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暗殺の可能性

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 ヴォルフ様がこの屋敷に戻られたのは十五歳の時、異母兄であるゲオルグ様が駆け落ちして姿を消した後だと聞いたわ。それから十六年、ずっと窓のない部屋で眠っていたなんて……私の年と同じくらいの間、常に殺される恐怖を意識しながら生きてきたってこと?

「どうしてここまで? 五侯爵家の当主はこれくらい警戒しているの?」

 実家も高位貴族として護衛を置いているし、姉がフレディ様の婚約者になってからは警備を強化しているけれどここまでじゃなかった。五侯爵家は王家を支える我が国の要。他の四家の当主の部屋もこんな感じなのかしら。

「他家のことは私にはわかり兼ねます。ですがこのゾルガー家、特に旦那様には必要なことでございました」
「ヴォルフ様の……ではお義父様は? 先代様はどうだったの? あとフレディ様は?」
「……大旦那様やフレディ様が狙われることは殆どありませんでした」

 だったらヴォルフ様だけが狙われているのよね。いえ、お義兄様もかしら? お二人とも幼い頃に亡くなっていて、直ぐ上のお義兄様が亡くなった時、ヴォルフ様も死だことにされて分家に預けられたのよね。

「今までもずっと?」
「フレディ様が後継に指名されてからは殆ど。ですが……」
「後継から外したら再開したのね」

 ティオは答えなかったけれど否定しなかったからそういうことなのね。

「私も狙われるのね?」

 ヴォルフ様のお母様と二人のお兄様のように。危険だと事前に聞いてはいたけれどこれほどとは思わなかった。守ると仰って下さったけれど初日から暗殺者が侵入してきたわ。

「旦那様はそうならないようこれまで尽力なさってきました。以前に比べたら危険性は格段に減っております。本日賊の侵入を許したのは痛恨の極みでございますが……」

 この日にわざわざ侵入してきたのは警告、いえ、今でも狙っていると、私も標的だとの意思表示ってことかしら。これで私が逃げ出すのを狙っているのかもしれない。

「そういえばあの男、ヴォルフ様のことをファオと呼びかけていたけれど、何か心当たりはある?」

 確かに二度、ヴォルフ様を見てファオかと尋ねていたわ。それも驚きを込めて。思い当たるファオは文字の一つだけど名前として使う言葉じゃない。他に何かあったかしら。

「いえ、わたくしめには……」

 ティオが首を左右に振った。心当たりがないのね。長く仕えているティオが知らないのなら相手の勘違いなのかしら? ヴォルフ様がファオという人物に似ていたから? ヴォルフ様は答えなかった。人違いだったのかしら。

 それにしても今日は色んな種類の緊張感があったわ。人前に出る緊張感なんかその後起きたことに比べたら可愛いものね。暗殺者に比べたらロミルダ様の暴挙も些細なことに思えてしまう。

 それにしてもロミルダ様も困った方ね。ミュンター家では随分可愛がられたとかで姉と同じく我儘で気ままに育ったと聞く。あのアルビーナ様ですらロミルダ様には嫌な思いをさせられたというのだから相当よ。見た目は姉以上に可愛らしいのに勿体ない。

 でも今日の失態は大きいわ。ブレッケル公爵から婚約破棄されただけでも相当なのに他家の、それも筆頭侯爵家の当主の婚姻式でのあの暴言。当主の正統性を否定するようなことを孫に吹き込むなんて前当主は何を考えているのかしら。高齢だし隠居した前当主がおかしな言動をするのは珍しくないと聞くけど……それを真に受けるのはどうかと思うわ。ミュンター侯爵はいくら家族でも娘を父親に近付けるべきじゃなかったわね。

 ヴォルフ様はどうされるのかしら? 抗議だけで済ませるわけはないわよね。いくら相手が子供とはいえ公の場での暴走、見逃したらゾルガー家が侮られてしまう。それにミュンターとは昔から確執があると言われている。これを機に一気に叩くおつもりかしら?

