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見知らぬ部屋

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 水滴が落ちる音だけが耳に届く。私は今、どこかの屋敷の物置みたいな部屋に閉じ込められていた。

 辿り着いたのは古い貴族の屋敷だった。暗くてよく見えなかったけれど庭などは整備されているようには見えなかったし、馬車から降りた場所も石畳が欠けていたり雑草が生えていたりで雑然としていた。中に入った時も何となく古びた匂いがしたし、壁が崩れているところもある。長い間手入れがされていなかったのは間違いないわね。

 あれから男たちにこの部屋に連れて来られて放り込まれた。彼らは身なりや仕草から平民でもあまり裕福ではない生まれに見えた。男たちにここはどこなのか、何の目的で私をここに連れてきたのかなど尋ねたけれど、彼らは余計なことを話すなと言ったきり無言を貫いた。私のことを女と呼んだから依頼主から詳しいことは聞いていないのかもしれない。

 灯りのない半地下らしい石造りの部屋。上の方に鉄格子のはまった小窓があって、そこからは僅かに月明かりが差し込んでいるお陰で周りの様子が伺えた。室内には大きな木箱が幾つも積み上がっているし、何かわからない物が雑然と置かれていた。かなり放置されているのか所々に埃が溜まっている。床に座るわけにもいかず木箱の一つに腰を掛けた。

 暫くじっとしていたけれど水滴の音以外は聞こえないし人の気配もない。マルガに怪我はなかったかしら? ザーラもグレンもいたから滅多なことはないと思うけれど。直ぐにヴォルフ様に知らせが行っただろうから今頃は救出に向かってくれている筈。

 手のひらの傷が痛む。意識を失うまいと角のある飾りを思いっきり握ったせいで出来た傷。既に血は止まっているけれど傷口を洗うことも出来ない。ハンカチを忍ばせておいてよかったわ。それを傷口を守るように手に巻く。これでドレスや傷口の汚れを少しは防げるかしら。

 それにしても意識を失ったのは痛かったわ。その間は目印の小石を落とせなかったから足取りが途絶えてしまったでしょうし。石を落とす間隔はあれでよかったかしら? 以前ティオに誘拐された時の対処法として習ったけれど、実践は初めてのことだから上手く出来たか自信がない。そう思うと不安が一気に膨らんできた。大丈夫、ヴォルフ様は来て下さるわ。

 それから随分時間が経った気がするのは何もすることがないせいだと思いたい。部屋の中は粗方見て回ったし木箱の中も確かめたけれど、手掛かりになるものや脱出する方法は見つけられなかった。最初は予想外のことで高揚感があったのか不安をあまり感じなかったのに、何がどうなっているのかわからない不安が時間と共に育っていくのを感じていた。

 不安に押しつぶされそうになっていると靴音が近づいてくるのが聞こえた。自ずと緊張が全身を包む。耳を澄ませて足音に集中すると複数人いるらしい。見張りが見回りに来たのかしら? 足音は扉の前で止まって緊張感が増した。思わず木箱の向こう側に移動して身構える。ガチャガチャと鍵を開けるらしい音がした後、ギギと鈍い音を立てて扉が開いた。

「おい、出ろ! 主がお呼びだ」

 現れたのは三人で、声を上げたのは先頭に立つ中年の男だった。身なりからして平民だけど腰には剣をぶら下げている。騎士崩れ辺りかしら? その後ろにはその男よりも若い私より少し上くらいの男が燭台を手に立っていて、その後ろにもう一人姿が見えたけれど、暗くて姿がよく見えないわ。

