上 下
122 / 224

言葉通り?

しおりを挟む
 それは閨への合図かと思われた。

「あの……何を……」

 突然手を取られて指先から腕へと視線が流れた。窓がなく月明かりも入らない寝室にあるのはろうそくの灯りだけ。

「言った通りだ。怪我がないか確かめている」
「でも、こんなに暗くては……」
「ちゃんと見えてるから問題ない」

 始まったのは言葉通り怪我がないかの確認だった。ヴォルフ様は夜目が利くらしく、ろうそくの灯りがあれば十分だと言い、医師が診察するように私の身体を確かめていった。恥ずかしいし沈黙が重い。何か話さないといけないような妙な焦燥感が湧いてくる。

「ヴォルフ様、お、囮にするなら……事前に言って下さい」

 焦った末に出てきたのはそんな言葉だった。太くて硬さのある指が肌を滑って粟立つ。

「ティオに叱られたぞ」
「ティオは真面目ですし立場上そう言いますわ。でも、必要な時もおありなのでしょう?」

 そう問いかけたけれど返事はなかった。直ぐに返事をされないなんてらしくない。ティオがああいう手前言えないのかしら。

「事前にわかっていたら私も心の準備が出来ますし対処出来ますわ。いえ、囮でなくても何か起きそうな時は事前に教えてください」

 そう言っている間にも夜着を脱がされて背中を確かめられていた。下着を取られないのは幸いかしら。返事がないわ。背を向けているからヴォルフ様の表情がわからない。

「わかった」

 返事があったのは足の確認に進んでいた頃だった。恥ずかしさとくすぐったさに何とも居た堪れない気持ちになる。確認だけだと言われてもドキドキしてしまうわ。

「痣があるな」
「っ?」

 さらりと撫でられたのはふくらはぎの裏側だった。帰宅後にザーラたちが確認した時には気付かなかったのに。ヴォルフ様は時間が経って目立ってきたのだろうと言うけれど私にはわからなかったわ。軽く押すと薄い痛みを感じたから間違いではないようだけど。

「この程度なら直ぐに消えるだろうが、念のために湿布をしておくか?」
「いえ……痛みはありませんし、遅いので今から準備させるのは悪いわ。酷くなっていたら頼みます」

 湿布を準備するにしても薬草を煎じたりして手間がかかる。使用人はもう寝ている時間帯だから起こしてまでお願いするのは申し訳ないわ。

「次の外出はベルトラムの婚姻式だったな」
「ええ」

 半月後にはエルマ様の婚姻式があって夫婦で招待されているけれど、今のところそれ以外の予定はない。人に会う予定は三日後のリーゼ様とのお茶の約束くらいだけどそれはこちらに来て頂くことになっているし。

「五侯爵家の婚姻式で騒ぎを起こす馬鹿はいないとは思っていたが、我が家の時はいたからな。気を抜くなよ」
「わかりましたわ」

 そうね、あの時は警戒していたのに騒ぎが起きたわ。ベルトラム家の警備はこの屋敷ほどではない気がするから気を付けた方がいいわよね。

「婚姻式から日も経った。そろそろ茶会の誘いも出てくるだろう。行くのは構わないが警備が十分ではなさそうな相手は断れ。そこで狙われる可能性もある」
「ええ」

 そうね、格下の家では警備の問題が出てくるのは確かね。もしそこでこの前のような賊が侵入したら参加者も危険に晒してしまうかもしれない。

「友人に会いたければここに呼べばいい。その方が安全だ」
「そうしますわ」

 移動中も警戒しなきゃいけないから、それを思うとここに招いた方がずっと負担が少ないわ。

「疲れただろう。今日は休め」

 てっきりそのまま閨になるかと思っていたけれど本当に傷がないか確かめたかっただけだった。昼間よりも今のそれの方が疲れた気がするし目が冴えてしまったのだけど。そう思ったけれど身体は疲れていたようで、横になるとあっという間に意識が薄れていった。



 目が覚めた時一人だった。ヴォルフ様が来たのは夢だったのかと思うほど深く眠っていたらしい。ベルを鳴らすとすぐにロッテが来てくれた。寝過ごしたかと思ったけれどいつもの時間と変わりないという。自室に移動して顔を洗い、着替えを済ませる。昨日ヴォルフ様に言われた場所を見ると、うっすらと皮膚の色が青くなっていた。

