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守るべき者たち

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 その後ブレッケルが帰るというので共に帰ろうとしたら王太子に呼び止められた。まだあるのか? ちょうどいい、聞いておきたいことがある。

「義母と親しかった者でまだ生きている者はいるか?」
「義母?」
「父の第一夫人になった王女だ」
「ああ、ナディア王女か。どうかなぁ……亡くなって時間が経つし、祖父の妹だろ?」

 世代的には祖父の代、しかも義母が死んだのは異母兄が駆け落ちして俺が家に戻った後だ。あれから二十年近くが経った。生きていれば六十も半ば、同年代は五侯爵家ではミュンターの爺くらいしかいない。

「ああ。使用人でもいい」
「君、何考えているの?」
「お前が言っただろう、兄はあの爺の子ではないかと」
「え? あれ本気にしちゃったの?」

 お前が言い出したんだろうが。こいつにしてはいい着眼点だったと思ったんだが。

「あの女に仕えていた侍女がまだ屋敷にいて話を聞いたら随分親密だったと答えた。父よりもずっとだ」

 それだけで通じていたとは言えないが、気になったのはとある伯爵夫人の催す茶会。そこであの二人は内々の話があるからと侍女を遠ざけたという。それは異母兄が生まれる前に始まり、義母が死ぬまで続いた。

「……伯爵夫人って、ミュンターの派閥のキストナー伯爵夫人だろ? 爺さんとも仲が良かったっていう」
「ああ。あの爺の婚約者候補にも上がっていたらしい」

 義母の学友であの爺らも含めた仲間の一人。我が家にも度々顔を出していたし、義母の弔問の時には俺を憎々しげに睨んできたので覚えている。

「あの夫人は亡くなっているんだよなぁ」
「ああ。だからお前に聞いている」
「王宮の侍女、か。確かにミュンターに降嫁する話もあった気がする。わかったよ、調べさせる」
「王女と合わせて報告書を送れ」
「……俺だって暇じゃないんだけど?」
「こうして無駄話をしているくらいには暇だろう」

 無駄話だなんて酷いと言っているが、今聞いた話はとっくに把握済みだ。俺には収穫がないなら無駄話だろう。

「はぁ、イルーゼちゃんも大変だなぁ。こんな男が夫だなんて……」

 どうしてそんな話になる? 

「特に不満など言っていないが」
「今はね。でもいずれそう思うようになるよ」

 そうならないように気を付けているがこれでは足りないのか? ティオやスージーは問題ないと言っていたしイルーゼから不満はないと聞いているが。

「フィリーネはどうしているの?」
「王都の別邸で変わりなく過ごしている」
「クラウスからの接触は?」
「今のところないな。噂を流してあまり日が経っていない。それに向こうも慎重になるだろう」

 今のところそれらしい人物が近づいたとの話はない。あの屋敷の周りは我が家の使用人の家族が住んでいて怪しい動きがあれば直ぐにわかるようになっている。

「ねぇ君、イルーゼちゃんを囮にしようとか、そんなこと考えていないよね?」

 暫く黙っていると思ったら急にしかめっ面をして尋ねてきた。囮か、考えなくもないがあれだけ行動力があると予測が難しくて使い難い。それに……

「そんなことはしない。あれには俺の子がいるかもしれないんだ」

 そう言ったら目を大きくして見上げてきた。

「何だ?」
「いや、君が妻や子を気遣うようなことを言うとは思わなくて……」
「母や兄たちのことを思えばいくら警戒しても足りることはないだろう」
「……確かに」

 立て続けに殺された兄たちと庇って死んだ母。フレディが生きている以上また同じことが起きる可能性は否めない。王太子がソファに身を預けて大きく息を吐くのが見えたが、こうして見るとイルーゼの方が動じていない気がする。いや、こいつの場合は何をしても動作が大袈裟なんだが。

「イルーゼちゃんに同情するよ……こんな男の嫁になったせいでしなくてもいい苦労する羽目になって……」
「妻にしろと言ってきたのは向こうだぞ?」
「それでも、初夜に賊が侵入するなんて織り込んでなかったでしょうが」

