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姉を訪問

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 声がした方に視線を向けると、そこには薄茶のかつらを上げて綺麗に撫でつけられた黒髪を晒すヴォルフ様がいた。ゾルガー家の騎士が着るのと同じ騎士服を纏っている。変装していくとは思わなかったから驚いたわ。

「俺がいると本音を出さないかもしれないからな」

 そうかもしれないけれどまさか変装されるとは思わなかったわ。かつらを被り直すと長めの前髪で険しい目元や鮮やかな木々のような瞳が隠れてしまう。少し背を丸めた姿はもっさりとした感じの大柄だけど平凡な騎士に見える。同行する騎士は皆背が高いから違和感なく溶け込んでいるわ。

「どうした?」
「いえ……別人にしか見えませんわ……」

 大抵のことは卒なくこなされる方だと思っていたけれど、変装までお上手だとは思わなかった。言われなかったら気付かなかったわ。

「これから俺はただの騎士だ。むやみに話しかけるなよ」
「え、ええ」

 確かに侯爵夫人が護衛の一騎士に直接声をかけることは基本ない。でもそう言われても気になってしまうわ。アベルとザーラ、マルガが同じ馬車に乗り、ヴォルフ様も含めたゾルガー家の騎士八人が馬車を守るように囲った。車窓のすぐ側にはヴォルフ様がぴったりと添って馬に揺られているけれど、やっぱりヴォルフ様には見えないわ。

「旦那様はあの姿で時々街や領地に行かれるのです。慣れていらっしゃいますから大丈夫ですよ」

 車窓からヴォルフ様を眺めているとアベルがこっそり教えてくれた。それってお忍びで視察に行くためかしら。この姿の時はグンターと名乗っていることも教えてくれたけれど、あの溢れんばかりの威圧感と存在感はどこに行ったのかしら?

「旦那様は優秀でお強く非常に多才な方です。あの方に初めてお会いした時の衝撃を昨日のことのように覚えています」

 いつだったか、茶の瞳を輝かせてアベルはそんな風に語ってくれたことがある。伯爵家の三男に生まれた彼は継ぐ爵位もなく文官を目指していたけれど、文官試験を受けに来た王宮でヴォルフ様に出会って人生が変わったのだとか。文官を辞退してゾルガー家の門を叩きヴォルフ様の従者にして欲しいと願い出て、四年前にようやく念願の従者になったけれど、共に仕事をしているブレンも似たような経緯だというわ。ゾルガー家の使用人の忠誠心が強く結束が固いのはヴォルフ様に心酔している者が多いからなのでしょうね。



 姉が住むのは王都の西側にある裕福な平民たちが居を構える一角にあった。貴族街ほどの華々しさはないけれどお金をかけているのがわかる中程度の屋敷が並んでいる。その中でも特にこぢんまりとしていて木々が多く植えられている屋敷の前に止まった。護衛騎士の責任者が門を守る騎士に声をかけると、鈍い音を立てて門が開いた。そのまま馬車で玄関まで進む。

 玄関でアベルの手を借りて馬車から降りた。騎士に前後を守られて中に進む。ヴォルフ様は私の直ぐ後ろにいるらしい。久しぶりに会う姉。最後に会ったのは姉が領地に送られる直前だった。あれから五か月ほど経っただろうか。私はゾルガー侯爵夫人になり、姉は子が出来た上に実姉ではなくいとこだったと知った。あの時と今では私たちの立場は随分変わってしまったせいか、感じたことのない緊張感に包まれた。

 案内されたのは応接室だった。貴族の屋敷としては小さいけれど、手入れが行き届いて落ち着いた雰囲気が感じられた。使用人も躾が行き届いているのか動きに卒がない。

 部屋に入ると姉は既に二人掛けのソファに座っていた。玄関に出迎えなかったから待たされるかとも思っていたけれど、お腹が目立ってきているから動けなかったらしい。身近に妊婦がいたことがないから勝手がわからないわね。向かいの席に着くとマルガがお茶の準備を始め、ザーラとヴォルフ様と護衛が一人室内に留まった。ヴォルフ様は姉の様子を見るためか、私の後ろ側に立っているみたいだけど姉は気付いていないようだった。

