あなたに愛や恋は求めません【書籍化】

灰銀猫

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観劇

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 翌日、私は劇場の桟敷席で混乱しながらも平静を装っていた。

 この日案内されたのは王族が利用する特別席ではなく高位貴族がよく使う桟敷席だった。隣の席には暗茶の衣装を身に着け茶のかつらを被ったヴォルフ様が座っているのだけど……

 どうしてヴォルフ様の反対側に王太子妃殿下と王太子殿下が座っていらっしゃるのよ? ヴォルフ様と二人じゃなかったの? 席に案内されたら見知らぬ男女が既に座っていて、声をかけてきたのが王太子殿下で面食らってしまったわ。妃殿下の隣に座らされたけれど、この方はリシェル様と仲がよかったから身構えてしまうわ。

 お忍びらしいお二人はシンプルな衣装で高位貴族の普通の夫婦に見えた。王太子殿下は王族の証の銀髪をこげ茶で、妃殿下は金髪を薄茶のかつらで隠していたから直ぐには気付けなかった。

 ちなみに私は亜麻色のかつらを被らされて、初めてのことに仮装をしている気分。どうしてかつらなんて……と思ったらこういうことだったのね。男性はかつらで目元を、私たち女性は扇で口元を隠しているから他の観客には気付かれていないみたい。

「ごめんなさいね、イルーゼ様。私がお誘いしたいと殿下に強請ったのです」
「光栄でございますわ」

 こっそりと声をかけてきた妃殿下に私も笑顔を添えて返したけれど、内心は動揺していた。どういう思惑なのかと緊張が走り抜けたのは仕方がないわよね。リシェル様が行方不明のままだけど、何か企んでいらっしゃるの?

「イルーゼちゃん、ごめんね。でもコニーには他意はないんだよ。本当に仲良くしたいだけだから」

 王太子殿下が妃殿下の向こうから身を乗り出して声をかけてこられた。相変わらず馴れ馴れしいと言うか砕けすぎている方だわ。王太子殿下から他意はないなんて言われたら益々怪しく感じてしまうのだけど……ちなみにコニーとは妃殿下のお忍びの時の呼び名らしい。

「少しずつでも仲良くして下さると嬉しいわ。私、今は王太子妃というお役目をいただいていますけれど、元は伯爵家の出ですもの。家格的にはイルーゼ様と変わりませんから」
「恐れ多いことにございます」
「言葉が固いなぁ」

 横から殿下が茶々を入れてくるけれど、十以上も年下の私が未来の国王夫妻に砕けた物言いなんか出来ないわよ。親しくないのに気軽にと言われるのが一番厄介だわ。さじ加減が難し過ぎる。これなら普通にかしこまった方が絶対に楽だもの。ヴォルフ様は相変わらず素っ気なくて、それは妃殿下に対しても同じだった。

 それでも劇が始まれば直ぐにそちらに意識が奪われた。妃殿下は観劇がお好きらしく嫁ぐ前はよく劇場に通っていたのだという。さすがに王家に入ってからは控えたけれど、時々はこうしてお二人で来られるのだとか。それも王太子殿下がお忍び好きでよく王宮を抜け出すからそのお目付け役的な面もあるらしい。何だかんだ言って仲が良いように見えた。

 劇は一人の青年が自身の出自を知ってその地位を取り戻し、その過程で真実の愛を見つけると言うものだった。青年は実は王子だったが禁忌の黒髪緑目を持っていたため、生まれて早々に捨てられていた。それを不憫に思った側近の一人が秘かに養育し、青年は立派な騎士に育ち次々と武勲を立てて出世した末に一人の令嬢と恋に落ちる。だがその令嬢は享楽的で女好きの王太子に目を付けられ、無理やり側妃にされそうになる。それに憤った青年は王族に不満を持つ貴族や民衆を味方につけて謀反を起こし、王太子を討ち取って恋人を取り戻すというある意味王道な話だったけれど……

 これ、王族が喜んで観ていいものなのかしら? いえ、今の陛下は賢王と尊敬されているし、王太子殿下も気さくな人柄で民衆に人気があるから謀反なんて起きそうにはないけれど……横でご夫妻がここが面白かった、あの俳優がどうだったと談じていらっしゃるからいい、のよね?

