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処分と謝罪

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 侯爵様からの最終通告に上目遣いで縋るように父親を見上げるミリセントだったけれど、その可憐な姿も侯爵様には何の感情も起こさなかった。その様子から既に見限られていたのでしょうね。もしかしてこうなることを予想して放っておいたのかしら? これで夫人とミリセント様の追放は決定事項になってしまったわね。

「あなた! あなたはそうやっていつも……! 私たちは物じゃありませんのよ! いつも労いの言葉人一つかけないで一方的に……!」
「そういうものだろう。私だってそうやって育ったんだ。五侯爵家に生まれたのなら避けられないことだ」

 なんとなく、ベルトラム侯爵家の内情がわかってきたわ。侯爵様はご自身が優秀なだけに自分がやったことは他人も出来ると思い、親から受けた教育をそのままミリセント様やエルマ様にしたのでしょうね。でも、エルマ様はともかくミリセント様は侯爵様ほど優秀ではなかったと。

「あ、あなたは……どうしてそんなに心無いことを……」

 夫人が唇を震わせて言葉を詰まらせた。夫人が甘やかしすぎたのかと思ったけれど、この場合侯爵様の方が問題かもしれない。エルマ様もお父様は厳し過ぎる、自分が出来ることは他人も出来て当然だとお考えだと嘆いていたわね。だったら夫人はそんな夫からミリセント様を守ろうとしていたのかしら。そのせいでエルマ様よりもミリセント様寄りになったと……

 でも、だからと言ってエルマ様を蔑ろにしていい理由にはならないわ。どちらも夫人の子なのよ。どうしてそこまで夫人はミリセント様の肩を持つのかしら。

「バルドリック様、あなたならわかるでしょう? ミリーがどれほど苦労をしてきたのかを!」
「ええ、そうですね。私も共に学びましたから、その苦労は理解しています」
「だったら!」
「それでも、そんな私を捨てて他の令息の手を取ったのはミリセント嬢です」
「でもそれは……! そうよ、あなたがミリーに寄り添ってくれなかったから! あなたがもっとしっかり寄りそ……!」
「お母様!!」

 バルドリック様を責め始めた夫人を止めたのはこれまでの話を黙って聞いていたエルマ様だった。聞いたこともないほどの鋭い声に夫人が怯んだ。

「いい加減になさって下さい、お母様。ギレッセン様を責めるのはお門違いではありませんか? ギレッセン様は常にお姉様を優先していらっしゃいましたのよ。しかもお姉様があんな形でギレッセン様を裏切ってもこの家のためにと留まって下さったのに、そんな言い方はないのではありませんか!?」

 エルマ様の赤みの強い茶の瞳が炎のように煌めいて見えた。ご自身のことでは何を言われても黙っていたのに。

「エルマ!! あ、あなたって子は……!! どうしてそんな薄情なことを言うの? ミリーが可哀相だと思わないの? あなただってあの教育を受けたのなら少しはわかるでしょう!? それにミリーはずっとバルドリック様を慕っていたのよ!」
「だったら尚のこと許せませんわ。ギレッセン様を想いながら裏切ったなんて」
「う、裏切っただなんて……!」
「婚約者以外の男性に純潔を捧げるなど裏切り以外の何物でもありません。慕っていたですって? 少なくと私にはそんなこと出来ませんわ」

 冷たく、突き放すようにエルマ様が夫人の言葉を切り捨てた。エルマ様の言う通りよ、好きな相手がいるのに他の男性と身体を繋げるなんて無理じゃない? 相手に好意がなければそんなこと出来ないわよ。だったらミリセント様の気持ちはその程度だったってことでしょうに。

「エ、エルマ! なんて冷たいことを言うの。ミリーはそれだけ追い詰められていたってことでしょう!? あなたは妹なのに姉の気持ちがわからないの? そんな薄情な子だったなんて……」
「薄情? 他人の気持ちを考慮し自制して生きることが薄情だと言うのなら、私はそれで構いませんわ。お姉様はいつだって自分の気持ちだけではありませんか。ギレッセン様の気持ちを少しでも想像しましたの?」
「バルの気持ちって……」

 エルマ様が問い詰めるとミリセント様が戸惑うような声を上げたわ。まさかとは思うけれど、そういう発想がなかった、なんて言わないわよね?

