上 下
107 / 184

窓のない部屋

しおりを挟む
「どうした? 」

 ヴォルフ様が手を引いて下さったけれど立ち上がれなかった。

「あ、足が……」
「足? 怪我でもしたか?」
「い、いえ。その……力が入らなくて……」
「ああ、腰が抜けたか?」
「……は?」

 腰が抜けた? これが? 確かに足に力が入らなくてそんな感じだけど、こんな時に腰を抜かすなんて大失態だわ。これじゃ逃げることもままならないじゃない。

「慌てるな。落ち着けばそのうち戻る」
「は、はい」

 そういうものなのかしら? 初めてのことでわからないわ。どれくらいで戻るの? 今日は初夜なのに、どうしてこんなことになっているのよ……

「動くな」
「え? は? あ、ひゃぁあ!」

 急に抱き上げられて変な声が出てしまったわ。突然のことと不安定さに思わずヴォルフ様に抱きついてしまったけれど、そうと気付いて慌てて距離を取ろうとしたら強く抱きこまれてしまった。

「落ち着け。落とすぞ」
「も、申し訳ありません!」

 そんなこと言われても……こんな格好で抱き上げられたら落ち着いてなんかいられないわ。でも落とされるのも困る。私の足、どうしてこんな時に使えないのよ!

「あ、あの、何を……」

 まさかこれから?

「あの男がどこから侵入したのか調べねばならん。その間自室にいろ」

 そう言われてほっとしたけれどそれでよかったのかしら。この先にあるのは初夜の筈なのに、どう考えても事態はそれとは無関係な方向に向かおうとしているように感じる。ヴォルフ様は私の部屋に向かって歩き出してしまい、ティオがその先で扉を開けながら進む。あっという間に私の部屋まで来て、下ろされたのはいつも坐っているソファだった。でも……

「あの……」
「何だ?」
「この部屋は大丈夫、なのでしょうか……」
「……不安か?」

 そう問われて頷いた。不安かって不安しかないわ。この部屋にはバルコニーに通じる窓もあるし、私の寝室や湯あみのための部屋、ザーラたち侍女の控えの間もある。そこに侵入者がいたら? そう思ってしまったら安心なんか出来そうもなかった。今の私じゃ自分で確かめることも出来ないし襲われたら逃げられないもの。

「そうか……」

 私を見下ろすとヴォルフ様が顎に手を当てた。

「窓がなければ……安心か?」
「え?」

 突然そんなことを聞かれたけれど……窓がない部屋なんかあるの? それって屋根裏とか地下にある部屋じゃないわよね? こんな晴れの日にそんな場所で過ごすの? だったらここで不安を我慢した方がずっとましな気がする……

「あの、やっぱり大……」
「俺の寝室はどうだ? そこは窓がない。そこでもいいのなら……」
「は?」

 窓がない? ヴォルフ様の寝室が?

「窓は全て潰してある。居間に通じる扉だけだ。天井からの侵入も出来ないようにしてある」

 潰したって……窓がない寝室なんて聞いたこともないわ。目覚めやすいようにと大きい窓を付けることもあるくらいなのよ。それでは朝になっても、いえ、昼間でも真っ暗じゃない。それに天井って……そんなことが出来る者なの? どうしてそこまで……

「暗殺防止のためだ。この屋敷ではあそこが一番安全だ」
「あ、暗殺?」

 私が疑問に感じていたのを察してかそう教えてくれたけれど……直ぐには理解出来なかった。暗殺って言ったわよね? そりゃあ侯爵家、それも筆頭侯爵家の当主ともなれば暗殺の可能性がないとは言えないけれど……そんな部屋を作らなきゃいけないくらい危険だってこと? 嫁げば危険が付きまとうとは聞いていたけれどそこまでなの?

「あの部屋は一度も賊の侵入を許していない。入り口には騎士を置く。大丈夫だ」

 大丈夫だって言われたけれどかえって不安が増しただけなのだけど。頭の中が混乱して考えがまとまらないわ。今は無理だとわかっているけれど、一人になりたい……

 結局背に腹は代えられず申し出を受けることにした。婚姻式の夜に人生を終えるなんて冗談にもならないもの。それに……好奇心もあった。

 再び抱えられて向かったヴォルフ様の寝室は本当に窓がなかった。あるのは居間に続く扉だけ。ティオが燭台に灯りをともしてくれてようやく部屋の全貌が見えた。部屋に入ると手前側に二人掛けのソファとテーブルがあり、その向こうに大きなベッドがあって、間には仕切りのように衝立があった。殺風景な部屋はここだけ別世界のような感になるわ。二人掛けのソファにそっと下ろされた。

「俺が寝ている時以外は居間に続く扉は開けっぱなしだ。換気はしてある」
「そ、そうですか」

 あまりにも想像から外れた部屋の仕様にそれ以外の言葉が出てこなかった。そこは気にしていなかったけれど、気を使って下さったのよね。

「暫く待っていろ。ティオ、ロッテ、イルーゼの側にいてくれ」
「旦那様、こんな時くらいイルーゼ様のお側にいらっしゃっては……」
「それでは俺が安心出来ん」
「旦那様……」