 確かにそうかもしれないが、最初に危険だと伝えてあるなら問題ないだろう。辞退する機会は何度もあったが迷っている姿は見ていないぞ。

「で、イルーゼちゃんとは仲良くやっているの?」
「ああ」
「ああって……ちゃんと会話した?  閨も無理強いしなかっただろうね?」
「会話もしたし無理強いもしていない」

 これまでにないほどに話をしたし、閨も痛みを感じないように時間をかけた。不満は聞いていないし、ティオやスージーからも苦言はないから大丈夫なはずだ。

「それならいいけど……あんまりがっつくなよ。君の体力に付き合える女性なんかいないに等しいんだから」
「わかっている」
「本当にわかっているのかなぁ。君、仕事ばっかりしているようにしか見えないけど、ちゃんと発散してたの?」
「余計なお世話だ」
「君だから心配なんだよぉ……」

 知ったばかりの餓鬼でもあるまいに。少なくともお前よりは発散していたぞ。

「馬鹿な話を続けるなら帰る」
「悪い悪い、そんなこと言わないで!」
「用があるのか? ないなら帰る。こっちも暇ではない」

 特に用はなさそうだからさっさと奴を置いて部屋を出た。後ろで何か言っていたが相手をしている暇はない。この数日の間に仕事が溜まっている。フレディではまだ全てを任せるのは難しい。守るために手配しなくてはいけないことは山のようにあるのだ。

 屋敷に戻るとティオとイルーゼが出迎えた。イルーゼに王女の生死が不明になっていることを告げ、着替えが終わったら話をすると告げて別れた。ティオが旦那様、と声をかけてきた。手には一通の手紙があった。

「ハッセ子爵夫人からフレディ様にお手紙が来ております。いかがいたしましょうか?」
「ハッセだと?」

 随分意外な名前が出てきたな。フレディが懸想していた令嬢か。確か婿を迎えて領地にいるはずだが、そう言えば夫がクラウスから麻薬を買っていたと名が上がっていたな。泣きついて来たか。

「俺から話す。フレディを呼んでくれ」

 着替えをしながら命じるとティオが部屋を出て行った。着替えが終わった頃にフレディと共に現れた。

「叔父上、お戻りでしたか? 何か?」
「ハッセから手紙が届いている」
「アイシャから? 今更何の用で……」

 訝しげにフレディが手紙を受け取って読み始めた。俺が先に目を通してもよかったがフレディのことは信用している。その態度は崩したくない。

「……話になりませんね」

 そう言って手紙を渡してきたので目を通した。案の定、夫が麻薬の件で捕縛されたので助けてほしいというものだった。

「どうしたい?」
「何も。手を貸す気はありません。今更ですよ」
「今更か」
「はい」

 吹っ切れたのか? その表情に迷いはないように見えるが醜聞になるほどに想った相手だろうに。

「放っておけば爵位返上、あの一家は平民になるかもしれんぞ」
「それでもです。こんな時だけ助けてほしいと言われても困ります。俺から断りの手紙を書きます。ティオ、今後は手紙を受け取らなくていい」
「かしこまりました」
「では、今から手紙を書きます。叔父上、中を確認してから送って下さい」
「見せる必要はない」
「……ありがとうございます。ですがけじめとして確認して欲しいのです」
「わかった」

 頭を下げるとフレディはお願いしますと笑みを浮かべながら出て行った。

「変わったか?」

 以前は俺の顔色を伺うような自信のなさそうな目をしていた。最近は俯くことも減って顔色もいい。小さい頃から成長を見守ってきたが随分明るくなったように見える。

「左様でございますね。もしかすると奥様の影響かもしれません」
「イルーゼの?」
「はい。奥様と接することが増えて色々と考えを改められることがおありだったようです。貴族として情よりも責務を優先すべきとの考えに感化されたご様子です」
「そうか」

 あれの強さがあればフレディも当主として十分やっていけたかもしれない。その可能性を考えてもよかったな。その場合フレディは確実に尻に敷かれただろうが。

「ティオ、イルーゼから不満は出ていないか」
「いいえ、特には。どうかされましたか?」
「いや……何かあったら教えてくれ」

 頷くのを横目で見ながらイルーゼの元に向かった。




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