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招かれざる客

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 窓の外は既に夜闇に染まっていた。夫婦の部屋はヴォルフ様の私室と私の私室の間にある。廊下側には居間があってその奥には寝室があり、それぞれの居間から居間に繋がっている。居間には大きめのソファとテーブルがあり、湯あみの部屋と使用人が使う部屋が繋がっている。

 昼間一度だけ中の様子を見に来たけれど、他の部屋と同じく壁紙や調度品は落ち着いた深緑色で統一されていた。今はろうそくの明かりのせいか茶色味が増して昼間とは違った雰囲気ね。それでも落ち着いた感じがするのは変わらない。寝室への扉は今は開けられ、あちらは居間よりも燭台の数が少ないせいかより暗くなっている。

 これからのことを考えると落ち着かない。身に着けている初夜用の夜着が一層そう思わせる。下着のような夜着は最初に目にした時は気が遠くなりそうなほどに恥ずかしいものだったから。もう少しマシなものはないのかと尋ねたらもっと恥ずかしいものが出てきた時には言葉も出なかったわ。初夜ですからこんなものですと三人に言われてしまったら何も言い返せなかった。

 さすがにそれだけでは身体が冷えるからと今はその上に手触りのいい滑らかな素材でできたガウンを羽織っている。このガウンも普段使うものに比べると艶めかしく感じるのは気のせいかしら。居間のソファに腰を下ろして髪を乾かして貰い、軽食を頂きながらヴォルフ様を待った。

「パーティーはもう終わったのかしら?」
「先ほどティオさんからその様に報告がございましたわ」

 マルガが空いたお皿を片付けながら教えてくれた。

「そう。皆様無事帰られたのかしら?」
「はい、暗くなる前には。皆様、特に混乱もなくお帰りになられたと伺っています」

 ザーラの答えにホッとした。よかったわ、燃えた荷馬車のことがあったから招待客が無事に帰るまでは安心出来なかったもの。今日は大きな通りは王都を守る騎士が立ったと聞いているから大丈夫よね。そういえばあの積み荷はどうなったのかしら? あの後騎士たちが引き上げたのでしょうけど何が積まれていたのか気になるわね。

「何者です?!」

 突然ザーラが鋭い声をあげ、ザーラとマルガが私と寝室の間に立ち身構えた。ザーラたちが警戒する寝室の入り口に視線を向けて……息を呑んだわ。ここよりも一層暗いそこから黒っぽいフード付きのローブに身を包んだ見慣れない者が現れたからだ。音もたてずに現れたそれに一気に鳥肌が立って、これまでに感じたことのない恐怖に包まれた。ロッテが守るように私を抱きしめた。

「……どちら様?」

 問いかけたけれど返事はなかった。この部屋だけ空気が薄くなった気がする。恐ろしくて瞬きをするのも怖かった。その瞬間に襲われそうな気がしたから。耐えかねて瞬きをした刹那、それが動くと同時にくぐもった悲鳴が聞こえてザーラが床に蹲っているのが見えた。

「ザーラっ!!」
「お待ちくださいイルーゼ様!」

 ザーラに駆け寄ろうとした私を止めたのはロッテだった。抱きしめる力が強くなって動けない。それは居間の入り口に立ち私とは数歩の先にいて、マルガが私との間に動いた。

「私は大丈夫です!」

ザーラが声を上げてほっとしたけれど肩を抑えているのが視界の端に移った。怪我をしたの? 心配だけど視線を外した瞬間襲われそうな気がして動けない。初めて、死ぬかもしれないと思った。

「奥方様!?」
「どうかなさいましたか!?」
「賊です!!」

 外に控えていた護衛が異変に気付いて声をかけるとマルガが応えた。護衛騎士が失礼しますと声を上げて室内になだれ込んで来て、同時に侵入者が飛び下がって距離を取った。それがいた床に小型のナイフが突き刺さり、騎士たちが剣先を向け私たちとそれとの間に入る。すかさずロッテがザーラに寄り声をかけると、ザーラはかすり傷だとしっかりした口調で答えた。よかったわ、それだけで目の奥が熱くなった。