「イルーゼ様、この痣は?」
「昨夜ヴォルフ様が気付かれたの。馬車でぶつけたのかしらね」
「そうでしたか。それなら湿布を……」
「そこまでしなくてもいいわ。この程度なら放っておいても直ぐに消えるもの」

 多分数日で消えてしまうわ。それくらいの痣だけど、ヴォルフ様はよくあの暗い中で気付かれたわね。

 食堂へ向かうと既にヴォルフ様もフレディ様も来ていた。お待たせしてしまったかしら。お詫びを口にすると二人揃って待っていないと言う。お忙しい二人は遅ければ先に食べてしまうから言葉通りなのでしょうね。

「イルーゼ、痛みはないか?」

 食事が始まって直ぐにヴォルフ様が尋ねてきた。

「大丈夫ですわ。少し青くなっていますが数日経てば消えるかと」
「そうか。痛みが増すようなら医師に診てもらえ」
「はい」

 そこまでではないけれど一応気を付けておかないといけないわね。明後日はリーゼ様とのお茶会があるし。

「イルーゼ嬢、フィリーネは元気だったか?」

 意外にもフレディ様が姉のことを尋ねてきたわ。フレディ様には既に姉が実姉ではなくいとこだったことも話してある。ゾルガー家に秘密なんか持てないから当然だわ。

「ありがとうございます。元気にしていましたわ」
「そうか」

 姉がクラウス様に通じていたこともお聞きになったでしょうに、それでも気にして下さるフレディ様はやっぱりお優しいと思う。姉も馬鹿よね、見かけや噂で判断してフレディ様を避けていたんだから。最初から寄り添い親しくなるように心がけていたらフレディ様がアイシャ様に気を取られることもなく今頃この家で優雅に暮らせていたでしょうに。

「クラウスの行方を追っている。姉の身辺も調査中だ。もし何かあったらまた報告する」
「はい」
「お願いしますわ」

 後継問題で不仲かと噂されていたお二人だけど仲は悪くない。ヴォルフ様は何かとフレディ様を気にかけているし、フレディ様はヴォルフ様を慕っていて何だか父息子のよう。いえ、年が離れた兄弟かしら。ガウス家なんかよりもよっぽどまともな家族のように見えるわ。

「お前の兄の熱が下がったらしい。だが手足に麻痺が残ったようだ」
「そうですか……」

 わかっていたことだけど、決断したのは父だけど事の顛末を知っているだけに気が重いわね。でも、実家や領民、お義姉様のために必要なことだと理解している。今までずっと父やお義姉様が諫めてくれたのに聞く耳を持たなかったのは兄だもの。

「次の後継者はどうされるのですか?」

 事情をご存じのフレディ様が尋ねた。後を継げるのは私とこれから生まれてくるカリーナの子、もしくはガウス家の分家から養子を迎えることになるかしら。私の子は産まれるかわからないしゾルガー家が優先されるからまだ先になる。子が出来るかわからないから私の子はまだ候補に入れられないわね。

「ガウス伯爵の子を兄の子にする」
「ガウス伯爵の子とは……侍女の?」
「ああ、子爵家出の母親よりもギーゼン伯爵家出の嫁の子の方が立場も強い。嫁には既に話をしてある」

 この計画は以前、お義姉様がこの屋敷に来て下さった時に話をしてあった。カリーナの子をご自身の子として育てるつもりはありますかと。お義姉様は迷いなくその提案に頷かれた。実家に戻りたくない意志は固く、一方で兄との閨への嫌悪も強かった。父の子を実子として迎えられるなら有り難いと言い、その上で次期後継者の母として領地経営などを手掛けたいとも。兄なんかよりもずっと優秀だから領民のためにもその方がいいように思う。

「伯爵も実子が次の後継になるんだ、文句はないだろう」

 ベティーナ様に似たカリーナとの子なら父も排除はしないでしょうね。出来ればその父こそ排除したいけれど今はまだ難しい。暫くはお義姉様と子のためにこき使ってやるわ。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

年に一度の旦那様

五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして… しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…

【完結】お父様の再婚相手は美人様

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 シャルルの父親が子連れと再婚した!  二人は美人親子で、当主であるシャルルをあざ笑う。  でもこの国では、美人だけではどうにもなりませんよ。