「そういえばザーラは? 治療は終わったのかしら?」

 それなりに時間が経ったし、傷も大したことはないと言っていたわ。だったらそろそろ終わったのではないかしら? ティオが入り口にいた騎士に尋ねると騎士が様子を見に行ってくれた。

 暫くしてやってきたのはマルガだった。

「マルガ、ザーラは?」
「イルーゼ様、ご無事で何よりでした。ザーラは治療も終えて自室で休んでいます。幸い傷も小さくて済みました」
「そう。痕が残る?」
「そう、ですね。でも傷口が小さいので時間が経てば目立たなくなりそうです。白粉で誤魔化すことも可能ですし、服で隠せる場所なので特に問題はないかと」

 残らないことを祈るわ。傷痕が残ると結婚にも支障が出てしまうかもしれないもの。

「毒の影響は見られませんでした。今夜は念のため侍女が付き添いますし、医師も屋敷に滞在して下さるそうです」
「そう。マルガだけでなくお医者様もいてくれるなら安心ね」

 毒に関してはマルガの方が詳しそうだけど、医師もいて下さるのなら一層安心だわ。もし容体に異変があったら私よりもザーラを優先するようマルガとティオにお願いした。

「ザーラには完全に怪我が治るまでは出てこないように言ってね。無理しそうだから」
「かしこまりました」

 身体が万全ではないところに襲われたら今度は軽い怪我では済まないかもしれないもの。今の私にはロッテだけでなくザーラやマルガもいてくれなきゃ困る存在になっている。彼女たちは侍女というよりも友人のように感じているもの。

 ザーラが無事だと聞いて安心したのかどっと疲れを感じてきた。身体が重くて数日分の疲れが一気に来たような感じがする。高熱で数日寝込んだ後のだるさに近いかしら。

 幸いというべきか、少し気分が落ち着いたせいか歩けるようになっていた。ティオは驚いたり怖い目に遭ったりすると起きると教えてくれたけれど、その通りみたい。自分では気が強いと思っていたから腰を抜かすとは思わなかった。初めて死を身近に感じたからかもしれない。毒虫の時も商人が暗殺者を連れてきた時も、凄く驚いたけれど死を感じたりはしなかった。腕が立つザーラが目の前で怪我をしたのもあったかもしれない。

「イルーゼ様、お疲れでしょう。暫く横になって休まれては?」

 ティオがそう提案してきた。既に一刻以上は経っている気がするけれどヴォルフ様が戻ってくる気配はない。

「でも、人のベッドを勝手に使うのは……」

 人によっては嫌がるわよ。私も無断でベッドを使われるのはちょっと遠慮したいと思うもの。

「大丈夫でございますよ。イルーゼ様は正式に旦那様の奥方になられた方。旦那様が嫌がることはございませんよ」

 そういうものかしら? 確かにこれからは同衾することも増えるけれど、それは夫婦の寝室が前提だわ。暗殺者を警戒して窓まで潰したヴォルフ様なら自室のベッドに自分以外の者がいるのは好ましくないんじゃないかしら。

「いいえ。このままソファで眠ってしまわれても私ではイルーゼ様をお運び出来ません。それでは旦那様に叱られてしまいます」

 そう言われてしまうと困ってしまうわ。確かに私は女性としては背が高い方だし、体重も軽くないもの。ティオが運ぼうとして腰を痛められても困るし……迷っていたらティオは通りがかったヴォルフ様に声をかけてしまったわ。

「まだしばらくかかりそうだ。もう真夜中を過ぎた。少し休め」

 そう言われてしまうと否とは言えなかった。確かに限界を感じるくらいには疲れていたから。今日はいつもよりも早く起こされて準備していたし、ゆっくりお茶を飲む時間もなかったもの。

 ヴォルフ様のベッドはその主に合わせてかとても大きかった。幅は私のそれの倍くらいはあるわ。室内は仄暗く、ベッドの側にあるテーブルの燭台を消すとベッドの周りが一層暗くなった。足元にはマルガが椅子に腰かけ、衝立の向こう側にロッテとティオが侍る。ロッテはティオと二人きりで気まずいかもしれないわね、こんな状況じゃ雑談も出来ないし。ベッドから仄かにヴォルフ様の匂いがした。色んなことがあり過ぎたし、他人のベッドは落ち着かないわ。ヴォルフ様も朝からお忙しそうだったからお疲れでしょうに。こんな状況なのに初夜なんて出来るのかしら……



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