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在位十五周年の即位式典

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 その日王宮で一番大きな広間は着飾った人々で華やいでいた。国王陛下の即位十五年を祝う式典は国内外の王侯貴族が祝いに馳せ参じ、異様なほどの熱気に包まれていた。

 この式典に出席するため、私は夜明けと共に起こされて侍女たちに着飾らされた。今日は濃紺から青へと色が変化するドレス。控えめな光沢は上品さを添え、軽くてとても肌触りがいい。これはゾルガー産の特殊な方法で織られた絹で、王族でも中々手に入らない品だとアードラー夫人が教えてくれた。身体の線は出るけれど露出は少なめで、スカートの膝から下は繊細なレースが重なり広がる。

 そのドレスに華やぎを添えるのは黒貴晶と呼ばれる希少な宝石だった。ヴォルフ様の髪の色をしたその輝石はゾルガー家が所有する家宝の一つで、白金の繊細な細工の土台に組み込まれてその存在を主張している。このサイズの黒貴晶なんて初めて見たわ。一体どれくらいの価値があるのか、全く見当もつかない……

「奥様、お綺麗に仕上がりましたわ! これなら王妃様や王太子妃様にも負けませんわ」
「これほどの品を身に着けている方なんていらっしゃるかしら?」
「旦那様と並べば誰よりも豪奢な一対とおなりですわ」

 侍女たちの称賛を受けながら出発した私たちは無事王宮に辿り着き、今は大広間の最前列で式典を見守っていた。隣には私と同じ濃紺の正装を召したヴォルフ様が立ち、一際存在感を放っている。これまでは黒に近い濃緑色の正装しか見たことがなかったけれど、濃紺もよくお似合いだわ。いえ、背が高く肩幅も広いし顔立ちだって整っているから何を着ても似合いそうだけど。目が険しくて無表情で口数も少ないから怖い印象が強いせいね。あとは中性的な男性が人気だったから余計にそう感じるのでしょうけれど、十分に美丈夫でいらっしゃるわ。

 独善的な施策で国内貴族の結束を崩し、国力を大いに損なう結果を招いた先王様。貴族をまとめるゾルガー家の力を弱らせ、同じ五侯爵家で実母の実家でもあるミュンター家をその代わりにしようと目論んだものの、それは他の四侯爵家と貴族の反発を招き、貴族間の結束を崩してしまった。お陰でそれぞれの家門がミュンター家の真似をして我が身の繁栄だけを願い、政情が不安定に繋がったと聞くわ。更に水害などの自然災害が重なって国力は一気に衰退に向かったという。

 それを危惧されて立ち上がったのが今の国王陛下だった。陛下は先王様が体調を崩したのを機と捉え、病気療養と称して幽閉して国王代理に立たれ、落ちぶれかけていた国の建て直しを図った。ミュンター以外の四侯爵家に頭を下げて協力を求め、またそれ以外の貴族にも王家の元に結束を求めたという。奇しくも他国が我が国を狙っている兆候が見て取れたことでようやく危機感を抱いた貴族らは陛下の元に再集結した。

 その中でゾルガー家も先々代のお義祖父様からお義父様に代替わりし、お義父様は精力的に陛下を支え、貴族の掌握に奔走した。お義祖父様に比べて豪胆な気性だったお義父様は少しずつゾルガー家の力を回復させ、それを従来並みまで戻したのは冷徹なまでに現実主義と実力主義を押し通したヴォルフ様だった。

 式典は粛々と進む。壇上では他国の王族からの祝辞が続いている。他国の王や王太子、大使などが次々と最上段に座る陛下に寿ぎを紡ぎあげ、終わるたびに盛大な拍手が会場を満たした。先王様によって衰退した過去があるせいか一層拍手にも熱を帯びているように感じるけれど……私としては長々しい祝辞は退屈で、それよりもミュンター前当主が何を企んでいるのか、そちらが気になって仕方がなかった。

 そのミュンター前当主、アウグスト=ミュンター様は今、私たちとは会場の入り口と玉座を繋ぐ通路を隔てた向こう側にいた。赤い絨毯が敷かれたこちら側には五侯爵家のランベルツ家とベルトラム家が、向こう側にはミュンター家とアルトナー家が並ぶ。

