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灰銀猫

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前当主の上京

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「姉の元にクラウスからの手紙が来ていた」

 お茶会から三日後、ヴォルフ様が一通の手紙を差し出しながらそう仰った。子どもが門に挟んでいったそうで、中には元気でいるか、困っていないかなどと気遣う文面だけど、誰宛とも誰からとも書いていなかったという。侍女にその手紙を渡してヴォルフ様に届けるように伝えたけれど、その手紙は一枚抜かれた状態だった。

 夜、侍女が調べたところ、以前アベルが見つけた場所にそれまでの手紙と共に別の一枚が加わっていた。侍女が中身を書き写してきたのだけれど、そこには即位記念の日に王都の中央広場で行われる催しの詳しい場所や時間が記されていた。来いとも何とも書いていないけれど暗に来いと言っているのかしら? 産み月が近い姉がお祭り騒ぎの王都に行くのは難しいのだけど……

「姉は……行く気でしょうか?」

 そう問いかけながらも九割方姉は行くだろうなと思った。もしその気がなければこの手紙も一緒にこちらに渡しただろうから。姉の心には未だにクラウス様がいるのかもしれない。子まで成した仲なのだから特別に感じているのかしら。ハリマン様のことはそれほどお好きではなかったみたいだし。あれはただ私から奪いたい欲が強かったのだと今ならわかる。

「行く気だろうな。どうする? 止めることも出来るが」

 姉はあの家で軟禁状態だからその気になれば閉じ込めることなど簡単よね。それでも姉は行きたいのだろう。出産が近い今、一歩間違えれば子だけでなく自分自身も危険に晒すことになるのに。でもそれでも行くというのなら……

「本人が望むなら……それでもいいかと」
「いいのか?」
「はい。姉に良識や弁える気持ちがあれば行かないでしょう? それでも行くと言うのならもう仕方がありませんわ。それが姉の答えなのでしょう。姉の後を付ければクラウス様たちの居場所もはっきりするでしょうし」

 ここまで手厚くして下さっているのにクラウス様を選ぶと言うのならもう姉とは思わないわ。こちらも利用するだけ。

「わかった」
「お手数をおかけします」

 もしクラウス様の誘いに乗るなら姉のことはもう諦めるわ。いざとなったら子どもは保護するけれど姉自体はどうなっても気にしないことにする。元々仲のいい姉妹でもなかったし、実際は姉ではなくいとこだった。それに……姉からはこれまでの謝罪も今回のお礼も言われていない。姉の出自のことも出産が終わるまでは言わない方がいいと思っていたけれど、クラウス様を取るというのならもうどうでもいいわ。全て姉が選んだ結果なのだから。




 それから更に七日経った日、即位式典まで残り八日となったその日、ミュンターの前当主が王都に到着したとヴォルフ様が教えてくれた。本当に来たのね。当主の座を息子に譲ったのは今から四年前、お義父様が亡くなってヴォルフ様が当主の座に就き、ロジーナ様との婚約が成った後だ。それ以降前当主は一度も領地から出ていないと聞くわ。

「前当主はそれでフレディが跡を継ぐと安心したんだろう。ロジーナの事情はあの男も知っていたからな」
「そうだったのですね。じゃ、今回出てきたのはやはり……」
「フレディを後継に戻すためだろうな」

 孫のフレディ様を後継にと必死なのね。

「前当主は私たちが真実を知っていることは……」
「知らないだろうな。ナディア王女の日記の存在も知らない筈だ。知っていたら何としてでも手に入れようとしただろう」

 そうなるわよね、自分たちの不貞の証拠になるかもしれないもの。

「現当主は知っているでしょうか?」
「……知らないが何かあるとは思っているだろう。父親があんなにもフレディに執着するのをおかしいと思わない筈がない。前当主は実の息子よりも俺の異母兄を気にかけていたからな」