「主? 誰のこと?」
「ああ? 何だ、泣き暮れてるかと思ったのに。気が強ぇ女だな」

 こんな時だけとイラっとした。悪かったわね、可愛げがなくて。

「その主って方が私をここへ連れてきたのね。ここはどこなの? 私を連れてきてどうしようというの?」

 些細なことでも言いからとにかく情報が欲しかった。だけど……

「主は主だ。雇い主の名前なんて一々聞いたりしねぇよ。それが流儀ってもんだ。余計なことは喋るなって言われているんだ。黙って付いて来い」

 吐き捨てるようにそう言うと男が部屋の中に入ってきた。残念ながらほしい情報は一つも手に入らなかったわ。いえ、彼らが誰かに頼まれてやったことは確かね。だったら人質ってことかしら? それなら彼らが私をどうにかすることはないってことよね、命令されなければだけど。こうなったら親玉に会って直接聞くしかないわね。

「わかったわ、大人しく付いていくから触らないで」
「最初から大人しくそう言やぁいいんだよ。手間を取らせんな」

 どうやら縛られる心配はなさそうでほっとした。怒らせて暴力を振るわれても困るから黙って男の後ろに付いていった。私の後ろに燭台を持った男ともう一人が続く。拘束されないだけマシかしら。女だから逃げられないと思っているのでしょうけれど。

 三人に前後を挟まれて階段を上がり、廊下を進む。内装や調度品など品はよさそうだけど随分と古いわ。大きさからも長く放置された貴族の屋敷ってところかしら? 進む毎に掃除などが行き届いているように感じた。三人が足を止めたのはとある扉の前だった。男が一人扉を守るように立っていて、私たちを見ると扉を叩いて連れてきましたと中に向かって声をかけた。直ぐに返事があったようで男が扉を開け、男が中に進んだ。誘拐犯との対面に緊張感が増す。気力を振り絞るように大きく息を吸ってから吐いた。早くいけと後ろから声がしたので歩を進めた。

 中に入ると燭台が幾つも置かれているのか、思った以上に明るかった。部屋は応接室のようで品のいい調度品が目を引く。部屋の真ん中にはそこそこ立派なソファが並んでいて、そこに腰かけていたのは……銀の髪を下ろし濃紫のドレスを纏ったこの場にそぐわない艶やかな女性と、金の髪に白っぽい貴族服を着こなして優雅に座る男性だった。

「クラウス様に……リシェル様……生きていらっしゃったのですね」

 予想した通りだった。犯人はやはりこの二人だったのね。だったらここはヴォルフ様が見張っていた王都郊外の屋敷でいいのかしら? それにしても……逃亡したクラウス様はともかく、リシェル様、やはり生きていたのですね。遺体が見つからなかったからその可能性は捨てていなかったから驚きはないわ。ここでの生活は悪くはないようで二人とも思ったほどやつれてはいなかった。部屋の調度も衣装も上位貴族らしい品位を保っているから強力な支援者がいることが伺えた。

「ふふ、お久しぶりですわね、イルーゼ様。私の代わりにゾルガー侯爵夫人になった気分はいかがかしら? でもお可哀相に……あんなどこの馬の骨ともわからぬ男の妻にされて。今はどんなお気持ちかしら?」

 優雅に高価そうな羽を使った扇で口元を隠しながらそう告げる姿は王女らしい優雅なものだった。そして彼女たちがヴォルフ様の正体を知らないこともはっきりしたわ。王太子殿下やブレッケル公爵はご存じだったけれど、リシェル様には知らされていなかったのね。

「どうと尋ねられましても。私はヴォルフ様の妻になれたことをとても光栄に思っております」
「光栄ですって? 貴族ですらないかもしれない男ですのに?」
「ええ。確かにヴォルフ様は貴族の生まれではありませんでしたわ。でも、国王陛下と前ゾルガー侯爵がお決めになった正当な後継者であることには変わりありませんもの」

 貴族ではなく王族だったけれど。しかも第一王子であなた様の兄君になるのだけど。

「ははっ、奴は貴族ですらなかったのか」
「嫌だわ、イルーゼ様ったら。あんな冷酷無情な男に……情が移ってしまったのかしら? ああ、身体から篭絡されてしまったのね。そうでなければあんな男に惹かれる女性なんていないものね」

 王女らしからぬ口調から激しい憎悪が伺えたけれど……リシェル様、ヴォルフ様を慕っていたのではなかったの?





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