 ヴォルフ様のお母様とお兄様たちの殺害とその後のヴォルフ様への度重なる殺害未遂、フレディ様の祖母のナディア様との密通やクラウス様の麻薬密売事件、それ以外でも数々の疑惑を持たれながらも証拠を残さず飄々と追及を躱していた前当主は、ぱっと見は人のよさそうな小柄の老人だった。柔和な顔立ちに穏やかな笑み、杖を手にのんびりと歩く様はとても疑惑の渦中にある人物には見えなかった。もっとあからさまに悪人顔を想像していた私は拍子抜けしたほどだ。

 見た目だけならヴォルフ様の方が悪人に見える。それでも私は知っているわ。ヴォルフ様のお優しさや使用人の忠告を聞入れる素直な一面を。あの人のよさそうな外見こそが曲者なのでしょうね。例えば見た目だけなら可憐だけど中身は自己愛の塊で妹だろうと平気で蹴落とす姉のように。外見で判断せずに済むのは皮肉にも姉のお陰かもしれない。今のところ何も起きていない。最も警戒した王宮までの道中も何もなかった。

 延々と続いた式典も終わりが来る。最後の祝辞が終わると宰相閣下が終了の挨拶を述べ、「国王陛下万歳!」と叫ぶと皆が後に続き、拍手喝采で式典は無事に終わった。まだ舞踏会が残っているのに早くも疲れを感じてきたわ。屋敷を出た時からずっと気を張り詰めているせいね。

「イルーゼ、ここからは一層気を抜くなよ」
「はい」

 周りに聞こえないよう、ヴォルフ様が耳元で囁いた。低く鋭い声に緊張感が高まるわ。これから舞踏会の準備に取り掛かるから暫く時間が空く。その間私たちはそれぞれに用意された控室で準備が終わるのを待つ。

 ヴォルフ様のエスコートで王宮の上階に用意された控室に向かった。これは五侯爵家や公侯爵家に与えられた特権だけど、個室なだけにそこに間者が侵入する可能性がないとは言えない。今日はグレンやアベル、ザーラやマルガをはじめとして、貴族出身の護衛騎士も同行している。ルーザー医師の顔もあるわ。口にするのは屋敷から持ち込んだ物だけとヴォルフ様に厳命されている。慶事なのに物々しさが普通じゃないわね。

「少し休んでおけ」

 控室に着くとマルガが毒見済の果実水を出してくれた。ここでしか飲食が出来ないからと軽い食事や焼き菓子も出された。今のうちに食べておけということね。ヴォルフ様も私の隣に腰を下ろし、屋敷から持ってきたパンに肉や野菜を挟んだ簡単な食事を口に運んでいた。舞踏会は昼過ぎから始まり、夜遅くまで続く。ただの舞踏会や夜会なら途中で辞しても問題ないけれど、今日は陛下の即位を祝う式典。筆頭侯爵家の私たちが途中で帰るわけにはいかないらしい。

「あの方は随分普通の方に見えるのですね」
「ああ。人畜無害に見えただろう?」

 ここは王宮、誰が聞き耳を立てているかわからないのでその名を口にすることはしないけれど、ヴォルフ様はわかって下さった。言わずもがな、ミュンターの前当主だ。

「ええ。どこにでもいる普通のご隠居様に見えましたわ」
「それこそが厄介なところだ。皆あの見た目に騙される」

 そうなのね。本当に人のよさそうなご隠居にしか見えなかったもの。声を聴いていないけれど話し方もそんな感じなのかしら?

「奴の本性は残虐で冷酷だ。幼子を殺しても良心の呵責も感じない。だからお前も情けをかける必要はない」

 いくら見た目がそう見えなくても、あの人がヴォルフ様のお母様やお兄様を殺し、ヴォルフ様が感情を失う原因を作った張本人なのだ。まだ幼かったヴォルフ様がどれほどの恐怖と絶望を味わったことか……それだけでも許し難いわ。必ず今日、あの人の罪を明らかにしてやる。この後のことについて、私たちは舞踏会が始まるまで話し合った。



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