 劇の後はすぐに帰ると混雑するからと控室に移動した。ここで王族や貴族は人波が引くまでお茶などを楽しみながら劇の感想を言い合うなどして待つのが一般的だ。部屋には私たち以外には王太子殿下の侍従と護衛騎士、グレンが同席するだけだった。ヴォルフ様の隣に座り、向かいの席には王太子ご夫妻。妃殿下と距離が取れてほっとしているわ。

「楽しかったねぇ、コニーは気に入った?」
「ええ。とてもロマンチックなお話でしたわ。恋人のために権力者に挑む姿が凛々しくて。今流行っていると聞いておりましたが納得ですわね」

 どうやら妃殿下はいたく気に入られたようね。今日の話に比べたら学園で流行っていた真実の愛の物語は薄っぺらく感じるわね。

「君はどうだった? 少しは楽しめたら嬉しいんだけど?」

 王太子殿下が話を振ったのはヴォルフ様だったけれど、ヴォルフ様は無表情のまま殿下を冷たく見下ろしていた。

「あんな話を放置していいのか? 王家を題材にした話など余計な憶測を呼ぶぞ」
「大丈夫だって。あれくらいなら問題ないよ」

 劇の感想ではなくその影響を危惧したヴォルフ様に王太子殿下は手をひらひらさせながらそう返した。でもヴォルフ様がそう仰るのも当然よね。ああいう大衆劇は大抵為政者への皮肉を混ぜ込んであるのだから。今回の黒髪緑目だって数代前の悪虐王を皮肉っているようにも見えるし。それに王太子が悪人になっているのだけど当の殿下がそれを喜んで受け入れていいのかしら?

「民衆にも多少のガス抜きは必要だよ。それに悪虐王への憎悪が薄れれば君への風当たりも薄れるだろう?」
「別に困っていないし、むしろ役に立っているが」

 そうね、ヴォルフ様も悪虐王と同じ特徴をお持ちね。あれから百年も経って当時を知る方はもういないけれど、それでも同じ特徴を持っていると厭われる理由になるくらいには根付いた禁忌感はまだ残っている。ただ、ヴォルフ様の場合はそれが貴族たちに畏怖の念を与えている面はあると思うわ。でも……無条件に悪辣だと思われるのは嫌だわ。本当はお優しい方だもの。

「相変わらず無頓着だなぁ。でも君への悪意はイルーゼちゃんに向かうことにもなるんだよ。少しは笑うとか可愛げのあるところを見せてくれても……」
「下らないことを言うのなら帰る」
「ええ! じょ、冗談だよ。相変わらずお堅いなぁ」
「殿下、今のは殿下が悪うございますわ」
「コニーまで!」

 妃殿下にも諫められて殿下が拗ねたような表情を浮かべたけれど、殿下は本気でヴォルフ様を心配して下さっているように見えた。

「はぁ、こんなに心配しているのに冷たいんだから……まぁいいや。ついでにもう一つ」

 そう言って王太子殿下が表情を少しだけ改められた。

「こっちが本題なんだけど、今度の父上の即位記念式典、ミュンターの爺さんが出席すると言ってきたんだ」
「あの男がか」
「うん。当主の座を息子に譲ってからは一度も領地を出たことがなかったのにね」
「そうか、即位式に……」

 そう言うとヴォルフ様は黙り込んだ。何か思うところがおありなのね。

「クラウスの麻薬事件と逃亡、リシェルの行方不明、どれもあの爺さんか絡んでいる可能性がある。その上でロミルダ嬢の婚約破棄だろう? 今までは概ね順調だったのに、最近は爺さんが望まない方向に事が進んでいるからね。」
「だから焦って自ら動き出したと?」
「さぁ、どうだろうね? 聞いた話じゃ年も年だから動けるうちに旧知の者に会っておきたいと言っているらしい。他にもお祖母様をはじめとした知り合いの墓参りに行きたいとも。フレディにも会いに来るかもね」

 ミュンターの前当主がフレディ様を後継に望んでいる話は貴族の間では有名な話だけど、他家のことに口を出すことは禁忌とされる。気が弱かったお義祖父様ならまだしも、今ヴォルフ様に物申せるような人はいない様に思う。いくら望んでもヴォルフ様が否と言えばどうしようもないでしょうに。

「そうか」

 ヴォルフ様が答えたのはそれだけだった。
 



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