離縁の脅威、恐怖の日々

月食ぱんな
恋愛
貴族同士は結婚して三年。二人の間に子が出来なければ離縁、もしくは夫が愛人を持つ事が許されている。そんな中、公爵家に嫁いで結婚四年目。二十歳になったリディアは子どもが出来す、離縁に怯えていた。夫であるフェリクスは昔と変わらず、リディアに優しく接してくれているように見える。けれど彼のちょっとした言動が、「完璧な妻ではない」と、まるで自分を責めているように思えてしまい、リディアはどんどん病んでいくのであった。題名はホラーですがほのぼのです。 ※物語の設定上、不妊に悩む女性に対し、心無い発言に思われる部分もあるかと思います。フィクションだと割り切ってお読み頂けると幸いです。 ※なろう様、ノベマ!様でも掲載中です。

舞台装置は壊れました。

ひづき
恋愛
公爵令嬢は予定通り婚約者から破棄を言い渡された。 婚約者の隣に平民上がりの聖女がいることも予定通り。 『お前は未来の国王と王妃を舞台に押し上げるための装置に過ぎん。それをゆめゆめ忘れるな』 全てはセイレーンの父と王妃の書いた台本の筋書き通り─── ※一部過激な単語や設定があるため、R15(保険)とさせて頂きます 2020/10/30 お気に入り登録者数50超え、ありがとうございます(((o(*゚▽゚*)o))) 2020/11/08 舞台装置は壊れました。の続編に当たる『不確定要素は壊れました。』を公開したので、そちらも宜しくお願いします。

笑わない妻を娶りました

mios
恋愛
伯爵家嫡男であるスタン・タイロンは、伯爵家を継ぐ際に妻を娶ることにした。 同じ伯爵位で、友人であるオリバー・クレンズの従姉妹で笑わないことから氷の女神とも呼ばれているミスティア・ドゥーラ嬢。 彼女は美しく、スタンは一目惚れをし、トントン拍子に婚約・結婚することになったのだが。

一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。

木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」 結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。 彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。 身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。 こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。 マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。 「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」 一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。 それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。 それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。 夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。

夫と親友が、私に隠れて抱き合っていました ~2人の幸せのため、黙って身を引こうと思います~

小倉みち
恋愛
 元侯爵令嬢のティアナは、幼馴染のジェフリーの元へ嫁ぎ、穏やかな日々を過ごしていた。  激しい恋愛関係の末に結婚したというわけではなかったが、それでもお互いに思いやりを持っていた。  貴族にありがちで平凡な、だけど幸せな生活。  しかし、その幸せは約1年で終わりを告げることとなる。  ティアナとジェフリーがパーティに参加したある日のこと。  ジェフリーとはぐれてしまったティアナは、彼を探しに中庭へと向かう。  ――そこで見たものは。  ジェフリーと自分の親友が、暗闇の中で抱き合っていた姿だった。 「……もう、この気持ちを抑えきれないわ」 「ティアナに悪いから」 「だけど、あなただってそうでしょう? 私、ずっと忘れられなかった」  そんな会話を聞いてしまったティアナは、頭が真っ白になった。  ショックだった。  ずっと信じてきた夫と親友の不貞。  しかし怒りより先に湧いてきたのは、彼らに幸せになってほしいという気持ち。  私さえいなければ。  私さえ身を引けば、私の大好きな2人はきっと幸せになれるはず。  ティアナは2人のため、黙って実家に帰ることにしたのだ。  だがお腹の中には既に、小さな命がいて――。

私の婚約者を狙ってる令嬢から男をとっかえひっかえしてる売女と罵られました

ゆの
恋愛
「ユーリ様!!そこの女は色んな男をとっかえひっかえしてる売女ですのよ!!騙されないでくださいましっ!!」 国王の誕生日を祝う盛大なパーティの最中に、私の婚約者を狙ってる令嬢に思いっきり罵られました。 なにやら証拠があるようで…? ※投稿前に何度か読み直し、確認してはいるのですが誤字脱字がある場合がございます。その時は優しく教えて頂けると助かります(´˘`*) ※勢いで書き始めましたが。完結まで書き終えてあります。

処理中です...