 元恋人で愛したナディア王女のお子だから、というには度が過ぎているわよね。それでも不貞の噂が大っぴらに出なかったのは先王様や前当主の目を憚ったからかしら。

「前当主の狙いは俺の命だ。俺を殺せばフレディが後継になるしかないからな」
「ええ。それと……ヴォルフ様の子を宿しているかもしれない私、ですわね」
「そうだ。二人別々に襲うのは効率が悪いが、一方で一緒にいると警備が厳しくて手が出せない。どうすべきか考えあぐねているだろうな」

 そうね、片方が襲われればもう片方の警備を厳しくするわ。だったら別々で行動している時に同時に襲撃するのがより確実ね。でもどこで? この屋敷では無理よね。婚姻式の後は警備体制を見直して厳しくしたからここを襲うのはかなりの労力が必要になるわ。

「同時に別々に……王宮、でしょうか?」
「俺ならそうするな。この屋敷を襲うのは簡単ではない。暗殺者を送って二度失敗しているからな」
「そう、ですよね」
「しかも今は俺の配下だ。我が家で飼うことにしたからな」
「へ?」

 飼うって……ヴォルフ様が主になるってこと? そんなことをして大丈夫なの?

「奴らも商売だ。依頼された以上の報酬を用意すればそちらに乗り換える。二人とも闇ギルドに登録はしていてもどこかの組織に属していたわけじゃなかった。成功したら報酬を得られるが、失敗したからといって罰があるわけではない」
「そうなのですか」

 そういうものなの? もっと縛りが厳しいものだと思っていたわ。

「奴らも商売だからな。より実入りのいい方を選ぶのは当然だ。そういう連中を使う時点で前当主も手が足りていないのだろう」
「はぁ……」

 何だか思っていたのと違うわね。暗殺者って寝返ったら殺されるような世界だと思っていたわ。それにしてもヴォルフ様はお詳しいわね。どうしてそんな事情までご存じなのかしら。

「闇ギルドの奴なら寝返らせればいいから簡単だ。お前ももし出くわしたらまずは提案してみろ。大概はそれでどうにかなる」
「は、はい。でも、どうにかならなかったら……」
「その時は死ぬしかないな」
「死ぬ……」
「だから絶対に一人になるな。勝手に動くな。動くなら周りを巻き込め。迷惑とか危険だなどと考えるな。お前もこの家を支える柱だ。生き延びる責任がある」

 生き延びる責任……そんな風に考えたことなかったけれど、確かにそうよね。私に何かあれば責任を問われる人たちがいる。それにヴォルフ様に万が一のことがあれば私がその代わりを務めなければならない。五侯爵家の筆頭当主の代理は出来なくても、家に仕えるたくさんの使用人への責任があるわ。

「王宮は人が多いから容易ではないし事を起こすのはリスクがあるが……この家が無理なら王宮か、王宮への道中だろうな。何を企んでいるのか、今のところ見当がつかない」

 道中と言っても当日は大通りには騎士が立つから襲撃も簡単じゃない。となれば王宮ね。女性が襲われる一番は化粧室に行くためにパートナーと別れた時。だから夜会や舞踏会では出来るだけ同性の友人と共に過ごし、化粧室にも一緒に行くようにしている。

「出来ればフレディにはこのことを伏せておきたい。あれは気に病むだろうし、知れば家を出るといい出すだろうからな」
「そうですわね。フレディ様ならそう仰いそうです」

 傷つきやすい繊細なフレディ様。社交界でこのことが広がれば厳しい立場に立たされるわ。下手をすると彼もお家乗っ取りの一端を担ったとして処刑される可能性もある。私もそれは避けたいわ。

「これから色々動き出すだろう。一層気を引き締めろ」
「ええ」

 何とか前当主を告発して罪を償わせることが出来ないかしら。お家乗っ取りだけでなく、ヴォルフ様のお母様やお兄様のことも出来ることなら罪に問いたい。そういえば、ナディア様の日記は私の部屋から出てきたのよね。まだ何か残っていないかしら?



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