「バッヘム様が愛人を作ってどう思われましたか? 自分の夫が他の女性と懇ろになった時何を思われましたか? 許せないと、気持ち悪いと思いませんでしたの?」
「お、思ったに決まっているじゃない!!」
「お姉様にもそう思う心がおありだったのですね」
「当然でしょう!」
「ギレッセン様も同じだったと、どうして思わないのですか?」
「あ……!」

 なかったのですか! 凄いわ、私の家族だけかと思っていたらここにも同じ人種の方がいたなんて! ミリセント様は視線を彷徨わせていたけれど最後はギレッセン様に縋るような視線を向けた。

「不愉快なのでこちらを見ないで下さい」

 ミリセント様の視線を感じているようだけど、そちらには一切視線を向けずにギレッセン様が告げ、それにミリセント様が傷ついたような表情を浮かべたけれど……今更よね。

「これでいいか?」

 暫くの沈黙の後、侯爵様が問いかけた相手はギレッセン様だった。けれど……

「これだけですか?」

 面白くなさそうにギレッセン様が冷たく返した。侯爵様相手に怯む様子は僅かもなくて本当に別人のように感じた。

「……これ以上何を望む? 当主の座か?」

 その言葉にエルマ様が息を呑む音が聞こえたわ。回答によってはお家乗っ取りと受け取られても仕方がないもの。

「そんなもの、いりませんよ」

 呆れ顔でギレッセン様が一蹴したけれど……当主の座をそんなものと言い切った。国内の殆どの男性が喉から手が出るほど欲する地位をそんなもの扱いって……

「……何を望む?」
「はぁ……わかりませんか? 謝罪ですよ。エルマへのね」

 盛大なため息の後でギレッセン様が求めたのは、エルマ様への謝罪だった。

「謝罪か」
「当然でしょう? どれだけ傷つけたと思っているのです? 元はと言えば夫人を野放しにした閣下の責任ですよ」

 冷たく言い放ったギレッセン様だけど、あまりにも変わった印象が強すぎて笑顔に警戒してしまいそう。それに……こんな腹黒な人にエルマ様を預けていいのかしら……いえ、五侯爵家の当主の座よりもエルマ様を優先するのだからその想いは相当なのかもしれないけれど。

「エルマ」
「……はい」

 私が今後のギレッセン様への対応を考えていると侯爵様がエルマ様の名を呼び、エルマ様が戸惑いながらも返事をした。エルマ様だってこの展開は想定していなかったでしょうから混乱しても当然よね。エルマ様も侯爵様も表情が固いわ。

「すまなかった」

 そう言って侯爵様が深く頭を下げ、その場にいたもの全員がそれぞれの度合いで驚きを露わにした。五侯爵家の当主が謝罪のために頭を下げたのだから当然だわ。彼らは基本的に王族、いえ、陛下以外には頭を下げない印象があるもの。ちなみにヴォルフ様は謝罪する時も頭を下げなさそうな印象だけど。ちらとヴォルフ様を見ると特段驚いた様子はなかった。

 謝罪されたエルマ様がどう反応するかと心配になったけれど、彼女もどう答えていいのかわからないのか父親を黙って見つめるだけだった。でも、ここまで決心した彼女が簡単に許すなんて言えるとは思えないわ。そんな言葉一つでこれまでのことが無かったことになど出来ないもの。

「謝罪の意は……わかりました。ですが……」
「直ぐには許せないか?」
「はい」
「そうか」

 正直にエルマ様が答えてほっとしたわ。彼女のことだから頭を下げた事実の重要性を慮って許してしまうかと心配だったから。そして侯爵が立腹しなかったことにも。エルマ様への不当な扱いを自覚して下さったのならいいのだけど……

「わかった。今後のことはお前の意思を尊重しよう」

 エルマ様が驚きの表情を浮かべて侯爵様を見上げた。



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感想のお返事が遅れております。今暫くお待ちください。

また公爵家について、読者様からご指摘を頂いているので説明します。
この世界の公爵家ですが、第四話で説明していますように王弟一代限りです。
公爵家が際限なく増えるのを防ぐためのもので、息子の代は侯爵家、孫の代以降は伯爵家となります。
その為ギレッセンの家も祖父は公爵、父は侯爵で兄の代になると伯爵になります。
またギレッセンがロットナー公爵家に養子に入って当主になると侯爵になります。
独自の設定のため混乱を招いてしまって申し訳ございませんがご理解下さい。
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