「お元気そうで何よりですわ」
「……侯爵様は、ご一緒ではないの?」
「ヴォルフ様はお忙しい方ですから」

 一緒に来ていないとは言っていないし、嘘は言っていないわ。あからさまにホッとした表情を浮かべたけれど、それほど気にするのによくフレディ様に不義理を続けたわね。

「お子はいかがですの? お腹、大きくなりましたのね」

 産み月はまだ先だけど元より細かったせいかお腹が目立つわ。

「順調とお医者様は言っていたわ」
「そうですか」

 無事に育っているのならいいわ、子には罪がないもの。それにしても嫌味の一つもないなんて気持ち悪いわ。何か企んでいるのかしら……ヴォルフ様がいるから滅多なことはないと思うけれど不安が積もる。

「これ、クラウス様からの手紙よ」

 そう言って紙の束をテーブルの上に置いた。直ぐに本題に入るとは思わなかったわ。手紙を材料に何かを要求してくるかと思っていたから。あっさりしすぎて益々怪しく感じるわ。

「中を見ても?」
「構わないわ。そのために呼んだんだから」

 そういうことなら遠慮なく中身を検めさせてもらった。手紙は質素な紙で上位貴族が使うようなものではなかったけれど、綺麗な筆跡は上位貴族のそれだった。後ろにいるだろうヴォルフ様にも見えるようにと手紙を持って中身に目を通す。手紙には姉と子を労わる言葉と会いたい旨が記されていた。でも宛名も差出人の名も書かれていないわね。用心してのことかしら。

「これはいつ?」
「手紙を送った二日前に門に挟まっていたそうよ」
「二日前?」
「ええ。始めは誰宛かわからなくて……私の手元に来た時には丸一日は経っていたわ。それから手紙を送ったのよ」

 確かに宛先が書かれていなかったらたらい回しになるのも仕方がないわ。ゾルガー家の使用人と言っても万能ではないもの。

「手紙はこれだけ?」
「ええ」
「それにしても……これだけでは何もわからないわね」
「そうね。送り主もないし、何がしたいのかわからないわ。クラウス様は王都にいるの?」

 尋ねてくるってことは姉も知らないってことかしら?

「わからないわ。ヴォルフ様も行方が掴めないと仰っているし」

 実は王都にいる可能性があるのだけどそんなことを姉に言うつもりはない。

「そう……」
「お会いしたい?」
「わからないわ。この子の父親だけど、私を捨てた人だし……」

 そう言ってお腹を撫でながら目を伏せた。確かにクラウス様は逃げている最中も捕まって領地に幽閉になってからも姉に手紙一つ送ってこなかったと聞く。それでは愛想を尽かしても仕方がないかもしれない。

 その後は実家の様子を尋ねられたけれど、あまり答えられることはなかった。兄が廃嫡するのが決まったことや、母が離婚を求めていること、その母は倒れた実母を見舞うために自身の実家に帰っていることなど、姉がいなくなってから変化はあったのだけど……姉の出自についてもまだ話せていない。妊娠中は精神的な衝撃は避けた方がいいと言われたからどこまで話していいのか悩む。今日の訪問はそれを判断するためでもあったけれど、両親や兄のことはまだしも、姉が両親の実子でない話は子が生まれて落ち着くまではしない方がいいのかしら。

 姉に疲れた様子が見えたので今日の訪問は切り上げることにした。まだ聞きたいこともあったけれど今日は様子を見に来ただけだからこれで十分だわ。ヴォルフ様はどうかしら? 知りたいことが全て知れたのならいいのだけど。

 馬車に乗り込んで門を潜り通りに出た。貴族街よりも人の往来が少なくて塀で囲われていない家もあるわ。

「イルーゼ!! 伏せろ!!」

 物珍しさに外を眺めていると聞き慣れた大きな声が響き渡った。




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