「何者だ!?」
「武器を捨てろ!」

 騎士たちの怒号が飛び、不利だと悟ったのか侵入者は寝室に下がる仕草を見せたけれど、突然飛び上がろうとして二歩ほど離れた場所に倒れ込んだ。何が起きているのかわからず呆気に取られていたら、寝室に通じる扉の向こうに何かが動くのが見えた。仲間がいたの? 騎士のお陰で薄れた緊張がまた濃くなった。

「ヴォルフさ、ま……?」

 凝視する先で音もなく暗闇から現れたのはヴォルフ様だった。いつの間に夫婦の寝室に移動したの? バスローブを羽織り、髪からは水滴が落ちている様子からして湯あみの最中だったみたいだけど、現れ方もそのお姿も心臓に悪いのだけど。それでも緊張が一気に薄れ安堵が全身にじっくりと広がっていくのを感じた。

「何者だ?」
「……き、貴様……まさ、か……ファ、オ?」

 ヴォルフ様を見上げながら侵入者がしゃがれた声で呆然と呟くのが聞こえた。ヴォルフ様のことを知っているのかしら? いえ、この屋敷に侵入したのだから知らない方がおかしいわ。でも、確かにファオと呼んだわ。ヴォルフ様を誰かと間違えている? 燭台の鈍い光でも侵入者の背に銀色の細い何かが刺さっているのが見えた。あれはこの前、商人が連れてきた暗殺者に向けていたのと同じ物? 

「イルーゼ、無事か?」

 侵入者を避けながら私の側まで来てくれた。かけられた声に一気に身体の緊張が抜けるのを感じた。私は守られていたから問題ないわ。それよりもザーラよ。

「は、はい。でもザーラが!」
「イルーゼ様、私は大丈夫です」
「医者を呼べ! マルガ、ザーラを診ろ。毒が使われているかもしれない」

 部屋の入り口にいたらしい騎士が走り去る靴音が聞こえ、マルガが使用人の部屋へザーラを運ぶよう騎士に頼んだ。ザーラは自分で歩くと主張したけれど毒が使われている可能性があるから動くなとヴォルフ様に止められ、騎士がゆっくりとザーラを抱えてマルガと共に使用人部屋に向かった。

 一方の侵入者は既に騎士によって後ろ手に拘束されていた。ヴォルフ様が近付くと騎士がフードを上げて侵入者の顔が露わにした。まだ若そうな赤毛の男だった。髪も肌も艶がなく荒んだ状況で生きてきたように見える。

「……貴様、ファオ……か?」

 息苦しそうに男がヴォルフ様を見上げ、再びファオと呼びかけた。どうしてヴォルフ様をそう呼ぶの? 不思議に思いながら男を見ているとその目が段々虚ろになっていった。

「傷の手当てをして縛ったまま地下牢へ放り込んでおけ。目が覚めて自死されても面倒だ。猿ぐつわもしておけ」
「はっ」

 騎士がヴォルフ様の指示を受けて三人がかりで侵入者を拘束し始めたけれど、男はだらりと力が抜けて動かなかった。両手両足を縛られ、猿ぐつわをされた男はそのまま騎士に担ぎ上げられて運ばれていったわ。急にどうしたのかしら? 死んだわけじゃない、わよね?

「痺れ薬と眠り薬だ。暴れて部屋を汚されても面倒だからな。死んではいない」
「そ、そうですか……」

 それを聞いて身体のこわばりがまた少し解けるのを感じた。死んでいないのならよかったわ。ヴォルフ様に人殺しなんてして欲しくないもの。それに夫婦の寝室を汚されるのは困るわ。

「大丈夫か?」
「は、はい」

 見上げるといつもの表情でヴォルフ様が見下ろしていた。頬に冷たいものを感じる。頬に手を当てると透明だった。それはヴォルフ様の髪から落ちているものだった。

「ヴォルフ様、髪が……」

 湯あみの途中で駆けつけてくれたのかしら? でも濡れたままでは風邪を引いてしまうわ。

「旦那様、こちらを」

 既にティオの手にはタオルがあって、ヴォルフ様はそれを受け取ると髪を乱雑に拭いた。それでは髪が痛んでしまうのに。代わりに拭こうと思って自分の異変に気付いた。

「場を移そう。奴がどこから侵入したか調べねばならん。何か余計な置き土産があるかもしれないしな」
「そうですわね……」
「行くぞ」
「ええ」

 そう言って手を差し出された手を取り立ち上がろうとしたけれど、私の身体は思うように動かなかった。



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