすがに嫁いだ後のことまでは……」

 それはヴォルフ様には関係がない話ではないかしら? お義父様への恨みがヴォルフ様に向かうのはわからなく……もないけれど……でも、ヴォルフ様にとってはとばっちりもいいところよね。

「いいえ、きっとあの男がお父様に余計なことを囁いたのよ! でなければお優しいお父様が私を見捨てるなんてあり得ないもの! お姉様にだってお父様は何も言わなかったのよ。私はお姉様よりもずっと真面目に生きてきたわ。だからお父様が私を放っておく筈がないのよ!」

 それは陛下が忙しくて王女殿下たちの相手をしている余裕がなかったせいじゃないかしら? それに王太后様が隣国出身の王妃様を嫌ってお二人を取り上げたのは有名な話だけど……

「ねぇ、イルーゼ様。あの男は人の心がわからない冷酷で残虐な悪魔のような男よ。そう、かつてこの国を恐怖に陥れた悪虐王のように。あんな男の側にいてはイルーゼ様もいずれ利用されて打ち捨てられてしまうわ」

 ゆっくりとリシェル様が立ち上がってこちらに向かってきた。慈愛の籠った笑みに心を許してしまいそうになるけれど、そもそもの前提が間違っているから全く心に響かないわ。

「心配はいらないわ、破滅させるのはあの男だけでいいの。後継にはフレディがいるわ。彼のお祖母様は私たちの大叔母様に当たられるお方。お望みならフレディ様の妻の座にイルーゼ様を推すことも出来るし、もっといい縁談を用意することも可能よ。ああ、弟のエーリックでもいいわよ?」
「それはいい。あの男よりも年も近いしよっぽどお似合いだよ」

 クラウス様まで同調したけれど、フレディ様もブレッケル公爵もお断りなのだけど……そもそも義理とは言え叔父の妻を甥の妻にするなんて醜聞でしかないし、再婚になる私が未婚のブレッケル公爵の妻になるのもあり得ない。それ以前に、ヴォルフ様が破滅することはないし、私が望むのはヴォルフ様の妻の座なのだけど。

「せっかくのお申し出ですが、お受け致しかねますわ」
「まぁ、どうして? 悪い話ではないのに」

 本気で目を丸くして驚いているわ。そっちの方が驚きなのだけど。前当主の言葉を信じていればそう思うのは仕方のないことなのかもしれないけれど、そんな無茶苦茶な話を陛下が叶えてくれると本気で思っているのかしら?

「お二人は……王宮で起きたことの詳細は、ご存じないのですよね?」

 そして、前当主が失脚したことも……




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