 ティオが困ったように眉を下げたけれど、それ以上何も言わないのはヴォルフ様が折れないと判断したのね。でも、ヴォルフ様が自分で確かめたいと思う気持ちもわかるわ。私だって出来ることなら自分で確かめたいわ。そうでなければ安心出来ないもの。だったらヴォルフ様の気が済むようにしていただくのが一番よ。

「いいのよティオ。私もヴォルフ様に確かめていただいた方が安心だもの」
「イルーゼ様……」
「すまんなイルーゼ。扉は閉めておくか?」

 お礼を言われたわ。それだけで十分よ。

「……いえ、開けておいてください」

 締めるのも不安な気がした。締め切った中で何か起きても気づかれないし助けを呼べないかもしれない。今襲われても逃げられないわ。足手纏いになってティオやロッテを危険に晒してしまうのは避けたい。

「わかった。念のため外に騎士を置いておく。何かあったら直ぐに言え」
「はい、ありがとうございます」

 ティオに頼んだと念を押すとヴォルフ様は行ってしまった。それだけで酷く心許ない気持ちになった。いつも側にいてくれたザーラとマルガがいないのも一層そう思わせたのかもしれない。ザーラの怪我はどうだったのかしら。これまでのことを思うと気が重くなるわね。どうなってしまうのかしら。色んなことがあり過ぎて考えも感情もまとまらない。

 ティオが使用人部屋から茶器を乗せたワゴンを押してきて、ロッテが受け取ってお茶を淹れてくれた。いつも飲んでいる私好みの甘みのあるお茶だった。それだけで気持ちが落ち着いていくのを感じたけれど、まだ身体の奥に震えが残っている気がする。

「イルーゼ様、大丈夫ですか?」
「ありがとうロッテ、大丈夫よ。怪我はなかった?」
「はい」

 見た感じ何かをされた風には見えなかったけれど怪我がなくてよかったわ。私も腰が抜けただけで怪我はない。立ってみようとしたけれどまだ力が入らなかった。これ、いつ戻るのかしら。まだ気持ちが昂っているわね。これが落ち着けば治まるのかしら。

 することもないので周囲を見渡す。装飾品などのない部屋は機能重視でヴォルフ様らしい。このテーブルセットとベッドの間には衝立があってベッドの頭側半分が見えないようになっている。これも暗殺者防止のためなのかしら? 目の前のテーブルとその左側にある棚、そしてベッドサイドに燭台があるけれど室内はほの暗い。これだと朝になっても暗いから寝坊してしまいそうね。

「ティオ、ヴォルフ様はずっとこの部屋で?」
「はい。当主になられて直ぐに」
「そう。じゃあ五年前から窓のない部屋で……」

 ヴォルフ様が当主になったのはそれくらい前だったはず。そんなにも危険と隣り合わせの毎日だったの?

「いえ、この屋敷にお戻りになってから程なくして、その頃お使いになっていた部屋もその様にしておりました」
「そんなに暗殺の危険が?」

 ティオは答えずに頭を下げた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛想を尽かした女と尽かされた男

火野村志紀
恋愛
※全16話となります。 「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」

【完結】契約妻の小さな復讐

恋愛
「余計な事をせず、ただ3年間だけ僕の妻でいればいい」 借金の肩代わりで伯爵家に嫁いだクロエは夫であるジュライアに結婚初日そう告げられる。彼には兼ねてから愛し合っていた娼婦がいて、彼女の奉公が終わるまでの3年間だけクロエを妻として迎えようとしていた。 身勝手でお馬鹿な旦那様、この3年分の恨みはちゃんと晴らさせて貰います。 ※誤字脱字はご了承下さい。 タイトルに※が付いているものは性描写があります。ご注意下さい。

砕けた愛は、戻らない。

豆狸
恋愛
「殿下からお前に伝言がある。もう殿下のことを見るな、とのことだ」 なろう様でも公開中です。

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

王太子妃候補、のち……

ざっく
恋愛
王太子妃候補として三年間学んできたが、決定されるその日に、王太子本人からそのつもりはないと拒否されてしまう。王太子妃になれなければ、嫁き遅れとなってしまうシーラは言ったーーー。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

──いいえ。わたしがあなたとの婚約を破棄したいのは、あなたに愛する人がいるからではありません。

ふまさ
恋愛
 伯爵令息のパットは、婚約者であるオーレリアからの突然の別れ話に、困惑していた。 「確かにぼくには、きみの他に愛する人がいる。でもその人は平民で、ぼくはその人と結婚はできない。だから、きみと──こんな言い方は卑怯かもしれないが、きみの家にお金を援助することと引き換えに、きみはそれを受け入れたうえで、ぼくと婚約してくれたんじゃなかったのか?!」  正面に座るオーレリアは、膝のうえに置いたこぶしを強く握った。 「……あなたの言う通りです。元より貴族の結婚など、政略的なものの方が多い。そんな中、没落寸前の我がヴェッター伯爵家に援助してくれたうえ、あなたのような優しいお方が我が家に婿養子としてきてくれるなど、まるで夢のようなお話でした」 「──なら、どうして? ぼくがきみを一番に愛せないから? けれどきみは、それでもいいと言ってくれたよね?」  オーレリアは答えないどころか、顔すらあげてくれない。  けれどその場にいる、両家の親たちは、その理由を理解していた。  ──そう。  何もわかっていないのは、パットだけだった。

あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。 国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。 カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。 王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。 失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。 公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。 逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。  心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...