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ミュンターの前当主

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 厳粛さが際立った即位式典に続く舞踏会は豪華絢爛の一言に尽きた。他国から王族や高位貴族らが参加するとなれば国力を見せつけるために贅を尽くすのは当然とはいえ、今まで一般的な夜会に数度参加したことしかない私には眩しく場違いにすら感じるほど。それでもヴォルフ様の妻として動揺した姿は見せられないと表情を引き締めて会場に向かった。ロジーナ様は体調不良で欠席されているからフレディ様と三人での入場になる。

「イルーゼ、大丈夫か?」
「はい」

 初めて出席する王宮の舞踏会に緊張する。何が起きるかわからない不安も。何も起きなければいいけれど、仮に何か起きても無事に屋敷に帰って、今頃は心配して落ち着かない時間を過ごしているだろうロッテとティオに無事戻ったと、ただいまと言いたいから。

 舞踏会はいつも通り下位貴族から入場するから私たちは最後になる。既に公爵家が終わり、残るは五侯爵家のみ。ランベルツ家が入場していくのが見えた。五侯爵家はゾルガー、ミュンター、ベルトラム、アルトナー、ランベルツが今の序列になっていて、列に並ぶと前にはミュンター侯爵家が揃っていた。侯爵夫妻と嫡男夫妻、そして前当主。アルビーナ様はハリマン様の婚約者だから既に入場していた。

「おお、これはゾルガー侯爵、フレディ殿も。久しいの」

 私たちの姿を視界に入れて声をかけてきたのは、髪も白く顔に深く皴を刻んだ老齢の男性だった。杖を手にし、ゆったりとした笑顔を浮かべている。ミュンター一家にいるとなればこの方があの……下がり気味の目尻には笑い皴をくっきりと刻み、友人に声をかけるような親しみのある声。友好的な表情はやはりヴォルフ様の命を狙っているようには見えなかった。

「そうだな」
「……ご無沙汰しております」

 私は黙って会釈を返し、ヴォルフ様は安定の素っ気なさで、フレディ様は戸惑いを滲ませながら言葉を返した。何も知らないフレディ様にしてみれば、前当主は大好きな叔父を狙う忌々しい相手、戸惑うのは仕方ないわよね。実の祖父と孫だけどこうして見てもやはり全然似ていないわ。フレディ様はお母様似なのかしら。

「相変わらず愛想がないのう。まぁ貴殿らしいといえばその通りじゃが。いやはや健勝そうでなにより。フレディ殿も、もう立派な青年におなりだな。そして……おお、これが噂の新妻か。いやはやお美しい」

 まるで古くからの知り合いに話しかけるような親し気な様子に、周囲は戸惑いを含んだ視線を向けている。確執を知らない者などいないから当然よね。本当にこの人が? との疑念が心をざわつかせる。

「始めまして、ゾルガー侯爵夫人。わしはミュンターの前当主のアウグスト。既に隠居したしがない爺じゃよ」

 にこにこと笑顔で話しかけられて面食らったけれど、そんな素振りは見せない様に心の中で平常心と何度も繰り返しながら口の端を上げる。

「お初にお目にかかります。イルーゼです」

 ゆったりとした笑みを浮かべて軽く会釈で済ませる。序列的には私の方が上になるから下手に媚びたりはしない。この辺はこれまでに散々ティオやマナーの講師の方々に仕込まれている。彼らの教育は容赦がないし今も継続中で、講師の先生方はこの会場にいらっしゃるからどこで見られているかもわからない。今日は作法の試験でもあるのだから。

「これはこれは、また随分と魅力的な奥方じゃな。いやはや侯爵はよき伴侶を得られた」
「そう言って頂けると嬉しいですわ」

 ヴォルフ様は話さないので私が代わりに答えたけれど、前当主が気を悪くした風はなかった。まぁ、お互い腹の探り合いですものね。私が話をしている間もヴォルフ様は前当主を観察している筈。ヴォルフ様の目に前当主の何が見えているかはわからないけれど、これも予定の内。

「さて、そろそろ我が家の番じゃな。ではまた後ほど」

 そう言った直後にミュンター侯爵家の名が呼ばれた。笑顔で目礼して見送ると前当主は機嫌よさそうに息子夫婦らと共に会場へと入っていった。あれが前当主。思っていた人物とは随分と違ったわ。あれは……確かに厄介かもしれないわ。

「……よく声をかけて来られるものだ」

 嫌悪感を露わにフレディ様が呟いた。この様子では相当に毛嫌いしているわね。やはり本当のことは話さない方がよさそうだわ。そんなことを考えていると我が家の名が呼ばれた。

「行くぞ」
「はい」

 ヴォルフ様の逞しい腕に手を置いて会場内へと進んだ。腕の太さと固さに安堵を感じるのは気のせいかしら。開かれた扉の先から数多の視線が向けられて緊張が増したけれど、胸を張って背を伸ばした。値踏みされるような視線は不快だけど、今日はそれ以外のことが頭を占めていたせいかあまり気にならなかった。

 今日は舞踏会だから夜会と違いまだ成人を迎えていない若い方もたくさん参加されていて、可愛いらしいドレスがいつも以上に目を惹いた。一方で私が大人っぽいドレスを着るようになったせいか、以前は似たようなドレスばかりだったけれど今は大人っぽいドレスも目につくようになってきたわ。体型に自信がある夫人は概ね私の着ているようなドレスに変わっている。奥に向かい、王族のいる直ぐ側まで進んだ。

 陛下の開催宣言の後は王族から順にダンスの時間が始まった。まずは王族、国王ご夫妻と王太子殿下ご夫妻から始まった。我が国は銀と濃紫の組み合わせは王族だけが許されている。陛下ご夫妻は濃紫と銀を基調とした衣装を、王太子ご夫妻はそれよりも少し薄い紫と銀の組み合わせで、一層高貴さが強調されていた。同じ色を持つ陛下と王太子殿下、こうして側で見るとよく似ていらっしゃるわ。

 それが終わると今度は五侯爵家の当主の番。私もヴォルフ様と共に中央へと向かう。この中で一番若いのは私ね。ちなみに五侯爵家の当主でも一番若いのはヴォルフ様で、その次はアルトナー侯爵、ランベルツ侯爵と続き、最年長はエルマ様のお父様のベルトラム侯爵だ。

「お前が一番美しいな」
「……え?」

 軽快な音楽に身を任せる。踊りながら何を言い出すかと思ったら、思いがけない言葉が下りてきて思わずヴォルフ様を見上げてしまったわ。でもその表情はいつもと変わらず、そこに甘さは欠片もない。

「い、いきなりどうされましたの?」

 思わず出てきた言葉はそれだったわ。嬉しいよりも疑問の方が強くて素直に喜べなかった。

「どうとは? 客観的に見てそう思っただけだ」
「そ、そうですか。ありがとうございます」

 何だか普通に褒められるよりも恥ずかしく感じてしまったわ。それもヴォルフ様が……嫌だわ、気を引き締めないといけないのに顔がにやけてしまいそう……きっとティオがそう言えと助言したのよね?

「ティオには何も言われていない」
「……っ!」

 心を読まれたのかしら? でも……ティオのアドバイスじゃないなら、ヴォルフ様がそう思われたってこと? だったら嬉しい……

 ドキドキしながらターンでひらりと舞うとエルマ様の姿が見えた。バルドリック様とお揃いの色のドレスで仲がよさそうに見えるわ。あれから少しは進展したのかしら? その先にはミュンターの前当主が見えた。誰かと話をしているけれど……あれはアルトナー侯爵ね。何を話しているのか気になるわ。何もしていなくても何か企んでいるように感じてしまうのは考えすぎかしら。

「疲れていないか?」
「まだ大丈夫ですわ」

 さすがにさっきまで休んでいたからまだ疲れはないわよ。これからが長丁場だけど。何が起きるかわからないからと昨日も早起きできるよう早々に寝たもの。

「どうだった?」

 それってミュンターの前当主のことよね。

「……そう、ですわね。至って普通の方に見えました」

  本当に普通の方に見えたわ。お家乗っ取りを考えるような悪人には見えなかった。もし何も知らなければいい人だと思ったでしょうね。

「気を付けろ。奴の言葉を信じて自滅した者を何人も見てきた」
「そう、ですか」

 ずっと狙われてきたヴォルフ様。前当主に利用されて酷い目に遭った方がいたってことなのね。見た目との差に何とも言えない気味の悪さを感じた。



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